2018年5月 5日 (土)

日下部鳴鶴書の伝承者

 馬場恵峰先生は、原田観峰師の一番弟子である。原田観峰師(1911~1995)は日本習字の創立者である。原田観峰師は、窯元12代目の馬場恵峰師(当時43歳)を見込んで、窯元当主を廃業させ、京都に単身赴任で呼び寄せて一番弟子として修行をさせた(昭和45年)。それで今の馬場恵峰先生がある。

 当時20名の窯元の社長の身から、修行の弟子扱いになり、給与はうん分の一の7万円に急降下である。ボーナス無し、深夜まで働いても残業手当なしの生活である。週に二回は徹夜の日々である。当時、原田観峰師は独裁者で、口答えは許されず、多くの同僚が辞めたという。今でいうブラック企業並みである。だから恵峰師は、京都では良い思い出がないという。それ以来、師は京都には足を運んでいない。当時、先生が、京都から九州に帰ると旅費だけで3万円が飛んでしまう。だから2年間、帰郷もせず京都で頑張られたが、体を壊して九州に帰られた。その間、三根子先生が九州で5人の子供を抱えて、書道を教えながら家庭の生活を支えられた。頭が下がる。多くの塗炭に満ちた苦労があり、今の恵峰師がある。単に字が上手かったから、今の書道の腕が出来上がった訳ではない。

 ほぼ同じ時期(昭和48年)、私は前職のトヨタ系の会社に入社して、初任給は7万6千円、残業代も多大で賞与もありの生活である。先生のそれと比較すると自分の恵まれかたに対して、先生に肩身が狭い。

 

原田観峰師の功績

 原田観峰師は、明治44(1911)年3月21日、福岡県山門郡瀬高町(現みやま市)に生まれる。幼少期より筆をとり、卓越した書の才能をすでに見せ、勉学も優秀であったという。明治の三筆と言われた日下部鳴鶴の書を学んで、日本習字の元となる字体を作った。昭和28(1953)年、同地で西日本書道通信学会(公益財団法人日本習字教育財団の前身)を創立し、「正しい文字・美しい文字」の普及活動を展開した。日下部鳴鶴の書が、芸術の字ではなく、誰でもどこでも、何時でも読める字を書いてきた。だから原田観峰師の字もだれでも読める明快な字である。原田観峰師は、平成7(1995)年に亡くなるまで、多くの受講者のため、手本執筆と講習会等に奔走し、その半生を書道教育に尽くした。

 

弟子の相伝

 日下部鳴鶴は馬場恵峰先生の宗師に当たる。だから、恵峰先生がよく「俺の字は、日下部鳴鶴の字とそっくりだろう」という。2018年4月12日、馬場恵峰師を彦根市の長松院にご案内して、井伊直政公出陣の掛け軸をお見せしたら、揮毫された日下部鳴鶴の字を示して、「「英」と「春」の字は俺(恵峰先生)の字とそっくりだろう」と説明された。それが師弟関係での字の相伝だという。確かに、私の家にある馬場恵峰先生の掛け軸の字とそっくりである。弟子の相伝を納得した。

1p1100350  馬場恵峰師 長松院にて  2018年4月12日

2p1060924 日下部鳴鶴書  「東作」は若い頃の雅号

31img_4428 馬場恵峰書 「英」に注目

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 馬場恵峰書 「春」に注目

 

2018-05-05

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2018年5月 4日 (金)

「猩々軕」の予行練習に出会う

 春の大垣の街並みに流れるお囃子は、大垣まつりが近いことを知らせてくれる。2018年5月3日、憲法記念日の大垣市駅前通りの観光客の状況を調査に行った帰り道、宮町でお囃子が聞こえ、その先を見たら「猩々軕」が練り歩いていた。5月12、13日の大垣まつり出演のための練習だという。近くの蛭子神社で、舞の奉納をしてきた帰りで、若い衆がひと休みをしているところである。5月7,8,9日には、夜の練習があるという。街の若い衆が大垣の伝統を守っている。感謝。

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 大垣市宮町で 2018年5月3日14:20

 

「猩々軕」とは

 この軕は謡曲「猩々」を主題にした「能からくり軕」である。大垣まつりに出演する13輌ある軕の一つである。謡曲「猩々」は五番目物で、能の演目では最後の出し物である。「猩々」は想像上の動物で、オラウータンに似て赤い髪は長く垂れ、顔と足は人に似ていて大酒を飲むと言われる。

 この軕は昭和20年7月29日の大垣空襲で焼失したが、平成13年に56年ぶりに再建され、平成22年に漆、金具、彫刻などを施して完全に復元された。

 

「猩々軕」の掛芸

 この軕の芸目では、軽快な「酒を飲む猩々」の曲が始まると、猩々は舞いながら壺に近づき、汲めども尽きない酒樽に顔を突っ込んで鯨飲する。猩々が壺から顔を上げると、猩々は酒に酔っぱらった赤面となっている。曲が「獅子頭を付けた猩々」に変わると、酔った猩々は興の赴くままに舞い、屋形に入り、出てきた時は獅子に変身している。この時、壺が4つに割れ、中から牡丹の株が浮び上がる。獅子はその牡丹に戯れ、興にまかせて狂ったように舞う。この時、若い衆たちが軕をこの舞に合わせて激しく回転させて、八幡様の門前から走り去る。芝居の幕引きのようなエンディングである。

