2018年4月27日 (金)

眼の命を慈しむ(3/9) 千手千眼観音菩薩像

 三好眼科の新しい待合室には、松本明慶大仏師作の千手千眼観音菩薩像(2m)が鎮座され、多くの患者を優しく見守っておられる。

 

314k8a9361_2 松本明慶先生作 千手千眼観音菩薩像 三好眼科にて(2018年4月21日撮影)

千手千眼観音菩薩とは

 千手千眼観音菩薩は、「千手千眼観音」「十一面千手千眼観音」「千手千臂観音)」など様々な呼び方がある。「千手千眼」の名は、千本の手のそれぞれの掌に一眼を持つとされることに由来する。

 千本の手は、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする、観音の慈悲と力の広大さを表している。観音菩薩が千の手を得た謂われを述べた仏典には、伽梵達摩訳『千手千眼觀世音菩薩廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼經』がある。この経の中に置かれた『大悲心陀羅尼』は、現在でも中国や日本の天台宗、禅宗寺院で読誦されている。六観音の一尊としては、六道のうち餓鬼道を摂化するという。また地獄の苦悩を済度するともいい、一切衆生を済度するに、無礙の大用あることを表して諸願成就・産生平穏を司るという。

 一般的な千手観音像は十一面四十二臂が多い。四十二臂の意味については、胸前で合掌する2本の手を除いた40本の手が、それぞれ25の世界を救うものであり、「25×40=1,000」である。ここで言う「25の世界」とは、仏教で言う「三界二十五有」のことで、天上界から地獄まで25の世界があるされる(欲界に十四有、色界に七有、無色界に四有があるとされる)。俗に言う「有頂天」とは二十五の有の頂点にある天上界を指す。

 千手観音の尊名は、前述の通り様々な呼び方がある。日本の文化財保護法による国宝、重要文化財の指定名称は「千手観音」に統一されている。(この項、wikipediaより編集)

 

佛は体の営みで人生を教える

 自然の営みが声無き経を唱えるように、佛は己の体の営みで、人生を教えてくれている。上の口から入ったもの(生)は、必ず下の口から出て行く(死)。どんな美味なるものでも、体の中を通って出て行くときは、カスの便として排出される。

 どんな美人も人と生まれて人生を謳歌しても、不美人に生まれて悲嘆に暮れても、死んでしまえば髑髏である。皮一枚の出来不出来が美人、不美人を分けるが、死んでしまえば同じ髑髏である。人生で位人臣を極めてもいつかはその座を去り、この世を去らねばならぬ。それを千手観音菩薩は、髑髏を手に持って教えている。千手観音菩薩の下のほうにある手に持つものは、現実社会での道具を表し、上側にある手に持つものほど、佛に近い世界で使う道具を表している。莫大な財産を集めても死ぬときは裸で旅立つ。

33dsc01355松本明慶先生作千手千眼観音菩薩像(三好輝行先生蔵)20131025日撮影

34dsc01356 どんな美人でも、いくら位人臣を極めても、死んでしまえば髑髏である。

 髑髏を千手に持って、人の人生を教えている。

 

人生パイプライン理論

 人は母親の狭い経道を通ってこの人間界に生まれてきて、人生という長い管の中を通過して死の世界に向う。管から排出されたとき(死)に残るのは骸骨であり灰である。集めた金銀財宝は、単なる所有権であり死ねばチャラである。その人生管を通過する間に出来ることは、集めることではなく、降り注ぐ消化液(師の教え、ご縁)を最大限に活かして、いかに魂のレベルを高めて社会へ還元するかが問われる。良き食べ物が消化吸収されて体の活動エネルギーになり、体作りに作用するのと同じである。

 人生という暗い長いトンネルを抜けると、白い光に満ちた「幸国(天上界)」か、暗い地獄界が現れる。どちらに到達するかは、人生での積善の多寡の差で決まる。人生で何をやってきたかは、魂と体に刻み込まれている。

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  人生パイプライン理論図

 

