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2021年2月

2021年2月17日 (水)

ウサギを追いかける虎を演じよう (磨墨知138)

 

 ウサギを追う虎のように、獲物を追いかける時は全身全霊をかけて追いかけよう。油断をして中途半端にやるからチャンスを逃す。獲物とは、獲物そのモノだけでなく、人生のご縁のめぐり逢いもチャンスである。

 その時は、相手から「そこまでやってくれるのか」と涙を流して喜ばれるくらいに相手に精力を投入しよう。

 藤吉郎は織田信長の下足番の時、信長の草履を懐で温めた。だから天下を取れた。

 桶狭間の戦いで、織田信長は今川義元の居場所を通報した家来に法外な褒美を与えた。チャンスは情報が運んでくれる。情報も獲物である。核心の情報を全力で追いかけよう。

 

チャンスの女神の後頭は禿

 そんなことで全精力を使うより、虎視眈々とチャンスを待っていて捉まえた方が楽である。そのチャンスをチャンスとして認識する能力こそが智慧である。その能力を磨くのも人生を生きる力である。それがない人間は、生ける屍である。

 いつ死んでも後悔しないくらいに完全燃焼するエネルギーをチャンスに投入しよう。そうすれば仏様が、次のご縁を与えてくれる。そう私は信じて生きてきた。

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    馬場恵峰書

 

 上記の色紙を最初に見た時、欲しいなと思ったが、何故か躊躇して手が出なかった。後日、この色紙を探したが、見つからなかった。恵峰先生もどこにやったか記憶がないという。現在、所有者不明である。

 チャンスとの出会いは一瞬、一期一会である。もう一枚書いてもらえばよかったのだが、今となってはそれも叶わぬ。チャンスの大事さを教えてくれた色紙である。

 それ以来、欲しいと思ったら、即実行である。勢いが余って、昨年、第二の家まで買ってしまった。目の玉が飛び出るくらい高かったが、一年経った今、冷静に考えても正しい行動だと思い、後悔はしていない。もう後がないのだ。

 

2021-02-17 久志能幾研究所通信 1924 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年2月16日 (火)

「死を経営する」 滅望のための死の準備 

 

 死ぬ前に、あれもやりたかった、これもやりたかったのにと、本当の願望を滅するために(滅望)、還暦を過ぎたら死の準備をしよう。死を前に絶望するには相応の準備が必要だ。死は人生最大の行事である。そのうち手が震え、頭がボケてきて、その準備ができなくなる。今からでも遅くない。頭と手足が動くうちに死の準備をしよう。死の準備をするとは、生を全うすること。最大限に生きること。準備不足の後悔の中で死にたくはない。死のプロジェクトを経営して世に貢献して死にたい。

 生は偶然だが、死は必然である。私が65歳の時、中学の同窓生の2割が他界していた。

 

死を経営しよう

 死にあたり、持てる資源を最大限活用して、逝こう。持てる資源を死蔵したまま死んでは、その資源が可哀そうだ。その資源にも魂が籠っている。

 経営とは持てる資源を最大限に活用して、世のために働くこと。自分の持てる資源を使い切って死のう。それが人生の経営であり、死を経営することだ。

 サムソンの総帥のように、72歳に倒れ、6年間も意識不明となり、数兆円の財産を残して死んでも、人生の経営がうまくいったとは言えまい。

 自分の死から産む付加価値を考えよう。そうすれば死が有意義になる。そうすればおちおち、死んでなんかいられなくなる?

 自分のためだけの金儲けは経営ではない。それは拝金主義者の餓鬼の行動。

 地位名誉に長年縛られていて、それが解放された途端に死んでは、何のために生きたのか。それは地位名誉の奴隷である。

 

死の戦略を立てよう

 人生とは限られた時間だ。あれもやりたい、これもやりたいでは時間が足りない。「何をやらないか(略)」を明確にしよう。それがないから、人生最後で後悔をする。死は突然やってくる。その時は従容として死のう。死ぬ時は死ぬのが世のためだ。それを寝たきりで生き永らえるから家族を不幸にする。

 

成仏しよう

 死ぬことが成仏ではない。此の世で佛になることが成仏である。多くの人はそれが出来ないから、死んで成仏する。できれば生前に成仏してから、旅立とう。だからその修行が大変なのだ。佛のようになれないから、なかなか死ぬわけにいかない。

 

いい人を止めよう

 あるがままに生きよう。恰好を付けるから疲れる。

 

