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2019年3月

2019年3月19日 (火)

アンパンマンのビスケットに首ったけ

 最近、体調を崩して食欲がないので、消化のよい食材をと探したら、知人のアドバイスでビスケットが良いとの話があり、スーパーに買いに行って新しい発見をした。

 スーパーの店頭にはビスケット類は、大手菓子メーカの製品が多く並んでいた。しかしそのビスケットの成分表を眺めたら「毒物」の添加物だらけで、病気を誘発する物質が盛り込まれていた。それに対して幼児用の離乳食のビスケットは、変な添加物が少なくて、味は大手菓子メーカのそれとそん色がないのである。私はアンパンマンのビスケットに首ったけとなった。

 

トランス脂肪酸を含む加工油脂は禁止

 2015年、アメリカの食品医薬品局(FDA)は、トランス脂肪酸を含む加工油脂の食品使用を2018年6月までに全廃すると発表した。つまり全米の食品から排除すべき有害物質だという見解を示した。アメリカではそれ以前からも、加工食品トランス脂肪酸の含有量の表示義務があり、ニューヨーク市やカリフォルニア州では飲食店での使用を禁じていた。

 トランス脂肪酸は脳にダメージを与える可能性が大きい。良い油が不足すると、代わりにトランス脂肪酸が脳神経の構成材料として使われやすくなる。使われたトランス脂肪は脳の伝達神経機能を変形させる。そして、この状態が何年も繰り返されると、ADHD、情緒不安定、うつ、集中障害などの脳の重要な機能低下を招く恐れがある。特に、発達途上にある子供の脳の発育、人格形成に与えるダメージはかなり大きいと考えられる。

 その他にも、トランス脂肪酸の害は数知れない。LDL(悪玉)コレステロールを増加させ、HDL(善玉)コレステロールを減少させる働きがあり、冠動脈性心疾患に繋がる恐れもある。冠動脈性心疾患により、突然死・糖尿病・内臓脂肪の蓄積(メタボ)・高血圧・高血糖になるリスクが高まる。アトピーなどのアレルギーを誘発する可能性。など、たくさんの体への悪い影響が報告されている。

 以上「七田式食学サイト」より編集加筆

 https://shichida-life.co.jp/magazine/life0033/

 

 加工油脂とは、ショートニング、マーガリンが含まれる。ところが日本では、野放しである。政府の食品の管理が無策なので、欧米はがん患者が減っているのに、日本だけは、がん患者が増えている。

 自己防衛として、食に注意して、頂いた命を大事にしよう。

 

成分比較

幼児用のビスケット    一般のビスケット

アンパンマンビスケット  ビスケット マリー

(不二家)         (森永製菓)

 小麦粉          小麦粉

 牛乳           牛乳

 砂糖           砂糖

 でん粉          トウモロコシでん粉

              ショートニング

              マーガリン

 バター          バターオイル

 植物油脂         植物油脂

 全粉乳          全粉乳

 異性化乳糖        ぶどう糖果糖液糖

              食塩

              タンパク質ホエイパウダー

              膨張剤

 香料           香料

 乳化剤          乳化剤(大豆由来)

 ビタミンE

 ビタミンB1

 ビタミンB2

 ビタミンD

 

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1p1120556 上図は不二家   下図は森永製菓    「ビスケット マリー」

2019-03-19 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

免振装置とのご縁

 人生の災難(トラブル、激震)に遭遇しても、自分の心が激動しないように、うまく滑らせてやり過ごすかが、人生のトライボロジー工学である。力んで踏ん張るから、逆に被害が大きくなる。災難に出会ったら、力を抜いてやり過ごそう。

 