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059l4a8632  赤い顔になった猩々

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 牡丹の前で獅子に変身

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 若い衆たちが軕を舞に合わせて激しく回転させる。大垣まつりで 2015‎年‎5‎月‎9‎日‏‎9:43

見送り

 見送りには、日展画家和田能玉氏が描いた「白沢怪」と揖斐川町の書家窪田華堂氏の筆になる賛が、豪華に手刺繍で縫い上げられている。賛の漢詩は、白沢怪が中国古代の聖君黄帝に語った言葉である。白沢怪とは、古代インド波羅奈国の剛勇の王である。この言葉は意味深長である。組織の興亡は全て組織のリーダーにかかっている。それは今も昔も変わらない。今の大垣市長に聞かせたい。

 

 黄帝東巡国  黄帝が東国を巡行した

 白澤克玄論  白沢怪は意味深い言葉を述べた

 賢君明俊徳  帝が賢く徳のある政治を行えば

 天祥降子孫  子々孫々に至るまで目出度く栄える

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千匹猿

 上勾欄の下に千匹猿の彫刻があり、全て異なる猿として彫られている。

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11p1060310  収納の建屋

「お頭」保管

 大垣まつりのエンディング「恵比須軕のお頭渡しの儀」の「お頭」保管は、船町、伝馬町、岐阜町、宮町の4町内が一年交代で担当している。宮町の役員の方から、今年は、宮町が「お頭」保管の担当であるという話を聞いた。 

12p1010353_2  「恵比須軕のお頭渡しの儀」大垣八幡神社にて 2017年5月14日21:20

「猩々軕」の詳細は浅野準一郎著『大垣まつり』風媒社(2013年)を参考にしました。

2018-05-04

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2018年5月 3日 (木)

身閑夢亦安養心

 2018年3月28日、大村市の馬場恵峰先生宅に写真撮影のために訪問したおり、壁にかかっていた「身閑夢亦安養心」の掛け軸が目に留まった。読み方を聞くと「身のどかにして、夢また養心を安んず」である。これは恵峰先生が心がけている信条とか。またその軸は、日本では入手困難な貴重な中国製である。なにか閃くものを感じて、即、譲っていただく決断をした。

 この軸は特殊な模様の入った紙材で、先生の書き賃よりも軸の原価のほうが高い。

 

忙と閑

 「忙しく」慌ただしく日々を過ごしても、良き人生は送れない。しいと(のどか)は対極にある。「忙」とは「心」を「亡」くした状態である。

 「閑」とは門の間に木を置き、他からの侵入を防ぐ仕切りの意味を表わす。一人静かに考える環境と時間を作りことである。そうしないと人生の道を誤る。

 ギリシャ時代の哲学者(スカラー)は、労働は奴隷にさせて、自身は閑だから哲学を考えていた。閑だから考えれるのだ。哲学者のスカラとは、ラテン語で閑という意味から派生した言葉である。学校(school)もスカラから派生した言葉である。閑だから学べるのだ。

 

組織の長の役割

 行政の長の中には、全ての行事に顔を出して、自分の顔を売ることに余念のない市長がいる。忙しすぎて、大事な市の行事の神事で居眠りさえする。抹消的なことに執着して、大事な百年の計には頭が回らない。些細な行事は副市長やその委員長に任せればよいである。市長がしゃしゃり出ても何の付加価値も生まない。それはルーチンワークで、戦術のレベルである。組織の長は、戦術ではなく100年の計、戦略を考えねばならぬ。

 

夢の実現

 忙しい忙しいと自慢するように走り回っている経営者がいる。私は彼を自分の時間を作れない愚か者だと軽蔑している。それでは戦術に溺れている実務者でしかない。それは部下に仕事を託す才覚のない経営者である。部下が育たないから、ますます忙しくなる。それでは夢の実現など、夢の夢の悪夢である。

 この軸を自宅に持ち帰り、早々に座敷に吊るして毎日この軸を眺めている。心が安らぐ日々である。私はこの軸を眺めながら、閑(のどか)に20年後の夢が実現できる戦略を練っている。 

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 梱包のために軸を下す恵峰先生 2018328

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  珍しい模様の入った軸。恵峰先生は、表装された軸に直接揮毫される。

 

2018-05-03

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2018年5月 2日 (水)

岩村の石室千体佛に参拝

 7年に一度だけ開帳される岐阜県恵那市岩村町一色の「石室千体佛」が、2018年4月22日から5月6日まで一般公開されており、私は5月1日に参拝した。

 岩村駅に着いて、当初、私は隆崇院に石室千体佛があると思い込んでいたので、目的地とは反対方向の隆崇院の方向に歩いたので、時間ロスをしてしまった。途中でおかしいと気が付き、途中で石室千体佛御開帳のご奉仕の方に出会い道順を教えて頂いた。感謝。

