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2018年4月 9日 (月)

円空佛に格物致知を見る

「飛騨の里」の現場を確認

 2018年3月17日、私は「飛騨の里」を確認するために出かけた。幹事が強力に推薦する見学地である。交通費約1万5千円と丸一日を費やした。その結論は、「飛騨の里」は飛騨の昔の農村の家屋敷を再現しただけで、学びとして見る価値が少ない、である。土曜日の休日でも観光客はまばらであった。こんな場所に見識豊かな経営者達を案内したら、幹事の恥である。先生は絶対に喜ばない。

 

後日談

  2018年3月20日、幹事から携帯にショートメールが来た。「今日、飛騨に行かれたのでしょうか」である。私は「17日に行きました。がっかりしました。場所の推薦は、責任をもってしてください。人の意見ではなく、自分の目で確認することが経営者の基本です。飛騨の里に皆さんを連れて行ったら幹事が笑いものになりますよ。岐阜の恥になります」と返信した。それに対して返信はない。

 幹事に返信ショートメールを打っても返信はいつも、絶対に無い。幹事は電子メールを使っていないので、メールを打っても当然、返信がない。以前に聞いた話では「メールは数が多いので見ないの」が戯言であった。ラインかフェイスブックは使っているようだ。だから幹事には携帯電話しか連絡ができない。今回の案内も全て手紙である。結果として、後日、幹事が開催場所を勝手に変えたので、本人が強く推薦した「飛騨の里」には、調査に行かなかった。その謝罪もない。信じて振り回された私がバカを見た。

 

格物致知

 人は人を観て、法を説かねばならぬ。人を観て対応しなければ、人生で地獄をみる。大事な命という時間が死んでしまう。法を説いても、逆恨みで、禍が飛んでくるときもある。悪縁に接し、それを切るのも仏道を習うである。悪縁に接して痛い目に合わないと、真のご縁は見えてこない。悪縁の炎に照らされて、真縁が浮かび上がる。それは五千万光年先から佛が照らす佛光により、闇夜に浮かび上がる真実である。

 現地に行って、自分の目で見て、対象物に触って、自分で考えて、その本質に達する。それが格物致知であり、「現地現物」というトヨタ生産方式である。人のご縁も、まさに格物致知である。真剣勝負をしないと、その人物の真価は見えない。表面的な付き合いでは、真価は露見しない。

 

飛騨の里

 「飛騨の里」は、合掌造りなど、飛騨の代表的な民家30数棟を並べた、昔の農山村風景を再現した集落の博物館である。各民家では、農山村の生活・生活用具を数多く展示している。要は、昔の農山村の風景を再現した集落形式の博物館である。一刀彫の実演や、漆の展示もある。昔の水車を利用した脱穀機などが展示されている。お雛様も古布で作った素朴なお雛様が飾られており、当時の生活ぶりが偲ばれる。生活や遊びに使った橇の展示もあり、当時の生活の大変さが伝わってくる。その農山村の人里離れた奥深い場所で閉鎖された中で育った文化は、交通の要所で育った文化とは、一味違う。私には合わない。

 「飛騨の里」内で実演をしていた飛騨の一刀彫の技も、松本明慶大仏師の40人の弟子達が切磋琢磨してお互いが技を磨いている様と比較すると、なにか見劣りがする。

 母の実家は農家であって、私が幼いころに見た、民具や農機具が展示してあり、懐かしさは感じた。それだけで、わざわざ見に来る価値は少ないと感じた。「飛騨の里」内には、飲食店は一切ない。

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六地蔵 

 六地蔵は現世と冥土の境に経ち、人々を守ってくださる地蔵菩薩である。釈迦の後、弥勒菩薩がこの世に現れるまでの無佛の世界に住み、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)で迷い苦しむ人々を救うとされる。この六地蔵は、昔、高山市の宗猷寺火葬場道に祀られていた。建立は1740年頃である。一途に死者の冥福を祈った人々の心情が込められている。(説明看板を編集)

 建立は、私の祖先、北尾道仙が亡くなった頃である。1740年頃の数字を見て何か歴史を身近に感じた。時に元禄文化が花開いた時代で、地蔵信仰は1620年ころからだと言われている。弱い人間は、神仏等の何かに頼りたくなるもの。それは現代人も変わらない。自分が弱い存在と思うなら、自分を飾らず神仏に頼ればよい。それが自然に湧き起こる信仰である。

 

円空佛

 ここでの最大の収穫は、祠に安置された円空の仏像を拝めたこと。素朴な趣の仏様のお顔を拝めて何故なほっとした。円空(1632~1695年)は、江戸時代前期の修験僧で仏師・歌人である。各地に「円空仏」と呼ばれる独特の作風を持った木彫りの仏像を残している。円空は生涯に12万体の仏像を彫る宿願を立て、全国に円空佛という木造の仏像を立てるため、諸国を行脚した。現在までに約5,300体以上の像が発見されている。その中でも、岐阜県、愛知県をはじめとする各地には、円空の作品と伝えられる木彫りの仏像が数多く残されている。岐阜県内で1,000体以上を数える。北海道、東北に残るものは初期像が多く、岐阜県飛騨地方には後期像が多い。多作の中にも、作品のひとつひとつがそれぞれの個性をもっている。その口元は、「円空の微笑み」という独特の柔和な造形が魅力的である。後期になるなるほど、円空の悟りの境地というか、柔和なお顔のつくりが人を引き付ける魅力がある。その柔和さは、全国各地を行脚して地獄の苦労を体験しないと生み出せまい。

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佛様の存在価値

 佛像という佛様は、拝み手を合わせれば、なにか心が安らかになるお顔でないと、手を合わす意味がない。松本明慶大仏師も、拝めば知恵や安らぎを授けてくれるようなお顔を目指して仏像づくりに精進されているという。また参拝すれば己の煩悩を見据えて叱ってくださる佛様、佛に近づきその懐に飛び込めば優しく抱いてくれる佛様を目指して佛像づくりをされておられる。古い伝統に縛られた仏像つくりではあるが、その中にも創造性が育まれる。

 円空も同じ心境で、皆さんを救うために12万体の仏像を彫る過程で、佛作りに創造性を生み出したのだろう。その成果で円空佛は初期と後期ではそのお顔が違う。それは円空が生み出した付加価値である。合掌。

 

2018-04-09

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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