戒名

 私は癌を患い覚悟をして2年前に戒名を導師から授かった。

 葬式の時に付ける戒名は、応急処置である。本来、生前に導師と相談して授かるのが正規である。私はその戒名を墓誌に彫り朱を塗った。準備万端である。

 戒名とは戒めの名前である。本名は、両親がこうあって欲しいと名付けたが、実際はそうでない生き方をしてしまった。あの世で、此の世では実現できなかった己の生きざまを目標として名付けたのが戒名である。生前から、あの世での生きざまを背負って生きて行けば、あの世の事前練習ができて、実際にあの世に行った時に楽である。

 

お墓

 人並みにお墓くらい準備をしよう。ハカない人生ではつまらない。墓がないと親戚から笑われる。

 自家のお墓は、耐震構造とした。デザインにもこだわってすっきりした形状にした。メンテナンスフリーで雑草が生えないようにもした。後の人のことを思ってのこと。

 

遺言

 癌の手術前に、遺品の遺言状も作成した。

 大事なものさえ押さえれば、後は野となれ山となれである。

 

遺品の整理

 人生は山を登るようにモノを集める。山を下るときは、少しづつ荷物を降ろしていこう。モノを持ち過ぎていると、着陸時に衝撃が大きい。

 

会いたい人にお別れを

 自分よりも相手の命がいつまでもあるわけではない。便りがないと思っていたら、新型コロナで死んでいたとう話が多い。

 新型コロナで外出を控えていたら、馬場三根子先生も馬場恵峰先生も亡くなられてしまった。

 その人はソウルメートかどうか、自問しよう。それで人間関係の真偽が見える。新型コロナと私の癌で、真の知人かどうかが識別された。

 

行けるときに行きたい場所に行く

 新型コロナで、行きたい海外も行けなくなった。良い時にウィーンに行って良かった。今ではとても行ける状態ではない。

 

立派に死ぬために、直前まで健康でありたい

 そのためにオダ佛教健康読本の執筆が忙しい。

 最後の1か月程は致し方ないが、それまでは健康で現役で頑張りたい。

 そのお手本が馬場恵峰先生であった。

 

やりたいことはやってしまう、買えるものは買おう

 やれなかったのではない。やらなかっただけ。やりたいことをやれば、それでツキモノが落ちる。

 私も前から欲しかったレクサスを買って、ツキモノが落ちた。買ってみれば、ああこんなものか、今までの憧れは何だったんだ、という気になった。

 そのうち金があっても買えなくなる。

 

美味しいものは食べておく

 そのうち病気になり、食べたいものも食べられなくなる。

 私も癌の手術をしてからたべられなくなった。

 

幸福度を最高に上げておく

 欲望が大きすぎると、幸福度が上がらない。

延命治療拒否を文書にしておく

 植物人間で生き永らえても、社会に迷惑をかける。

 

縁なき衆生とは縁を切っておく

 財産がある衆生に限って、生きざまが汚い。早めに縁を切ろう。

 

豊かな気持ちで逝けるように、身の回りは整理整頓

 不要なモノを整理して、良いものに囲まれ幸せになろう。

 

人生の最終チェックをするため、年に一度は山にこもる

 山ごもりはホテルでもよい。頭の整理ができる。

 人生をまとめる必要はない。整理すれば、自ずと答えが出る。

 何ごとも最終確認は必要だ。何が死の準備で未完は何かを確認しよう。

 

できるなら、自分が生きた証を残しておこう

 私は本の出版とブログの掲載である。

 ブロブも私が死んだらそのアカウントが消えるので、出版を計画している。

 

あの世で会う人を計画しよう。

 死が楽しく、怖くなくなる。あの世でならアインシュタインにも会えるだろう。松下幸之助さんにも会えるだろう。で、何を話すのか、今から計画しよう。その想定対談集を死ぬまでに書こう。

039a34431s  馬場恵峰書

2021-02-16   久志能幾研究所通信 1923 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年2月15日 (月)

2%の実務のために98%の雑用が必要 (磨墨知136)

 

 自分の時間の中には,自分では制御不能な活動時間があることを認識して,それについては悔やまない。その値をいかに小さくするかが知恵の出しどころである。98%の雑用をこなす能力が人生を変える。ヤブ用を雑にするから雑用だ。それを本腰を入れて取り組めば、それが修行になる。

 

 日の丸ロケットの打ち上げプロジェクトでも、漁業権との交渉、用地買収、政府との予算交渉等で、その98%の労力が打ち上げ以外の雑用に費やされる。(糸川博士談)

 

