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2021年7月

2021年7月21日 (水)

異界にスワップ(=イノベーション)

 

 今は時代の変革期で、経済、生活スタイルが激変して、日本はその変化に追いつけず、一流国から三流国に転落しつつある。見識ある人は危機感を抱き、みんな「変わらなきゃ、変わらなければ」と大騒ぎしている。しかし、変われない。それはなぜそうなったかの原因を探さず、小手先の手段だけで変わろうとしているためだ。それでは変われない。

 変わるとは、自分自身のイノベーションである。イノベーションとは、技術革新と訳されるが、真意は「革新、新制度の導入」である。イノベーションをするには、表面的な革新ではなく、根本から変えないと変わらない。

 企業で言えば、生産の革新、新生産体制の導入である。フォードが馬車にイノベーションを起こしたのは、より早い馬を調教することではなく、ガソリンエンジン付きの車を開発して、移動手段にイノベーションを起こした。

 GAFAが急成長したのは、ITを活用して、仕事のやり方を革新したからだ。

 

 Innovateとは、新しく取り入れる、始めるが原意である。

 Innovation :Introduction of new ideas or methods

                                Longman 英英辞典

 

自己イノベーション

 そういう革新を、自分自身はしているだろうか。人間で言えば脳の深層部の意識改革をしないと、変われない。人間にとって変わらず、今までどおりが一番楽なのだ。人間は楽な道を選ぶのが本能である。今まである習慣を続けると、そういう現状維持の決断を日に20回して、50年間で50年×365日×20回=365,000回も決断の練習とその固定化をしてきた。そのカチンカチンの固定観念は、「変わらなきゃ、変わらなければ」とお題目を唱えるだけで、打ち破れるはずがない。

  ITツールの導入だけで、組織が変革できるわけがない。新興宗教のお題目を唱えるだけで、変われるはずがない。

 固定観念を壊すのに、痛みも苦しみをあるはずだ。その苦しみを避けて、自己イノベーションが出来るわけがない。その痛みや苦しみは、倒産、死の病気、離別等の苦しみがあって初めて、変われる。私もがんになり、死の淵を経験して変わることが出来た。

 

宇宙根源の法則

 本当に変わりたいと思うなら、地獄界から天上界に転位するくらいのエネルギーを出さないと変われない。天上界から地獄界へは簡単に転落できる。しかしその逆は宇宙根源の法則に反するから、大変なエネルギーがいる。そんなに簡単に変わってもらっては、新興宗教が不景気になってしまう。迷える羊がいないと新興宗教界も困るのだ。

 

私のイノベーション

 私は今まで地獄界の理性の世界で生きていた。理性と正義を突き詰めると鬼にならないと生きていけない。その世界は数値で成果を表し、金儲けで生きていく界である。グローバル経済主義の競争社会である。利己主義の世界である。精神的に下等な世界である。

 今はその過当競争の地獄の世界から、競争のない世界、精神性の高い世界、感性の世界、芸術文化の世界、数値では表せない世界への異転を目指している。私が目指すイノベーションは、地獄界から天上界への異転である。

 

             精神性高い (感性の世界) 

              |

    畜生界  →    |      天上界

              |

              |    芸術・文化の世界

              |    宗教の世界

  人間性低い       |          人間性高い

―――――――――――――――――――――――――――

              |

         ↗     |       ↑

   地獄界        |      人間界

  成果主義        

  利己主義、金儲け    |

           精神性低い(理性の世界)

 

 2021-07-21   久志能幾研究所通信 2096  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

墓の納骨室は、人が土に還るための宇宙船

 

 今回(2015年)改建したお墓の文字は、馬場恵峰先生に書いて頂いた。先生には、ご快諾して頂いた。普通の書家は、お墓や石碑等への揮毫は、永遠に残るので嫌がり、まず書いてくれない。恵峰先生に揮毫していただいたことは、ありがたいことです。