 岩村の街並みを歩くと、白い紐が岩村の街並みの中心地から約1キロ離れた「石室千体佛」の中尊一体まで結ばれ、道しるべの役割にもなっていた。

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 小山の上が石室千体佛

石室千体佛

 石室千体佛は経塚で、寛永9年(1632)、岩村城主松平乗寿が住民の安泰繁栄などを祈願して建立した。乗寿は菩提寺の瀧厳寺に命じて浄土三部経千部を石筐(石の箱)に蔵め地中深く埋蔵し、その上に石室を設け一千体の阿弥陀像を安置した。埋めて上に石室を設け、千体の阿弥陀佛像を安置したとされる。

 石室千体佛は110年を経て荒廃してきたので、岩村城主の乗賢は大給松平本家の下総国佐倉城主松平乗邑と相談し、寛保元年(1741)に協力して修繕再営した。石室を改修するとともに佛像も新しくつくり替え、前の古い佛像は供養して地中に埋蔵した。

 佛像は1001体ある。中尊一体はご身長一尺四寸(約42cm)座光共に三尺六寸(約109 cm)で小佛千体は三寸(約9 cm)で座光共に四寸(約12 cm)であるが、小佛千体のうち10体は100体ごとの首像として四寸(約12 cm)座光共に五寸五分((約17 cm)と少し大きい。一千体とも金彩(金箔)が施してある。

 石室千体仏を再営した乗賢も乗邑も乗寿の曽孫であり、三人とも老中の大役に任じられ、乗邑は将軍吉宗と組んで享保の改革を断行した。

 (平成30年3月 恵那市教育員会作成の説明書より)

 

拝観と写真撮影

 石室内部の仏様は身を屈めてのぞき込まないと拝めない。親切な配慮として手前に鏡が置かれており、そのお姿が鏡に映っている。金箔が施された佛像は、数が千体もあるせいで壮観であり、有難味が感じられる。また7年ぶりの御開帳で、かつ写真撮影が許されているので、有難い。

 多くの寺院で仏像の写真撮影が禁止されているが、是非、解禁をしていただきたい。禁止をしてお寺さんにどんなご利益があるのか。お寺で売っている写真が売れなくなるのが、原因のようだ。料簡が狭いではないか。佛道に反している。

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街の風景

 今回の石室千体佛のご開帳では、岩村がNHK連続テレビ小説「半分、青い。」のロケ地で、ドラマとの相乗効果もあり多くの観光客が訪れていた。また4月9日放映の「鶴瓶の家族に乾杯」でも取り上げられたようで、街では「オジサン、テレビに出ていたね」とお店の人に声をかける観光客も多くいた。

 石室千体佛を参拝した後、ぶらぶらと岩村の街をのんびりとぶらついた。五平餅を食べ、ラムネを飲み、あつあつの焼き栗を食べて、ささやかな幸せを感じた。ハンバーガー店などのファストフード店がないのが気持ちよい。

 今回の岩村訪問の目的は石室千体仏参拝以外にもう一つは、岩村の街並みの軒先に掲げられている佐藤一斎の言葉を書いた板の調査である。現在、あるプロジェクトを計画している。

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2018-05-02

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眼の命を慈しむ(9/9) エピローグ

佛様からのメッセージ

 三好眼科での眼の検査が終わり、診察報告も吉田副院長から受け、待合室で会計を待っていた時、千手千眼観音菩薩像を慣れ親しんだLUMIX TZ30( CCDが1/2.3サイズ)でスナップ撮影した。このカメラは2010年に定年記念イタリア旅行のために購入した。今回の訪問では、正式にCCDフルサイズ機のCANON 5D-Ⅳで撮影を行った。

 正式の撮影も終わり、診察も終わり、そのTZ30で軽い気持ちで2枚を連続して撮影したが、その出来栄えに驚いた。最初の撮影画像は普通の黄色の木目で自然色であったが、同じ位置で連続の撮影で、カメラの調整機能にはなにも触っていないのに、2枚目の写真は青みがかった色調に変わっていた。カメラ内のカラーのホワイトバランスが変ったようだ。僅かの光線の変化の具合で、カメラの自動調整機能が過剰反応をして、ホワイトバランスを変えてしまったようだ。

 この変化を、私は仏様からのメッセージと受け止めた。今までは目が黄色(要注意)であったが、今は青色(安全)になったとの啓示と受け止めた。感謝。安心して、三好眼科を後にした。

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健康の秘訣

 これは内緒の話(?)であるが、三好輝行先生の奥様が、三好先生が松本明慶先生の仏像彫刻を集めることに喜んでおられるとか。それ以前は、三好先生は、夜な夜な飲みに出歩き、体もメタボ気味になり不健康であり、先生の健康を心配していたという。それが松本明慶大仏師の仏像彫刻に出会い、その収集を行うようになってから、生活が健全になり、夜に飲みにいくことも減り、体も健康体になったという。仏様のお陰である。

 

病気を治す

 病気になれば医師が治療をしてくれる。しかし医師は治療をするが、病気を治すのは己である。自分の病気を治そうという「気」がなければ、病気は直せない。病気を真剣に直したいなら、病院を選び、医師を選び、病気を研究して病気の真因を見つけ、薬を選び、生活習慣を変え、食生活を変え、命を見直し、生を感謝して、病気を直そうという「本気」を持たねば、病気は直せない。病気とは、ご先祖が己に課す試練である。どこまで病気を治す取り組みに真剣になれるか、それが試されている。