仏像の耐震対策

 ご縁で松本明慶先生の聖観音菩薩像が自宅に納佛され(2011年1月)、その直後、東日本大震災が発生した(2011年3月)。それで仏像の転倒対策を心配して免振台(約80万円)を検討して、行き付けの文房具店で発注した。ところがその翌日の朝、いつものように散歩のコースの途中で南園堂に寄ったら、お寺の会報『興福』が置いてあり、その最終頁に興福寺の国宝の仏像の下に滑り方式の新免震台を設置したとの記事が載っていた。早々に興味を持って調べたら、金額が25万円と安価で、理論的にもベアリング式の免震台よりも優れていることが判明した。ベアリング式では端まで振動で台が振れると、衝撃で逆に転倒の危険がある。この開発元のベンチャー会社の社長は積水ハウスの元研究所所長であった。それで直ぐに前日に発注した免寝台をキャンセルして、新免震台を再検討した。この件を知るのが1日遅れていたら、80万円が必要で性能が劣る製品になるところであった。お陰で予算が50万円ほど浮い(ご利益)た。仏様のご配慮としか思えない。

 そのためお礼として、興福寺に寄進3万円と南園堂の講堂用に、型は古いがまだ新品同様のエアコン(家庭用では最大の容量品)を寄付させて頂いた。お盆の祭事時は、お堂にエアコンが無く、皆さん暑い思いをされていたが、それが解消されて桐ケ崎町の皆さんに喜ばれた。

Photo     産経ニュースより

免振装置

 購入した免振装置はアイディールブレーン社の製品である。東京の展示会で実物を見に購入を決めた。展示会でこの会社の社長(元積水ハウスの中央研究所の所長)に会い、技術的な議論をして納得した。私の前職は工作機械の開発設計者で、振動やトライボロジーの知識が人並み以上であったのが幸いした。これもご縁である。

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2

3 メーカカタログより

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設置した免震装置(自宅)

 

2019-03-19 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

悪縁の匂いプンプンの営業マン

 私の留守中に、玄関の戸に名刺を「訪問の証しとして」貼っておいたドジな営業マンがいて、私は怒り心頭であった。

 私が10日程、家を空けるので、泥棒対策で外から留守が分からないように、新聞を止め、郵便物を局止めにして、家の電気は自動点滅するように段取りをしておいた。

 それを無頓着に、自分の都合だけを考えて、「小田さん、近くを通りましたので、ご挨拶に伺いました。」とのメモを書いた名刺を、玄関のドアに、嫌でも目に入るように、ご丁寧に「外から見えるように」に張り付けて置いてあった。まさに言語道断の行為である。訪問した証を示したいのなら、郵便ポストに名刺を入れればよい。これで私の留守がわからないようにした段取りがフイになった。

 人の迷惑を考えず、自分の都合だけ考える営業マンが仕事をできるはずがない。彼は、以前に面会時間を2時間もすっぽかして、私は出入り禁止にしていた御仁である。本人はその自覚が全くないようだ。こちらで「縁を切った」営業マンであった。それが言われなければ分からないようでは、どうしようもない。今回は腹に据えかねて、電話で「二度と来るな!」と怒鳴りつけた。

 

善後策

 私が当事者なら、相手がお詫びの面会はしてくれそうもなくても、お詫びの手紙か何らかの手段で詫びをするのが、正しい営業マンの姿勢である。人は失敗をどう挽回するかを評価される。その点でも、この営業マンは失格であった。その後、全く音信不通である。こんな営業マンと付き合っているとろくなことはない。彼からは、以前に悪縁を3件ももらっていた。そんな無神経の心掛けだから、悪縁を吸い寄せてしまうのだと悟った。

 

悪縁の匂い

 その営業マンが所属するG経営研究会は、某新興宗教の魔の手が伸びており、その経営研究会の幹部の多くが、その新興宗教に染まっていた。私も元会長の誘いで、新興宗教の入信寸前まで追い詰められて、危ないところであった。

 その関係かどうかは、分からないが、ベンツを乗り回すセレブ某会員が宴会ドタキャンの踏み倒し、香典の礼無し、某会員紹介の白アリ対策のトラブル等で、度々私は身近にその被害を被ってきた。やはり悪縁の影響が各所に及んでいると感じた。悪縁の匂いを感じたら、君子危うきに近寄らず、避けるのが人生の智慧である。

 

2019-03-19 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月18日 (月)

私の金銭哲学、人生哲学

 金が出来たら、自分の成長のために金を使え。そのためには無駄遣いをするな。自分の一部となって、自分を助けてくれるモノに金を使え。能力向上、能率アップ、時間創造、機会創出のために金を使え。

