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2018年4月10日 (火)

中日新聞の忖度

新聞社の使命を放棄した寄付の記事

 2018年4月7日付の岐阜新聞と中日新聞の「西濃欄」に掲載された寄付の記事を比較して、「忖度」という流行語に思いあたった。

 中日新聞には、地元企業「太平洋精工」が大垣市に400万円を寄付した記事が掲載されていた。岐阜新聞には、「県外3社」が海津市にハリヨ湧水池事業に賛同(1140万円を寄付)した記事が掲載されていた。

 これを見て各新聞社の姿勢が明白になった。日頃、中日新聞社は、大垣市政に対する批判・提言記事は、皆無に近い。中日新聞社は、公共の公器であるべき新聞を私物化している。

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  中日新聞 201847

2p1100335 岐阜新聞 2018年4月7日

 

寄付という売名行為

 中日新聞の記事では、見出しの寄付企業の名前を見出しで大きく掲載している。売名行為、宣伝行為である。その紙面に対して、読者は購読料という金を払っているのだ。寄付するなら匿名ですればよい。宣伝したいなら、広告欄に広告料を払って掲載すればよい。自社のHPで宣伝すればよい。

 市民に伝えるべき、もっと大事な情報があるはずだ。その寄付宣伝記事が載れば、市民に伝えるべきその情報が、限られた紙面に掲載できないのだ。なにも社長がしゃしゃり出て、寄付しましたなど宣伝するのも不遜である。社長にそんな時間があるなら、その時間を経営に費やし、日本経済活性化のために汗をかいて欲しい。

 

情報とは

 「情報」とは「情け」の「報せ」である。その情報を与えて、読者の大垣市民にどう動いて欲しいのか、それがあって初めて正しい報道である。つまり「報せる」「道」なのだ。今の中日新聞はその「道」から外れている。つまり外道である。寄付の記事を見ても、読者には何のためにもならない。寄付を宣伝した企業が得をするだけだ。そんな情報は、情報過多の時代に不要である。だから新聞購読数の減少が止まらないのだ。新聞社は自分で自分の首を絞めているのだ。いまの中日新聞の西濃欄は、学校新聞みたいである。その記事を読んで「で、何なんだ?」である。時間の無駄である。読後感想は、虚しさだけである。その情報を得て、読者は嬉しいと思うだろか、自問して欲しい。

 寄付の記録としての記事ならテキスト文だけで、写真は不要である。文章が書いてあれば、くだらない記事でも読者は読まねばならぬ。時間の無駄である。時間とは命である。

 

寄付金の位置づけ

 太平洋精工は売上高205億円(2017年3月期)、グループ全体1,230人(2017年3月)の会社である。寄付額400万円を従業員一人当たりにすると3,250円である。一方では、匿名で、もっと大きな金額を寄付している個人が沢山存在する。

 岐阜新聞掲載の寄付をした県外の3つの企業の一つ、中日本氷糖は、従業員数139名(2017年8月現在)で、太平洋精工の約1/10の規模の企業である。ワンストップパートナーズも山口化成も、資本金から推定すると従業員は、遥かに少ないと推定される。その中日本水糖は、従業員一人当たりで、太平洋精工の約10倍の寄付額である。それを考えると、中日新聞社の記事の扱いが異常である。忖度そのものである。

 

何を伝えたいか

 テクニカルライティングの伝達文法では、題名にその記者の本音が現れる。ハイヨ湧水池事業を見れば、記者の伝達意図が明白だ。それがテクニカルライティングの原則である「一番重要な情報は、最初に書く」が原則である。記事の一番重要な文は、題名である。

 中日新聞は「太平洋精工が400万円を寄付」。

 岐阜新聞は「ハイヨ湧水池事業に賛同」。

 中日新聞は、「太平洋精工」の名を寄付の形で大々的に宣伝したいのである。中日新聞は、大垣市役所から紹介を受け、便益ある企業に貸しを与えたいのだと、推定されても致し方あるまい。

 岐阜新聞は、報道機関として公正な立場で「ハイヨ湧水池事業」を読者に伝えたいのだ。題名を見れば、その下心は露見する。遮二無二に太平洋精工の名を宣伝したいのなら、記事構成が新聞社としてお粗末である。もっと頭をつかって巧妙にすればよいものを。

 太平洋精工が教育関係に寄付をするなら、なぜ寄付をするか背景まで、調べるのが記者の使命である。つまり大垣市は教育軽視で、教育に金を出さないので、教育現場が荒廃して、見かねて企業が寄付をするのだ。この記事内容では、新聞社としての使命の放棄を宣言している。中日新聞は、単なる大垣市の言いなりの広報担当に成り下がっている。

 

誰が主役?

 大垣市が「子育て日本一を目指す」と豪語するなら、教育関係で寄付を受ける必要はない。それより大垣に文化関係の予算が市長の意向で貧困であるので、その面の寄付を受け付ければよい。

 写真の説明文で、なぜ市長の名が先で、寄付者名が後なのか。テクニカルライティングの表現でいえば、市長が一番重要と認識して、寄付者など後回しになっている記事構成である。そうやって記者は、大垣市長に忖度しているいる。そのやりかたが露骨であり、滑稽である。葬儀で焼香順序を間違えれば、大騒動である。中日新聞は、その焼香順番を間違えていると同じなのだ。

 

誰が出しゃばりたいの?

 なぜ寄付する善意には関係ない教育長までが中央にしゃしゃり出て写真に写っているのか。写真では、寄付に関して脇役であるはずの市長と教育長が中央にふんぞり返って、主役の寄付者が隅で小さくなっている。岐阜新聞は白黒写真であるのに、中日新聞のそれはカラー写真である。そのカラー印刷の費用を読者が負担している。お笑いである。

 それも過去の中日新聞の記事を見ても毎回である。毎回の寄付関係の記事でも主役は、寄付を受ける大垣市長であって、寄付するほうはオマケなのだ。記事に写真を付けるなら、寄付者だけの写真で十分ではないか。本来、それも不要である。寄付とは本来、陰徳である。それを威張ってどうするの? 政治屋や経営者に謙譲という美徳はなくなったのか。それがグローバル経済主義の流儀なのか。

 大垣市秘書室が、日頃通じている地元企業に便益をはかるため、新聞社に連絡をして寄付の場面の写真記事を掲載させるようにしたと推定されても致し方あるまい。これも忖度というのだろう。

 下世話な表現をすれば「(お上という)俺たちが活動宣伝として顔を売りたいので、ついでのお情けでお前の会社の寄付を新聞に掲載できるようにしてやる。お前は下座で控えておれ」である。可哀そうなのは市民である。

 市民が欲しい情報は、現在も急速に衰退を続ける大垣市の問題点の広報・摘出とその解決策の提言である。宣伝まがいの寄付の記事など読みたくもない。

 

岐阜新聞の常識、中日新聞の非常識

 岐阜新聞は、写真説明で寄付者の名前の掲載が、市長よりも先である。それが常識的な対応である。題名の付け方も岐阜新聞は正当で、中日新聞は忖度まがいである。

 記事情報は、記者や新聞社の「忖度」が絡むと記事の表現の優先度が逆転するのだ。中日新聞の寄付の記事は、市長名が先で、寄付者はとって付けたように後回しである。中日新聞は、後世に残る良き「忖度」のお勉強教材を提供してくれた。なにせ公共の媒体を使って、「忖度してます」と宣伝しているのだから。

 大垣市行政を監視すべき中日新聞社が、その使命を放棄して忖度しているのだから、大垣が衰退するのも故あること。

 

2018-04-10

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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