 死んでもよいから健康管理である。死にたくてもおいそれとは死ねない。しかし生活如何で簡単に病気にはなる。生死は神仏の管理であり、健康は自分の管理責任である。

93dsc005581  馬場恵峰書  この板は東日本大震災で倒壊した神社を再建した時に出た桧の端材で作られている。

手を合わせる先がある幸せ

 私も自宅の松本明慶先生作の佛様に、毎日手を合わせるようになって、昔の不健康な生活とは、少し縁遠くなった。目の前に美しい芸術作品としても価値がある具体的な佛像があると、手を合わせるにしても、拝み甲斐がある。空中に手を合わせるよりも有難いと感じる。手を合わせていると、ご先祖より頂いた命を大事にせねばと思うようになる。松本明慶先生作の佛像とのご縁に巡り逢ったのは佛縁である。見えること、生かされていること、ご先祖に見守られていると意識できる「今」の一日は幸せである。感謝。

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2018-05-02

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2018年5月 1日 (火)

眼の命を慈しむ(8/9) 福山分室

 下図は、三好先生より接遇して頂いた三好先生の自宅応接室である(2012年当時)。三好眼科病院の6階の自宅内にある応接室兼美術館である。後で松本明慶大仏師の図録を見ていたら、「松本明慶仏像彫刻美術館 福山分室」蔵という佛像が多くあった。三好先生の名刺をよくよく見たら、「松本明慶仏像彫刻美術館 福山分室 館長」とあり、この応接間の存在に納得した。

 2018年現在、福山市内に正式の「松本明慶仏像彫刻 福山分室美術館」を建てることが決まり、計画が進行中とのこと。

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展示されている仏様の紹介

千手千眼観音菩薩像

 この仏様は2012年に訪問した時はなかったが、2回目の2013年に訪問した時に鎮座されており、そのお顔の美しさに驚嘆した覚えがある。当時、三好先生の自宅応接間に置かれていた千手千眼観音菩薩像は、あまりに出来が良いので、松本明慶師も手放すのが辛いらしく、完成してもなかなか福山に納佛してくれなかったと三好先生がぼやいていた。この千手千眼観音菩薩像は、現在は新しい待合室で患者さん達を慈愛に満ちた眼で見守っている。

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子安観音菩薩

 「松本明慶仏像彫刻美術館 福山分室」で見どころの仏様の一人が、子安観音菩薩である。この5人の赤子と観音菩薩像は一木から彫られている。明慶師の技が最高に発揮された仏様である。優しいお顔と眼差しが魅力的である。

 赤子とは、その仏に一番近い存在である。邪心を持たずひたすら母の愛を信じて生きている。今は邪心に満ちた己も、生まれた時は佛に近い存在であった。それが今は汚れた存在になってしまった。それを拭う修行が必要と諭してくれる仏像である。

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ひな人形

 「松本明慶仏像彫刻美術館 福山分室」で、さりげなく飾られたひな人形も隠れた名品である。ひな人形の黒髪は、端渓の硯で磨った墨を和紙で濾し、胡粉仕上げの下地に墨で髪の一本、一本が繊細に描かれている。胡粉地とは胡粉(貝殻の粉)と膠で混ぜ合わせて作る。男びな女びなの後ろには鳥居と三宝に乗った宝が描かれている。その宝とは女性のために働くことである。家を建てる甲斐性である。服に描かれた松は、冬でも枯れない常緑樹で、女性への変わらぬ愛を象徴している。鳥居の下に紐が描かれているが、それは人を束ねる人となれという願いが込められている。

 女びなの後ろには「※」印が描かれているが、それはお米を表し、家の食を守るとの意味である。そこに描かれた升は、家計を取り仕切る意味である。

 さりげなく作られたひな人形にも、松本明慶大仏師の魂が宿る。岩田明彩師の彩色の技が光る。 本体は楠、台座は桧である。

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 応接間に鎮座した不動明王坐像には、腰を抜かし、圧倒された。

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2018-05-01

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2018年4月30日 (月)

眼の命を慈しむ(7/9) 逆縁の菩薩

 今回の件で、三好先生から、「一目で人を見ぬく眼力、縁を見ぬく眼力、選択をする決断力、ご縁の力」の大切さを教えて頂いた。まだまだ自分には人徳の力、人を見抜く力、縁を掴む力の不足を痛感した。仏様のご配慮で、今回その不足を諭され三好先生に助けていただき、失明の危機を脱したようだ。仏様からもっと頑張れよと激励された気持ちである。

 

人の道

 本来なら、2012年の手術は三好先生にお願いすればよかったのだが、既に手術日が2週間後と間近であり、手術をお願いしてある地元の先生の手前もあり、あの時点で予約済み手術のキャンセルは、人の道に反する。三好先生も口にはできない。そうなったのも自分の運命である。そのお陰で網膜はく離という「逆縁の菩薩」との出会いがあって、目の大事さ、当たり前に見えることの有難さ、「今が大切」が、身にしみて理解できた。それが、佛さまからの人生の教えであった。そのお陰で三好先生とのご縁ができた。

 

逆縁でもご縁

 逆縁でもご縁である。そこから何を学ぶかで、今後の生き方が変わる。そのご縁は、仏様からの何のメッセージなのかを考えたい。ご先祖も仏様もあの世から直接には手を出せない。間接的に、病気、事故とか逆境で我々にメッセージを伝えているのだ。それをどう受け止めるかである。逆縁という縁を頂いたから、師の門を叩くのだ。そうでなければ出会えない師縁である。

