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2021年2月

2021年2月28日 (日)

「G線上のアリア」は厠上よりも最高

 

 文章を考えるのに適した場所としての欧陽修は「三上」を揚げている。その中でも、私は電車のグリーン車の線路上が最高であると思う。

 欧陽修は、中国の政治家・学者である。彼が友人の謝希深に語り、『帰田録』に書いた言葉が「三上」で「三上」とは馬上・枕上・厠上(便所)のことである。この欧陽修は唐宋八大家の1人である。

 

馬場恵峰先生の49日

 2021年2月27日は、馬場恵峰先生の49日である。2月27日に九州からの帰り電車は、コロナ禍の影響で電車はがら空きである。諫早から博多までの在来線特急「かもめ」は、乗客が私一人で、貸し切り状態であった。往路もほぼ同じ状態であった。山陽新幹線でもほぼ同じ状態であった。

 昔は馬の上が揺られながら考えるのが最高の環境であったが、現代はグリーン車の線路の上(G線上)で、ガタガタと揺られながら、考えるのが最高の環境である。グリーン車の1両を貸し切りで、ゆったりとした席で思考を練り、文書を作るには最高の環境(アリア(aria)は、イタリア語で、音楽の節・旋律を意味し、ほかに「空気」や「態度」の意味もある)である。

 枕の上で考えではダメである。寝るときは真剣に寝ないと睡眠不足になる。良い考えも、目が覚めると思い出せないことが多い。また横になって考えることに、ロクなことはない。ゲーテもベッドの思考を禁止という。

 厠(便所)でも、現代は長時間のトイレは禁止である。トイレ時間が長いとは便秘であり、食生活が健康的ではない証しである。そもそも健康な動物は、排泄の行為は一瞬である。そうしないと排泄は無防備な状態で、敵に襲われる危険があるからだ。

 

動く書斎

 特急列車のグリーン車券は、わずかプラス1600円を払えば、グリーン車が1時間40分間、貸し切りになり、マスクもせず(乗客は一人だから)、車中で考え、本を読み、文書を作ることができるのだ。動く書斎を借りたと思えば安いものである。G線上のアリアの時間は値千金である。

 

 博多・諫早間の自由席特急券は 1,250円

        指定席券が   1,780円

        グリーン車券が 2,850円である。

 

 考えない人生は、野獣の人生だと思う。人間である限り、考えて人生を歩みたい。

 

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2021‎年‎1‎月‎3‎日、‏‎8:57 山陽新幹線 のぞみグリーン車

馬場恵峰先生の葬儀に行く途中

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2021‎年‎2‎月‎27‎日、‏‎16:37 特急「かもめ」 

P1140412s 特急「かもめ」 グリーン車

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2021-02-28 久志能幾研究所通信 1934 小田泰仙

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2021年2月27日 (土)

読みの省略 (磨墨智110)

 

 過去の経験や思考が、未来の事件を読む糧となる。時間節約の為、読むべきことを絞ろう。全てを読んでいては、絶対時間が足りなくなる。プロは、過去の血の滲む訓練を智慧に昇華する。それが定石と言われる手順だ。

 

人生の岐路の選択で、自分の定石を蓄積しよう。それが時間を略するテコになる。早く選択すれば、多く選択する機会が増える。間違いもあるが、それが貴重な経験となる。多く決断して多く間違いを経験しなければ、読みの練習にならない。痛い目に会って初めて智慧になる。

 

 大事なことは第一感で決めても、そんなに間違いはない。そこには過去の経験から獲得した智慧が出した結論だからだ。

 

 即決はしなくてもよいから、早く決断しよう。時間は無為に過ぎていく。強敵の時間は、待ったを許してくれない。

 

Dsc09255s  馬場恵峰書

2021-02-27  久志能幾研究所通信 1933  小田泰仙

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2021年2月26日 (金)

自分の部署に全力投球 (磨墨知139)

 

今の部署のことが出来てきないのに、他のことを考えるなんて!

不義理でもいい、まず自分の部署のことを完璧にこなそう。

自分の部署で出来てないことを他人に押しつける人とは不義理でいい。

八方美人になって両方の目的を潰さないようにしよう。

言い訳していると、自分の責任ではないと考えて、時間が浪費される。

 

自営業なら、その仕事に全力投球しよう。

今が悠々自適の定年後の生活なら、今の人生を充実させるために、生き方に全力投球をしよう。お世話になった社会に恩返しをしよう。公園の草取りでも、水路の掃除でもそれが社会への恩返しだ。もう最期までの時間がないのだ。

「起きたけど 寝るまで 特に用もなし」にならないようにしよう。

 

今、採用試験を受けたら、今の会社は自分を雇ってくれるだろうか?