 馬場恵峰先生のご先祖は、武田家の武田四天王といわれた馬場信春公である。武田三代に仕えた40数年の間、70回を越える戦闘に参加したが、長篠の戦いまでかすり傷一つ負わなかったという。このため「不死身の馬場美濃」、「不死身の鬼美濃」と評されている。井伊家の赤備えは、もともと武田信玄軍団の赤の装備に由来する。徳川家康が、徳川四天王と称された井伊直政の武功を称えて、赤備えを許したというご縁である。

 

納骨室内部に梵字を彫る

 お墓の納骨室内の五面に梵字を彫ることにした。ご先祖様に安らかに眠っていただく環境を作るためである。何時かは自分も入る寝室である(予定では38年後?)。

 この発想は、2015年3月12日に馬場恵峰先生宅で、三重塔と五重塔の写真撮影をした時のことが頭にあり、今回の発想となった。その時は今回のお墓建立の話は全くない状態である。これも恵峰先生とのご縁の賜物である。さすがに石芝台の狭い内部側面に般若心経の字を彫るのは難しく梵字とした。

 

 納骨室内の5面に刻む梵字は納骨室内が一つの浄土であることを象徴する文字である。下図のように梵字を5面に配置することで、金剛界曼荼羅の世界を作る。

 供養塔で外側に梵字を配置した例は多いが、内部に梵字を配置した事例は本邦初ではないかと、石屋さんは言う。完成してお墓を封印すれば、納骨室内部は見えない。これは私のこだわりである。

 これは恵峰先生宅で、三重塔と五重塔の内部に書かれたお経の撮影をして思いついた事項である。恵峰先生とご縁が無く、この三重塔と五重塔に出会わなければ思いつかなかった。恵峰先生とのご縁に感謝である。

 

お墓は人が土に還る宇宙船

 納骨室内に敷いた土は山土である。お墓とはお骨を土に還す装置である。土の上の置かれたお骨は、80年経つと自然と土になる。お骨を納骨用の陶器の壺に収めただけでは、土に還らない。お墓は浄土へ旅立つ宇宙船なのだ。

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納骨室内の梵字

 納骨室内の側面まで磨いているので製作工数が大変である。普通は、納骨室は外から見えない場所なので、磨いて仕上げることはない。その分、コストが上がるから、石屋さんはやらない。6年後の今(2021年)、これを回想して、よくやったと呆れる思いである。今でもやっておいてよかったと思う。将来の自分の居場所を造ったのだ。ご先祖様も喜んでいただける。

 今、このお墓を作ろうとしても、やれない。馬場恵峰先生は今年亡くなられたし、私の体力も気力も金力もない。新型コロナ禍で外国から材料も輸入できない。このお墓の建立の打ち合わせの為、石屋さんは数回、中国に出張された。思いついた時、やるべきことをやってよかったと思う。

 

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三重塔と清龍寺・寛旭和尚から贈られた観音像(2014年6月26日)を納めた三重塔(恵峰先生宅で撮影 2015年3月12日)

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 恵峰先生と管主寛旭和尚       

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寛旭和尚は将来の中国仏教界のトップに立つ方  福田琢磨氏撮影

 

 2021-07-20   久志能幾研究所通信 2095  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年7月19日 (月)

「千里の道も一石から」 一般は優秀、幹部は堕落

 

 自宅の近くの道路沿いの水路に砂が溜まり、水が流れないという問題点が発見された。それを、日頃水路掃除されている近所の方が知らせてくれた。2021年7月19日、その対処を大垣市役所にお願いのため出向いた。その1時間半後に担当者2名が現地を見に来て、業者に堆積砂の除去を手配してくれることになった。大垣市役所治水課の素早い対応に感激である。

 

無駄な駐車場案内者

 そのお願いに市役所に出向いた折、大垣市役所駐車場は閑散としていたが、この炎天下、2名の駐車場案内者が立って案内をしていた。私はその案内を無視して、遠くの空いている場所に駐車した。駐車場案内者は、首に灼熱の太陽光防止の布をかけての対応である。人権無視の労働である。駐車場案内者の設置は、IT化市役所とかけ離れた対応である。税金の無駄遣いである。

