足で人生の作品を創る
頭で作品を作るから、後世に残る作品や仕事が生み出せない。足で人生の作品はつくるのだ。頭だけで作った大学教授の作品は役立たないと同じである。(馬場恵峰師談)
この考えは、トヨタ生産方式の現地現物と同じである。
2018ー04ー13
久志能幾研究所 小田泰仙
頭で作品を作るから、後世に残る作品や仕事が生み出せない。足で人生の作品はつくるのだ。頭だけで作った大学教授の作品は役立たないと同じである。(馬場恵峰師談)
この考えは、トヨタ生産方式の現地現物と同じである。
2018ー04ー13
久志能幾研究所 小田泰仙
人生の家の柱は、一本だけだからうまくいかない。生活を支える柱があって、もう一本の柱を立てないから、定年後に迷いの人生となる。そのもう一本の柱は、文化教養の柱であったり、社会貢献の柱であったりする。自分の人生から会社人生を取ってしまったら、抜け殻の人生になってしまうのでは人生の敗残者である。もう一人の自分を発見するのが人生のリフォームである。新しい人生を開拓するために、自分の人生をリフォームされたし。(馬場恵峰師談より)
2018ー04ー12
久志能幾研究所 小田泰仙
この4日間ほど、馬場恵峰先生を送迎する関係で、ブログ更新が手薄になります。
なるべく時間を見つけて更新するようにいたします。
2018-04-11
久志能幾研究所 小田泰仙 e-mail : yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp
新聞社の使命を放棄した寄付の記事
2018年4月7日付の岐阜新聞と中日新聞の「西濃欄」に掲載された寄付の記事を比較して、「忖度」という流行語に思いあたった。
中日新聞には、地元企業「太平洋精工」が大垣市に400万円を寄付した記事が掲載されていた。岐阜新聞には、「県外3社」が海津市にハリヨ湧水池事業に賛同(1140万円を寄付)した記事が掲載されていた。
これを見て各新聞社の姿勢が明白になった。日頃、中日新聞社は、大垣市政に対する批判・提言記事は、皆無に近い。中日新聞社は、公共の公器であるべき新聞を私物化している。
中日新聞 2018年4月7日
寄付という売名行為
中日新聞の記事では、見出しの寄付企業の名前を見出しで大きく掲載している。売名行為、宣伝行為である。その紙面に対して、読者は購読料という金を払っているのだ。寄付するなら匿名ですればよい。宣伝したいなら、広告欄に広告料を払って掲載すればよい。自社のHPで宣伝すればよい。
市民に伝えるべき、もっと大事な情報があるはずだ。その寄付宣伝記事が載れば、市民に伝えるべきその情報が、限られた紙面に掲載できないのだ。なにも社長がしゃしゃり出て、寄付しましたなど宣伝するのも不遜である。社長にそんな時間があるなら、その時間を経営に費やし、日本経済活性化のために汗をかいて欲しい。
情報とは
「情報」とは「情け」の「報せ」である。その情報を与えて、読者の大垣市民にどう動いて欲しいのか、それがあって初めて正しい報道である。つまり「報せる」「道」なのだ。今の中日新聞はその「道」から外れている。つまり外道である。寄付の記事を見ても、読者には何のためにもならない。寄付を宣伝した企業が得をするだけだ。そんな情報は、情報過多の時代に不要である。だから新聞購読数の減少が止まらないのだ。新聞社は自分で自分の首を絞めているのだ。いまの中日新聞の西濃欄は、学校新聞みたいである。その記事を読んで、「で、何なんだ?」である。時間の無駄である。読後感想は、虚しさだけである。その情報を得て、読者は嬉しいと思うだろか、自問して欲しい。
寄付の記録としての記事ならテキスト文だけで、写真は不要である。文章が書いてあれば、くだらない記事でも読者は読まねばならぬ。時間の無駄である。時間とは命である。
寄付金の位置づけ
太平洋精工は売上高205億円(2017年3月期)、グループ全体1,230人(2017年3月)の会社である。寄付額400万円を従業員一人当たりにすると3,250円である。一方では、匿名で、もっと大きな金額を寄付している個人が沢山存在する。