自営業なら、自分を自分が社長の自分は、己を雇うだろうか?

 

今が悠々自適の定年後の生活なら、奥さんや子息、知人が我が人生の監督者である。他人の批判の声に真摯に向き合おう。

今のままの生き方で良いのか、自問しよう。あと何回、親と会えるのだ。後何回、孫と会えるのか。70歳なら平均寿命80歳として、孫ならあと10回しか会えないかもしれない。自分の親が遠方に住んでいるなら、後数回しか会えないかもしれない。残り時間が命である。

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2021-02-26  久志能幾研究所通信 1932  小田泰仙

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2021年2月25日 (木)

時間節約とは勤勉の汗を流すこと (磨墨知144)

 

 若いころ勤勉の汗を流さなかったツケは、年老いて足腰の弱りとして涙を流す時間として帰ってくる。自分の足で動けないほど、自分の時間を無駄にする事象はない。自分が撒いた怠惰に対する天罰である。

 

 馬場恵峰先生は、93歳まで毎日の朝夕の2回、300坪の庭の掃除を欠かさなかった。だから広い庭に雑草が全くと言っていいほど、生えていない。ついでに隣の敷地の一部まで掃除をされていた。それが体を動かすことで、健康にもつながった。先生が昨年末に倒れられて1か月程は、それが出来なかっただけである。だから93歳と7か月までは現役であった。

 

 トヨタが世界一の自動車メーカになったのは、トヨタ生産方式の5S(整理整頓清潔清掃)を徹底したためである。トヨタは頭と体の汗をかいて、世界一になった。マネーロンダリングで稼いだわけではない。

 日産のゴーンは、必要以上に従業員の首を切り、先人が蓄積した資産を切り売りして、金を作った。それが強引な日産再生であった。そのツケが今になって露見している。

 

ある教徒の事例

 ある町に宗教を理由に町内の公園草取りの奉仕行事に全く参加しない家がある。当番で班長になっても、他人には公園の草取り掃除を強いても、家族の誰も公園の草取りには参加しない。日曜日は同じ宗派の寄り合いのお喋り会合で忙しく、町内の奉仕行事に行く気などさらさらない。娘が曰く「宗派の集会場に行っても最近は誰も来ないのでつまらない」と。

 この娘が何のために教団の集会場に行くのか明白である。家の状況と家人の言動を見ると、宗派の問題ではなく、それを大儀名文として言い訳をするだけだ。つまり単なる怠け者の家庭である。

 

 勤勉でなく、整理整頓清潔躾ができていない結果が、まだ70歳前後で足腰が立たず、動けない羽目になっている。その家の庭は、廃品回収業まがいのゴミ溜めとなっている。それを恥と思わない神経が哀しい。子供の自転車は雨ざらしで庭に放置されている。モノには魂がこもっているという。自転車で育ったのに、それを供養もせずに放置である。

 

 子供は親の後姿を見て育つ。放置された自転車を見れば、家の教育状況がわかる。家は保全する金がないため、ボロボロで町内の恥さらしである。勤勉であれば家を保全するくらいの金はできる。玄関の土壁は大きな穴が開き、玄関内は散乱、郵便ポストはサビサビ、軒下は垂れ下がり錆だらけ、塀は破れたまま。クーラもない防音設備のない部屋で、下手なピアノ騒音を近所に撒き散らしている。40年間の怠惰な生活のツケが、家相に表れている。

 

教義の教え

 美智子上皇后は、若いころクリスチャンの教育を受けて育たれたが、皇后として立派に日本国民の幸福を願い日本国の神事を司られた。クリスチャンの教育も日本の躾教育も、根本は同じ勤勉の思想である。宗教を理由に町内の奉仕行事をさぼり、自分達だけの幸せを願うのは、単なる利己主義の怠け者である。クリスチャンはその布教活動として、地域の奉仕活動には積極的に参加を推奨しているのがこの世界の常識である。それをしないのは、教義の教えに背く行為である。それゆえ、その町の誰もその家を相手にしない。

