「死を経営する」 滅望のための死の準備
死ぬ前に、あれもやりたかった、これもやりたかったのにと、本当の願望を滅するために(滅望)、還暦を過ぎたら死の準備をしよう。死を前に絶望するには相応の準備が必要だ。死は人生最大の行事である。そのうち手が震え、頭がボケてきて、その準備ができなくなる。今からでも遅くない。頭と手足が動くうちに死の準備をしよう。死の準備をするとは、生を全うすること。最大限に生きること。準備不足の後悔の中で死にたくはない。死のプロジェクトを経営して世に貢献して死にたい。
生は偶然だが、死は必然である。私が65歳の時、中学の同窓生の2割が他界していた。
死を経営しよう
死にあたり、持てる資源を最大限活用して、逝こう。持てる資源を死蔵したまま死んでは、その資源が可哀そうだ。その資源にも魂が籠っている。
経営とは持てる資源を最大限に活用して、世のために働くこと。自分の持てる資源を使い切って死のう。それが人生の経営であり、死を経営することだ。
サムソンの総帥のように、72歳に倒れ、6年間も意識不明となり、数兆円の財産を残して死んでも、人生の経営がうまくいったとは言えまい。
自分の死から産む付加価値を考えよう。そうすれば死が有意義になる。そうすればおちおち、死んでなんかいられなくなる?
自分のためだけの金儲けは経営ではない。それは拝金主義者の餓鬼の行動。
地位名誉に長年縛られていて、それが解放された途端に死んでは、何のために生きたのか。それは地位名誉の奴隷である。
死の戦略を立てよう
人生とは限られた時間だ。あれもやりたい、これもやりたいでは時間が足りない。「何をやらないか(略)」を明確にしよう。それがないから、人生最後で後悔をする。死は突然やってくる。その時は従容として死のう。死ぬ時は死ぬのが世のためだ。それを寝たきりで生き永らえるから家族を不幸にする。
成仏しよう
死ぬことが成仏ではない。此の世で佛になることが成仏である。多くの人はそれが出来ないから、死んで成仏する。できれば生前に成仏してから、旅立とう。だからその修行が大変なのだ。佛のようになれないから、なかなか死ぬわけにいかない。
いい人を止めよう
あるがままに生きよう。恰好を付けるから疲れる。
戒名
私は癌を患い覚悟をして2年前に戒名を導師から授かった。
葬式の時に付ける戒名は、応急処置である。本来、生前に導師と相談して授かるのが正規である。私はその戒名を墓誌に彫り朱を塗った。準備万端である。
戒名とは戒めの名前である。本名は、両親がこうあって欲しいと名付けたが、実際はそうでない生き方をしてしまった。あの世で、此の世では実現できなかった己の生きざまを目標として名付けたのが戒名である。生前から、あの世での生きざまを背負って生きて行けば、あの世の事前練習ができて、実際にあの世に行った時に楽である。
お墓
人並みにお墓くらい準備をしよう。ハカない人生ではつまらない。墓がないと親戚から笑われる。
自家のお墓は、耐震構造とした。デザインにもこだわってすっきりした形状にした。メンテナンスフリーで雑草が生えないようにもした。後の人のことを思ってのこと。
遺言
癌の手術前に、遺品の遺言状も作成した。
大事なものさえ押さえれば、後は野となれ山となれである。
遺品の整理
人生は山を登るようにモノを集める。山を下るときは、少しづつ荷物を降ろしていこう。モノを持ち過ぎていると、着陸時に衝撃が大きい。
会いたい人にお別れを
自分よりも相手の命がいつまでもあるわけではない。便りがないと思っていたら、新型コロナで死んでいたとう話が多い。
新型コロナで外出を控えていたら、馬場三根子先生も馬場恵峰先生も亡くなられてしまった。
その人はソウルメートかどうか、自問しよう。それで人間関係の真偽が見える。新型コロナと私の癌で、真の知人かどうかが識別された。
行けるときに行きたい場所に行く
新型コロナで、行きたい海外も行けなくなった。良い時にウィーンに行って良かった。今ではとても行ける状態ではない。
立派に死ぬために、直前まで健康でありたい
そのためにオダ佛教健康読本の執筆が忙しい。
最後の1か月程は致し方ないが、それまでは健康で現役で頑張りたい。
そのお手本が馬場恵峰先生であった。
やりたいことはやってしまう、買えるものは買おう
やれなかったのではない。やらなかっただけ。やりたいことをやれば、それでツキモノが落ちる。
私も前から欲しかったレクサスを買って、ツキモノが落ちた。買ってみれば、ああこんなものか、今までの憧れは何だったんだ、という気になった。
そのうち金があっても買えなくなる。
美味しいものは食べておく
そのうち病気になり、食べたいものも食べられなくなる。
私も癌の手術をしてからたべられなくなった。
幸福度を最高に上げておく
欲望が大きすぎると、幸福度が上がらない。
延命治療拒否を文書にしておく
植物人間で生き永らえても、社会に迷惑をかける。
縁なき衆生とは縁を切っておく
財産がある衆生に限って、生きざまが汚い。早めに縁を切ろう。
豊かな気持ちで逝けるように、身の回りは整理整頓
不要なモノを整理して、良いものに囲まれ幸せになろう。
人生の最終チェックをするため、年に一度は山にこもる
山ごもりはホテルでもよい。頭の整理ができる。
人生をまとめる必要はない。整理すれば、自ずと答えが出る。
何ごとも最終確認は必要だ。何が死の準備で未完は何かを確認しよう。
できるなら、自分が生きた証を残しておこう
私は本の出版とブログの掲載である。
ブロブも私が死んだらそのアカウントが消えるので、出版を計画している。
あの世で会う人を計画しよう。
死が楽しく、怖くなくなる。あの世でならアインシュタインにも会えるだろう。松下幸之助さんにも会えるだろう。で、何を話すのか、今から計画しよう。その想定対談集を死ぬまでに書こう。
2021-02-16 久志能幾研究所通信 1923 小田泰仙
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