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2018年4月17日 (火)

無知・不敬の「平家物語歴史館」2/4

2018年3月17日、高松市の平家物語歴史館を訪問した。

驕り

 この歴史館は展示パネルの見せ方に違和感を覚える。何か展示者の見せてやるとの驕りを感じる。「平家物語絵巻」の写真の下に掲示された説明のA4の用紙が、異様なのだ。薄暗い場所で、A4サイズの紙に小さな字で書いてあり、読む気になれない。まるで「読みたければ、勝手に読め」と言っているかのようだ。何を来訪者に伝えたいのか、それが分からない。その紙も画びょう止めである。入館料を取る歴史館でそれはないだろう。

 展示パネルの表題の字体にしても、機械的に明朝体を選んで記されているが、見やすさ読みやすさから言えば、ゴシック体で記載すべきである。

 各場面の情景説明パネルも、黒地で白の文字であるが、全体が暗いので、読みにくい。なぜ白地の黒文字にして、照明で照らさないのだ。

 平家物語歴史館の建屋全体が暗い雰囲気で、平家物語の悲哀を表現したつもりかもしれないが、歴史を白日の下に晒して、現代の我々が学ぶべきことは何か、までに掘り下げて展示を考えて欲しい。お涙頂戴の展示では、情けない。日本最大のロウ人形館と宣伝するなら、相応の品格と内容にして欲しい。国際コンテストが開催される都市の歴史館として、英文の表記や、外人にも恥ずかしくない展示形態として欲しい。

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 平家物語絵巻の説明パネル

22p1040614  平家物語絵巻のA4説明紙

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 第六景 物怪の説明パネル

 

第六景 物怪

 桓武天皇が平安京(現在の京都)を建てて以来、遷都はなかった。それを人臣の清盛が1180年、福原(現在の神戸市)に遷都した。人々は動揺して、新都では、いろんな物怪が出現した。この遷都には帝も臣下も嘆き、全ての神社も異を唱えたので、清盛はついに旧都に戻ったとされた。(『平家物語』)第五「物怪之沙汰」の要約)

 

 上記の情景を下図のロウ人形のお化けで表現するのでは、歴史館には違和感があり、単なる見世物のお化け屋敷の表現に成り下がっている。

 「歴史館」と謳っている以上は、「いろんな物怪が出現した」という文学表現を、歴史と史実に基づいた表現にすべきだと思う。

 このお化けのロウ人形で表現された情景から、人は何を学ぶのか、それが歴史館として問われている。これでは、見学者の時間泥棒である。見学する方にも、時間という命がかかっている。学ぶべきことがなければ、付加価値がゼロである。当時の状況を伝えたのなら、説明パネル1枚だけで充分である。

Photo

 物怪に怯える平清盛

 

2018-04-17

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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