思い上がろう。傲慢ではダメ (磨墨知133)
物事を短時間に達成するとは時間を創ること。人間、思い上がらずして物事は成しえない。思い上がって時間を創ろう。才ある者は思いがあってこそ、その力を十二分に発揮できる。膂力ある者は、わが力優れり思えばこそ胆の底から力が沸き上がってくる。思いあがるには、自分がまだまだ力不足だと自覚しての行動である。晴れ舞台で、一歩間違えれば、奈落の底に落ちることを意識しての思い上がりである。謙虚の上の思い上がりである。
それに対して、傲慢とは、高ぶって人をあなどり見下す態度である。そこには謙虚さはない。
モデルは自分が美しいと思う
モデルは自分が美しいと思えばこそ、カメラの前やファッションショーの舞台で美しく振る舞い、美くしさが増し、商品としての価値が輝く。
「私はダメなのよ」と思っていたら、顔と態度にそれが出る。それでは、誰も振り向かない。仕事の出来も芳しいくない。その負の感情の乱れが、脳にブレーキをかける。嘘でもいいから、「私はすごい」と思いあがって仕事をしよう。最初に騙す相手は、自分の脳である。自分の脳を褒め殺しにして騙そう。人を褒め殺しにするのは難しいが、自分自身ならできるはず。自分自身内のもう一人の主人公をおだてて、誰にもできない改革を実現しよう。
傲慢行政の例
しかし思い上がりと、傲慢は違う。逆の状況で立場を例えれば、有名大学を出れば、何事もできて当然と胡坐をかいてしまう。それでは何事も人を見下して物事を進めるので、思いあがらなくても、ことが済んでしまう。だから自己改革という努力をしない。
エリートは、有名大学を出た50年前の学校成績は良かったが、減点主義に染まった考えのため、思い上がる必要もなく、現状を改革しようという気になれない。エリートは挑戦、変革をしてはダメなのだ。自分の立場が危なくなるからだ。何も事を荒立てなくても、エリートとして崇められているので、現状維持で通せば、自分も安泰、組織も安泰になる。
しかし昔と違って世の中は激変して進歩している。多くの都市は経済成長している。だから、現状維持では、その都市は相対的に衰退である。だから傲慢行政では没落である。それは公示地価の下落で現れる。20年間で半値以下に暴落させた例もある。公示地価は神の如くの市場の評価である。公示地価は市の行政を評価した通信簿である。
歴史の教訓
歴史的に日本が発展したのは、危機状態や転機の時代であった。その時は、エリートではなく、アウトサイダー的人材が活躍した。明治維新、太平洋戦争の敗戦後、バブル崩壊後の失われた20年間、その激動の時代は、有名大学出のエリートは型に囚われた考えしかできないので、何もできなかった。日本を戦争に導いたのは、硬直した考えに凝り固まった陸軍大学出のエリート達であった。
バブル崩壊後の失われた20年間を作ったのは財務省東大出のエリート達である。デフレに陥った経済を財政投資で浮揚させるべきなのに、それを緊縮財政にして、金融政策だけに固執して、ますます景気を悪化させた。それも20年間も続ければ、日本が没落して同然である。今回も増税で益々景気を悪くさせている。彼らには古典の経済学しか頭にないのだ。己の利権確保しか考えが及ばない。
2018年4月17日 壽年式-ファッションショーにて(大垣城ホールで)
2021-02-10 久志能幾研究所通信 1917 小田泰仙
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