 

勤勉

 我々仏教徒としてでなく、人間として心がけなければならないのは、心に生える雑草の除去である。摘んでも摘んでも、怠惰な心があると生えてくる。その心の汚れを落とそう。汚れが付くのを防ぐのは勤勉である。当たり前当たり前のようにするのが精進である。

Img_63991s  馬場恵峰書  2006年

2021-02-25 久志能幾研究所通信 1931 小田泰仙

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2021年2月24日 (水)

武器を使いこなそう PC、ペンは我が命(磨墨知143)

 

 侍の刀は武士の命、カーボーイのライフルも開拓者としての命である。命だからこそ彼らは全て自前で揃えていた。

 現代のビジネスとは、生き残りをかけた顧客創造戦闘である。闘うためには、良き武器が必要だ。現代ビジネスマンの刀は、パソコンである。会社のお仕着せではなく、自前で揃えよう。これで仕事でもつかえるし、人の首でも切れるのだ。これで時間を切ろう。スマホでは力不足だ。

 私はこれで大垣市長の6選を切り捨てた。そのPCでの情報伝達には、エビデンスと論理構成と市の未来を思う志が柱であった。

 エビデンスと論理構成を支えたのはテクニカルライティングの技術と危機管理である。志を支えたのは修身の精神であった。

 

PC使いこなし

 ブラインドタッチ、文章力、読解力、パソコン使いこなし力、ソフトの使いこなし、パソコン更新資金力、があって、初めて武器が生きる。最新の武器だってすぐ陳腐化する。ネットを眺めるだけでは、傍観者である。発信をしないとフェイクニュースに洗脳され、認知症になってしまう。

 PCはあくまで道具であって、高性能だから仕事が出来るわけではない。名刀を持ったから、真剣勝負に勝てるわけではないと同じだ。

 そのビジネスの前提は、読み書きそろばんである。日本語の基礎ができていなければ、仕事でPCは使いこなせない。読むとは外国語も読めること。書くとはテクニカルライティング手法で、論理的に簡潔に記述が出来なければ、オーディエンス(読手)を説得できない。そろばんに相当する統計計算ができなければ、現代ビジネスでは通用しない。幸いなことに、Excelが出来れば、その統計計算を簡単にやってくれる。

 

手書き武器

 PC全盛期の今でも、手書きの手紙は強力な武器である。それも毛筆なら最高だ。下手でもいいから手書きの真心のこもった手紙で、相手の心を切り拓こう。私が礼状を送るときは、毛筆です。馬場恵峰先生から、よく巻物の毛筆のお手紙を頂いた。その返礼に、ワープの手紙では済まない。

 私は毛筆の手紙を書くために、毛筆で写経をしたことが役立った。恵峰先生の教えは「書道の上達には、写経するとよい。一日2行で良い。」と。

 

思考は手書きメモで

 全てパソコンでやるのが良いわけではない。思考の基本は手書きメモである。そのアイデアがまとまったら、一気にパソコン入力である。最高のワープロは、手書きメモである。

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2021-02-24 久志能幾研究所通信 1930 小田泰仙

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2021年2月23日 (火)

心の貧乏人 焦って車 前のめり

 

交差点の右折でヒヤリ

 2021223日、1010分頃、家電量販店の前の交差点を、対向の軽自動車が私の直線走行の直前で、強引に割り込んで右折していった。右折途中で横断歩道で自転車を見つけて、慌てて交差点のど真ん中で急停止した。私の進行方向を塞いだ。私は予測運転をしていたので、ブレーキをかけて事なきを得たが、一般の運転手なら衝突事故になったかもしれない。

 相手は軽自動車を運転していた「心の貧乏人」である。心に余裕がないので、焦って運転をしている。その先で自転車が渡ろうとしているのが見えなかったのだ。予想運転をする心の余裕がないだ。だから、金が残らず、軽自動車しか買えない貧乏人と推定した。

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2021年2月23日、10時10分頃

 

交差点の信号待ちで呆れる

  2021年2月21日、15時ごろ、自宅への帰路、交差点で軽自動車が横断歩道の停止線一杯に止まって信号待ちをしていた。私の車より1m以上前で止まっていた。

 横断道を渡る人から見れば、車が停止線目一杯に止まっていれば、威圧感を感じてしまう。なぜ余裕を持って停止線の1m先で止まれないのか。

 それも心に余裕がないので、「心の貧乏人」である。心に余裕がないので、金が残らず、軽自動車しか買えない貧乏人と推定した。

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  2021年2月21日、15時ごろ

 

