今ここ 師との死別(磨墨知128)
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。波間に浮かぶ泡沫はかつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかとまたかくのごとし。」 方丈記
だからこそ、今に全力を投入しよう。「そのうち」などは永遠に来ない。それは死後(死語)の世界。「今のうち」しか時間はない。
惜寸陰歳月不待人、時は人を待ってはくれない。
視力の喪失
還暦を過ぎて国家資格の受験勉強中に、白内障と網膜はく離を患った。2週間ほど左目が失明状態に陥り、今まで見えて当たり前の世界から、見えない世界に追い込まれて、つくづくと今が大切、今のうちしか時間がないと思い知らされた。勉強ができるのも目が見えるうち。生きているうちである。そのうちにやろうと思っても、やれるのは「目の見える今のうち」である。愚かな人間は失って初めてその価値に気づくもの。
師力との別れ
馬場恵峰先生の書の撮影のため、毎月九州に飛んで写真を撮影していたが、新型コロナ禍が広がり、緊急事態宣言が発令され、しばらく静観だとして大垣で息を潜めていた。ところが2020年11月、先生が体調を崩されたとの連絡を受けた。
胸騒ぎを覚えて、すぐ九州に飛んだ。状況を見て、先生に会えるのも今しかないと思い、11月、12月に一泊2日で計4回も九州に飛んだ。それが正解であった。先生宅に滞在中の8日間に、先生とまともにお話が出来たのは2回だけであった。
病床の先生は私の手を握り、涙を流して喜こばれた。先生が涙を流すのに接したのは、この15年間で初めてであった。
死力の出会い
恵峰先生は、2021年1月1日22時38分に静かに息を引き取られた。93年間と8ケ月の大往生である。私を育てて頂いた師との別れである。出会いがあるから、別れがある。別れは悲しいが、先生との出会いが、宝物のような出会いであったことに感謝である。
死があるから生がある。その死を厭うのではなく、願うのではなく、悲しむのでなく、生老病死の流れとして受け止めたい。「行く時は別れ別れに違えども、流れは同じ蓮の台(うてな)に」と仏教の古歌にあるように、最後は一つの大きな流れに帰っていき、何時かはまた会えると信じている。それを信じる力が死力である。死力とは、師の教えを活かして明日を切り開く力なのだ。
死の気配
12月6日に明徳塾の10人程の塾生が遠方から見舞いに来たが、その時は先生の意識がなく、先生とお話しができなかった。彼らは当初のОB会日程に合わせて来たきたのであって、先生の容態が悪くなったのを聞いて、直ぐ飛んできたわけではない。それで先生とお話ができなかったのは、本気がなかったためだ。彼らには「惜寸陰歳月不待人」を認識がなかった。師の死の気配を推察できなかった。
12月21日、先生の意識が珍しくはっきりしていた。私は間違えてО氏に電話をかけたら、氏はその状況を聞いて遠路2時間の道のりを車で飛んできた。私は、電話の2時間後に突然現れたО氏にビックリであった。それでО氏は恵峰先生と抱き合って涙を流して最後の別れをすることが出来た。
相手のことを思っている熱量で、人生の出会いが決まることを教えられた。私は先生から最後の良き教えを頂いた。
師の最期の教え
先生は体調を崩されて1か月程は寝込まれたが、その前の11月までは元気一杯で仕事をされていた。先生が日頃言われているように、「生涯現役、生涯自己挑戦」の理想的な生き方であった。それが恵峰先生の後姿の教えであった。
「今ここ」の死
今ここは永遠の生であり死である。寸前の「今ここ」は過去の頁となった。その「今」は二度と巡ってこない。その「今」が連綿と続いて己の人生となる。だからこそ「今」を大事にしたい。
今ここ
恵峰先生から、毎回の「今しかない。後からはない」との教えを、今回の恵峰先生との別れで生かせることが出来た。
恵峰先生に知人から依頼された書の揮毫をお願いすると、いつもその場で「今から書きましょう」と揮毫された。曰く「今日、小田さんがこの書を持って帰れば、後で送るより、この書の依頼人がもっと喜ぶはずだ。」である。私もその教えを実践している。
2021-02-08 久志能幾研究所通信 1915 小田泰仙
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