P1140731s 大垣市役所前の駐車場 案内係が二人いる 2021年7月19日

 

自慢の案内ロボットが失業中

 そのお願いに市役所に行ったが、担当が何処の部署かは分からないので、案内嬢に聞いたら、案内嬢は相応の課に電話をして確認をしてくれた。

 親切な案内嬢の横にはIT化大垣市役所ご自慢の案内ロボットが「超暇そうに」立っていた。多分、その件を案内ロボットに聞いても、対応不能のようである。案内ロボットは税金の無駄遣いである。

 私は、この案内ロボットが動いているところを見たことがない。

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 大垣市役所内 2021年7月19日

馘首

 大垣市役所の実務部隊は真面目に市民の困りごとに対応しているが、上層部の幹部は利権にまとわりつかれて職務怠慢ばかりである。だから大垣市の衰退が止まらない。

 旧日本軍も兵卒は優秀であったが、陸軍大学出のエリート集団の大本営は腐っていた。日本社会の構造は80年前と少しも変わらない。日本の衰退の原因は指導者の堕落である。それが現代では、今回のオリンピックの強引開催という事象に現れている。日本の現指導者は、東京オリンピックの中止か延期が決断できない。愚かである。

 私は大垣市と日本の問題点を一つずつ明らかにして、大垣市と日本を良くしていきたいと思う。まず諸悪の根源であった大垣のトップは首が挿げ替えられた。もうじき日本のトップの首が変わるだろう。変わらなければ日本沈没である。

 長年蓄積した隘路に堆積した悪石もすぐには無くならない。千里の道も一歩よりで、地道に一石ずつ除去を進めたい。焦ってはいけない。

 

 

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 馬場恵峰書

2021-07-19   久志能幾研究所通信 2094  小田泰仙

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2021年7月18日 (日)

墓誌と院号  恩徳に骨を砕いて謝す

 

 昔は一人一墓であったが、墓の土地供給の問題もあり、一家で一つのお墓となってきた。いわば一戸建てから集合住宅になったようなものと解釈している。それで問題になるのは、誰がそのお墓に入っているかである。改建前のお墓はそれが曖昧であったので、2015年改建のお墓には墓誌も併設することにした。

 

墓誌

 墓誌では様々な書き方があり、戒名、命日、俗名、享年に更に叙勲の有無まで書くような例も見受けられる。当初、父の弟で五男の方が勲八等を叙勲されており、それを記入する方向で話が進んでいた。

 しかし、死ねば沸の世界では全て平等であり、俗世間の位など何の意味もない。思い直して、記入は取り止めとした。

 また命日の日付も人が見てあまり意味がないと考え、両親の命日は子供が一番知っている事項である。あえて墓誌に書く必要もなく、個人情報の類であるので、止めることにした。

 弥勒菩薩は現在仏であるゴータマ・ブッダ(釈迦牟尼仏)の次にブッダとなることが約束された菩薩(修行者)で、ゴータマの入滅後56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済するとされる。弥勒菩薩が来訪するという56億7千万年の尺度からいえば、40年や80年の享年に差があるわけでもあるまいし、誤差範囲である。この世に生を受け、しかるべきこの世のお勤めをして旅立った人に、寿命の多少で偉さに差があるわけでもあるまいと、書くのを止めることにした。

 結局、改建のお墓の墓誌は、戒名と俗名だけとした。簡潔な美しい墓誌となぅた。ちなみにトヨタの大番頭と言われた石田退三氏の石田家墓誌には、石田退三氏の戒名だけしか記されておらず、俗名さえ記されていない。石田退三氏は旧勲一等瑞宝章(瑞宝大綬章)を授与されている。ご遺族が故人の意思を継いで、戒名だけの墓誌を作られたと思う。頭が下がる。さすがに倒産寸前のトヨタを立て直した大番頭に相応しい墓誌である。