岐阜新聞掲載の寄付をした県外の3つの企業の一つ、中日本氷糖は、従業員数139名(2017年8月現在)で、太平洋精工の約1/10の規模の企業である。ワンストップパートナーズも山口化成も、資本金から推定すると従業員は、遥かに少ないと推定される。その中日本水糖は、従業員一人当たりで、太平洋精工の約10倍の寄付額である。それを考えると、中日新聞社の記事の扱いが異常である。忖度そのものである。
何を伝えたいか
テクニカルライティングの伝達文法では、題名にその記者の本音が現れる。ハイヨ湧水池事業を見れば、記者の伝達意図が明白だ。それがテクニカルライティングの原則である。「一番重要な情報は、最初に書く」が原則である。記事の一番重要な文は、題名である。
中日新聞は「太平洋精工が400万円を寄付」。
岐阜新聞は「ハイヨ湧水池事業に賛同」。
中日新聞は、「太平洋精工」の名を寄付の形で大々的に宣伝したいのである。中日新聞は、大垣市役所から紹介を受け、便益ある企業に貸しを与えたいのだと、推定されても致し方あるまい。
岐阜新聞は、報道機関として公正な立場で「ハイヨ湧水池事業」を読者に伝えたいのだ。題名を見れば、その下心は露見する。遮二無二に太平洋精工の名を宣伝したいのなら、記事構成が新聞社としてお粗末である。もっと頭をつかって巧妙にすればよいものを。
太平洋精工が教育関係に寄付をするなら、なぜ寄付をするか背景まで、調べるのが記者の使命である。つまり大垣市は教育軽視で、教育に金を出さないので、教育現場が荒廃して、見かねて企業が寄付をするのだ。この記事内容では、新聞社としての使命の放棄を宣言している。中日新聞は、単なる大垣市の言いなりの広報担当に成り下がっている。
誰が主役?
大垣市が「子育て日本一を目指す」と豪語するなら、教育関係で寄付を受ける必要はない。それより大垣に文化関係の予算が市長の意向で貧困であるので、その面の寄付を受け付ければよい。
写真の説明文で、なぜ市長の名が先で、寄付者名が後なのか。テクニカルライティングの表現でいえば、市長が一番重要と認識して、寄付者など後回しになっている記事構成である。そうやって記者は、大垣市長に忖度しているいる。そのやりかたが露骨であり、滑稽である。葬儀で焼香順序を間違えれば、大騒動である。中日新聞は、その焼香順番を間違えていると同じなのだ。
誰が出しゃばりたいの?
なぜ寄付する善意には関係ない教育長までが中央にしゃしゃり出て写真に写っているのか。写真では、寄付に関して脇役であるはずの市長と教育長が中央にふんぞり返って、主役の寄付者が隅で小さくなっている。岐阜新聞は白黒写真であるのに、中日新聞のそれはカラー写真である。そのカラー印刷の費用を読者が負担している。お笑いである。
それも過去の中日新聞の記事を見ても毎回である。毎回の寄付関係の記事でも主役は、寄付を受ける大垣市長であって、寄付するほうはオマケなのだ。記事に写真を付けるなら、寄付者だけの写真で十分ではないか。本来、それも不要である。寄付とは本来、陰徳である。それを威張ってどうするの? 政治屋や経営者に謙譲という美徳はなくなったのか。それがグローバル経済主義の流儀なのか。
大垣市秘書室が、日頃通じている地元企業に便益をはかるため、新聞社に連絡をして寄付の場面の写真記事を掲載させるようにしたと推定されても致し方あるまい。これも忖度というのだろう。
下世話な表現をすれば「(お上という)俺たちが活動宣伝として顔を売りたいので、ついでのお情けでお前の会社の寄付を新聞に掲載できるようにしてやる。お前は下座で控えておれ」である。可哀そうなのは市民である。
市民が欲しい情報は、現在も急速に衰退を続ける大垣市の問題点の広報・摘出とその解決策の提言である。宣伝まがいの寄付の記事など読みたくもない。
岐阜新聞の常識、中日新聞の非常識
岐阜新聞は、写真説明で寄付者の名前の掲載が、市長よりも先である。それが常識的な対応である。題名の付け方も岐阜新聞は正当で、中日新聞は忖度まがいである。
記事情報は、記者や新聞社の「忖度」が絡むと記事の表現の優先度が逆転するのだ。中日新聞の寄付の記事は、市長名が先で、寄付者はとって付けたように後回しである。中日新聞は、後世に残る良き「忖度」のお勉強教材を提供してくれた。なにせ公共の媒体を使って、「忖度してます」と宣伝しているのだから。