 プロジェクトの完成は、人生そのものである。しかしその喜びは一瞬である。その前に98%を占める忸怩たる長い試練を経ないと、プロジェクトの完成はない。ロケット打ち上げでも、純粋な技術面の苦労は2%だけである。

 私も前職で通産省管轄の超先端技術開発のプロジェクトに携わったが、そこで問われたのは、国への説明資料、予算取り、そのエビデンス作り等で、実際の技術面の仕事は2%ほどでしかなかった。しかし、その開発する技術が国へ説明ができないと予算も取れない。

 

人間力

 人生の道を歩むのに必要な力は、98%は人間力である。その人間力の基礎は、仁義礼智信であり、それは広い芸の修行の世界から生まれる。糸川博士が単に頭がよかっただけではない。博士は知識偏重の頭でっかちのエリートではなかった。

 人の痛みの理解、義理を重んじ、礼を忘れず、智慧を出し、信用を蓄積しないと、人生のロケットは打ち上げ上げられない。糸川博士は趣味の世界は多彩を極める。それが糸川博士の人間力を育てた元であった。

 

 糸川博士はバレエ・占星術・チェロ・ヴァイオリンなど様々なことに興味を持った。60歳の時、貝谷バレエ團に入団した。小中では科学工作を、中学ではシェークスピア・ギリシア哲学・演劇に熱中した。ヴァイオリンの研究も行い、ヴァイオリン1挺を約半世紀掛けて作った。高校でチェロを始め、就職するときに太田に持参した。戦後は松下修也に、約50年間に亘り学んだ。レッスンは月2回であった。中島飛行機時代にはゴルフも習得している。

 この項、wikipedaより編集

 

国・都市の打ち上げ

 これはロケット打ち上げだけの話ではない。一つの仕事の方向付け、政治の世界でその国、都市の未来をどういう方向に打ち上げるかも同じである。東大を出て記憶力だけが優秀でも、その他の面で教養がないと下品な拝金主義、利権主義、権威主義の政治となってしまう。今の日本の政治がそれに値する。与党、野党とも、とても品があるとは思えない。それではその国、都市は衰退である。大垣が衰退したのは、その面の影響も多きいと私は思う。

Dsc002361s  馬場恵峰書 

2021-02-15   久志能幾研究所通信 1922  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年2月14日 (日)

人の嘲りを恥じない (磨墨知129)

   

 「一事を成さんと思わば、他の事は破るるともいたむべからず。人の嘲りを恥ずべからず。万事にえかへずしては、一の大事成るべからず。」(徒然草)

 

 時間を創りたければ、世間体を気にするな。時間を創れば、願望が成就する。その時間を創らないから、世間の雑用に流されて、本願を挫折するのだ。命は一刻一刻と尽きていく。やるべきことを成就させずに、死ぬわけにはいかない。人の生は偶然だが、死は必然である。

 

明日は死

 明日、新型コロナに罹り、隔離病棟に「監禁」され、死亡すればそのまま火葬場直行である。新型コロナに罹る人の多くは、狂った生活をしており、明日のことなどには考えも及ばないようだ。新型コロナが原因で死亡すれば、家族の最後のお別れさえ許されない。

 還暦を10年も過ぎれば、いつお迎えが来てもおかしくない。私の中学の同窓会の時(65歳)、2割の仲間が既に他界していて愕然とした。明日の死も20年後の死も、長い人生から言えば、誤差範囲である。人の死は必然なのだ。

 

微差でも長い年月で大きな差

 人から「変わっている」と思われるくらいでちょうどいい。人と同じことをしていては、人よりも時間が創れないし、創造的価値が残せない。

 人と2割も人と変わっていると、社会から拒絶される。人から嘲られようとも、人と1%だけ少しだけ変わっていればよい。人よりも1%の差を出すことを心がけて、それを50年間継続すれば、大きな差となる。

 会社の合併の場合でも、1%でも資本比率が多い方が、人事権を握り、その会社を支配できる。私はそれで泣きを見た。前職の会社の経営陣が、並みのことしか決断できず、他社と違う付加価値を生みだせなかったから、会社を消滅させた。

 

明日世界が終わるとしたら

 「自分は一体何をやりたいのだ」と自問しよう。明日世界が終わるとしら、自分は今日、何をやるのだ?」と自問しよう。

 やりたいことが明確になったら、そのために別のことを省略しよう。それが戦略だ。人生で「あれもやりたい、これもやりたい」では、時間制限で破綻である。人生の総量(時間)は決まっている。死は確実に来ることが決まっている。だからこそ、人の嘲りを恥じないで、死ぬまでにやりたいことをやろう。