人の犯す罪

 ご先祖から預かった体を大事にしなかった罪は、内臓が我慢の限界を超え反乱を起こすことで顕在化する。飽食で過ごした人生は、肥満、糖尿病、高血圧の結末である。その罪は目にも及ぶ。失明の原因の多くは糖尿病が原因である。全て自然の摂理である。

 笑いの少ない人生は、法令線が薄いという人相に現れる。人との付き合いを疎かにした結果である。出あった人にニコッと笑えば頬の筋肉が鍛えられ、彫りの深い顔つきになる。痴呆番組を見て笑わされて過ごした人は締まらない顔つきの人相になる。

 心身を鍛えてこなかった咎が、うつ病、精神病、認知症である。誰のせいでもない。すべて己の行動の積年の蓄積の結果である。

 拝金主義に侵された心は、金を集めても集めても満足できず、99%の富を1%の餓鬼が独占する修羅道にさ迷い込む。それは現代の名医でも直せない。バカは死ななきゃ治らないように、拝金主義に侵されると、何も言っても馬耳東風である。安易な金儲けに迷わされて、世界中が経済の病気に罹っている。佛が説く、足るを知る、利他の心の教えを思い出したい。

 

三好先生の天職

 千手千眼観音菩薩は、三好先生の生まれ年からみて守り本尊にあたる。三好先生の守り本尊が、千手千眼観音菩薩であるから、眼科医が天職であるのは間違いなかろう。三好先生は、多くの眼病に悩む人々を救う佛様のような立場である。それを使命とする仕事に就かれているのは、佛様の差配と思われる。

 

御心の具現化

 その佛様の御心を松本明慶大佛師は、千手千眼観音菩薩像で表現した。それを今回、私は三好眼科で、それも真近かで拝めることができて幸せであった。千手千眼観音菩薩像は患者の皆さんを優しい慈愛に満ちた眼で見守っておられる。その眼入れをされたのは岩田明彩師である。これは芸術作品である。

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 松本明慶先生作  千手千眼観音菩薩像  三好輝行先生蔵

 眼入れは岩田明彩師。優しい慈愛に満ちた眼である。

364k8a9359  見る角度によって表情が変わる。 2018年4月21日撮影

 

2018-04-27

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眼の命を慈しむ(2/9) 三好輝行先生

 三好眼科は新幹線福山駅から徒歩5分の場所にある。2012年に初めて診察のため訪問した時、大勢の人が二階の待合室で診察を待っていた。まるで総合病院のような雰囲気であった。それでも当日はいつもより患者が少ないという。一代で現在の5階建ての眼科医院を築かれたのは、「院長の目指すもの」の書かれた熱い志があったからだ。診察のあと、医院の最上階の特別応接間で厚遇をいただいた。ご縁に感謝です。

 後で、小久保館長さんから頂いた資料で三好先生のご経歴をよくよく見て驚いた。福山市に行く時には、診察結果が心配で、そこまで頭が回らなかったのが実情である。

 

三好輝行先生略歴

1980年 鳥取大学医学部卒、岡山大学医学部眼科学教室入局。

1985年 日立造船健康保険組合因島総合病院眼科医長、

1985年 岡山大学医学部学位授与、

1988年 三好眼科開業、

2003年 高知大学医学部臨床教授、

2004年 広島大学臨床教授。

2013年 白内障手術51,533例(2013年7月31日現在)

2018年 白内障手術66,486例(2018年3月31日現在)

 

表彰、受賞歴

・2005年 ASCRS(米国白内障屈折矯正会議)グランプリ受賞

・2005年 DOC(ドイツ国際眼科手術会議)にて白内障・緑内障部門一位受賞

・2005年 ESCRS(欧州白内障・屈折手術会議)でVideo Festival Overall Winner受賞

・2006年 日本眼科医会長賞、広島県眼科医会長賞、

・2006 ASCRS(米国白内障・屈折矯正手術会議)にてRunner-Up受賞

・2006 DOC(ドイツ国際眼科手術会議)にて緑内障・白内障部門1位

・2007年 第25回ASCRSフィルムフェスティバルグランプリ(2度目受賞は史上初)