大垣市行政を監視すべき中日新聞社が、その使命を放棄して忖度しているのだから、大垣が衰退するのも故あること。
2018-04-10
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「飛騨の里」の現場を確認
2018年3月17日、私は「飛騨の里」を確認するために出かけた。幹事が強力に推薦する見学地である。交通費約1万5千円と丸一日を費やした。その結論は、「飛騨の里」は飛騨の昔の農村の家屋敷を再現しただけで、学びとして見る価値が少ない、である。土曜日の休日でも観光客はまばらであった。こんな場所に見識豊かな経営者達を案内したら、幹事の恥である。先生は絶対に喜ばない。
後日談
2018年3月20日、幹事から携帯にショートメールが来た。「今日、飛騨に行かれたのでしょうか」である。私は「17日に行きました。がっかりしました。場所の推薦は、責任をもってしてください。人の意見ではなく、自分の目で確認することが経営者の基本です。飛騨の里に皆さんを連れて行ったら幹事が笑いものになりますよ。岐阜の恥になります」と返信した。それに対して返信はない。
幹事に返信ショートメールを打っても返信はいつも、絶対に無い。幹事は電子メールを使っていないので、メールを打っても当然、返信がない。以前に聞いた話では「メールは数が多いので見ないの」が戯言であった。ラインかフェイスブックは使っているようだ。だから幹事には携帯電話しか連絡ができない。今回の案内も全て手紙である。結果として、後日、幹事が開催場所を勝手に変えたので、本人が強く推薦した「飛騨の里」には、調査に行かなかった。その謝罪もない。信じて振り回された私がバカを見た。
格物致知
人は人を観て、法を説かねばならぬ。人を観て対応しなければ、人生で地獄をみる。大事な命という時間が死んでしまう。法を説いても、逆恨みで、禍が飛んでくるときもある。悪縁に接し、それを切るのも仏道を習うである。悪縁に接して痛い目に合わないと、真のご縁は見えてこない。悪縁の炎に照らされて、真縁が浮かび上がる。それは五千万光年先から佛が照らす佛光により、闇夜に浮かび上がる真実である。
現地に行って、自分の目で見て、対象物に触って、自分で考えて、その本質に達する。それが格物致知であり、「現地現物」というトヨタ生産方式である。人のご縁も、まさに格物致知である。真剣勝負をしないと、その人物の真価は見えない。表面的な付き合いでは、真価は露見しない。
飛騨の里
「飛騨の里」は、合掌造りなど、飛騨の代表的な民家30数棟を並べた、昔の農山村風景を再現した集落の博物館である。各民家では、農山村の生活・生活用具を数多く展示している。要は、昔の農山村の風景を再現した集落形式の博物館である。一刀彫の実演や、漆の展示もある。昔の水車を利用した脱穀機などが展示されている。お雛様も古布で作った素朴なお雛様が飾られており、当時の生活ぶりが偲ばれる。生活や遊びに使った橇の展示もあり、当時の生活の大変さが伝わってくる。その農山村の人里離れた奥深い場所で閉鎖された中で育った文化は、交通の要所で育った文化とは、一味違う。私には合わない。
「飛騨の里」内で実演をしていた飛騨の一刀彫の技も、松本明慶大仏師の40人の弟子達が切磋琢磨してお互いが技を磨いている様と比較すると、なにか見劣りがする。
母の実家は農家であって、私が幼いころに見た、民具や農機具が展示してあり、懐かしさは感じた。それだけで、わざわざ見に来る価値は少ないと感じた。「飛騨の里」内には、飲食店は一切ない。
六地蔵
六地蔵は現世と冥土の境に経ち、人々を守ってくださる地蔵菩薩である。釈迦の後、弥勒菩薩がこの世に現れるまでの無佛の世界に住み、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)で迷い苦しむ人々を救うとされる。この六地蔵は、昔、高山市の宗猷寺火葬場道に祀られていた。建立は1740年頃である。一途に死者の冥福を祈った人々の心情が込められている。(説明看板を編集)