 

故人に院号を頂く

 現在、父の五男に当たる小田五郎に戒名に院号が付いていないので、今回の墓誌を新設するにあたり、英霊への後供養として院号を付けて頂くことにした。夫を亡くし二人の子供が戦死をした当時、祖母は院号を付ける経済的余裕がなかったと思わる。当初、祖父小田成健の戒名にも院号がなく、叔父が祖母の亡くなった時に、祖母と一緒に院号を付けてもらった。

 戒名とは引導をされる僧侶が弟子にするために授ける名前である。院号とは贈り名とも言われ人の死後にその徳を称えて贈る称号である。業績のある方のためにお寺を建てると同じように、亡くなられた方の心の中にお寺を建て、来世の名前を戒名として授け佛として修行をしてくださいと供養する意味である。

 院号はお金を出せば付けてもらえるものでもなく、相応の功徳ことがないと付けてもらえないという。お寺によっては、いくらお金を積んでも付けてもらえないという。

 私の叔父の小田五郎さんはビルマで昭和19年に戦死された英霊であり、「戰勲至誠居士」と立派な戒名が付けられている。至誠とは吉田松陰が好んで説いた『孟子』離婁上の言葉である。今回、お寺さんのご意向で、「護國院戰勲至誠居士」との立派な院号を付けていただくご縁を頂いた。

 

戒名の意味

 この世でいくら金を貯めても、どれだけ贅沢をしても、此の世に残せるのは、戒名と院号だけである。何もあの世に持って逝けない。自分のために金を使えば使うほど、それは毒となって己の体を蝕ばみ、病気になって早死にするのがオチである。因果応報とはよく言ったものだ。

 それよりも生きている間に、受けた恩に骨を砕いてでも感謝すべきなのだ。生きている間に、世に貢献して旅立ちたいという念を新たにした。

 院号についても今ままではあやふやな知識で、今回初めて詳細な知識を得ることが出来た。人生知らないことばかりである。

Photo_2 馬場恵峰書

          『志天王が観る世界』p176

  

2021-07-18   久志能幾研究所通信 2093  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年7月17日 (土)

自然に学ぶ

 

 四季の自然のうつろいの中様々に学び気付く事多し。ふと見ればはきだめに南瓜の芽がいくつも出て、せい高あわだち草が菜の花畑のように泥沼からは蓮の花が咲き、可憐さ華麗言葉を失う。それらの自然の存在に気付く時、自然はこの事以外においても野菜果実等々物を造り育てる名人で、その物を最大限に活かすのが人間である。人間皆それぞれすばらしい種子あり。明日、否、今どんな何とした花が咲くか貴重な宝を人間持っている。

 何事も縁を活かし、勇気出して新しい自分の道を進もう。「そのうちそのうちって・・・・」「いや今のうち、今でしょう」そのうちと言いわけは言い訳に結ばぬ。人生チャンスは二度なしの受けとめ、今そこからです。耳で見て、目で聞く、心眼を開いて行きましょう。智学び仁もって人の道守り勇気出して、大切なあなたの人生、私の生涯明日を念じ今大切にと有縁を活かす。

 偶然の出会いに不思議なつながりを覚え深いかかわりのあることを知ることが縁を知ることなのである。縁を知らない者に花の咲きようがない。

 縁を恩として受け止める時、実が稔る。いい縁ばかりが存在するものでもない。善悪有縁の歩みは何事も自らの心身の中にあり。結果いずれも因果は自身の自然のはからい也。

 自分を深く知り、自ら襟を正しく生きよう。一歩また一日人間誰でもいつかは親になり人生を歩み行かねばならぬ。両親の家庭での躾とそれぞれの先生の教えをしっかりと身につけて身につけて身をつつしみ、勉強に力を入れるのが子供としての義務である。

  馬場恵峰書『百m巻物』より 

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 馬場恵峰書『百m巻物』  日中文化資料館蔵  2014年4月17日撮影

 