 買うなら一番高いものを買え。一生使えるモノに金を使え。必要なら無理しても金を作って買え。悪いことに使うのでなければ、金は何とかなる。高いモノには、創造者の汗と涙と魂が籠っている。金は時間(命)を全うするための道具である。道具だから使いこなせ。金を残して死んでも、誰のためにもならない。時間(命)を活かして使え。時間が命を創造する。

 

お金は女性名詞

 そのために「生き金」を使え。「死に金」はお金を泣かすこと。「お金」は女性名詞である。女を泣かせて幸せは掴めない。お金を活かし、お金に喜んでもらえるように使え。お金に神仏が宿る。使い方によって、恩返しもあれば、罰当たりもある。お金は目的をもって、感謝して貯めよ。

 無駄金を使え。使ってみて、無駄だと悟れば、次からその無駄が無くなる。その勉強代だ。無駄をして無駄だと分からないと、永遠に無駄だと分からない。それが格物致知である。

 

お金の使い方は人格そのもの

 お金を感謝の気持ちで送り出せば、お友達を連れて帰ってきてくれる。

 お金(体、時間、命、ご縁)は、神仏よりの一時的な預かりもの。それを有効に使うのも、無為に使うのも、全て自分の人格のなせること。

 

あぶく銭

 あぶく銭を追うな。ギャンブルは厳禁である。パチンコ、競馬、競輪、宝くじも禁止である。どんなギャンブルも儲かるのは胴元だけ。くじ類にも近づくな。所詮、それはその会社の金儲けの餌にしかすぎない。それに左右されるのは、時間の無駄である。保険もギャンブルの変身妖怪である。その分を不慮の事故に備えて貯金せよ。安易な保険依存症が、生活を堕落させ、事故や病気の遠因となる。事故や病気になったら、神仏からの警告と受け止めよ。

 

ゲーム中毒は人生の廃人

 PC,スマホゲームをしない。ゲームは何の付加価値を生まない。金儲けと対極の時間すごし。人生での最大の無駄である。WHOはゲーム依存症を麻薬中毒者と同じとしている。

 

裏切り

 人から約束を裏切る行為を受けたら、二度とその人物に近づくな。将来、もっと大きな損害を被る。その被害は、事前調査費と考えて忘れよ。自分は人との約束を絶対に守れ。自分で自分に課した約束も守れ。それは閻魔様が観ている。それが自分信用金庫の信用となる。

 

お金は道具

 どんな時代でも、生きていくための糧を得る能力を作れ。お金は日本銀行が破産すれば紙くずである。しかし自分で身に着けたお金を稼ぐ能力は、決して消えない。手に職を作れ。その能力を作るために金を使え。

 

ご縁

 ご縁を得るのにはお金がかかる。しかしそのご縁には、将来の将来生きていくための種が埋まっている。だから金を惜しまず、大事な人には会いに行け。私は躊躇せず、自費でニューヨーク、ワシントン、デトロイト、ウィーン、東京、青森、長崎に飛んだ。それで今の自分がある。現在でも、私は長崎と東京には月に一度のペースで飛んでいる。

 

経営者

 自分を人生の経営者として、生涯現役として働け。労働者は労働基準法が適用されるが、経営者には適用されない。24時間、365日、働けるだけ働け。私のモットーは生涯無休、生涯現役である。労働者の苦役は法律で保護されるが、経営者は仕事は喜びとして自由に取り組める。仕事の疲れは、仕事で取れ。

 

体が資本

 体をメンテする費用には金を惜しむな。いくら金を貯めても体を壊したら、何の意味もない。24時間、365日、働けるだけ働いても、22時になったら、良い子は就寝する。最低でも、0時の教会の鐘がなったら、シンデレラボーイとして眠れ。

 そのベッドは一生の内、三分の一を過ごす大事な保全用の「治療室」である。深夜に体から成長ホルモンが出る。若い時は、成長ホルモンが体を作るが、歳とると、その成長ホルモンが寝ている間に傷んだ細胞を修繕してくれる。夜更かしは、それが阻害される。だからシンデレラボーイを目指せ。

