2018年4月21日 (土)

50m巻物「静楽養愚詩文録」を撮影

 2018年4月19日~21日で、長崎県大村市の馬場恵峰先生宅と福山市の三好眼科を訪問しました。陸路で片道7時間の旅でした。馬場恵峰先生宅では、この春に恵峰師が書き上げた50m巻物「静楽養愚詩文録」の写真撮影をいたしました。3人がかかりで撮影を完了しました。他に日本の唱歌5本の巻物を撮影しました。今から、編集作業にかかり、5月末には出版にこぎつける予定です。

 三好眼科は、私の眼の検診と、新しく完成した診療建屋の見学・撮影です。あいにく三好輝行先生は学会出席のため不在でしたが、事務長の寺本様に全館を案内していただきました。これは後日報告します。

 

50m巻物「静楽養愚詩文録」

 この50m巻物は、恵峰師が92年に及ぶ自分の人生の集大成として書かれた作品である。百人一首の藤原家の事から始まり、幕末の歴史、訪中が240回に及ぶ経緯、訪中漢詩、中国の小学校を寄付した経緯、今の若人に言って聞かせ置きたい事、人としてのあるべき姿を様々な形で取り込み、一行一行にその思いを込めて、何かに役立てばと揮毫された。

 この巻物の揮毫は、先に揮毫された100m巻物よりも、疲れたと言われる。その分、多くの精力を使われて、後世へ託す言葉として思いを込めて揮毫されたようだ。それにしても、92歳の現役で、どげんばしてそげん元気ばってん?である。

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 50m巻物「静楽養愚詩文録」を前に馬場恵峰先生  2018年4月20日

24k8a9036 50m巻物「静楽養愚詩文録」の一部

 

2018-04-21

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2018年4月20日 (金)

時間創出 緩慢なる死刑台への13段

 エスカレーターとは、あの世に早く到達するための動く階段である。別名「緩慢なる動く死刑台の13段」と私は呼んでいる。それを使えば歩く量が減り、足腰が弱くなり、認知症、各種の病気に原因の遠因となる。結果として安易な考え方になり、生活の全般にわたって楽をしようという生活姿勢になる。

 人は足から老化するのだ。楽をすれば、後年、どこかで落とし前を払わなければならぬ。その落とし前が病気である。

 私は病気をしたご縁を機に、エスカレーターは使わない方針に切り替えた。隣にエスカレーターがあると、階段を横のエスカレーターに乗った人よりも早く歩いて階上の到達するように心がけている。隣に競争相手がいるとよき励みとなる。

 

2018-04-20

久志能幾研究所 小田泰仙

2018年4月19日 (木)

道の学びかた

書道の学び方

 見ながら真似して書くから上手くならない。字体を覚えて、考えながら書かないから上手くならない。真似るのではなく、先人から学ぶのだ。何時でも何処でも通用する書法を学んで、書法に則って書くのだ。(馬場恵峰師談)

 

生きる道の学び方

 人の経営を真似して、経営するから上手くいかない。経営の原則、人生道の基本を覚えて、人から学んで経営しないから、うまく経営できない。先人の経営から学んで、己の経営と比較してそれを応用するのだ。先人の生き方を学んで、自分の生き方を見つけるのだ。これは全てのことに共通する要点である。

 

学ぶとは

 今の書道は、真似るだけで学んでいないので、本物の書が書けないのだ。書法から外れた読めない字を「これが芸術だ」と誤魔化して踊りながら書くから、書道の本道から外れていく。それが外道である。

 「学び」の意味は、旧字体の形から見れば、その原則は一目瞭然である。学びの館の下で子供達(我々)が、お互いに議論をして、切磋琢磨して修行している様を表現した象形文字である。相手から学ぶから成長するのだ。真似ではダメなのだ。

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     「武道としての情報設計」小田 2006年より

 

2018-04-19

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2018年4月18日 (水)