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眼の命の寿命を思い知る

 白内障の手術を簡単に考えていたのが甘い考えであった。1週間ほど受験勉強に空白ができるが、直前に猛勉強で巻き返せばいいと安易に考えていた。左目の手術は無事に終わったが、手術1ヶ月後に網膜はく離を患い、ほぼ失明の状態が2週間ほど続き、受験勉強ができない時期が、受験直前の3週間にも及んだ。命は有限である。ところが体だけでなく、その部品である各器官にも寿命があることを思い知らされた。それを認識できただけでも、よい勉強となった。

 愚かな人間は、見えて当たり前、聞こえて当たり前の世界がいかに「有難い」状態であるか、失なわないと分からない。勉強できるのも、生きているうち、働けるうち、眼の見えるうち、日の暮れぬうちを痛感した。

 

実績の凄さ

 また、三好先生の手術の見学をさせていただき、人生の開眼ができ。先生の手術例52,000例と普通の眼科医の生涯手術件数2,000例の差を間近に見て、いかに自分の取り組みが甘かったかを痛感した。その道を極めるには、2倍3倍ではダメで、一桁違う精進が必要であると眼が覚めた。当時、国家試験の資格に挑戦中であったが、自分の受験勉強の取り組みの甘さを教えていただいた。

 手術後に手術を終えた患者さんに言われた先生のお言葉「後は神様が直してくれる」は感動です。天の計らいには人智を超えた縁がある。

 

世界歴代2位達成

 三好先生は2014年10月3日に、世界歴代2位の自院内での白内障手術件数50,000例(他院出張手術件数を含めると55,000例)を達成された。三好眼科では1988年4月に開院以来、2018年3月31日現在で、自院で60,738例、出張手術5,748例、合計66,486例 の白内障手術を行った。

 2013年当時40人の病院のスタッフも、2018年現在は60名を超える。

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 世界歴代2位の白内障手術件数50,000達成のお祝い会で(三好先生より提供)

73img_47461 馬場恵峰先生書    2011年入手

 

 今回、眼を患って、馬場恵峰先生の書の中でもこれが一番、心にしみた言葉である。自分の命は勿論のことであるが、どんなモノ、プロジェクト、品物にも命がある。それを忘れてはならない。(2013年記)

 この言葉が三好先生の座右の銘だと、この2018年4月号『BJビジネス情報』誌で初めて知った。(2018年4月記)

 

2018-04-29

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2018年4月29日 (日)

眼の命を慈しむ(6/9) 白内障手術を見学

白内障手術見学のお誘い

 三好先生宅訪問の前日(2013年10月24日)、三好先生から電話があり、「明日、早めにお越しになれば手術の見学をしていただいてもよいですよ」とのお話があった。一瞬、えー! と思ったが、折角のお話なので見学させていただくことにした。私の人生方針として「来るものは拒まず」である。でも手術の見学など気持ちが悪い、恐ろしいとの思いがあり複雑な心境で福山市に向った。

 

手術室へ

 三好眼科に到着すると、お迎えの看護婦さんが待っておられた。看護婦さんに手術着に着替えるため別室に案内されて、着替えて手術室に向った。手術室は2台の手術台が設置されおり、三好先生が手術の真っ最中であった。目礼をしてテレビ画面に映る手術の状況をしばし見学した。しばらくして三好先生から「こちらに来て顕微鏡で見なさい」と言うことで、手術中の先生の真横に座り、モニタの顕微鏡で直接、手術の経過を見させていただいた。2人の方の手術の全過程を見させていただいた。先生はもっと見て欲しかったようだが(ある意図があって)、手術を受けられている方に対して少し気が引けたので、直接見学したのは2人の手術だけで、後は手術室内の3mほどの至近距離の横に座って、モニタで三好先生の手術を真横に見ながら、計10名ほどの方の手術を見学させていただき人生を学ばせていただいた。

 その後、香川大学の女医の先生が同じように手術を見学されていた。この状態を後進に見せるのは後進を育てるためのシステムとして素晴らしい。

 

白内障手術状況

 患者は片目を眼帯に覆われて、看護婦さんに両手を引かれて静々と手術室に入ってきて、手術台に横たわる。その後、術前処置を受けて10分ほど横たわって待機している。もう一つの手術台で前の患者の手術が終ると、三好先生は、待機している患者側に来て次の手術を開始する。手術は10分ほどで終わり、素人が見ると極めて簡単に見え、流れ作業のような感じであった。先生の足元にはペダルを含めて27個の足スイッチが並んでいる。それを駆使しながら微細な目の手術をされる。最初に眼球を覆う膜を切開して、前嚢の膜を壁紙のはがしのように、そぉーとめくる。

 この手術の鍵は足の微妙な使い方にある。先生はその昔、エレクトーンを習われたとか。これが役立っている。レーザーのノズルを水晶体の横から差し込み、レーザーで水晶体を砕きながらその破片をノズルから吸い込む。その微妙な加減を、足のペダル操作で調整する。砕かれた水晶体の破片がそのノズルから吸い込まれていく。水晶体が、宇宙空間に浮く隕石の破片のように、ノズルに吸い込まれていく。まるでSF映画の不思議な映像を見るようであった。「この操作が簡単にみえて難しいのですよ。これが手術の要なのです」と先生の解説である。目の膜が3μmしかなく操作を誤ると破ってしまうとか。

