恵峰師「たねや美濠美術館」見学
2018年4月12日、彦根市「たねや」内にある「たねや美濠美術館」に馬場恵峰先生ご夫妻をご案内したら、そこには、井伊家が集めた殿様用の陶器や書画が展示されていた。元窯元の主で陶芸に造詣の深い馬場恵峰先生は、目を細めて鑑賞されていた。
たねや美濠美術館
この美術館には、江戸後期から明治中頃までの約70年間に光彩を放った「湖東焼」の銘品の多くが展示されている。湖東焼は、彦根の宝である。金襴、赤絵金彩、色絵、染付、青磁のほか、九谷焼や伊万里焼の写しなど、多彩かつ華麗な品々が約55点も展示されている。
湖東焼と彦根藩井伊家は深い関係にあり、その造形の深さや独特の風合いには、彦根の歴史が映し出されている。湖東焼は幕末の激動の時代の荒波に呑み込まれて、各地に散在してしまっていた。その湖東焼を、ふるさと彦根の地で現代に残し伝えたいと、「たねや」が2003年9月「たねや美濠美術館」を開館した。同じ湖東焼の名品が、埋木舎にも展示されている。
https://taneya.jp/shop/shiga_mihori_museum.html
私は、この「たねや」にはこの数十年間、年に数回も訪れているが、まだ入ったことがないのはお粗末であった。今回、たままた馬場恵峰先生ご夫妻を昼食に案内して、この美術館に案内することを思いついた。先生を「たねや」で昼食にご案内することを思いつかなければ、一生入館しなかったかもしれない。
無事是貴人
この美術館の一角に井伊直憲公の軸が展示されていた。それが「無事是貴人」である。井伊直憲は桜田門外の変で暗殺された井伊直弼公の跡継ぎである。父の非業の死を自分の人生に顧みて、殿様との立場で「無事」であることの有難さをつくづくと実感していたのだろう。井伊直憲公も井伊直弼公と同じく禅の造詣が深かったのだろう。それが「無事是貴人」だと思う。
井伊直憲公は書家ではないので、字体自体は馬場恵峰先生の書とは違うが、よい掛け軸であった。こんど長崎に行った時、恵峰先生に「無事是貴人」を揮毫してもらおうと思う。
2018年4月20日、馬場恵峰先生宅を訪問したとき見つけた書です。即、入手しました。
貴人とは
禅語「無事是れ貴人」の「無事」とは、平穏無事の無事でもなく、また、何もせずにブラブラすることでもない。「無事」とは、仏や悟り、道の完成を他に求めない心をいう。「貴人」とは貴族ではなく、貴ぶべき人、すなわち仏であり、悟りであり、安心であり、道の完成を意味する。
私たちの心の奥底には、生まれながらにして仏と寸分違わぬ純粋な人間性、仏になる資質の仏性がある。それを発見し、自得することが禅の修行であり、悟りであり、仏になることである。私たちは、それを外に求めてさまよっている。
「求心歇(や)む処、即ち無事」と、禅師は喝破する。求める心があるうちは無事ではない。「放てば手に満てり」という言葉があるが、「求心歇む処」が無事である。その無事が、そのまま貴人である。
「但だ造作すること莫かれ、祇だ是れ平常なれ」と、臨済禅師は無事を詳解する。「面倒くさい」「むずかしい」の反対語に「造作なく」という言葉がある。当然のことを造作なく当然にやることが平常であり、無事である。いかなる境界に置かれても、見るがまま、聞くがまま、あるがままに、すべてを造作なく処置して行くことができる人が、「無事是れ貴人」という。
『白馬蘆花に入る -禅語に学ぶ生き方-』細川景一著 1987年 禅文化研究所刊より (原文の一部を簡潔な表現に修正しました。)
2018-04-26
久志能幾研究所 小田泰仙 e-mail : yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp
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