 

無為の死

 新型コロナで、外出せず、家でじっと無為に時間を過ごすとは、命を無為に削っている。時間は命なのだ。一刻一刻と命は尽きていく。何も付加価値を生まない時間を過ごせば、それは脳死である。

 だから魚釣りなどに行っている暇はない。温泉に行っている暇もない。その行為で自分の人生に何の価値を産むのか考えよう。パチンコ、赤ちょうちん、愚劣番組やワイドショーの視聴も禁止。それこそ脳死の原因である。ゴシップ週刊誌も禁止である。スマホも意識しないと膨大な時間浪費源となっている。用もないのに買い物に行ってはならない。展覧会のお誘いも、それが自分のこれからの人生で付加価値が生まれるか否かを考えて出かけよう。

 そんな俗世間の些細なことは破るるに限る。

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2021-02-14   久志能幾研究所通信 1921  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

狂おう (磨墨知127)

 

「人間は本質的に狂の部分を持っている。

 狂っている時が一番正常で健全だ」

   ギリシャの哲学者セネカ

 

 狂は純粋なのだ。純粋だからこそ成果がでる。正しい事なら狂って邁進しよう。

 私は学生時代はがり勉で狂い、会社時代は仕事に狂い、今は物書きに狂っている。 

 革命は狂から発する。吉田松陰も狂っているとしか思えない行動を取り、それが明治維新の礎となった。吉田松陰も心情は限りなく純粋であった。

 ことを成した人は、みんな変人、狂人と呼ばれた。発明王のエジソンも、日本の発明王の豊田佐吉も当初は狂人と呼ばれた。

 

飲む打つ買うの狂気

 女に狂い、博打に狂い、競馬に狂い、ゲームに狂い、美食に狂うことが、人間の性である。しかしその狂いでは、目が覚めた時、虚しさが襲ってくる。飲む打つ買うために情熱は、永年には続かない。短期間でそれに満足する神経が麻痺してしまう。人間は生老病死で、そんな体力も金も気力を続かない。せいぜい数年間だけだ。

 続かない原因は、それが利己の行動であるからだ。しかしその狂う行動が、利他の行為なら、死ぬまで続けることが出来る。人は与えられるより、与えた方が幸せである。

 

利他の狂気

 その典型が、神や仏に仕える宗教家である。だから迫害を受けても、拷問をされても、磔にされてもその神仏への帰依心を曲げない。凡人から見れば、狂っているとさえ思われる。だから利他の精神で行う修行は、永遠である。

 私も大垣市政の冷静な批判を、「狂ったように」ブログで3年に亘って展開したが、その志は、大垣を良くしようという利他の心があったからだ。それがなければ、「狂気」に思える私のブログは続かない。

 

利己の狂気

 これが中国や香港、北朝鮮の共産主義国家なら、即逮捕で死刑にされてしまうかもしれないが、日本ではそうでないことを喜ぼう。その自由主義体制の維持のため、異常な政治にはきちんと批判しなと、為政者のやりたい放題となってしまう。そうして、税金は高くなり、自分の財産が目減りして、私達の生活が脅かされる。それがこの20年間の大垣であった。

 

アメリカの狂気

 アメリカも中国からの金(推定)でマスコミやフェイスブック等が汚染されていると推定される。トランプ元大統領のアカウントを停止させるのは、言論統制である。自由の国のアメリカで、狂気である。それがまかり通るアメリカに成り下がった。アメリカのマスコミは(中国からの金と推定)狂っているとしか思えない報道ぶりである。

 日本のマスコミも同じレベルであるようだ。皆で異常な政治には声を出そう。声を出さなければ、中国の陰の勢力に流されてしまう。

 

2021-02-13   久志能幾研究所通信 1920  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年2月12日 (金)

自燃する vs 燃えない大垣市長 (磨墨知126)

 

 人間は燃えているときに仏性を持つ。醒めた人間は悪魔のささやきに耳を傾け、悪魔に魂を売る。燃える情熱が時間と障害の壁を打ち破る。仏性は無限の時間を有する。燃える人には夢がある。燃える人間は、鬼神をも退けるのだ。

 新型コロナで神経質な妻から外出禁止令で、自宅に幽閉されると、燃えずくすぶり、その煙たさで認知症にまっしぐらである。燃えない人間と付き合ってもつまらない。そんな人間は、人生負のスパイラル降下である。

