時間節約とは勤勉の汗を流すこと (磨墨知144)
若いころ勤勉の汗を流さなかったツケは、年老いて足腰の弱りとして涙を流す時間として帰ってくる。自分の足で動けないほど、自分の時間を無駄にする事象はない。自分が撒いた怠惰に対する天罰である。
馬場恵峰先生は、93歳まで毎日の朝夕の2回、300坪の庭の掃除を欠かさなかった。だから広い庭に雑草が全くと言っていいほど、生えていない。ついでに隣の敷地の一部まで掃除をされていた。それが体を動かすことで、健康にもつながった。先生が昨年末に倒れられて1か月程は、それが出来なかっただけである。だから93歳と7か月までは現役であった。
トヨタが世界一の自動車メーカになったのは、トヨタ生産方式の5S(整理整頓清潔清掃)を徹底したためである。トヨタは頭と体の汗をかいて、世界一になった。マネーロンダリングで稼いだわけではない。
日産のゴーンは、必要以上に従業員の首を切り、先人が蓄積した資産を切り売りして、金を作った。それが強引な日産再生であった。そのツケが今になって露見している。
ある教徒の事例
ある町に宗教を理由に町内の公園草取りの奉仕行事に全く参加しない家がある。当番で班長になっても、他人には公園の草取り掃除を強いても、家族の誰も公園の草取りには参加しない。日曜日は同じ宗派の寄り合いのお喋り会合で忙しく、町内の奉仕行事に行く気などさらさらない。娘が曰く「宗派の集会場に行っても最近は誰も来ないのでつまらない」と。
この娘が何のために教団の集会場に行くのか明白である。家の状況と家人の言動を見ると、宗派の問題ではなく、それを大儀名文として言い訳をするだけだ。つまり単なる怠け者の家庭である。
勤勉でなく、整理整頓清潔躾ができていない結果が、まだ70歳前後で足腰が立たず、動けない羽目になっている。その家の庭は、廃品回収業まがいのゴミ溜めとなっている。それを恥と思わない神経が哀しい。子供の自転車は雨ざらしで庭に放置されている。モノには魂がこもっているという。自転車で育ったのに、それを供養もせずに放置である。
子供は親の後姿を見て育つ。放置された自転車を見れば、家の教育状況がわかる。家は保全する金がないため、ボロボロで町内の恥さらしである。勤勉であれば家を保全するくらいの金はできる。玄関の土壁は大きな穴が開き、玄関内は散乱、郵便ポストはサビサビ、軒下は垂れ下がり錆だらけ、塀は破れたまま。クーラもない防音設備のない部屋で、下手なピアノ騒音を近所に撒き散らしている。40年間の怠惰な生活のツケが、家相に表れている。
教義の教え
美智子上皇后は、若いころクリスチャンの教育を受けて育たれたが、皇后として立派に日本国民の幸福を願い日本国の神事を司られた。クリスチャンの教育も日本の躾教育も、根本は同じ勤勉の思想である。宗教を理由に町内の奉仕行事をさぼり、自分達だけの幸せを願うのは、単なる利己主義の怠け者である。クリスチャンはその布教活動として、地域の奉仕活動には積極的に参加を推奨しているのがこの世界の常識である。それをしないのは、教義の教えに背く行為である。それゆえ、その町の誰もその家を相手にしない。
勤勉
我々仏教徒としてでなく、人間として心がけなければならないのは、心に生える雑草の除去である。摘んでも摘んでも、怠惰な心があると生えてくる。その心の汚れを落とそう。汚れが付くのを防ぐのは勤勉である。当たり前当たり前のようにするのが精進である。
2021-02-25 久志能幾研究所通信 1931 小田泰仙
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