建立は、私の祖先、北尾道仙が亡くなった頃である。1740年頃の数字を見て何か歴史を身近に感じた。時に元禄文化が花開いた時代で、地蔵信仰は1620年ころからだと言われている。弱い人間は、神仏等の何かに頼りたくなるもの。それは現代人も変わらない。自分が弱い存在と思うなら、自分を飾らず神仏に頼ればよい。それが自然に湧き起こる信仰である。
円空佛
ここでの最大の収穫は、祠に安置された円空の仏像を拝めたこと。素朴な趣の仏様のお顔を拝めて何故なほっとした。円空(1632~1695年)は、江戸時代前期の修験僧で仏師・歌人である。各地に「円空仏」と呼ばれる独特の作風を持った木彫りの仏像を残している。円空は生涯に12万体の仏像を彫る宿願を立て、全国に円空佛という木造の仏像を立てるため、諸国を行脚した。現在までに約5,300体以上の像が発見されている。その中でも、岐阜県、愛知県をはじめとする各地には、円空の作品と伝えられる木彫りの仏像が数多く残されている。岐阜県内で1,000体以上を数える。北海道、東北に残るものは初期像が多く、岐阜県飛騨地方には後期像が多い。多作の中にも、作品のひとつひとつがそれぞれの個性をもっている。その口元は、「円空の微笑み」という独特の柔和な造形が魅力的である。後期になるなるほど、円空の悟りの境地というか、柔和なお顔のつくりが人を引き付ける魅力がある。その柔和さは、全国各地を行脚して地獄の苦労を体験しないと生み出せまい。
佛様の存在価値
佛像という佛様は、拝み手を合わせれば、なにか心が安らかになるお顔でないと、手を合わす意味がない。松本明慶大仏師も、拝めば知恵や安らぎを授けてくれるようなお顔を目指して仏像づくりに精進されているという。また参拝すれば己の煩悩を見据えて叱ってくださる佛様、佛に近づきその懐に飛び込めば優しく抱いてくれる佛様を目指して佛像づくりをされておられる。古い伝統に縛られた仏像つくりではあるが、その中にも創造性が育まれる。
円空も同じ心境で、皆さんを救うために12万体の仏像を彫る過程で、佛作りに創造性を生み出したのだろう。その成果で円空佛は初期と後期ではそのお顔が違う。それは円空が生み出した付加価値である。合掌。
2018-04-09
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2018年3月24日、犬山城を調査訪問した。結論は、階段が急で、踏板の先が摩耗して丸くなっており、高齢者には非常に危険である。高齢者でなくても危険である。つい最近まで、個人所有のお城であったので、観光用にはまだ完全には整備がされていないようだ。高齢の先生の旅行の見学先としては不適である。階段幅が狭く、日曜日に人出が多く混雑が予想される時は、特に危険である。国宝というだけで、見る価値も、見るべき展示物は少ない。学ぶべき事項は少ない。物見遊山ならともかくである。先生は、見学に訪れる以上は、学びの価値ある場所を希望されている。
最上階の展望の回廊も手すりが、昔の武士の体形に合わせた高さで、現代人には低すぎて、歩くと恐怖感を覚える。長良川の展望は素晴らしいが、それは単なる風景で、女子供たちには良いだろう。手すりの高さは人の臍の位置より高くないと、危険である。犬山城はその安全基準から外れている。彦根城は、最上階の展望の回廊には出ることが禁止されている。
彦根城を調査
2018年4月3日、比較確認のため彦根城を調査した。犬山城と同じく国宝で、階段が急である。しかしその階段には滑り止めが付けられていた。手すりも持ちやすいステンレス製である。階段の幅も犬山城よりはるかに広い。また階段の上り下りは、上る人と下る人を分けて、交通整理している。安全のためである。犬山城ではこの上り下りの人達を交通整理する分離対策はされていない。
恐怖心一杯で手すりにしがみ付いて降りてくる老女
私も降りる時に恐怖感を覚えた。
休日は、入城に30分待ちとかで、大混雑である。ますます危険である。
この日は平日で人出は少なかった。
犬山城 天守閣の最上階の手すりが異常に低い。歩くと恐怖感あり。
犬山城 天守閣からの展望。高層ビルからの眺めに慣れているので、感動無し。
彦根城 階段の滑り止めが設置。ステンレスの手すりも別に追加設置