 燃える人間には生きる力があり、活力があり、免疫力があり、コロナを寄せ付けない。人生を拓くために、自分が燃えて、回りを巻き込み、上昇気流を発生させよう。だれも己のために上昇気流など作ってくれない。自燃とは自力本願である。

 

大垣の例

 東大出の卒業証書を貰うことが目的では、大学を卒業した時点で、人生の夢つくりを終わっている。大学卒業で燃え尽きである。そんなエリートと呼ばれる輩では、それではとても大きな仕事はできない。知識偏重で、創造的な仕事はできず、現状維持第一主義である。PDCAなどご法度である。何もしなければ安泰だ。それがこの20年間の大垣だ。エリートの立場では、挑戦はご法度なのだ。失敗でもすれば、経歴に傷がつくから、してはならないのだ。

 

エリートの詭弁

 2021年2月10日の小川敏引退の弁で「やり残したこととして、大垣駅前のリニューアル」を上げたが、やり残したのではなく、やる気がなく、やらなかったのだ。それも意図をもってやらなかったのだ。時間は20年間もあったのだ。

 やる必要もなかった121億円かけた県下一豪華な新市庁舎は早々に完成させている。それもオリンピックで資材が高騰している時期に、である。いつも節約節約といっていることと真逆である。

 市長の情熱ある鶴の一声で、何でもできるのに、大垣駅前のリニューアルなどやる気がなく、やらなかった。それを「やり残した」とはエリート臭の匂う詭弁である。そんなレベルの市長だから大垣は没落した。 

 

大垣衰退の歴史

 この激変の20年間、回りの環境は激変して、他市は大きく成長している。大垣はこの20年間、経済成長率マイナス1%であった。大垣の公示地価は半値以下に暴落し、この20年間で年率マイナス2.5%の成長である。商店街がシャッターを下ろす速度は、年率マイナス3%で、2001年当時、シャッターをおろしていたお店は20%ほどであったが、2021年現在、80%のお店がシャッターを下ろした。当時の見る影もない。

 アメリカの経済成長率3%、欧州は2%、日本は1%、大垣はマイナス1%である。エリートと呼ばれた市長の減点主義で、投資をせず、ケチケチで当たり障りのない政策が、大垣を衰退させた。燃えない市長が大垣没落の原因であった。

Img_64121s   馬場恵峰書

2021-02-12 久志能幾研究所通信 1919  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年2月11日 (木)

大垣の南北戦争、スカーレットを演ず(磨墨知130)

 

Gone With the Wind

 I’ll think of it all tomorrow, at Tara. I can stand it then.

  Tomorrow, I’ll think of some way to get him back, After all.

  Tomorrow is another day.

   マーガレット・ミッチェル著『風と共に去りぬ』より

 

 過ぎた事を悔やんでも時間はもどってこない。未来は変えられないが、過去の解釈を変えれば、未来を変えることが出来る。過去の困難な試練は、自分を鍛えてくれた修行の期間であった。それがあったから、自分は成長できた。

 再度、自分の愛する熱情を取り戻すために、決意を持って考えよう。信念を持って実行すれば、悔いは残らない。明日は明日の風が吹く。信念をもってやったから、明日には新しい風が吹く。一つの時代が終わった。過去の負の時代は、一つの時代が去るように、風と共に去っていく。

 具体的に動いたから、具体的な答えが出た。

 だからこそ、次の目標に向かって、明日からではなく、今から明日の風を吹かせる行動を起こそう。人生二度なし、一路挑戦一生青春。明日の風は、自分が取り組む挑戦から生まれる。

 

タラに吹く風

 休みたまえ、休んだ大地からは豊かな収穫を得る。身をのどかにして、心を安んじ、夢を養おう。良き休息から、新しい発想と勇気が生まれる。

 体を労わり、生涯現役を目指そう。貴方のタラは何処? 故郷が貴方に癒しの時間をくれる。

 

大垣の南北戦争

 2021年2月10日、大垣市長の小川敏が、次期市長選への不出場を表明した。これで大垣の南北戦争が終りを告げた。米国の南北戦争は、奴隷解放という時代の流れを錦の御旗として戦った。Gone With the Windは、南北戦争で当時絶頂にあった米国南部白人たちの貴族文化社会が消え、風のように「去った」ことを意味する。

 大垣の南北戦争は、古い政治に対して、正論の「大垣を良くする階」との闘いであった。その議論の最前線は、古典的で利権的な政治の横行に対して、一段階の上の道徳・倫理上での問いかけであった。また危機管理と経済政策の是非を問うた。