無知・不敬の「平家物語歴史館」3/4

第六景 物怪

 桓武天皇が平安京(現在の京都)を建てて以来、遷都はなかった。それを人臣の清盛が1180年、福原(現在の神戸市)に遷都した。人々は動揺して、新都では、いろんな物怪が出現した。この遷都には帝も臣下も嘆き、全ての神社も異を唱えたので、清盛はついに旧都に戻ったとされた。(『平家物語』)第五「物怪之沙汰」の要約)

 

 上記の情景を下図のロウ人形のお化けで表現するのでは、歴史館には違和感があり、単なる見世物のお化け屋敷の表現に成り下がっている。

 「歴史館」と謳っている以上は、「いろんな物怪が出現した」という文学表現を、歴史と史実に基づいた表現にすべきだと思う。

 このお化けのロウ人形で表現された情景から、人は何を学ぶのか、それが歴史館として問われている。これでは、見学者の時間泥棒である。見学する方にも、時間という命がかかっている。学ぶべきことがなければ、付加価値がゼロである。当時の状況を伝えたのなら、説明パネル1枚だけで充分である。

31p1040607  物怪に怯える平清盛

第9景 清盛、高熱を発して死去

 清盛の最期の言葉は「現世の望みは全て達せられた。ただ一つ思い残すことは、源頼朝の首を見なかったことだ。その首を私の墓の前にかけよ」。享年64歳。

『平家物語』第六 「入道死去」より

 

 清盛の最期の言葉が虚しい。清盛は後年、僧侶になっている。その立場で、人生最期の言葉が上記では哀しい。人臣の位を極めても、人としての魂の位は、下賤の民と同じである。

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死者を晒し物に。死者への敬意なし

 平家物語で、戦いの場面が多いのは致し方ないが、熊谷直実が平敦盛を倒した時の情景をロウ人形として表現して、どういう付加価値があるのか。それよりも戦う場面の姿を表現した方が、見る方も安堵する。死者を晒しものにする表現では、死者への冒涜である。現代のゲーム感覚で、簡単に死ぬ場面が氾濫するテレビと同じである。それよりも戦う姿を表現して、結果として一方が斃れたと文章で表現すればよい。

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那須与一が扇を射る

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 上図は那須与一が沖合の舟上の扇を射る名場面である。その扇を手に持つ美女の場面で、美女であるはずの女性のお顔がなっていない。横にいる船頭も、姿勢が異様である。

 

第13景 安徳天皇、入水

 最期を覚悟して神璽と宝剣を身につけた母方祖母・二位尼(平時子)に抱き上げられた安徳天皇は、「尼ぜ、わたしをどこへ連れて行こうとするのか」と問いかける。二位尼は涙をおさえて「君は前世の修行によって天子としてお生まれになられましたが、悪縁に引かれ、御運はもはや尽きてしまわれました。この世は辛く厭わしいところですから、極楽浄土という結構なところにお連れ申すのです」と言い聞かせる。天皇は小さな手を合わせ、東を向いて伊勢神宮を遙拝し、続けて西を向いて念仏を唱え、二位尼は「波の下にも都がございます」と慰め、安徳天皇を抱いたまま壇ノ浦の急流に身を投じた。安徳天皇は、歴代最年少の数え年8歳(満6歳4か月、6年124日)で崩御した(『平家物語』「先帝身投」より)。

 

天皇に対して不敬

 手を合わせて入水する前の幼い安徳天皇のお姿は、作り物の匂いがプンプンである。まるで見世物の様で不敬ではないかと思う。幼い天皇を抱いて二位尼(平時子)が入水するなは納得できるが、入水前に安徳天皇が手を合わせるお姿は、お涙頂戴の雰囲気で幻滅である。当時、安徳天皇は満6歳4か月である。そんな歳で、覚悟を決めて手を合わせるとは思えない。そのお顔の造りも、高貴な趣きが感じられない。こんな情景は天皇に対して不敬と思う。『平家物語』の記述ではなく、別の解釈をして荘厳な情景を再現して欲しかった。『平家物語』は史実に基づいた創作であり、脚色があり、史実ではない。