階段からの転落死亡者
階段からの転落,床での転倒,足場,梯子,開口部などからの転倒・転落・墜落削を含んだ年間の事故死亡者数は男子2702 人,女子1435人,(1989 年)で、交通事故を除いた事故死亡者総数の26.8%を占めている。この死亡者数 はその年の労働災害による年間死亡者2419人(1989年)の約 1.7倍となっている。転倒・転落・墜落事故による死亡者のうち14.3%(1989年)が、階段からの転落事故である。階段転 落事故の内容について、転倒・転落・墜落事故は 家庭で多く発生し、高年齢者の多くが下肢骨折、特に大腿骨頸部骨折を原死因として死亡する割合が高いと指摘されている。
「日本における階段からの転落死亡事故の様相」永田久雄
日本建築学会論文集 1992年1月
ジャランの口コミ
ジャランの犬山城に関する口コミが1500通ある。私はその内、最新の1,000通ほどに目を通した。正確に確認するため、再度、最新の500人の口コミ情報を見て、それをテキストでエクセル表に張り付けて統計調査をした。その中で、階段の危険性に言及した20人ほとんどが、「高齢者は絶対に上らせてはダメ」とコメントしている。
そういう状況の中で、高齢の先生を犬山城に案内するのは、狂気の沙汰である。犬山城を旅行先にする幹事は、高齢の先生の命や仲間の命の危険性を全く意識していない。危機管理意識が皆無である。幹事達が楽をするために、見学先を選定したに過ぎない。先生の付き添いの方に、絶対に上らせないようにと申し送りをした。
https://www.jalan.net/kankou/spt_23215af2120008924/kuchikomi/
2018年3月31日、南宮大社に参拝するため大垣を訪ねてきた知人と雑談したら、「犬山城には、高齢の先生は絶対に上らせてはダメ」と助言をされた。
2018-04-08
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先に4月14日の馬場恵峰先生の岐阜講演会の案内をしましたが、幹事達のご都合で、場所が名鉄犬山ホテルに変更されました。
今回の変更に関して運営の幹事達と議論をする過程で、危機管理、安全対策、参加者の命の保全、学びの素材の選択、倫理問題、道徳問題、遵法精神の面で価値観が大きく乖離していることが露見した。私は人生での危機管理として、幹事達と縁を切る決断をした。
経緯
行事の運営方法について議論中に、3度目の会議中の携帯電話なので、堪忍袋の緒が切れて彼に注意したら逆切れされ、ホテルのレストランという公共の場で、かつ部外者のホテルの課長にいる前で、「なんでこんな嫌われ者のヤツを呼んだ」と罵詈雑言を浴びせてきた。その前も運転中の携帯電話である。これで4度目の倫理違反、法律違反である。他の幹事は黙りこくって無言である。擁護もない。私一人が悪者になった。
犯罪行為
最近は電車に乗ると、必ず携帯電話の使用禁止がアナウンスされる。耳にタコができるほどである。その常識が通用しない相手では、話しても無駄である。
つい最近、高速道路で無謀運転を注意した方が、注意に逆上した運転者に、追いかけられて停車を強制され、胸倉を掴まれたところを他車に追突されて亡くなられた事故を思い出した。
2018年現在、改正法案が検討されており、携帯電話などを操作して交通の危険を生じさせた場合の罰則について、現状の「3月以下の懲役または5万円以下の罰金」から「1年以下の懲役または30万円以下の罰金」に引き上げる、とされている。さらに、直接交通の危険を生じない場合でも、現状の「5万円以下の罰金」から「6月以下の懲役または10万円以下の罰金」に厳罰化する方向だ。運転中の携帯電話は犯罪である。
決断
こんなにも価値観が違う人たちとは、一緒に仕事はできないと判断したので、幹事を降りる事で筋を通した。他の幹事は私が辞めると言っても誰も引き止めもしない。
人生の経営者として、決める時に決断をしないと、自分にも師にも仲間にも累が及ぶ。そいう輩と付き合っていると、己の人生経営が破綻する。悪縁と決別する決断が、人生での危機管理である。
お願い