ご縁との遭遇

 恵峰先生との出会いは偶然である。恵峰師との出会いの縁、恵峰先生の言葉との出会いの縁、百メートル巻物とのご縁、それを撮影できるご縁に不思議なつながりを覚える。この百メートル巻物とのご縁も、中部地区から長崎まで行かないと手に入らなかった。当初は、長崎まで800キロの旅は飛行機を一月前に予約しての大仕事であった。それがいつしか月に一度の九州行きになってしまった。縁ありて実を結んだのだ。

 

2021-07-17   久志能幾研究所通信 2092  小田泰仙

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2021年7月16日 (金)

蓮華の模様

 

 2015年に再建したお墓つくりで最後まで悩んだのが蓮華の模様の有無である。簡素に華美に走らずの基本方針で、お墓つくりを進めたが、蓮華の模様をつけるかどうかで最後まで悩んでしまった。最初は蓮華の模様無しで進めたが、親戚の助言や蓮華の意味を考えて、伏せ蓮華の模様を付ける事に変更した。受け蓮華だと結構目立つのだが、伏せ蓮華ならそんなにも華美とは見えないことを確認して決断した。ご先祖供養としての気持ちとして伏せ蓮華の模様も許されると判断した。

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 伏せ蓮華の模様 字は馬場恵峰先生の揮毫

 

蓮の世界

 蓮華とは蓮の花のことで、蓮は仏教の世界で最高の花である。蓮の花は泥の沼の中に美しく咲く。それに対してワサビは清純な山の中の清流の中に咲く。人間社会の中で正義を貫きすぎると自身はワサビの存在となってしまう。正義とは狭義な存在である。神仏の身でない人間は、清濁併せ呑む大きな度量が必要である。清らかな環境で育って清純な心を持っても、人としてワサビの存在になっては佛になれまい。それを仏教は蓮華の花で教えている。

 お釈迦様は世間と断絶したお寺で修行をされたわけではない。俗世間の泥にまみれた中で修行をされた。

 

人は泥沼の人間社会の中で、いかに美しい華を人生で咲かせるかが問われる。回りが泥だらけでも、自分の心をいかに清らかにするかである。

 

 蓮(LOTUS)は、古代エジプト、インド、ギリシャ、ローマの神殿にもさりげなく彫刻されている。西洋でも高貴な花として認められている。ギリシャ神話では、その実を食べると現世の苦悩を忘れるとされた。ギリシャ神話の世界では、神の世界にも現世の苦悩があるとされ、生々しい神の恋愛話や武勇伝が神話を彩っている。

 私も2010年、2011年とローマやシシリア島に20日間の旅行をしたが、当時はそんな意識が無いので、目に入らなかったが、写真で神殿等を見ると確かにLOTUSの模様がある建築物が多くある。

 2017年にウィーン楽友協会の黄金ホールを訪問した時は、目を凝らして探したので、あちこちにLOTUSの模様があることを発見した。

P1010063s ウィーン楽友協会の黄金ホールで

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  馬場恵峰書『百m巻物』  日中文化資料館蔵  2014年4月17日撮影

     志天王が観る世界 p174

2021-07-16   久志能幾研究所通信 2091  小田泰仙

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2021年7月15日 (木)

御本尊様の納佛

 

 2014年末に家のリフォームも完成した。その折、仏壇に納めるご本尊の釈迦如来像(白檀)を明慶先生に特別に製作をお願いし、2015年2月23日に納佛して頂いた。明慶先生は高野山からの依頼の中門の四天王像を製作が終わったところである。明慶先生がそのことを回想して、仏師として一番油の乗り切った時に、高野山からその依頼が来たことは佛縁であったという。私にとっても、その時期に明慶先生にご本尊の製作をお願いできたのは有難い佛縁であった。

 その過程で、昨年(2014年)が母23回忌、父13回忌であることに気づき、大慌てで法事の準備を始めた。昨年は諸般の事情が多く、法事の件を欠念していた。3月3日、菩提寺の職様に開眼法要をして頂いた後、両親の法要を執り行った。菩提寺が井伊直政公の菩提寺というのが何かのご縁である。

