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2018年4月24日 (火)

2. 人心小器

大佛の器

 大佛とは多くの人の悩みを受け止める大きな器である。それに対して、人の心は様々な人のご縁を受け止める小さな器である。人の寿命に限りがあるがため、その心の器の容量は、大佛のそれに比べればはるかに小さい。ご縁には良縁もあれば悪縁もある。その総量は一定である(ご縁の総量一定の法則)。一つご縁を受け止めるには、時間も労苦も必要である。一つのご縁のため、交通費も使い、身なりも整え、心構えも正し、時間をかけなければ、そのご縁は手に入らないし維持もできない。人の命には限りがある。それ故、悪しき縁を遠ざけ、良きご縁を多く心の器に満たしたいと思う。

  

ご縁の「整理・整頓・清掃・清潔」

 人の器の容量が一定であるから、悪い縁が一つ器に侵入すると、器の中に入れるべき良きご縁の一つが入らなくなる。悪縁は更なる悪縁を呼び、悪魔のサイクルが生まれる。だからそんな縁は断ち切らねばならない。ご縁の「整理・整頓・清掃・清潔(4S)」が必要だ。それは己の意思次第である。意志薄弱な人が悪縁を呼び寄せる。すべて己の責任である。心が良きご縁に満たされた人には、良きご縁に縁のある人が集まってくる。身近で起きた「火事」とのご縁から、その法則を体得した。悪縁にはマイナスのエネルギーがあり、人の眼を曇らせ、行動を鈍らせる。そんな場からは、一刻も早く逃げることだ。運命を変えたいなら、付き合う「人」を変え、居る「場」を変え、過ごす「時」を変えることである。そうすれば「心」が変わる。心が変われば人生が変わる。

 

心の改築

 それゆえお金を払ってでも、悪縁は切らねばならない。悪縁という白蟻の喰われた「心」の改築には、お金と時間と決断が必要である。ヤクザの世界から身を引くためには、落とし前が必要だ。指をつめるより良いではないか。

 『修証義』に曰く「三世を知らず、善悪を弁まえざる邪見の党侶には群すべからず」と。人生でのトラブルに対して、裁判に訴えて勝てる見込みがあっても、得るものが少なく、人生の時間ロスが極めて大きい。そんなことに時間を取られるより、金で解決して、自分の人生の大事に没頭したほうがよい。そのために道具としてのお金が存在する。自分の人生の残り時間は、余命30年として30×365日=10,950日しかない。益少なきことに時間をかけるのは、人生で無駄である。

過ぎ去る時間は命の刻み。一刻の値は血の一滴。

日暮れて道遠し、人生の大事を急げ。

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       ご縁の総量一定の法則

    悪い縁が一つ入ると、良き縁が一つ出て行く

 

2018-04-24

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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