この経緯で私は名鉄犬山ホテルでの講演会への参加を取りやめました。そのため計画変更連絡が、私へは来ないので、講演会聴講希望の方は、名鉄犬山ホテルに直接、確認をお願いします。
2018-04-08
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院内ふれあいコンサート
2018年4月5日14時から大垣市民病院ロビーで、患者さん達を慰問する「子と音cotone」と「子と音mama」の恒例「院内ふれあいコンサート」が開催された。総勢200名ほどの観客で、いつもより多い観客で盛況であった。
「子と音cotone」
「子と音cotone」は、ピアニスト河村義子先生が子供達の芸術性や思いやりの心を育成するために立ち上げた会である。cotoneの「co」はフランス語で「共に」の意味、「tone」は音色である。音楽の力を次世代に託すとの願いがある。
「子と音cotone」は、主に10代の小学生・中学生の音楽大好きな子どもたち8名ほどが集まって歌、鍵盤ハーモニカ、ダンスのレッスンを月に2回受講している。協業でハーモニーを作る喜び、楽器のアンサンブルを楽しんでいる。イベントやコンサートなどの発表の場に参加して、全員でステージを作り上げる感動を体験している。子どもたちは、歌って、踊って、鍵盤ハーモニカや打楽器、ピアノを始め、多くの演奏に挑戦して、ライブやコンサートも積極的に体験している。ちょっぴり恥ずかしがり屋さんでも、すぐみんなと仲良くなれて楽しんでいる。
喜びを与える嬉しさ
院内コンサートのように、目の前で患者の皆さんが喜んでくれるのを、小さい頃から体感すると、人に喜びを与える嬉しさが体験できるのは素晴らしい。良き情操教育の場だと思う。「子と音cotoneKiDS」のお母さんたち「cotone mama」も参加して、子供達と一緒に合唱、演奏をした。お母さんが、子供に優しい眼差し向けながら演奏する微笑ましい風景である。別のお母さんも「子と音cotoneKiDS」の演奏風景のビデオ撮影に忙しいのも微笑ましい。
メンバー募集
今回、事情があってやめる子もいて、その記念撮影の意味を含めて撮影に赴いた。現在、メンバー募集中です。是非、皆さんのお子さんを参加させてください。連絡は下記HPからどうぞ。
https://cotone-oogaki.jimdo.com/kids/
https://www.facebook.com/%E5%AD%90%E3%81%A8%E9%9F%B3cotone-179631062229766/
mail:info@co-to-ne.ne.jp tel:0584-78-1126
演奏できる有難さ
演奏が始まる10分ほど前、小さい子供を連れた夫婦がこの演奏会の観客席にやってきた。その連れてきた子供が号泣をして暴れて泣き止まず、病院の椅子に腰かけさせるのに一騒動であった。それをなだめる両親の姿を見て気の毒になった。一時はどうなることやらと心配になった。周りをみても、病院だから様々が病の姿を見せつけられる。
それを鏡として、自分の幸せを感じた。「子と音」の子供たちも、演奏者として皆さんに音楽を聴いてもらう立場としてその幸せを感じて欲しいと思った。今の年齢で、そうは感じないかもしれないが、相応の歳になれば、五体満足で、音楽活動、奉仕活動に参加出来る幸せが分かる時が来るだろう。演奏したくとも、演奏を聴くことさえもできない人がいる。演奏会を通して、その痛みを分かる人間になって欲しいと思う。
「有難い」とは、あって当たり前ではないのだ。「有る」こと自体が、「難しい」稀有の状態なのだ。その有難いご縁に感謝である。
無事これ名馬
健康であることの有難さ、何もないことの有難さは、病気や事故があると思い知らされる。高能力の人材や高性能の機材は、とかく故障が多いもの。サラブレッドはその足をガラスの脚とも称される。競走馬としてのサラブレットは誰よりも速く走れるが、少しの障害で簡単に骨折してしまう。その場合は、骨折部が化膿して馬を苦しめるので、可哀そうだが毒殺である。美人薄命である。