 

日暮れて道遠し

 法事には当初7名の方が参列予定であったが、直前に確認すると入院、病気、車椅子生活のため2名のみと激減の法事となった。思えば母が亡くなって23年、父が亡くなって13年が経ち、両親の同世代の親戚が床に伏すか鬼門に入るのも必然である。今回参列いただけるのは、私と同世代である従兄弟の2名である。その従兄弟と話をしていて、今回が最後の法事になるようだという。彼も昨年に法事を計画したが、姉が入院したため法事を中止したという。歳月は人を待たず無常である。次は己の番である。それまでには、やるべきことをやり遂げたい。両親の法事が命の有限さを教えてくれた。日暮れて道遠し、道を急ごう。

 

お釈迦様の入滅

 お釈迦様は悲しむ弟子達、鳥、動物達に囲まれ、眠るが如く涅槃されたという。お釈迦様はあの世があるともないとも仰らなかった。ただ精進せよとだけ言い残された。

 お釈迦様は死ぬまで托鉢をされ(乞食)、必要な時、必要なものを、必要なだけ托鉢で頂いてくる修行を続けておられた。まるでトヨタ生産方式である。教祖様として最期まで精進を続けて、その結果としての穏やかな死は、仏教と言う教えの背景となっている。争わず、比べず、足るを知り、己の魂と対話をして、自然と民衆と共生する生きかたである。立って半畳、寝て1畳、食べて1合である。それ以上にあれば病気になる。人は裸で生まれて裸で死んでいく。

 

他山の異士

 2014年末、隣国の大財閥サムスンのドンが急性心筋梗塞で倒れ、相続争いで長男と長女が裁判で争うという醜態を見せている。ドンは意識もなく会話もままならぬ病状で7年間も過ぎ、2020年10月に死亡した。遺産が4兆円とも言われる。いくら財産があっても、倒れてからは使えず、昏睡状態を7年間も続けた。何のために汗水たらして稼いだのか。その相続税の支払いで財閥が危なくなるとも噂された。その後継者は汚職の罪で収監された。巨大財閥が国の財を独り占めにして、庶民は貧富の格差に喘ぎ、その結果として世界第三位の自殺大国に陥っている。この佛様は良き反面狂師役として、やってはいけないことを演じている。ありがたい曼荼羅の教えである。

 お釈迦様とサムスンのドンの事例を比較すると、自分の「人生という本」の最期の頁をどう記述するかを考える上で、良き師の教えとなる。反面狂師は、自分の心を照らす「他山の異士」である。

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 松本明慶大仏師作 釈迦如来坐像

 

2021-07-15   久志能幾研究所通信 2090  小田泰仙

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2021年7月14日 (水)

極楽橋を渡ったら

 

 高野山開創1200年法要(2015年4月2日)の2日前の3月31日、高野山に出かけた。高野山は正月準備の12月30日のような状況で、境内のあちこちで掃除と準備作業等で騒然としていた。50年前の開創1150年法要では、50日間に47万人が訪れたという。今回の法要では30万人が来訪すると推定されていた。

 

金はあっても

 開創1200年法要の事前の参拝で良かったが、それでも平常より参拝者が多く、食堂が少ないため、昼食にありつけなかった。食堂に入り席には着いたが、多くの店員が走り回っていたが、我々の席には、待てど叫べど店員が注文を取りに来ない。待つこと10分、諦めて食堂を出た。

 高野山の極楽橋駅を渡ってしまえば、お金をいくら持っていても使えない。お金を使うのも楽しむのも、今のうち生きているうちが高野山の掟である

 現世の極楽橋駅へは往復切符で行けるが、来世の「極楽橋」行きは片道切符で、二度と帰って来られない。何事も今のうちである。

 