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第16景 祇園精舎の鐘の声

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 上は建礼門院が安徳天皇と一門の菩提を弔う情景である。しかし、そのお顔は、天皇を生んだ高貴なお方としての品がない。黒目もバランス的に大きすぎて異様なお顔となっている。ロウ人形で表現するなら、もっと美くしい人であって欲しい。美人でなくてもよいから、気品のあるお顔にして欲しい。これでは漫画である。

 上の情景で、右端の尼僧(佐の局)は安徳天皇の乳母である。高貴な生まれの方なのに、どこにでもいる農家の老婆のようなお顔の造形である。これは高貴な方の面立ちではない。これでは笑ってしまう。

 

六道の道

 建礼門院は後白河院に「生きながらにして、天上・人間・畜生・餓鬼・修羅・地獄の六道をめぐりました」としみじみと語った。(『平家物語』灌頂巻)

 その情景で、上図の雰囲気が全くない。六道という重い言葉を噛みしめて、それをロウ人形で表現するのが、芸術家なのだ。それが表現できなければ芸術家では無い。芸術家は、地獄界から始まって、天上界までの長い道のりを歩む。その途中で地獄にまた落ちていく人がなんと多いことか。

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 上図は山下泰文陸軍大将のロウ人形である。山下大将はマレーの虎の異名をとるが、実際は紳士的であり、人格者であった。それが上の図のロウ人形の表情からは、そうは見えない。作り物の表情である。山下泰文陸軍大将に対して失礼である。

 

 ロウ人形とは、作者に心が現れた鑑なのだ。作者の人格以上の作品は創れない。この歴史館で、その鑑の羅列を見て落胆した。自分が作る仕事も、自分の心が現れる作品なのだ。その出来栄えを観れば、その人の人格が透けて見える。私はそういう目で、回りの人の仕事ぶりを観察している。

 

2018-04-18

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2018年4月17日 (火)

気配りセンセーの感度ゼロ

遠回しに言って、気が付かない人に、直接言うと、恨まれる。

 これは2018年4月15日、岩村を見学中に新戸部さんから教えてもらった言葉です。

 

固定観念の訓練

 遠回しに言って気がつかない人に出会ったら、その時点でその人と縁を切らないと、禍が己に及ぶ。要は、その人とは30年間に亘って培ってきた価値観が違うのだ。そんな人にいくら言っても無駄なのだ。その人は、そういうことは感じないという訓練を、一日に10回として、30年間で109,500回も繰り返してきたのだ。その強固な感性を固定観念という。そんな固定観念は、少しくらいの助言では、変わらない。

 逆に、賢者からそう思われないように、全方向の気配りセンセーを最高感度にすべきなのだ。そうすれば良きご縁に気が付き、良きご縁が回ってくる。

 

2018-04-17

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無知・不敬の「平家物語歴史館」2/4

2018年3月17日、高松市の平家物語歴史館を訪問した。

驕り

 この歴史館は展示パネルの見せ方に違和感を覚える。何か展示者の見せてやるとの驕りを感じる。「平家物語絵巻」の写真の下に掲示された説明のA4の用紙が、異様なのだ。薄暗い場所で、A4サイズの紙に小さな字で書いてあり、読む気になれない。まるで「読みたければ、勝手に読め」と言っているかのようだ。何を来訪者に伝えたいのか、それが分からない。その紙も画びょう止めである。入館料を取る歴史館でそれはないだろう。

 展示パネルの表題の字体にしても、機械的に明朝体を選んで記されているが、見やすさ読みやすさから言えば、ゴシック体で記載すべきである。

 各場面の情景説明パネルも、黒地で白の文字であるが、全体が暗いので、読みにくい。なぜ白地の黒文字にして、照明で照らさないのだ。

 平家物語歴史館の建屋全体が暗い雰囲気で、平家物語の悲哀を表現したつもりかもしれないが、歴史を白日の下に晒して、現代の我々が学ぶべきことは何か、までに掘り下げて展示を考えて欲しい。お涙頂戴の展示では、情けない。日本最大のロウ人形館と宣伝するなら、相応の品格と内容にして欲しい。国際コンテストが開催される都市の歴史館として、英文の表記や、外人にも恥ずかしくない展示形態として欲しい。