 その闘いは、小川敏の引退で「子人(ことな)の政治」から「大人の政治」への脱皮が始り、大垣の古い政治は、Gone With the Wind である。古い政治屋が、利権を貪れた古き良き時代は、風と共に去りぬ。大垣の20年間に及ぶ暗い冬の時代が終わり、大垣の再生が始る。米国が南北戦争後に大発展したように、今後の大垣の発展が期待される。

 時を同じくして、東京でも古い政治屋の森喜朗会長が、時代錯誤の冷話惨念ドタバタ劇を演じている。

Dsc09968s  馬場恵峰書

2021-02-11 久志能幾研究所通信 1918  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年2月10日 (水)

思い上がろう。傲慢ではダメ (磨墨知133)

 

 物事を短時間に達成するとは時間を創ること。人間、思い上がらずして物事は成しえない。思い上がって時間を創ろう。才ある者は思いがあってこそ、その力を十二分に発揮できる。膂力ある者は、わが力優れり思えばこそ胆の底から力が沸き上がってくる。思いあがるには、自分がまだまだ力不足だと自覚しての行動である。晴れ舞台で、一歩間違えれば、奈落の底に落ちることを意識しての思い上がりである。謙虚の上の思い上がりである。

 それに対して、傲慢とは、高ぶって人をあなどり見下す態度である。そこには謙虚さはない。

 

モデルは自分が美しいと思う

 モデルは自分が美しいと思えばこそ、カメラの前やファッションショーの舞台で美しく振る舞い、美くしさが増し、商品としての価値が輝く。

 「私はダメなのよ」と思っていたら、顔と態度にそれが出る。それでは、誰も振り向かない。仕事の出来も芳しいくない。その負の感情の乱れが、脳にブレーキをかける。嘘でもいいから、「私はすごい」と思いあがって仕事をしよう。最初に騙す相手は、自分の脳である。自分の脳を褒め殺しにして騙そう。人を褒め殺しにするのは難しいが、自分自身ならできるはず。自分自身内のもう一人の主人公をおだてて、誰にもできない改革を実現しよう。

 

傲慢行政の例

 しかし思い上がりと、傲慢は違う。逆の状況で立場を例えれば、有名大学を出れば、何事もできて当然と胡坐をかいてしまう。それでは何事も人を見下して物事を進めるので、思いあがらなくても、ことが済んでしまう。だから自己改革という努力をしない。

 エリートは、有名大学を出た50年前の学校成績は良かったが、減点主義に染まった考えのため、思い上がる必要もなく、現状を改革しようという気になれない。エリートは挑戦、変革をしてはダメなのだ。自分の立場が危なくなるからだ。何も事を荒立てなくても、エリートとして崇められているので、現状維持で通せば、自分も安泰、組織も安泰になる。

 しかし昔と違って世の中は激変して進歩している。多くの都市は経済成長している。だから、現状維持では、その都市は相対的に衰退である。だから傲慢行政では没落である。それは公示地価の下落で現れる。20年間で半値以下に暴落させた例もある。公示地価は神の如くの市場の評価である。公示地価は市の行政を評価した通信簿である。

 

歴史の教訓

 歴史的に日本が発展したのは、危機状態や転機の時代であった。その時は、エリートではなく、アウトサイダー的人材が活躍した。明治維新、太平洋戦争の敗戦後、バブル崩壊後の失われた20年間、その激動の時代は、有名大学出のエリートは型に囚われた考えしかできないので、何もできなかった。日本を戦争に導いたのは、硬直した考えに凝り固まった陸軍大学出のエリート達であった。

 バブル崩壊後の失われた20年間を作ったのは財務省東大出のエリート達である。デフレに陥った経済を財政投資で浮揚させるべきなのに、それを緊縮財政にして、金融政策だけに固執して、ますます景気を悪化させた。それも20年間も続ければ、日本が没落して同然である。今回も増税で益々景気を悪くさせている。彼らには古典の経済学しか頭にないのだ。己の利権確保しか考えが及ばない。

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  2018年4月17日 壽年式-ファッションショーにて(大垣城ホールで)

P1140341s  馬場恵峰書

2021-02-10 久志能幾研究所通信 1917  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年2月 9日 (火)

神の逆襲に対して、愚直に思考錯誤 (磨墨知637)

 

 考える行為も人生の生産活動である。試行錯誤するより、その前に思考錯誤して熟慮した方が、時間節約になる。頭の汗をかくことは重労働である。それを放棄するから、人生で時間を無駄にする。