今回撮影に使用したSONYα9は、ミラーレスの一眼レフで超精密電子部品の塊のような高性能機である。それが今回の撮影中にピント機構がおかしくなり、かなりのピンボケ写真を量産してしまった。この撮影後、即、買ったお店に持ち込み、修理入院が決まった。「無事これ名馬」を実感した。
占い上で、波乱万丈の人生は、悪い運勢とされる。何もないのが一番良い運勢である。病院に行くと、なにもなく健康で過ごせるのが、何よりであることを教えられる。
馬場恵峰書「今日無事」
無事である有難さに感謝しよう。今日無事でも、明日は分からない。
2018-04-07
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・・・ 追求する価値観(あるべき姿)
ネッツトヨタ南国の経営理念の根底には、「世のためのお役立ち」があり、「全従業員を勝利者にする」経営に尽きる。会社の目的は決して利益追求ではない。利益は後から、あわてて追いかけてくるのである。
金を追ったら、金は逃げていく。金を求めるなら、人を求めよ、である。人こそが、1のモノを10にも100にも増やすことが出来る創造財である。いくら設備に金をかけても、人ほどの創造性は生まれない。
経済とは
自然の摂理を尊重しないから破綻する。経済活動も自然の摂理を尊重しないから、社員が不幸になる。そもそも「経済」とは仏教用語で、「経世済民」の意味で、「皆が仲良くご飯が食べられる仕組み」ということを表している。ところが現在のグローバル経済主義では、1%の支配層が99%の富を独占し、99%の民が貧困層になり飢えに苦しんでいる。自然の摂理に反した経済活動である。
人間性崩壊のブラック企業
成果ばかり要求して、多くの社員が鬱病に追い込まれ、毎年3万人前後の人が仕事で追い詰められて、自らの命を絶つ。その自殺者の内訳で、管理職、自営業が41%を占める。それが10年余も続く。40年前は、鬱病も自殺者も話題にも上らなかった。何かおかしい。
勝利者とは
現在のグローバル経済主義では、1%の支配層だけが勝利者である。あとの99%が敗残者では、「経済」の名がおかしい。
経済がギスギスして、コスト削減の圧力で、無駄の排除との名目で「余裕」までもが除かれ、職場から笑い声が消え、ため息ばかりの職場になってしまった。我々はそんな「経済」社会を追及してきたのだろうか。どこでボタンをかけ間違ったのか。その答えが、ネッツトヨタ南国の経営にある。
組織とは
チームワークがなければ、10人いても10人のパワーしか出ない。それは単なる個人主義者の集まりである。組織として価値観を共有して仕事に取り組めば、10人の力が100にもなるのだ。
2018-04-04
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新市庁舎だけ災害に強くなる
新市庁舎の建設現場では、大きな看板で「災害に強い新市庁舎」とある。大垣市長が居座るビルだけは災害に強くても、大垣市民は災害に弱い状態を押し付けられている。
2018年3月22日に、昨年9月の台風21号の影響で水没した大垣駅前高屋町交差点の地下道が、半年ぶりで開通した。その大垣駅前地下道の修復状況をみて、呆れた。たかが配線の修理に半年もかかっている。また半年間、閉鎖の原因になった配電盤が、屋上ではなく、前と同じ地下の中にあるのだ。大雨が降れば、また浸水して、防災に弱い大垣市の恥を晒すことになるだろう。新市庁舎だけが、防災に強い新市庁舎を作るようだ。なにせ市民税を岐阜市新市庁舎の5割増しのレベルで、税金を無駄遣いすれば、新市庁舎だけは災害に強くできて当たり前。市民の暮らしに直結する市の設備は、災害に弱いままである。可哀そうなのは、大垣市民である。
亀の池の開所式が最優先
この地下道の復旧日程も二転三転していた。当初の数か月間は復旧の予定日さえ記載されていなかった。なおかつ不要不急の亀の池の開所式に大垣市長の参列の華を添える為、やっと表示された復旧予定日の3月20日から、3月22日に直前に延期され変更になった。担当者の大垣市長へのゴマすりの極みである。また水没が予想されるこんな地下に配電盤を前と同じように置いてよいのか。また水没すれば、お金を業者にばらまけるので、めでたし、めでたし?