・2007年 ビデオコンペティション冬 グランプリ(欧州白内障屈折矯正手術学会)

2度目の受賞

・2009年 フィルムフェスティバル グランプリ(アジア太平洋白内障屈折矯正手術会議)

・2011年 ビデオコンペティション冬 グランプリ(欧州白内障屈折矯正手術学会)

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 三好先生は米国の米国白内障屈折矯正手術学会(ASCRS)で、史上初の2度目のグランプリを受賞されている。不文律で2度はないことになっていた。2005年のグランプリ受賞に続いて2007年のグランプリ受賞は学会初の快挙である。また欧州白内障屈折矯正手術会議でも、三好輝行院長と吉田博則副院長がビデオコンペティション」で2007年にグランプリを受賞されている。

 それ故、西日本では一番有名な眼科医である。現在、白内障手術の予約患者が一時は3,000人待ちであった(2013年9月30日現在、527人待ち)。市内のメガネ屋の社長にこの件を話したら、「そんな偉い先生にすぐに直接見てもらうことは奇跡だ」と言われて、改めて不思議なご縁に感謝である。おかげで、三好先生からお墨付きを頂いた地元の先生に手術をしていただくことができた。三好先生に診察していただけた不思議なご縁に感謝している。

 

2018-04-27

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2018年4月26日 (木)

眼の命を慈しむ(1/9) 三好先生とのご縁

 2018年4月23日、福山市の三好眼科を検診と見学のため訪問した。4年前に三好眼科の三好輝行先生から名古屋市立大学病院の小椋祐一郎先生を紹介してもらい、4年程、名古屋市立大学病院に通っていた。小椋祐一郎先生は、網膜硝子体疾患の治療では第一人者である。この4月9日に小椋先生から、「良くなったので、後は地元の先生に診てもらいなさい」との診断を受けた。その報告と定期検診のための訪問である。また最近、三好眼科が増築をして、その新しい待合室に松本明慶師作の千手千眼観音菩薩像が展示されたので、その撮影が目的である。あいにく三好輝行先生は学会出席のため不在であったが、副院長の吉田博則先生に診察をして頂いた。また事務長の寺本様に全館の見学を案内していただいた。

 

ご縁の経緯

 加齢により白内障を患い、生活に支障が出てきたので、2012年に手術を決断した。ところが1年間ほど通院していた眼科医から、手術する段になったら、「手術は当医院では(難しくて)できません。大垣市民病院を紹介します」と断られてしまった。それならもっと早く言え、と怒りが出た。ともかく眼鏡屋さんに別の病院の眼科を紹介してもらい、そこの先生から「手術をします」と言っていただいた。ただし「普通の人より難しい手術になる」との診断があって心配していた。眼鏡屋は全市の眼科医に出入りをしているので、どこの病院が一番進んだ医療機器を導入しているかを把握している。

 その後、ご縁で松本明慶佛像彫刻美術館(京都)の小久保館長さんと世間話をしていて、眼の手術の話になった。それなら知り合いにいい先生がいるとかで、三好輝行先生(福山市)にその場で電話をかけ、「明日来院しなさい」との話となった。アレアレという間に決まったが、自分は三好先生の詳細は全く知らず、ご縁のある館長さんの勧めなので、ともかく翌々日に遠路、広島県福山市に泊りがけで診察を受けにでかけた(2012年3月)。下記は、その病院のロビーに掲示されていた「院長の目指すもの」のコピーです。

 

三好院長の目指すもの

 「心に残る医療を」を提供するために

 現在、1日に約300人超の患者さんが受診している当院は、優秀なスタッフや最新設備など、最高の医療環境に恵まれています。しかし、常に謙虚さと感謝の心を忘れないように自分に言い聞かせ、祈りながら毎日の診療にあたっています。海外から認められたレベルを“かかりつけ医”として地域の患者さんに還元するとともに、若い眼科医たちに伝承していくことが、私に課せられた使命だと思っています。