極楽橋を渡る前に

 弘法大師が今も修行をされているという「奥の院」にお参りをするため、約1kmの参道を往復した。その参道の両脇に30万基とも言われる墓標が林立している。その墓標の名前を見るたびに、同行の知人と二人して、「はぁ~」、「へぇー」というため息を何回、何十回と発した。日本の1200年前から続く歴史に名を残した有名人の墓標が林立していた。

 それを見て「人はこの世で集めたものでは評価されない」ことを体得した。その多くの墓標を見るたび頭に浮かぶのは、その人がこの世で何をしたか、何を世に与えたかであった。偉人はその業績に相応の墓標で祭られている。それを見てなるほどと納得させられる。後世に残るのは名前だけである。名前を刻む墓石は背景にすぎない。

 自分の死後、人が自分の墓標を見て、どう思うかを考えると、極楽橋を渡る前にやるべきことは何かを考えさせられる。

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再興された中門  四天王は開眼法要前で、白幕で覆われている 2015年3月31日

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中門の後ろに建つ根本大塔  内部は立体曼荼羅となっている

 

Img_47461s  馬場恵峰書

2021-07-14   久志能幾研究所通信 208高野山9  小田泰仙

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2021年7月13日 (火)

大嘘「大本営発表 ワレ太陽発電に勝利セリ」

 

 2021年7月13日の日本経済新聞の第一面、WEB版NHKで「2030年時点で、太陽光発電コストが原発を下回る」という記事が載っていた。現代の大本営である通産省愚劣役人の発表である。それを太陽光利権者に迎合したマスコミに書かせたようだ。

 その試算の前提が狂っている。それを恥ずかしくもなく堂々と発表する神経が狂っている。日本役人とマスコミの劣化の表れである。

 

2021年の試算

政府の委員会が試算した2030年時点での発電コストは、

 太陽光発電コスト 8~11円/kW

  原子力発電コスト 11  円/kW

 洋上発電コスト  26  円/kW

 LNG火力発電コスト 10円台後半から14円台前半

 石炭火力発電コスト  13円台後半から22円台前半

 

 6年前の試算で最も安かった原子力は、安全対策費用が膨らみ、発電コストは1円以上上昇。一方、太陽光は4円程度下がり、最も安くなった。発電コストで太陽光が原子力を下回るのは初めて。

 ただ、太陽光発電は天候による発電量の変動が大きく、実際にはバックアップのために火力発電を確保する必要があるが、その費用は計算に含まれていない。このため、経済産業省は発電以外にかかる全体的なコストについても議論していくとしている。(一部表現を簡潔化)

 NHK webより

 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210712/k10013135341000.html

 

2004年の試算

 同じ政府の試算で2004年には、2030年コストを下記に予想していた。 

             2010年    2030年

 太陽光発電コスト   30.1円 → 12.1~26円/kW

   原子力発電コスト  8.9円/kW→  8.9円/kW

 

 政府の委員会の試算が実にいい加減であることが、17年経って露見した。

 この試算は発電パネルの価格高騰は全く考慮されていない。パネルは中国ウイグル族の奴隷労働と環境破壊で製造されている。中国ウイグル族の奴隷労働が世界的に問題になり、現在、パネル価格は上昇の一途である。日本では、設置コストは環境破壊の関係で上昇の一途である。

 発電パネル材料は中国の戦略物質である。何時、輸出が止められるかも知れない。それはレアメタルが2010年頃、中国が輸出禁止にして、日本に圧力をかけてきたことを通産省の役人は忘れている。太陽光発電パネルは中国から材料を輸入しないと作れないのだ。

 米国政府が中国のウイグル族ジェノサイドで輸入禁止にしたので、パネルの価格が世界的に高騰している。

 太陽光発電は極めて効率が悪い。環境破壊も凄まじい。それが7月3日の熱海市土砂流災害で露見した。国土の環境を破壊して、特定の業者だけ儲かるビジネスモデルは崩壊したのだ。

 