停止線での止まるマナー

 車を運転して、停止線で止まる場合は、停止線が見える状態(セダンで運転席から停止線が見える状態。停止線の1m手前)で止まるが、歩行者の安全と相手の心情を考えた運転マナーである。

 

人相ではなく、車相で判断

 いくら軽自動車の安全が向上しても、車格の上の車と正面衝突をすれば、軽自動車は走る棺桶になる。その死亡率は7倍以上である。単独の衝突でも2倍の致死率である。命が惜しければ、普通車を買うべきだ。

 だから私は、軽自動車に乗っている輩を「心の貧乏人」と車相診断をしている。偏見ではない。そういう車が、安全を無視して当方に突っ込んでくる事例を数多く経験しているからだ。

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2021-02-23   久志能幾研究所通信 1929  小田泰仙

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2021年2月22日 (月)

一度に一つのことに集中する (磨墨智125)

 

 ながらで仕事をしても良い仕事はできない。凡人は、10人の話を同時に聞いて処理できた聖徳太子ではないのだ。

 私は幸いなことに、学生時代、深夜ラジオ番組を聞きながら勉強をしたことがない。今にしてよかったと思う。

 車の運転でも、ラジオも音楽も全くかけずに運転する。聞きながらの運転は、安全運転上で、ご法度である。周りの状況に最大の注意を払って運転である。

 人とお話をしている時も、スマホは厳禁である。人と会話とは、人生の真剣勝負なのだ。人と会話するとは、その人の人生時間を分けてもらっているのだ。それを割り込みでニュースや株価を見ていたら、「あんたの話しはつまらない。あんたよりニュースがオモシロい」と相手を侮辱することだ。

 一時一心一念道、である。千里の道も一歩から。一事に一つのことをボチボチとしっかりやっていこう。その一歩を歩みださない限り、何事も成就しない。

Dsc089821s  馬場恵峰書

2021-02-22 久志能幾研究所通信 1928 小田泰仙

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2021年2月21日 (日)

児童の転倒事故、大垣市が迅速対応で感謝

 

 2021年2月12日(金)15時25分ごろ、興文小学校の児童(小学1年生)が帰宅途中、水路のコンリート縁(高さ3センチ)に躓いて怪我をした。怪我は擦り傷程度と思われる。しかし転んだ場所の先が1mほどの深さの水路の縁で、小さな子には深い溝になり、頭から落ちれば命の危険があった。私は病院からの帰路で、その現場に出くわした。

 私は、現地の状況を確認して、写真を撮り、状況を記録に残した。

 応急の再発防止として三角ポールと遮断棒を設置して、危険防止をした。

 恒久対策として、大垣市長宛の対策依頼書を作成して、休日明けの月曜日に大垣市役所教育学校課に出向き、対策を申し入れた。連合自治会長の後藤氏にも連絡をして、事前に市役所に行くことを連絡して頂いた。

 大垣市のその後の迅速な対応に感謝である。

 

事故経緯

 2月12日(金)15時25分 事故発生

 2月12日(金)16時30分 三角ポールと遮断棒を設置

 2月14日(月) 

   14時 市役所教育学校課に対策を申し入れ

   15時 興文小学校で、教頭先生に事故を報告

   16:35 大垣市道路課から現地を確認するとの電話連絡

   16:50 大垣市道路課が現地を確認

       担当者は「来週中に工事をする」と約束した。

 2月19日(金) 危険防止柵の工事完了

 

残念な事

 小学校の教頭先生の話では、以前からこの場所の危険が予想され、大垣市に申し入れていたが、そのままになっていたという。

 行政は何か今回のような事故でも起こらないと、動かないのが残念である。そう、大垣市役所の実務部隊は真面目なのだ。しかし大垣市の上層部が腐っている。それは旧日本軍と同じ形態である。

 

もう一つの教訓として、

 山に躓かずして垤に躓く

 大きなことには慎重に取り組むので失敗は少ないが、小さなことは油断して失敗しがちだということ。「垤」は、蟻塚(ありづか)のこと。

   出典『韓非子』

 馬場三根子先生も自宅内の畳の縁に躓いて、腰を痛められた。小さな危機管理の積み重ねが人の命を救う。

 