 患者さんやご家族からいただく「ありがとう」の言葉は、私たちにとって一番の原動力です。眼科医になって以来、この言葉を聞くだけのために、寝食を惜しんで診療と研究に打ち込んできました。

 大都会と違い、福山市は小さな町ですから、道端や飲食店でばったり患者さんやご家族と出くわすことは日常茶飯事です。皆さんといつどこで出会っても気持ちよくあいさつを交わし、この先も末永くお付き合いしていくためにも、「心に残る医療」を提供していきたいと考えています。

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  三好輝行先生(2012年撮影)

  今回の訪問で、待合室に鎮座した松本明慶大仏師作の千手千眼観音菩薩像を真近かで拝めて、またその隣に掲げられた三好眼科の経営理念を見ることができて、大変よかった。千手観音菩薩像は、松本明慶大仏師が800年の伝統の技を現代に通用する芸術の美しい仏像として昇華して創造されている。それに応じて三好輝行先生の病院経営の理念が「最新にして最高の医療体制のもとに眼病になやむ人々と光ある喜びをわかちあうことを使命とする!!」と宣言して、それが千手千眼観音菩薩像と見事にマッチしている。

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 三好眼科の新待合室で(2018年4月21日撮影)

 

2018-04-26

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恵峰師「たねや美濠美術館」見学

 2018年4月12日、彦根市「たねや」内にある「たねや美濠美術館」に馬場恵峰先生ご夫妻をご案内したら、そこには、井伊家が集めた殿様用の陶器や書画が展示されていた。元窯元の主で陶芸に造詣の深い馬場恵峰先生は、目を細めて鑑賞されていた。

 

たねや美濠美術館

 この美術館には、江戸後期から明治中頃までの約70年間に光彩を放った「湖東焼」の銘品の多くが展示されている。湖東焼は、彦根の宝である。金襴、赤絵金彩、色絵、染付、青磁のほか、九谷焼や伊万里焼の写しなど、多彩かつ華麗な品々が約55点も展示されている。

 湖東焼と彦根藩井伊家は深い関係にあり、その造形の深さや独特の風合いには、彦根の歴史が映し出されている。湖東焼は幕末の激動の時代の荒波に呑み込まれて、各地に散在してしまっていた。その湖東焼を、ふるさと彦根の地で現代に残し伝えたいと、「たねや」が2003年9月「たねや美濠美術館」を開館した。同じ湖東焼の名品が、埋木舎にも展示されている。

https://taneya.jp/shop/shiga_mihori_museum.html

 

 私は、この「たねや」にはこの数十年間、年に数回も訪れているが、まだ入ったことがないのはお粗末であった。今回、たままた馬場恵峰先生ご夫妻を昼食に案内して、この美術館に案内することを思いついた。先生を「たねや」で昼食にご案内することを思いつかなければ、一生入館しなかったかもしれない。

 

無事是貴人

 この美術館の一角に井伊直憲公の軸が展示されていた。それが「無事是貴人」である。井伊直憲は桜田門外の変で暗殺された井伊直弼公の跡継ぎである。父の非業の死を自分の人生に顧みて、殿様との立場で「無事」であることの有難さをつくづくと実感していたのだろう。井伊直憲公も井伊直弼公と同じく禅の造詣が深かったのだろう。それが「無事是貴人」だと思う。

 井伊直憲公は書家ではないので、字体自体は馬場恵峰先生の書とは違うが、よい掛け軸であった。こんど長崎に行った時、恵峰先生に「無事是貴人」を揮毫してもらおうと思う。

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 2018年4月20日、馬場恵峰先生宅を訪問したとき見つけた書です。即、入手しました。

24k8a9394 馬場恵峰書 「今日無事」

貴人とは

 禅語「無事是れ貴人」の「無事」とは、平穏無事の無事でもなく、また、何もせずにブラブラすることでもない。「無事」とは、仏や悟り、道の完成を他に求めない心をいう。「貴人」とは貴族ではなく、貴ぶべき人、すなわち仏であり、悟りであり、安心であり、道の完成を意味する。