 考えたうえでの行動なら、失敗でも納得できる。それが智慧となる。

 

ダーウィンの法則

 愚かな人間が試行錯誤を繰り返すが、神の手は、一瞬で問題提起と解決を示す。例えば、種が増えすぎ食料が不足すると、神は天災で種を襲い、その種の抵抗力を試す。抵抗力がなければ自然界から淘汰させる。それでその環境に適応した種だけが生き延びる。それこそが、天(神)が示した問題提起とその冷酷な解決方法である。その試練で強いものが生き延びるのではなく、環境に一番適応した種が生き延びる。

 

飽食で免疫力低下?

 今回の新型コロナ禍でも、免疫力が低下していた欧米人が襲われる事態となった。飽食に起因する肥満、疾患に侵された高齢者が標的にされた(推定)。欧米人は、日本人やアジア人と比較して、飽食で肥満になっており、それがウイルスに対する免疫力を低下させたと推定される。日本人の新型コロナの感染率、死亡率は、欧米の1/50~1/100である。

 各国の肥満率と新型コロナでの感染者数、死亡者数には相関関係があるようだ。応力は弱いところに集中する。自然界の理である。要は、欧米人は他の種を食べ過ぎた。天の理に反した狂った食生活を送ってきた。動物の一種である人間が、傲慢になり「理」に合わない生活をした、であった。要は「無理」をした。新型コロナは自然界(天、神)の逆襲である。昔に猛威を振るったペスト、天然痘でも、それが自然の淘汰であった。それでも生き延びた種が今の時代を作った。

 

各国の肥満率

 米国  33.8%

 英国  24.0

 日本   3.9

   OECD Update2012

 

先見の明

 思考錯誤で、考えて考えても答えが見つからなくても、考える行為が人よりも先見の明(智慧)を天は与えてくれる。その答えは天(自然界、時間経過)が示してくれる。せめて、天が答えを教えてくれる前に、人よりも、考えて考えて、時流よりも先んずべし。そうすれば儲かりまっせ。

 人と同じことをしていて、儲かるわけがない。

 拝金主義で暴走して繁栄できるわけがない。

 酒を飲み、飽食をして健康になれるわけがない。

 目に見えない神仏を軽視して幸せになれるわけがない。

 

豊田綱領に曰く

1 上下一致 至誠業務に服し 産業報国の実を挙ぐべし

2 研究と創造に心を致し 常に時流に先んずべし

3 華美を戒め 質実剛健たるべし

5 神仏を尊崇し 報恩感謝の生活を為すべし

 

 下記は神の手に比べて、愚かな私の思考工程である。愚かでも、人生でやり直しの無駄時間を少しでも無くす試みである。

 

1 問題は何かを考える。

   問題と課題を混同しない。

   火事の発生は問題。火事を起こさない体制作りが課題。

   新型コロナ発生は問題。感染爆発が起きない体制作りが課題。

   「いかに生活の糧を得るか」は問題。「如何に死ぬか」が課題。

   自然現象と宇宙の理に合わせて考える。

2 その答えは何かを考える。

   問題の答えと、課題の答えは違う。

   自然界の中に答えがある。

3 その原因(真因)を考える。

   当面の対処療法と根本対策を考える。

   高血圧症に対して降圧剤は対処療法。

   血管内のプラークを減らす取り組みが根本治療。

4 自分の実力で正解を出せるか、無理かを考える。

5 考える時間は3時間を上限として、答えが出なければ保留とする。

  3時間とは、午前中の頭脳労働時間である。3時間考えて分からないことは、一週間考えても答えは出ない。考えても出来ないことをいくら考えても時間の無駄。

時間経過が、答えを出してくれる場合があるので保留。

  当面、根本対策でなくても、一番無難な方法で対処する。

  後日、真因を突き止め、根本対策をする。

 

例えば、「死後の世界は有りな、無しや」を考える。

 この問題の答えは、一日考えても答えが出ない。一生かかっても出ない。自分の能力では答えが出せないことが分かればそれでよい。これは有史2000年間の永遠のテーマである。多くの宗教家が百花繚乱で持論を展開した。それでも未だその答えは分からない。

 そういう場合は、自分なりに何方かに答えを決め打ちして、それに基づいて今を最大に生きる。神仏を信じても、無神論で通しても構わない。今を最大に生きていれば、何らかの答えをサムシンググレートが啓示してくれる。具体的に生きれば、具体的な答えを得る。それが一番無難な方法である。