 水晶体を取り除いた後、折りたたんだ眼内レンズを挿入する。レンズのアームは徐々に開いて目の中に納まる。それで手術は完了である。簡単に見えるが、入れるのも、後からの微調整も高度の技術を必要とされる。

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 大鹿哲郎教授監修『眼手術学』文光堂より

 

 以前、松本明慶先生も三好先生の手術を見学されて、その時、「この手術の鍵は足の操作ですね」とずばりと指摘をされた。さすが職人同士で通じるものがあったとか。それ以降、松本明慶先生に三好先生が信用してもらえるようになったという。

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 手術風景 三好眼科のHPより

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 足元に27ケのスイッチ。大鹿哲郎教授監修『眼手術学』文光堂より

 三好先生は約90分間で、10名の患者の手術を工場のライン作業のようにこなされた。横で支援している医師と看護婦の連携も素晴らしい。今日は18名の手術をされる予定とか。このペースでは過去52,000件の手術実績も納得である。

 

佛の掛け声

 手術が終ると、三好先生は「手術は大成功ですよ。もう大丈夫」と患者に声をかけていた「後は神様が直してくれます」。この言葉には感銘した。あくまで謙虚な先生である。手術などは見たくても見られないもの。それも世界一の神の手を持った先生の手術である。そのご縁に感謝です。

 

みほとけの見守り

 手術室の壁上部には松本明慶先生作の仏像写真が、先生の手術を見守るように10枚ほど掲示されていた。手術室の奥のガラス越しの部屋に、松本明慶先生作聖観音菩薩像(全高1.65m)(次図)が「手術が安全に行われることを祈願して」安置されて、手術室内を見守っていた。聖観音菩薩は人々の苦悩の叫び(音)を観じると、慈悲の心をもって、直ちに救済に駆けつける御佛である。この佛像は2002年度京都仏像彫刻展で第一位の京都府知事賞に輝いた作品である。

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戒めの言葉

 手術室入口横の壁にはスターウォーズのヨーダの写真があり、ヨーダの発する言葉が医師への戒めの言葉として10枚ほど掲示されていた。

 曰く「医師は謙虚であれ」「自然の真理を悟れ」(言葉はうろ覚えですが、自己を戒める言葉が列挙されていた)。自分の戒めの言葉として使いたい表現が多かった。

 

「手術十戒」(三好眼科手術室に貼ってある)

  (下記はネットで掲載されていた情報。私はうろ覚え。)

  1. 「どのような手術でもベストを尽くす」
  2. 「己の力を過信しない」
  3. 「1stepを三度確認して、次のstepに移る」
  4. 「術前、術中、術後の軽口はこれを厳に慎む」
  5. 「患者が手術室を出るまで、決して気を抜かない」
  6. 「Nurseを叱らない」
  7. 「11時の皮質を一部残すことは恥ではない」
  8. 「決してイライラせず、急ぐことなく落ち着いて手術する」
  9. 「常に一歩退いてよく考えること」
  10. 「神への祈りを忘れない」

これらはどんな仕事にも通用する言葉である。私も仕事で使いたい。

クリーンルーム

  この手術室はクリーンルームと同じ基準で建築されているとのこと。クラス1,000のクリーン度である。私がNEDO(通産省の外部団体の超先端加工システム組合)の関係でエキシマレーザ用の超精密加工機の開発とそのためのクリーンンルーム建築に関与した(1991~1992年)。それでその費用が半端でないことを知っていた。そのクリーンルームは、クリーン度10,000であった。一般的な事務所のクリーン度は1,000,000である。一般的な手術室がクリーン度50,000であるので、いかに三好先生が手術室室に金がかけているかが分かる。人の眼に関する部屋のクリーンルームの建設にはお金がかかるだ。 

クリーン度の定義

 クリーンルームの清浄度は「一定の体積中の基準の大きさ以上の塵埃の数量」で示される。これは1フィート立方中(28.8リットル)に0.5ミクロン以上の微粒子が何個あるかで表す。クラス1,000とは1フィート立方中に0.5ミクロン以上の微粒子が1,000個以下であることを示す。数字が小さい程ゴミの無い空間になる。

 0.5ミクロンとは、光学顕微鏡で見える最低限の大きさである。バクテリアの一番小さいサイズである。一般的に「雲の上」の空気の状態である。要は天国に近い状態(?)である。

後日談

 今回の眼の手術のご縁で、もっと自分の体を勉強しようと思い、大鹿哲郎教授監修『眼手術学』文光堂(30,000円)を購入した。医学書が高いのは閉口だが、白内障手術の理解にはよい教材であった。自分の体を医師に預けるにしても、その手術に関する基本的知識は持っていたほうが良いと思う。

 後で一冊20,000円の同シリーズの医学書を2冊も追加購入することになり、結局7万円の出費となった。この医学書で貴重な情報が得られたので、惜しい気はしなかった。こういう情報を自分の体験で得ようと思ったら、7万円では得られない。図書には、著者の経験知が詰まっている。それからすると、安いと私は思う。