 私たちの心の奥底には、生まれながらにして仏と寸分違わぬ純粋な人間性、仏になる資質の仏性がある。それを発見し、自得することが禅の修行であり、悟りであり、仏になることである。私たちは、それを外に求めてさまよっている。

「求心歇(や)む処、即ち無事」と、禅師は喝破する。求める心があるうちは無事ではない。「放てば手に満てり」という言葉があるが、「求心歇む処」が無事である。その無事が、そのまま貴人である。

 「但だ造作すること莫かれ、祇だ是れ平常なれ」と、臨済禅師は無事を詳解する。「面倒くさい」「むずかしい」の反対語に「造作なく」という言葉がある。当然のことを造作なく当然にやることが平常であり、無事である。いかなる境界に置かれても、見るがまま、聞くがまま、あるがままに、すべてを造作なく処置して行くことができる人が、「無事是れ貴人」という。

『白馬蘆花に入る -禅語に学ぶ生き方-』細川景一著 1987年 禅文化研究所刊より 原文の一部を簡潔な表現に修正しました。)

 

2018-04-26

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2018年4月25日 (水)

恵峰師のぼやき

世は見せる教育ばかりである。ガンガンと詰め込んでも限界がある。余裕をもって臨みたい。聞く教育がない。聞かせる教師がいない。聞こうとしない。それならば書いてみせようと恵峰は思う。(馬場恵峰師談)

 

 学びとは、自分の手で、眼で、心眼で、足で観なければ身に付かない。体で痛みを感じる体験をしないと智慧はつかない。知識や情報は、本から得ることができても智慧がつかない。

 小賢しい人間が知識、情報を集積して、原爆、水爆、サリン、ビットコイン、仮想空間の世界を作り出した。それを老子は「老子」18章で、「慧智出有二大偽一」(知恵出でて大偽あり)と達観した。その意味は「昔は、自然のままの生活で平和であったが、人間の知恵が進むにつれて素朴な心が失われ、人が踏むべき真の道は廃れて、不要の道徳が起こる。その結果、大きな人為的な偽りが行われるようになった」である。二千年前の言葉である。人は二千年前から進歩していない。

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  2018年4月20日、馬場恵峰先生宅で見つけた書です。即、入手しました。

2018-04-22

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2018年4月24日 (火)

2. 人心小器

大佛の器

 大佛とは多くの人の悩みを受け止める大きな器である。それに対して、人の心は様々な人のご縁を受け止める小さな器である。人の寿命に限りがあるがため、その心の器の容量は、大佛のそれに比べればはるかに小さい。ご縁には良縁もあれば悪縁もある。その総量は一定である(ご縁の総量一定の法則)。一つご縁を受け止めるには、時間も労苦も必要である。一つのご縁のため、交通費も使い、身なりも整え、心構えも正し、時間をかけなければ、そのご縁は手に入らないし維持もできない。人の命には限りがある。それ故、悪しき縁を遠ざけ、良きご縁を多く心の器に満たしたいと思う。

  

ご縁の「整理・整頓・清掃・清潔」

 人の器の容量が一定であるから、悪い縁が一つ器に侵入すると、器の中に入れるべき良きご縁の一つが入らなくなる。悪縁は更なる悪縁を呼び、悪魔のサイクルが生まれる。だからそんな縁は断ち切らねばならない。ご縁の「整理・整頓・清掃・清潔(4S)」が必要だ。それは己の意思次第である。意志薄弱な人が悪縁を呼び寄せる。すべて己の責任である。心が良きご縁に満たされた人には、良きご縁に縁のある人が集まってくる。身近で起きた「火事」とのご縁から、その法則を体得した。悪縁にはマイナスのエネルギーがあり、人の眼を曇らせ、行動を鈍らせる。そんな場からは、一刻も早く逃げることだ。運命を変えたいなら、付き合う「人」を変え、居る「場」を変え、過ごす「時」を変えることである。そうすれば「心」が変わる。心が変われば人生が変わる。

 