 死ぬときは電気椅子でもよい(?)が、毎日を全力で生きて働くには、電気ベッド(医療器具)を使うべきだ。その電気ベッドは高価であるが、普通の布団やベッドよりも、はるかに安眠できる。高いモノにはワケがある。電気ベッドと羽毛布団で、100万円近い金がかかったが、一生の内、三分の一を過ごす部屋代と思えば、納得できる。

 

食品の罠

 金ができても、食品の選別には最大限の注意を払え。贅沢三昧で美味飽食をすれば、死の病気が必然である。病気にならずに、稼ぐためには、食品の知識を持て。美味の至福の罠に堕ちると、脳梗塞、心筋梗塞、ガン、糖尿病、失明、認知症の地獄に堕ちる。金儲けどころではない。

 私は、スィーツ、糖分、油分のある食品、肉、乳製品、酒、煙草、を極力取らない生活をしている。

 

2019-03-18 久志能幾研究所 小田泰仙

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2019年3月17日 (日)

毘沙門天になろう

 毘沙門天とは、別名「多聞天」とも呼ばれる。多聞天の名前の由来は、日に何度も「法」を聞くことから名付けられている。

 「法」とは「三水」の「水」「去る」と書く。水が上から下に流れるのは、何時でも何処でも誰にでも当てはまる法則である。その行為がその自然界の法則に合っているか、それを自問すれば、時間節約の答えは自ずと見える。法に反した行いは時間ロスの最たるの。人生の「法」程式を覚えよう。人生の受験勉強には、法程式を記憶するに限る。

 

阿恵と吽形

 毘沙門天の足元にいる邪鬼界の阿恵と吽形は、悪さの限りをしていたのだが、「そんな悪さをしていて、お前の3000万年後の人生(鬼生?)はどうなるのか。上の界(人間界)に生まれ変わりたくはないのか。今のままでは畜生界か地獄界へ落ちるしかないではないか」と仏のお諭しとお導きで改心して仏心を得た姿を象徴している。その姿の現れとして、毘沙門天の足元で、阿恵と吽形が足場として支えている。毘沙門天は本来、岩に上に鎮座されているものだが、阿恵と吽形が自分の背中を差し出して、毘沙門天に足場を提供している。決して毘沙門天に踏みつけられているのではない。

 江戸時代の毘沙門天像の多くの像は、阿恵と吽形が悪の象徴として踏みつけられている形で造形されている。松本明慶先生は、それを新しい解釈で、毘沙門天に足場を提供しているとした。こういう考えも「創造」である。

 

六界

 六界とは、天上界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界である。群青と赤の阿恵と吽形は陰陽の世界も象徴している。どんなものでも裏と表、プラス・マイナス、良い点、悪い点があることの象徴でもある。目の前に現れる事象には、いい面も悪い面もあり、それを総合判断して法により判断しろとのメッセージでもある。人生の経営者にはそれを見極める能力が求められる。そのためには、法を学ばねばならない。

 

この世が地獄

 六界は、あの世の話しではない。この世でも修羅界も畜生界も餓鬼界も、時には地獄界さえ経験する。この世は、時としてあの世以上に鮮烈である。

 年間3万人弱の自殺者、子供のいじめ虐待被害が13万件、ガン患者が年間99万5千人、認知症患者は65歳以上で15%。此の世が地獄である。地獄を逃れるためにも、それが起きた原因を「法」に基づいて学ぼう。自殺に追い込まれる原因、いじめが発生する精神構造の変化、ガンが発生する環境、認知症の発生原因、それの「法」を学んで、自己防衛しよう。

 三好輝行先生とのご縁があり、次の毘沙門天像を拝ませていただいた。

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松本明慶先生作 毘沙門天  三好輝行先生蔵

    『命の器で創る夢の道』P104より

 

2019-03-17 久志能幾研究所 小田泰仙

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2019年3月16日 (土)