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 大鹿哲郎教授監修『眼手術学』文光堂

 

2018-04-29

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2018年4月28日 (土)

眼の命を慈しむ(5/9) 白内障手術ビデオ

 2012年、三好眼科に来院して一番驚いたのは、待合室に設置してあるモニタテレビで白内障手術の様子が繰り返し放映されていたことである。なおかつ希望者には、手術の過程を撮影してそれを提供してもらえるとのこと。

 自分が白内障の手術をできることならやりたくないと躊躇していたのは、眼の手術への恐怖心からである。他の手術なら麻酔で知らない間に済んでしまう。ところが、眼の手術は麻酔なしで、意識がある中での手術である。それ故、手術を先延ばししていた。受験勉強と車の運転に支障が出てきたので、手術せざるを得なくなったというのが本音であった。

 放映されていた手術の様子を見て、あまりに簡単に済んでいるので、拍子抜けの感があり、安心して手術を受ける心境になった。患者の身になって考えている、すばらしい配慮である。

 

危機管理

 またこのビデオ撮影は、己の手術技術に自信がないとできない。このビデオは、医療訴訟への対応ともなる。三好先生は、自己の手術のビデオを全て資料室に保管されている。その分量は圧巻であった。素晴らしい危機管理である。

 

診断結果の写真のカラーコピー

 2018年の今回も、最新の診療機械で眼の網膜の断層写真を撮り、診断を受けたが、その写真のカラーコピーが診察後に提供された。他の病院では、診察の写真は請求しないと、渡してもらえない。それもモノクロのコピーである。患者の身になって考えていると感心した。

 

三好先生の手術件数

 三好先生の白内障手術件数は51,533(2013年7月31日現在)例である。先生の御歳は59歳(2013年現在)。普通の眼科医の生涯手術件数が多くて2,000例であることを考えると、その凄さが分かる。先生の手はgod handである。

 2014年10月3日に、世界歴代2位の自院内での白内障手術件数50,000例(他院出張手術件数を含めると55,000例)を達成された。2018年3月31日現在で66,486例の手術件数である。

 

眼科術後検査のご縁

 私は2012年4月、左目の白内障手術後、網膜はく離をわずらい、2週間ほど半失明状態に追い込まれた。その半年後右目の白内障手術を受け、また網膜はく離の前兆が出て、落ち着くまでに1年程を要した。その間、国家試験の受験勉強の巻き返しに没頭せざるを得ない状態になり、三好先生へのお礼のタイミングを逸してしまった。

 三好先生への遅ればせながらのお礼とミシガン大学で学んだテクニカルライティングのお話を目的に先生への訪問のアポイント(2013年10月25日)をとると、先生から「もはや関係ないかも知れませんが、もしも眼科術後検査もご希望でしたら、15:00に2階受付にお越し賜れば、種々検査後、診察させて頂きます。」とのメールが来て、是非お願いします、ということで診察をして頂いた。

 

検査を受けて

 検査を受けて正解であった。そんなつもりで三好先生宅を訪問したのではないが、仏さまのお導きで、危ない状態を助けていただいた。診察の結果、術後の経過が悪く、そのまま放置すると網膜はく離を再発する恐れがある状態であることを告げられた。それを直すのは普通の腕では難しい手術であった。その場で、YAGUレーザーで手術を受けて、その心配を無くしていただいた。先生の申し出た検査を受けなければ、通り過ぎてしまっていたご縁である。

 

逆接待

 その夜、三好先生から一緒に食事でもと、一見さんお断りの高級料亭に連れて行かれ、目の前で今朝、下関に水揚げされたばかりの河豚をさばいての河豚料理をご馳走になった。本当は私が接待しないといけないのに、逆接待である。そのお店では、専務、副社長レベルは入店禁止で社長しか入れない掟とか。

 そのお店のご主人は頑固オヤジのようで、腕に自信があり、「食わしてやる」という雰囲気である。勿論それに見合った味と内容があった。値段も半端ではない。料理を食べて、オヤジさんに「旨い」と言ってはダメとのこと。旨いのは当たり前だからだ。意見を言ってはダメなのだ。三好先生をして、そのオヤジさんから、数回、出入り禁止を申し渡されたという。そのオヤジさんにとって、世界一の手術の腕を持った三好先生も子ども扱いである。それだけ腕に自信があるのは素晴らしい。トランプ大統領なら、即、出入り禁止にされそうである。松本明慶工房の皆さんも、このお店で御馳走になったという。かようにお礼の言いようもない仏さまからの接待でした。

 

2018-04-28

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眼の命を慈しむ(4/9) 三好眼科を見学

 2018年4月21日、長崎の馬場恵峰先生宅で写真撮影をした後の帰路、三好眼科を訪問して、診察と新たに増改築された新屋(2016年完成)を見学させて頂いた。前回は三好先生が直々に案内をされた。今回は、三好先生が学会参加で不在のため、事務長の寺本様に全館を案内していただき、その後、副院長の吉田先生に診てもらった。

41dsc01344  三好眼科外観(2012年) 

42p1100397  三好眼科外観(2018年)手前の駐車場に増築された。

43p1020326  2階の待合室(2012年、今日は患者が少ないほうとか) 