心の改築

 それゆえお金を払ってでも、悪縁は切らねばならない。悪縁という白蟻の喰われた「心」の改築には、お金と時間と決断が必要である。ヤクザの世界から身を引くためには、落とし前が必要だ。指をつめるより良いではないか。

 『修証義』に曰く「三世を知らず、善悪を弁まえざる邪見の党侶には群すべからず」と。人生でのトラブルに対して、裁判に訴えて勝てる見込みがあっても、得るものが少なく、人生の時間ロスが極めて大きい。そんなことに時間を取られるより、金で解決して、自分の人生の大事に没頭したほうがよい。そのために道具としてのお金が存在する。自分の人生の残り時間は、余命30年として30×365日=10,950日しかない。益少なきことに時間をかけるのは、人生で無駄である。

過ぎ去る時間は命の刻み。一刻の値は血の一滴。

日暮れて道遠し、人生の大事を急げ。

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       ご縁の総量一定の法則

    悪い縁が一つ入ると、良き縁が一つ出て行く

 

2018-04-24

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2018年4月23日 (月)

餓鬼道と人の道

儲けるは欲、儲かるは道 (田辺昇一氏の言葉)

  金を目的に動くから餓鬼道に迷い込む。金を追うのではなく、人を追えば、自然と儲かるようになる。それが人の道。

 金を目的にすると、金を集めても集めても満足できず、餓鬼道、修羅道、畜生道に迷い地獄を見る。足るを知るという世界から外れていく。グローバル経済主義の行き着く先が、1%の富裕層と99%の貧困層の分離である。

 

お金の意味

 お金は単なる数値の羅列でしかない。独居老人が亡くなって、床下から数千万円の札束が出てきたという新聞記事を良く見かける。お金の真の意味を理解していない人は多い。お金は使ってこそ価値が出る。お金は道具でしかない。その道具のために、働くのはお金の奴隷となること。手段と目的を取り違えるから起こる間違いである。下手にお金を後進に残すと、財産争いが起こる。働く意味を理解できないと、10年後に子孫を醜い相続争いで不幸にすることになる。それはお金からの復讐である。

 死ぬときに、預金通帳の残高が100万円多いか少ないかなどは、何も持たずあの世に旅立つ身には、煩わしい雑事である。人生では小さな問題である。

「人生で生きていくのに必要なのは、勇気とsome moneyである。」(チャップリンの言葉)

 

お金を稼ぐ能力と使う才覚

 人生で必要なのはお金ではなく、お金を稼ぐ能力と使う才覚である。両方が身に付けば、お金のほうから擦り寄ってくる。お金も人間が作り出した人の子である。お金にも魂があり、現金なものである。お金は経済状況が変われば消えてしまうことがある。しかし身につけたお金を稼ぐ能力は、どんな経済状況になっても消えない。その能力がお金に勝る財産である。

 母方の祖父は、銀行に預けた虎の子の退職金が戦後の新円切替(1946年2月16日)で、紙くず同然となった惨めな体験をした。私の生まれる4年前のことである。母がその話を何回もしてくれた。その時期、母と結婚前の父は、シベリア抑留の身であったが、洋裁の才能という芸があったので生きて帰国できた。

 

悪縁を切る道具

 お金は道具であるから、悪縁を切るための道具として使えばよい。札束で相手の頬をひっぱ叩いてやれば、道具としてのお金の価値が出る。それで自分の大事な時間を有効に活用できる体制がとれれば安いもの。それで相手が目を覚せば救いがあるのだが、縁なき衆生度し難し、で目を覚ましてくれないのが現実である。

 

使命感

 仕事は「使命感」をもって取り組むもの。しかし「使金感」をもって生きるとは言わない。言うのは「資金力」であり、お金が道具、手段であることは明白である。そのお金を人生の目的にするから、にわか成金が晩年を汚すのである。お金も大事に扱ってあげて、心を込めて旅出せてあげれば、お金がお友達をつれて帰ってきてくれる。可愛い子(お金)には旅をさせよ、である。人の道に反したりせず、使命感を持って仕事に取り組めば、お金の方からすり寄ってくる。

 