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 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」

    久志能幾研究所刊

2021-02-09   久志能幾研究所通信 1916  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年2月 8日 (月)

今ここ  師との死別(磨墨知128)

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。波間に浮かぶ泡沫はかつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかとまたかくのごとし。」 方丈記

 だからこそ、今に全力を投入しよう。「そのうち」などは永遠に来ない。それは死後(死語)の世界。「今のうち」しか時間はない。

 惜寸陰歳月不待人、時は人を待ってはくれない。

 

視力の喪失

 還暦を過ぎて国家資格の受験勉強中に、白内障と網膜はく離を患った。2週間ほど左目が失明状態に陥り、今まで見えて当たり前の世界から、見えない世界に追い込まれて、つくづくと今が大切、今のうちしか時間がないと思い知らされた。勉強ができるのも目が見えるうち。生きているうちである。そのうちにやろうと思っても、やれるのは「目の見える今のうち」である。愚かな人間は失って初めてその価値に気づくもの。

 

師力との別れ

 馬場恵峰先生の書の撮影のため、毎月九州に飛んで写真を撮影していたが、新型コロナ禍が広がり、緊急事態宣言が発令され、しばらく静観だとして大垣で息を潜めていた。ところが2020年11月、先生が体調を崩されたとの連絡を受けた。

 胸騒ぎを覚えて、すぐ九州に飛んだ。状況を見て、先生に会えるのも今しかないと思い、11月、12月に一泊2日で計4回も九州に飛んだ。それが正解であった。先生宅に滞在中の8日間に、先生とまともにお話が出来たのは2回だけであった。

 病床の先生は私の手を握り、涙を流して喜こばれた。先生が涙を流すのに接したのは、この15年間で初めてであった。

 

死力の出会い

 恵峰先生は、2021年1月1日22時38分に静かに息を引き取られた。93年間と8ケ月の大往生である。私を育てて頂いた師との別れである。出会いがあるから、別れがある。別れは悲しいが、先生との出会いが、宝物のような出会いであったことに感謝である。

 死があるから生がある。その死を厭うのではなく、願うのではなく、悲しむのでなく、生老病死の流れとして受け止めたい「行く時は別れ別れに違えども、流れは同じ蓮の台(うてな)に」と仏教の古歌にあるように、最後は一つの大きな流れに帰っていき、何時かはまた会えると信じている。それを信じる力が死力である。死力とは、師の教えを活かして明日を切り開く力なのだ。

 

死の気配

 12月6日に明徳塾の10人程の塾生が遠方から見舞いに来たが、その時は先生の意識がなく、先生とお話しができなかった。彼らは当初のОB会日程に合わせて来たきたのであって、先生の容態が悪くなったのを聞いて、直ぐ飛んできたわけではない。それで先生とお話ができなかったのは、本気がなかったためだ。彼らには「惜寸陰歳月不待人」を認識がなかった。師の死の気配を推察できなかった。

 12月21日、先生の意識が珍しくはっきりしていた。私は間違えてО氏に電話をかけたら、氏はその状況を聞いて遠路2時間の道のりを車で飛んできた。私は、電話の2時間後に突然現れたО氏にビックリであった。それでО氏は恵峰先生と抱き合って涙を流して最後の別れをすることが出来た。

 相手のことを思っている熱量で、人生の出会いが決まることを教えられた。私は先生から最後の良き教えを頂いた。

 

師の最期の教え

 先生は体調を崩されて1か月程は寝込まれたが、その前の11月までは元気一杯で仕事をされていた。先生が日頃言われているように、「生涯現役、生涯自己挑戦」の理想的な生き方であった。それが恵峰先生の後姿の教えであった。

 

「今ここ」の死

 今ここは永遠の生であり死である。寸前の「今ここ」は過去の頁となった。その「今」は二度と巡ってこない。その「今」が連綿と続いて己の人生となる。だからこそ「今」を大事にしたい。

 

今ここ

 恵峰先生から、毎回の「今しかない。後からはない」との教えを、今回の恵峰先生との別れで生かせることが出来た。

 恵峰先生に知人から依頼された書の揮毫をお願いすると、いつもその場で「今から書きましょう」と揮毫された。曰く「今日、小田さんがこの書を持って帰れば、後で送るより、この書の依頼人がもっと喜ぶはずだ。」である。私もその教えを実践している。

1  馬場恵峰書  2011年

Dsc099621s  馬場恵峰書 2017

2021-02-08   久志能幾研究所通信 1915  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。