大垣市は、市民の安全確保よりも、市長の開所式の参列が最優先なのだ。市民の安全を考えるなら、一日でも早い復旧に努めるべきなのだ。こんな大垣市民の安全を考えない大垣市長に、大垣市の未来を任せてよいのか?
市民の事を考えれば、一日でも早い復旧が常識
これでは、大雨が降ればまた閉鎖
再発防止は眼中にない大垣市長
数年に一回の大雨が降れば、また地下道が水没することが分かっているのに、同じ地下の位置に配電盤を設置してある。本来なら、再発防止として、地上に設置すべきである。将来、また水没させて、業者を潤わすつもりなのか。
本来、この地下道は不要である。現在は殆どの歩行者は、地上のスクランブル交差点を利用して、地下道を利用しない。また将来も大垣市は、もっと老人社会になって、段差や階段が多い現状の大垣市街地では老人には地獄である。この地下道も全く利用されなくなるだろう。地上のスクランブル交差点を使い、地下道を使う人は、今でも少ない。
同じ構造の地下道が、南方向の1キロ先の郭町にあるが、それに対して横展開の再発防止がされた形跡がない。災害に強い街作りなら、当然、横展開をして、災害を未然に防ぐのが大垣市長の勤めである。
前年に水没した室村町アンダーパス、林町アンダーパスの再発防止、大谷川の浸水被害での対策をしたという広報は伝わってこない。喉元過ぎれば、なんとかで市民の防災への忘却を期待して、市長は新市庁舎の建設に邁進する。
「大垣未来ビジョン」が語る大垣市長の本音
『大垣未来ビジョン』(2018年3月発行)でも、「災害に強いまち いつ発生してもおかしくない南海トラフ巨大地震や集中豪雨などの災害に対しては、新市庁舎を中心とした公共施設の耐震化や治水対策、防災拠点の整備など、災害に強いまちづくりがすすんでいます。」と簡単に防災に関する記述があるが、その文面はあくまで「新市庁舎が中心で、他は二の次」であると、この「大垣未来ビジョン」で大垣市長の本音を出している。現状の地下道の復旧対策や、室村町アンダーパスの水没対策、大谷川の氾濫対策さえ、現在でもまともにできなくて、どうして大垣の未来が語れるのか。経営者の経営能力として分かることは、その気になればすぐできることが出来なくて、未来の改善など出来るはずがない、である。その水害も今日、昨日の話ではないのだ。『大垣未来ビジョン』で、とって付けただけの話では、話にならない。
『大垣未来ビジョン』では、経済の基本の道路新設、改善政策も全く記載がない。これでは、大垣の経済での未来はない。
老人に冷たい大垣市
2018年3月31日、股関節脱臼の手術をしてその後遺症を抱えた知人が大垣を訪ねてきた。彼と一緒にこの近くを歩いたが、この交差点で地下道の利用は拒否された。地上のスクランブル交差点を利用である。まさに大垣市の老人社会になる未来を象徴する事象であった。
その老人に優しい未来ビジョンが、大垣市には欠落している。バリアフリーなど眼中にない大垣市である。「大垣市未来ビジョン」(2018年3月刊行)でも、「公営住宅等の維持管理」の項目でバリアフリーの一文字があるだけで、他には全く記述がない。後は押して知るべし、である。
経済活動を阻害
この地下道があるため、大垣駅前の高屋町交差点が2車線から1車線に狭められて、大垣市内の交通の大渋滞の元凶になっている。それを放置したままにしている経済感覚が、お粗末である。大垣市長は金勘定だけはできても、近代経営の才はないと言わざるを得ない。
改善案として、東西方向の出入り口を廃止するだけで、地下道も存続させたまま、地上の東西歩行の1車線を2車線に拡張できる。なぜそんな簡単な工事ができないのか。
2018-04-05
久志能幾研究所 小田泰仙 e-mail : yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp
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