危機管理の手順

 事故の被害者を救助

 事故の状況を記録に残す。

 応急的な事故再発防止をはかる

 恒久的な事故再発防止をはかる

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 子供たちが大騒ぎ中  2021年2月12日(金)15:27

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 指さしているこの縁に躓いた。 2021年2月12日(金)15:27

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 応急処置で危険防止を実施 2021年2月12日(金)16:30

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 大垣市道路課の職員が現場確認 2021年2月14日(月)16:54

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 危険防止柵を設置完了  2021年2月19日

 

 私事で、昨日は病院で検査があり、その検査造影剤の影響のため体調不良になってしまい、ブログをお休みしました。

 異常を感じたら早めの検査が危機管理である。

 

2021-02-21 久志能幾研究所通信 1927 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年2月19日 (金)

「耳鳴りの法則」悪用、死の洗脳報道 (磨墨知140a)

繰り返し洗脳教育が危険

 

 くだらない記事、フェイクニュース、愚劣なブログ、痴呆的なTV番組を1万回も見れば、考える気力も失せ、認知症になる。それを洗脳教育という。目を覚まして、死の洗脳教育を見破ろう。洗脳されてしまえば、人生という時間が消滅する。それで殺された人が歴史上で死屍累々である。

 

テレビの耳鳴り如きの洗脳教育

 愚劣グルメ番組を1万回も見れば、洗脳教育されて飽食・肥満という病気になる。それが現代のテレビ番組だ。食品会社は、消費者の健康など無視して、拝金主義商売を横行させている。

 それで肥満、糖尿病、癌、心筋梗塞、認知症等が発生している。だからこの40年間で医療費が4倍になり、43兆1381億円(2017年度)までになった。国の税収は58.4兆円(2019年度)である。収入に対して医療費が異常に多すぎる。一般家庭の家計に当てはめれば、年収584万円で、医療費431万円である。この40年間で癌患者や認知症患者が激増した。私が学生の頃の40年前は、癌や認知症などほとんど聞かなかった。何かおかしい。

 

新型コロナウイルスの耳鳴り報道の例

 過剰で扇情的な新型コロナウイルス報道を繰り返し見せられれば、新型コロナは恐怖の極みだと洗脳されてしまう。マスゴミに洗脳されると、「日本の新型コロナの感染者数、死亡者数は欧米の1/50~1/100」という冷静なデータが、目に入らなくなる。嘘も百万遍言われれば、本当と思ってしまう。それが洗脳教育だ。

 過剰で扇情的な新型コロナウイルス報道の目的は、視聴率確保の金儲けである。それで日本経済が崩壊しても、マスコミは知ったことではないのだ。

 

ドイツの例

 ヒトラーは演説で、国民を煽る言葉を何回も使い、1939年、ポーランドに侵攻して第二次世界大戦を巻き起こした。当初、ドイツ国民はそのヒトラーの演説に心酔した。要は洗脳されたのだ。その結果、第二次世界大戦が起き、全世界で5000万人から8000万人が犠牲となった。

 日本の軍部もドイツの快進撃につられて戦争に邁進した。当時の新聞は何処も軍部に迎合で、反対しない。マスコミにとって戦争のほうが、記事も景気良くかけて、新聞には都合がよかったのだ。だから何処の新聞社も反対せず、イケイケどんどんである。

10年前の民主党愚政の例

 当時の鳩山首相は「コンリートから人への投資」とスローガンを連呼して国民を騙して、必要な防災投資を削減した。その10年後の今、台風被害や大雨で堤防崩壊という人災を各地で起こしている。防災投資をしないと災害も多い国家は衰退する。それが今の日本経済の結果である。

 当時の民主党の蓮舫議員は、「事業仕分け」という人を引き付ける言葉を何回も使い、国民を騙した(洗脳した)。それが日本衰退の一因となった。

 

アサヒる報道の例

 朝日新聞が慰安婦捏造事件を繰り返し報道すれば、それを信じた韓国が怒るのも無理がない。嘘でも百万遍言えば、それが本当だと世界の人が信じてしまった。かように洗脳報道は怖しい。アサヒる報道は朝日新聞のお家芸である。

 