仕事は自分を写す鏡、義子先生の命の仕事

 宗教も仕事も、自分の魂を昇華させる燃料である。自分の心の状態がプロジェクターで投影されるように、宗教や仕事に反映される。みほとけとは自分の心のある考えの象徴である。仕事を通して完成されるのが自分の魂である。未完の自分をいかに高めて次のステージに移るかが、この世で問われる課題である。人生に完成はない。いかに理想に近づけるかが、腕(魂)の見せ所である。出あった仕事をどう解釈するかで、その人の生き様が変わる。

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雑用

 言いつけられた用を雑にするから、雑用になる。その仕事だけを取り組んでいる人にとって、雑用はない。その「雑用」で、心を込めて取り組めば神聖なご用となる。どんな雑用も人のためになる「仕事」なのだ。

 渡辺和子シスターが、若い頃アメリカの修道院で修行をしたとき、食事前の準備でテーブルに皿を並べる「雑用」を言いつけられた。彼女がその雑用をそこそこにこなしていると、それを見ていた修道院長から、「何を考えて皿を置いていますか」、何も考えていません」、「お皿を置くときに、なぜ、その席に座る人の幸せを祈れないのですか。お皿を置くごとに、「お幸せに、お幸せに」とお祈りしながらお皿を置きなさい」と叱られたという。皿をテーブルに並べるという雑用が、心を込めることで神聖な仕事に昇華する。

 

解釈

 師や上司からある用を言いつけられた時、その用をどう解釈するかである。修行と見るか、罰と見るかで、その後の人生が変わる。過去の苦役・不運を、自分を高める修行と見ることができれば、未来は明るい。

There is no facts, only interpretenstion.

事実はない、あるのは解釈だけ。  ニーチェ

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命をかけた最期の仕事

 河村義子先生は、2018年12月8日(米原)、12月15日(大垣)のクリスマスコンサート(白鳥の湖)の音楽監修を最後の仕事としてされた。12月25日の死の2週間前の病床で、私が撮影したビデオ映像を見ながら、病をおしてその音楽監修をされた。それを12月15日の大垣音楽堂でのコンサートに反映できるように、音楽監修でその修正指示をされた。12月16日は再入院であった。12月17日に、義子先生の自宅に大垣公演の編集無しのビデオを届けた。

 12月15日の大垣でのコンサートをビデオで見て、「素晴らしかったよ」と愛弟子の小林朱音さんのピアノ演奏ぶりに涙を流して喜ばれた。それが義子先生への餞となった。義子先生の後継者育成の仕事が終わった。

 義子先生の命をかけた魂の仕事ぶりが、クリスマスコンサートに反映されたのを嬉しく思う。多くの子供たちも喜んでくれた。コンサートの写真撮影、ビデオ撮影で、そのお手伝いの一部をさせて頂いたのは光栄である。撮影当時は、そんな状況とは露知らずであった。そういう撮影のご縁を頂いたことに感謝です。

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2018年12月8日 米原公演、リハーサル

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2018年12月15日 大垣公演、リハーサル

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2018年12月15日 大垣公演、本番

出演は、林葉子バレエアカデミーの皆さん

         『命の器で創る夢の道』P103より

 

 2019-03-16 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月15日 (金)

肉なしサンドイッチを探し回って八百里

ソーセージ、ハムなどは「確実な発がん物質」

 2019年3月12日、お江戸に行ったとき、ハムなしのサンドイッチを食べたいと弁当売り場に行ったが、それが無いのである。名古屋駅の新幹線弁当売り場でも、新幹線車内販売でも、東京駅コンコースの弁当売り場でも商品がないのである。最後の最期に、新宿駅西口のパン売り場でやっと一種類だけ、卵と小エビのサンドイッチを見付けて購入できた。他の大多数のサンドイッチは、カツとかハムとかベーコンとか、必ず肉類が入っている。

 

日本の食の安全性は?

