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2021年2月14日 (日)

人の嘲りを恥じない (磨墨知129)

   

 「一事を成さんと思わば、他の事は破るるともいたむべからず。人の嘲りを恥ずべからず。万事にえかへずしては、一の大事成るべからず。」(徒然草)

 

 時間を創りたければ、世間体を気にするな。時間を創れば、願望が成就する。その時間を創らないから、世間の雑用に流されて、本願を挫折するのだ。命は一刻一刻と尽きていく。やるべきことを成就させずに、死ぬわけにはいかない。人の生は偶然だが、死は必然である。

 

明日は死

 明日、新型コロナに罹り、隔離病棟に「監禁」され、死亡すればそのまま火葬場直行である。新型コロナに罹る人の多くは、狂った生活をしており、明日のことなどには考えも及ばないようだ。新型コロナが原因で死亡すれば、家族の最後のお別れさえ許されない。

 還暦を10年も過ぎれば、いつお迎えが来てもおかしくない。私の中学の同窓会の時(65歳)、2割の仲間が既に他界していて愕然とした。明日の死も20年後の死も、長い人生から言えば、誤差範囲である。人の死は必然なのだ。

 

微差でも長い年月で大きな差

 人から「変わっている」と思われるくらいでちょうどいい。人と同じことをしていては、人よりも時間が創れないし、創造的価値が残せない。

 人と2割も人と変わっていると、社会から拒絶される。人から嘲られようとも、人と1%だけ少しだけ変わっていればよい。人よりも1%の差を出すことを心がけて、それを50年間継続すれば、大きな差となる。

 会社の合併の場合でも、1%でも資本比率が多い方が、人事権を握り、その会社を支配できる。私はそれで泣きを見た。前職の会社の経営陣が、並みのことしか決断できず、他社と違う付加価値を生みだせなかったから、会社を消滅させた。

 

明日世界が終わるとしたら

 「自分は一体何をやりたいのだ」と自問しよう。明日世界が終わるとしら、自分は今日、何をやるのだ?」と自問しよう。

 やりたいことが明確になったら、そのために別のことを省略しよう。それが戦略だ。人生で「あれもやりたい、これもやりたい」では、時間制限で破綻である。人生の総量(時間)は決まっている。死は確実に来ることが決まっている。だからこそ、人の嘲りを恥じないで、死ぬまでにやりたいことをやろう。

 

無為の死

 新型コロナで、外出せず、家でじっと無為に時間を過ごすとは、命を無為に削っている。時間は命なのだ。一刻一刻と命は尽きていく。何も付加価値を生まない時間を過ごせば、それは脳死である。

 だから魚釣りなどに行っている暇はない。温泉に行っている暇もない。その行為で自分の人生に何の価値を産むのか考えよう。パチンコ、赤ちょうちん、愚劣番組やワイドショーの視聴も禁止。それこそ脳死の原因である。ゴシップ週刊誌も禁止である。スマホも意識しないと膨大な時間浪費源となっている。用もないのに買い物に行ってはならない。展覧会のお誘いも、それが自分のこれからの人生で付加価値が生まれるか否かを考えて出かけよう。

 そんな俗世間の些細なことは破るるに限る。

Dsc089821s  馬場恵峰書

2021-02-14   久志能幾研究所通信 1921  小田泰仙

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