大垣市の例

 大垣市長の小川敏は、「節約、節約」を口癖に何度も繰り返し、如何にもやっているかのように見せて、大垣の未来には実質的に投資をせず、大垣を衰退させた。結果として大垣の経済成長率はマイナス1%であった。

 小川敏が市長になって以来、20年間で大垣市公示地価は半分以下に暴落した。「日本一住みやすいまちづくり」のスローガンなのに、街が衰退し、お店が蒸発して、買い物難民が溢れている。その結果、公示地価がこの20年間で半値以下になった。それは、市場が大垣市の不動産に価値がなしとの評価である。「市場は神の如くの評価をする(松下幸之助翁)」。

 小川敏は「子育て日本一のまちづくりと口先で言うだけで、実際は、大垣市の児童生徒一人当たりに教育費は、県下最低に落とした。現在、大垣市は県下最悪の教育環境である。小中学校のエアコン設備率も2.1%で県下最低であった。その児童生徒一人当たりの教育費は、刈谷市の半分である。

 小川敏は「子育て日本一のまちづくり」のスローガンで大垣市民を洗脳して騙したのだ。それでいて大垣市役所職員の給与は県下一の高給になった。それには小川敏は固く口を閉ざす。

 節約節約と言いながら、小川敏は県下一豪華な新市庁舎を建てた。岐阜市よりも立派である。ほとんど使われない市庁舎案内ロボットに、高額の税金を投じた。売名行為のロボット投資である。

 

地方紙が忖度報道・洗脳報道を繰り返し

 小川敏の引退記者会見の岐阜新聞(2021年2月10日)の記事でも、「小川敏は「日本一住みやすいまちづくり」、「子育て日本一のまちづくり」のスローガンを掲げて、取り組んだ」とは書かれているが、その結果は記載がない。

 新聞記事として日本語がなっていない。「小川敏はスローガンを掲げて、取り組んだ。」で、どうなったのだ? それが記載無しなので、小学生の作文である。

 つまり岐阜新聞は、小川敏に忖度して、都合の悪い結果は報道しない。真実を報道すべき新聞なら、わざわざ書いたスローガンに対して、その結果を報道すべきだ。しかし岐阜新聞はその結果を、意図をもって、書かなかった。

 地方紙には忖度記事ばかりで、これが洗脳教育である。地方紙は市民には実態を知らせない。そうしている間に、大垣市は没落した。

 それは太平洋戦争の始まりと末期と同じ現象である。日本軍部の大本営発表の始まりは、景気がよく、負け戦になると口を閉ざす。小川敏市政と同じである。当時の新聞社も、自分達が戦争を煽った責任には口を閉ざした。それが歴史の厳然たる事実である。

 岐阜新聞は、事実を報道せず小川敏の言い分だけの忖度報道に終始した。痴呆紙の責任は重い。大垣市を死寸前まで経済没落させた責任は、地方紙の洗脳報道にもある。岐阜新聞、中日新聞の罪は重い。

 

 洗脳教育の陰には、恐ろしいたくらみがある。

 

2021-02-19 久志能幾研究所通信 1926 小田泰仙

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2021年2月18日 (木)

耳鳴りの法則 (磨墨知140)

書いて書いて書きまくろう。

話して話して喋りまくろう。

 

 同じことを何回も繰り返そう。同じことを何回も自分に言い聞かせよう。大事なこと は、耳鳴りがするくらい聞け。(道元禅師の言葉)

 人が見たら完璧と思われても、繰り返しをやり抜こう。その行為は自分が巧い、もう完成したとの観念を捨てるためにする練習だ。(相田みつを氏の言葉)人のやることに完成はない。

 いかに神様の完成に近づけて、未完に終わるかが人間に与えられた役目である。(土牛画伯の言葉)

 その修行から本物の力が生まれる。本物には時間が凝縮されている。だから価値が出る。時間を使うのは価値を創造するため。

 

鍛錬

 千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって錬となす。(宮本武蔵)

 1000日とは約3年である。石の上にも三年、とは名言である。

 どんな芸事でも1万時間をかければプロになれる。一日10時間を千日続ければ、その道のプロになれる。それが鍛錬だ。

 「人間というのもはね、苦労して、鍛錬され、はじめて人間になるんです。苦労しなきゃ、人間の呼吸は分からんということですよ」

 出光佐三(出光興産創業者)

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    馬場恵峰書   2011年

2021-02-18 久志能幾研究所通信 1925 小田泰仙

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