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 平家物語絵巻の説明パネル

22p1040614  平家物語絵巻のA4説明紙

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 第六景 物怪の説明パネル

 

第六景 物怪

 桓武天皇が平安京(現在の京都)を建てて以来、遷都はなかった。それを人臣の清盛が1180年、福原(現在の神戸市)に遷都した。人々は動揺して、新都では、いろんな物怪が出現した。この遷都には帝も臣下も嘆き、全ての神社も異を唱えたので、清盛はついに旧都に戻ったとされた。(『平家物語』)第五「物怪之沙汰」の要約)

 

 上記の情景を下図のロウ人形のお化けで表現するのでは、歴史館には違和感があり、単なる見世物のお化け屋敷の表現に成り下がっている。

 「歴史館」と謳っている以上は、「いろんな物怪が出現した」という文学表現を、歴史と史実に基づいた表現にすべきだと思う。

 このお化けのロウ人形で表現された情景から、人は何を学ぶのか、それが歴史館として問われている。これでは、見学者の時間泥棒である。見学する方にも、時間という命がかかっている。学ぶべきことがなければ、付加価値がゼロである。当時の状況を伝えたのなら、説明パネル1枚だけで充分である。

Photo

 物怪に怯える平清盛

 

2018-04-17

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2018年4月16日 (月)

累積閲覧回数25,000回

お陰様で、2018415日、本ブログの累積閲覧回数が25,000回を超えました。お礼申し上げます。

2018-04-16 久志能幾研究所 小田泰仙

佛像造りの創造性

京都の都メッセで仏像彫刻展

 2018年4月8日、京都の都メッセで仏像彫刻展が開催されたので出かけた。京都の仏師の作品20体が展示されていた。その中で、会場に入ると4尺(高さ3m)の紅松製の大仏である不動明王座像が睨んで出迎えてくれた。その姿は圧巻であった。その大仏は松本明観師の作である。

 その不動明王の目つきは厳しく、己の心の中の煩悩を見透かすようであった。己のために、叱って下さるお不動さんであった。ところが、お不動さんの懐の飛び込むように至近距離1mまで近づいて見上げると、「よう来た、よう来た」とその目は笑っていた。口元も微笑んでいるかのようであった。

 今回、松本明観師は、そういう目の錯覚で、目つきが変貌する仕掛けを創られた。目の形状を工夫して、見る角度で、仏様の目が笑ったり、睨みつけられたりたりする技法を創造した。その目の形状が今までと違うのでガラスの目を入れるのに苦労をされたという。

 今回のお不動さんは、己の心の中の煩悩を見透かして、叱って下さる。懐に飛び込めば、佛様の目が厳しい目つきから、優しい笑っている目に変化する。

 

水戸の松本明慶仏像彫刻展

 2018年4月16日、水戸の京成百貨店で松本明慶仏像彫刻展(会期4月12日~17日)があり、遠路5時間をかけて出かけた。そこにその不動明王座像が展示されていた。残念なのは、会場の天井高さが3mに制限があり、京都の会場よりも台座が低く設置されており、その迫力が半減していた。それでも、真下に座って見上げると、目に微笑を浮かべて迎えて頂いた。

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 不動明王座像 京成百貨店で 2018416

 松本明慶師より撮影の許可を頂いています。

松本明慶大佛師の目指すもの

 佛像という佛様は、拝み手を合わせれば、なにか心が安らかになるお顔でないと、手を合わす意味がない。松本明慶大佛師も、拝めば知恵や安らぎを授けてくれるようなお顔を目指して仏像づくりに精進されている。また参拝すれば己の煩悩を見据えて叱ってくださる佛様、佛に近づきその懐に飛び込めば優しく抱いてくれるような佛様を目指して佛像づくりをされている。古い伝統に縛られた仏像つくりではあるが、その中にも新しい挑戦と創造がある。

 実際の不動明王の目がどのように見え方が変貌するかは、京都の松本明慶仏像彫刻美術館で、皆さんご自身でご確認してください。

 この不動明王坐像の制作過程が、下記で放映されます。

 2018年4月29日 BS-1 クールジャパン 18:00~18:44

 2018年5月13日 BS-1 クールジャパン 12:00~12:44(再放送)