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 1階の新待合室(2018年4月21日)

診察室は7室

 新病棟では以前の6診から7診に増えていた。名古屋市立大学病院の眼科が4診であるので、単科病院として驚嘆の多さである。7診もある各診療室のカーテンの色にもこだわりがある。7診の各室のカーテン色が異なり、その診察室内部の色彩もカーテンの色と合わせてあるという。これは施行した寺本事務長のこだわりとか。組織の全員が三好先生の意向を汲んで、改築に尽力をされたようだ。

45dsc04196  単科病院で6診まであるのは驚き。(2012年) 

 名古屋市立大学病院の眼科でも4診までである。

46p1100393  現在の診察室 7診に増えた(2018年) 

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 各診察室のカーテン色を変え、内部の色もカーテン色に合わせてデザイン。

 

視力検査機

 ここで単純に感心したのは、一般的な5mを離して検眼マークを見る視力検査ではなく、ボックス内を覗いて視力を測る光学式機械が並んでいたことである。寺本事務長の説明では、従来の視力検査方式では、測定位置と検眼マーク板の間の距離5m×8台数分の敷地が無駄となるため、建屋敷地の稼働率向上目的で、この検眼機器を使っているとのこと。大変合理的で感心した。新幹線が止まる駅に近い一等地で、土地の有効活用は重要である。病院経営で、土地や建屋は固定資産税、減価償却等でお金がかかる。それを効率化して浮いた資金を新しい医療設備に投資が出来る。これは2012年当時も設置してあった設備である。

 

オスカー賞像の展示

 三好眼科で米白内障学賞にもオスカー賞があることを初めて知った。それも4つのオスカー像があるのは、世界でも三好先生の病院だけ。言うなれば世界一の先生である。アカデミー賞の副賞であるオスカー像は、米白内障学会がド高いライセンス料を払って使用権を得ている。出すものを出せば、オスカー像は使えるのだ。

 見学の後、病院の会議室で、米白内障学会でプレゼンしたビデオを見させてもらった。お金と時間がかかっているビデオである。三好先生は「米白内障学会に参加すると1週間病院を閉めないといけないので、1回数千万円の減収になるので大変」とぼやかれた。苦節10年でグランプリを取られた。単発では世界一は獲得できない。

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 アメリカ白内障学会、ドイツ白内障学会、欧州白内障学会のオスカー像とトロフィー

 

患者の地域別分布図

 下図は三好眼科の患者の地域別分布図。赤のピンが手術患者、白の針頭が医師の見学者の印。遠く北海道には赤の針頭がある。中部地区が少ないのは、名古屋に杉田眼科があるため。設備では、杉田眼科が日本で一番最新という(2012年当時)。

 今回見学したら地域別の地図に世界地図が追加されていた。その分布を見て、中国からの患者が多いのに呆れた。中国人も日本の名医をよく知っている。赤いピンが患者、白いピンが手術見学の先生のマークである。遠く欧州、北米、豪州、アフリカ、南米までそのピンが立つ。

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相談コーナ

 2階の診察室の横には、パーティションで囲まれたカウンセリング用の4人用の机まで設けられている。それも3カ所も、である。眼科病院で、こういう相談コーナは初めて見た。当時の私なら、眼の手術の疑問点の相談を親身になってさせて欲しいと思っただろう。眼の手術は恐怖心が先にあり、怖いのだ。相談する相手が欲しいのだ。普通の病院は、その場所さえない。

エスカレーターを設置

 今回の増築で、1階の待合室と2階の診察室の間に、市内の病院では初のエスカレーターが新設されている。三好先生は、このエスカレーターは、建築費が高かったとぼやかれていた。普通の目が見える人間では、あまり感じないが、目を悪くすると、階段を降りる時は恐怖心を感じることがある。私も目が悪いので、その配慮はありがたい。

 エスカレーターを病院に設置しても一銭も儲からないが、三好先生が患者の身になって設置したエスカレーターである。患者目線の配慮である。横の1階と2階を結ぶ階段には、足元を照らす照明までつけられている。視力の弱い方のための配慮である。もちろんエレベーターも設置されている。

 

メガネ店まで併設

 同じ建屋内にメガネ店まで併設されている。私も多くのメガネ店を訪れたが、眼科医との関係で、医師の処方箋のままメガネを作ればよいので、あまり上等の設備がないお店が多かった。同じ経営で、メガネ店を作るのは合理的である。

 

トイレのこだわり

 またトイレの美しさもレクサス店や高級ホテル並みのレベルである。患者さんが来院する前に、寺本事務長が女性用トイレも見せて頂けた。トイレを見れば、その経営姿勢が分かる。

 

目の保養

 病院の壁やコーナに多くの美術品が展示され、眼の保養になっている。マリー・ローラサンの絵や京薩摩焼の陶芸品等が展示されている。全て本物である。

 

ウォーターパール

 医療機器ではないが、患者が待ち時間中の癒しのための設備として、「病院では世界で初めての設備」が、水玉噴水設備の「ウォーターパール」である。三好先生のこだわりとか。水に特殊な振動波を与えて球状にした噴水と、専用ライトを当て、眼の残像効果を利用して、球体となった水滴が空中に浮かぶように見える。その水滴の動きは幻想的である。

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2018-04-28

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