 我々は80年前の行け行けドンドンの大本営発表で、塗炭の苦しみを味わった。今の政府も、その太鼓持ちのマスコミも何ら体質が変わっていない。心して大本営発表を観察しよう。天下のNHKや日経新聞が信用できない。記事内容の真偽を疑わないと自分の命が危ないのだ。それに騙されて太陽発電設備を自宅に導入すると大変なことになる。山地に太陽光発電設備を導入すると、環境が破壊され、大災害発生の危険がある。それが7月3日の熱海の土砂崩れ事故で証明された。

 

2021-07-13   久志能幾研究所通信 2088  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年7月12日 (月)

私の人生商売道 13則

正しく稼ぐ金は美しい。その銭には汗と血の匂いがある。

 

1 人生で売るべきものは自分

 だからこそ、商品としての自分を磨け。

 自分という商品は生鮮食品である。油断するとすぐ腐ってくる。

 新陳代謝(学び)を心がけよ。

 

2 商品としての自分の健康が第一

  商品の大前提が、死んでもいいから健康管理最優先である。

  命の安全が最優先である。

  危機意識、危機管理対応の薄い人との商売を避けよ。

  病気になっては商売もできぬ。

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3 人生商売は命の物々交換

  時間は命。人と1時間面会するとは、相手の命の1時間を頂いているのだ。それに見合った人生商売をせよ。

 

4 商品にこだわりあり

 私は自分という商品にこだわり以上の「オダわり」を持っている。

 「オダわり」には、頭の汗が流れている。

 その商品が、相手の一部となり、人生の助けとなる。

 付加価値を高める意思がある人と商売をせよ。

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5 上品を売れ

  売る商品は上品を旨とせよ。商品に自分の人格が現れる。

  モノを買うとは自分を買うこと。ものを売るとは自分を売ること。

  下品と付き合うと、自分も下品になる。

  上品な人は全て人生の師。老若男女を論ずる事なかれ。

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6 目先の仕事に全力投球。カンバン人生

  過去は歴史の墓標。未だ来ぬ未来は蜃気楼。

  いま、ここ。目先のカンバンこそ現実、それを大事にせよ。

  トヨタ生産方式では、カンバンが一番大事。

  人生のカンバンを疎かにすると人生工場ラインが止まる。

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7 人生工場ラインの失敗は勉強代。

  失敗やクレームにお宝が埋まっている。

  失敗大歓迎。そこから智慧を稼げ。

 

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  耳中常聞逆耳之言  馬場恵峰書

 

8 人生は浪花節。ご縁と信用が第一

   情けは人のためならず。

 

 「ビジネスは壊れやすい花瓶に似ている。

  無傷であればこそ美しいが、一度割れると二度と元の形には戻らない。」

    Business is like a fragile vase - beautiful in one piece, but once broken, damn hard to put back together again to its original form.              “Letters of a businessman to his son" by G.KINGSLEY WARD

 キングスレイ・ウォード氏著『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』(城山三郎訳 新潮社刊1987年)

 

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9 仕事の疲れは仕事で取れ。仕事を趣味とせよ。

  仕事はやればやるだけ面白くなる。

  遊びはやればやるほど、地獄になる。

  仕事は世のため人のための奉仕活動である。

 

10 雨が降ったら傘をさせ。

  人生は塞翁が馬。雨も降れば晴れもある。

  宇宙根源の理に逆らわない。

    雨が降ったら傘で儲ける人もいる。

 

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11 商売の鉄則は納期厳守

  自分の命の納期を意識して商売をせよ。

  ご縁は偶然、死は必然。

  どんな商売もご縁で始まり、死で終わる。

  命は人を待ってはくれない。人の明日は分からない。

  今日会うのが一期一会、人生最後と思って対処せよ。

 

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12 夢なき商売するなかれ

  一生かかっても実現できない夢を見ながら人生商売を続けよう。

  棒ほど願って針ほど叶う。

 

13 商売の終わりは感謝で終わる

  「ありがとう」と言う商売に破産はない。

 

 

2021-07-12   久志能幾研究所通信 2087  小田泰仙

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