2018-04-23

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素晴らしい人生よりも、楽しむ人生

 うまくなったら良い紙に正式に書こうと思って、安い半紙に書いているから上手くならない。どうせ皆さんは上手くないのだから(爆笑)、今、持てる技を全て使って、良い紙に丁寧に、毎日書くことを継続すれば、必ず上手くなる。どんな揮毫も丁寧に一期一会のつもりで真剣に書く。だから後世に残る作品ができる。(馬場恵峰師談)

 

未熟時代の心がけ

 偉くなったら良い品を使おうと思い、お金持ちになったら寄付しようと思っても、今それをしていないから偉くなれないし、お金持ちになれない。貧乏ではないが普通の生活なら、少しお金があれば少し寄付をする。たまには良いホテルを使い、一流のお店で食事、一流の人を選んで付き合い、その一流の空気に触れれば、偉くなれるしお金持ちになれる。ユダヤ人は、貧しい時から収入の1割を寄付に回すという。学者やノーベル賞受賞者、富裕層の成功者に、ユダヤ人が多いのにはワケがある。

 

素晴らしい人生の末路

 日本の最高学府を出て、エリートコースに乗り、役所や企業で栄華を極め、素晴らしい会社人生を送っても、いつかはその座を去らねばならぬ。その座にいた時は、その地位に部下はかしずいていたが、肩書の外れた定年後には誰も寄りつかず、日々やることもなく過ごす高級官僚や元会社役員が多い。そういう人が認知症に係りやすい。特に校長先生、警察署長など、人の面ばかりに気を使って、頭を使わなかった人が認知症になりやすい。そういう人は、壮年期には素晴らしい人生を送るが、晩年の末路は惨めである。

 2010年の厚生労働省の資料によれば、65歳以上の高齢者の15%が認知症である。今はもっと増えているようだ。この2018年4月7日、長年、自治会長を務めた老人が、地域の会合で痴呆に似た質問を乱発してその場を白けさせた。痴呆は身近なのを目のあたりにした。その老人は、人の話を聞かないことで有名であった。人との付き合いもない。痴呆になるにはワケがある。自分が痴呆症であることが自覚できないほど、不幸なことはない。痴呆症は脳死である。それは日頃の生活の心がけで、防げる病気である。

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 (日本経済新聞2014/07/09より)

 

楽しむ人生

 恵峰師は、どんな書でも直接、表装された軸に揮毫される。85年に及ぶ修行の賜物である。この世の出来事は、偶然はなく必然である。人生で練習の事象はなく、人生二度なし、一期一会。どんな事象にも、冷静に丁寧に誠意をもって対処すれば、後悔のない楽しめる人生となるはずだ。

 そのご縁の舞台で、良きを選び、良き場所を選び、良き人物とのご縁を選択する。そうすれば素晴らしい人生ではないかもしれないが、素晴らしく楽しめる人生が実現する。素晴らしい人生とは、運が支配する世界である。しかし楽しめる人生は、自分が生み出す世界である。運に振り回されてはならない。自分が人生の主人公として主体性をもって生きたい。人からやらされる人生より、自分でやりきる人生なら、苦労ある人生でも楽しむ人生に出来る。

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2018-04-23

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2018年4月22日 (日)

恵峰師が彦根城と犬山城を訪問

彦根城

 2018年4月12日、馬場恵峰先生ご夫妻を彦根城にご案内した。当初、彦根城への坂がきついので三根子先生は、彦根城博物館か人力車での周辺観光をしてもらおうと思っていたが、三根子先生が途中まで、ゆっくりでも上がりたいといわれるので、一緒にご案内をした。結局、天守閣のある場所まで到達できて大変良かった。三根子先生もお大変喜ばれて、よきご案内となった。

 最大の懸案であった彦根城天守閣への登城は、恵峰先生は奥様のことを考えてやめられたのでほっとした。当初の予定は、奥様は一階だけ見てもらって、恵峰先生だけ上がってもらおうと心づもりをしていた。それもすぐ下で構えながら登ろうかと心づもりであった。