 

2018-04-16

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自惚れは持たねばならぬ

自惚れは持たねばならぬが、自惚れてはならぬ(馬場恵峰先生談)

 自惚れは、人一倍の努力、精進をしなければ持てない。自惚れがない人は、その努力をしていない人だ。日本一になるには、日本一の努力が必要だ。人一倍の努力をしてきたという自負が自信となり、美人コンテストでも、私が一番美しいと思って振舞うから、美人として映える。それを自信がないかのように振舞っては、美人コンテストでは優勝できない。ピアノ演奏でも、仏像彫刻でも、どんなコンテストでも同じである。

 自惚れても謙虚さを忘れたら、鼻につく。それを鼻にかけては、自分の成長は止まる。そんな料簡では、世の中でうまくいかない。

 要はどこまで大きく、太く、未完成で終わるかを目指す旅が、人生なのだ。大きくなるだけではダメなのだ。大きく成長して、テンを味方につけて、太く豊かにならねば、後世に残る仕事はできない。更なる未完成を目指して、更なる精進が必要なのだ。

 

 馬場恵峰師は、今回の彦根、関ヶ原、大垣、犬山の訪問を終えて、中部国際空港より2018年4月15日18時10分発のANAで長崎空港に向けて帰路につかれた。Nさんと一緒に、先生たちをお見送りして安堵である。

 なぜ、今回の幹事たちが中部国際空港でお見送りをしないのだ。お見送りこそ、人としての感謝の礼儀である。

 

2018-04-15

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2018年4月14日 (土)

磨墨で真心を磨る

 2018年4月13日、盛岡の湯澤さんと齋藤さんが、遠路700キロを自車で交代しながら運転して大垣フォーラムホテルに日没後の18時15分に到着した。翌日の馬場恵峰先生の講演会に参加のためである。

 湯澤さんは、重い書道道具を恵峰先生に長崎から運ばせるのは忍びないと、岩手から書道道具を車に載せて駆けつけてこられた。新幹線か飛行機で来れば楽な旅行なのに、丸一日の運転の苦行である。

 翌日の4月14日、湯澤さんは開場の4時間前の9時半に大垣のホテルを出発して会場の犬山に向かった。講演会場で恵峰先生が揮毫時に使う墨液を準備するためである。その墨液を準備するために、講演開場前に会場で3時間をかけて墨を磨るのである。

 恵峰先生が揮毫で使う本物の墨液は、静かに、穏やかに、心を落ち着かせて、長い時間をかけて、墨を磨ることで生み出せる。ゆっくりと磨ると、下した墨の粒子が細かくてよい墨液ができる。速く急いで磨ると粒子が荒くてよい墨液はできない。

 恵峰先生の講演会を聴く人は誰もこのことを知らない。私も、今回初めて、こういう支援活動を知った。人知れず恵峰先生のために骨折って下さる湯澤さんに感謝です。盛岡から駆けつけて、磨墨で真心を磨るという無償の支援をされるのも、恵峰先生の人徳の賜物である。

 

磨墨修行

 磨墨修行とは、墨を己に見立て、硯を社会に見立て、自分をすり減らす修行を言う。下りた墨で、自分の作品を作り、世に問う。その墨を磨るにも、出来合いの墨汁では修行にならない。墨汁は石油から作られた化学製品である。石油のアルコール分が、筆の毛を痛める。自分の命の代わりの道具を痛めては、良い作品は生まれない。墨汁を使うとは、安易な仕事道具で仕事をするが如きやり方である。本物の仕事は泥臭い基本の修行から生まれる。

 世の中には、表舞台の裏では、このような磨墨をして世を支えている人がいる。それを今回のご縁で教えて頂いた。自己顕示欲で、世間を揺らして磨墨するようでは、鼻につく。パーフォマンスで、読めない字をダンスのように描く書家もいる。書の基本を忘れた遊芸である。書とは、文字で己の意思を人の伝えるためにある。今回の恵峰先生の講演会の準備でのご縁に接して、人生を観た。

 

2018-04-14

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