 天守閣への坂道の途中にあった櫓の見学で、彦根城の内部の構成がよくわかり、急角度の階段を上らなくても済んだ。恵峰先生が櫓を見学して、三根子先生にされた説明が感慨深い。三根子先生の親は大工の棟梁とか。その仕事ぶりを垣間見たようだ。(プライバシーの問題で、三根子先生の写真の掲載は控えます)

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 2018年4月12日 彦根城の外堀の前で

 

犬山城

 4月15日、ご夫妻は犬山城に行かれたが、私の想定外で、ご夫婦で犬山城に登られたと聞いて呆れた。冷静に考えると、周りに人には犬山城の階段の危険性は通達してあるので、皆さんが構えて先生のガードをされたようだ。事故は身構えていないときに起きる。今回は身構えて対処したので事なきを得た。もし彦根城に登るとすると、何かあった場合のガードは、私一人なので、先生も気を使って、登るのを遠慮されたのだろう。

 

犬山城の漢詩

 恵峰先生も下記の漢詩を作られて喜ばれた。漢詩の意味は、「中国四川省長江北岸の古城白帝城正に犬山城の風景正に類似。平成30年4月明徳有志集り、思いやりの風和気をみちびき真に安じたり 古言訓学び新たな人生の歩みいやさか盛業輝いてほしい」である。

 「閑(のどか)」がキーワードである。閑でなければ、新しい発想も生まれない。静かな水流を見ても何も感じられない。学問もできない。Schoolの意味は閑である。閑であるから、学問ができる。哲学者scalar とは、閑という時間があるので思索を巡らすことができる人である。

 各行の末に「徳、得、篤」と韻が踏まれていることを着目ください。3行目の末は韻を踏まないのが漢詩のルールです。

 三根子先生からは「彦ニャンちゃん天守閣へ登り、犬山城へ登り人生最高です。ありがとうございました」との礼状を頂き、結果オーライで良き旅を提供できて、本望です。

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2018-04-22

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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無物語の「平家物語歴史館」4/4

 博物館も書物と同じで物語がある。どういう導入で観客の心を捉え、ストーリーを考え、最後の結論で何を観客、読者に伝えるかが問われる。この歴史館の伝えたいことは、お涙頂戴なのか、歴史の流れなのか、何を伝えたいのかが曖昧である。

 

全体構成

 「平家物語歴史館」は1階と2階で構成されているが、全体の位置づけが曖昧である。「平家物語歴史館」と名を売っているのだから、平家物語を主体にすべきだと思う。1階に四国に関係する偉人のロウ人形の展示があるが、だからなんなの? 印象に残るのが、ごちゃごちゃで盛沢山すぎるのだ。また館全体が暗い雰囲気なのだ。歴史の一コマをロウ人形で表現するにも、歴史の観察者の第三者の目で見るためには、美しく表現して欲しい。暗く、お涙頂戴で、見世物みたいな展示では、再度、訪問したいと思わない。

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 壇ノ浦の戦いの後

 この場面をロウ人形で表現するのは異様である。見世物小屋の雰囲気である。

42p1040576  政治家 

43p1040578  文人

44p1040579  文人

45p1040581 岩崎弥太郎 

 

人の顔に人物の歴史が刻まれる

 ロウ人形は、モノの展示ではなく、人物をロウ人形の形を介して、その人物の歴史を伝えている。ロウ人形の作者は、その作品を通して、その人物像を伝える使命がある。この歴史館では、それが観客に伝わってこない。

 人には、顔に刻まれたその人の歴史がある。その顔にどういう人格を表現するかが、彫刻家、ロウ人形師に問われている。その人物の人格や性格が現れる表現力が問われる。リンカーンが言うように「人は40を過ぎたら、自分の顔に責任を持たねばならぬ」。自分の顔には、自分の生き様の歴史が刻まれている。

 私の趣味は、人間観察である。そのため、人相、手相、体相、しぐさでの性格等を研究している。顔を見れば、その人の歴史が透けて見える。だから危ない人と縁が出来るのを避けることが出来る。それも人生の危機管理である。

 

2018-04-22

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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