 これで日本の食の安全性を考え込んでしまった。食べる食材の知識を持ち、自己防衛しなければ、我々は食品メーカに殺される。

 1975年からこの40年間で、ガンは3倍に増え、乳がんは4倍に増えた。年間で、日本人の99万5千人が、ガンに罹患する。昨年度の日本の新生児は94万人、死亡者は137万人である。99万5千人とは、ほぼ年間の新生児の数に相当する。

 河村義子先生は、日本の食の安全性不備で殺された。

 

加工肉は確実な発がん物質

  世界保健機関(WHO)が、2015年10月、ベーコンやソーセージ、ハムなどの加工肉は「確実な発がん物質」であると発表した。その確実性はタバコやアスベストと同じ程度の確実性としている。これらを何年もたくさん食べていると、大腸がん、膵がん、胃がん、乳がん、などのリスクが上がる。世界保健機関は、赤肉についても「恐らく発がん物質」だろうと指定している。

 

赤肉も「恐らく発がん物質」

 加工肉と赤肉の摂取は動脈硬化症や糖尿病との関連もある。動脈硬化症は脳梗塞、心筋梗塞、下肢の動脈閉塞、大動脈解離、動脈瘤などの最も多い原因である。オックスフォード大学の試算では、加工肉と赤肉の摂取が原因となって起こる人々のがん、動脈硬化症、そして糖尿病などを世界全体で試算すると、2020年には2850億米ドル(約28兆円)もの経済損失となるだろうと指摘している。損失分のうち、約3分の2は加工肉である。

 

啓蒙活動の怠慢

 日本人の死亡原因の1位はがん、2位は心臓病である。こういう「確実な発がん物質」や心臓病の遠因となる食材を食べないように啓蒙活動することは、政府や報道機関の役目だと思うが、政府はメーカに気兼ねをして、マスコミは食品メーカに気兼ねをして、そんなことは、さらさら考えていないようようだ。なにせ食品メーカは、広告収入の大スポンサーなのだ。メーカも己の利益追求が最優先で、人の命など知ったことではないのだ。これが拝金主義経済、グローバル経済主義である。

 

以上は、「加工肉は「確実な発がん物質」の衝撃。医師が「加工肉税」を提唱 2019.03.06 by ドクター徳田安春『ドクター徳田安春の最新健康医学』」を参考にしました。

https://www.mag2.com/p/news/382858/2

 

2019-03-15 久志能幾研究所 小田泰仙

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2019年3月14日 (木)

死の床で会いたい人

死の床に呼んでもらえますか?

  その昔、大病を経験し死を覚悟したことがある。その時、病院の死の床で会いたいと思った人(肉親等は除く)を思い浮かべると、60年間も生きてきて、数人しかいないことに気が付いて、愕然とした覚えがある。

 同じ質問を知人にすると、一番の親友はゼロだという。他の知人の数人に聞いても、やはりその数は数人止りのようだ。

 

死の床に呼びたい人の条件

 会っていて毒気や嫌味を感じない人。

  毒気のある人は変なオーラが出ている。

 素直な人、明るい人

  会っていて、こちらが楽しくなる人。

  こちらが相手の毒気の影響を受けて、陰鬱になる人は除外である。

  会っていてこちらが元気をもらえる人。

 いつも温かく見守ってくれた人

 魂のきれいな人、純粋な人

 恩義を感じてくれる人、義理堅い人

  飯を食わせたり世話をしたのに礼状一つよこさない人はお断り。

 師には会いたくない。

  なにか畏れ多くて、自分が死にそうなとき、気が重く負担になる。

 人が良くても、何もない人は駄目。

  生きている付加価値を感じる人でないとダメ。

 

自分は「あの人」の死の床に呼ばれる資格があるか?

 自分の言動、性格を俯瞰して、そういう死の床に呼んでもらえる人かどうか自省したい。そうなるように精進をするのも、魂を昇華させる一手段であろう。

 

河村義子先生の場合

 河村義子先生は、2018年12月25日に逝去された。その死の10日前の12月16日に、「体調が戻られたら、退院お祝いで一席でも」との返信で、

「それが、、Uターンです。岐阜清流病院の緩和病棟601にいます。17.18.19はいません。またお近く通られましたらのぞいてください。  クリコン、撮影などありがとうございました。病院でもみれるようにポータブルのものを買いました!やはりまだまだブルーレイは広まってないようです。^^大垣のもの、お待ちしてます。私の自宅へおくってくださる?  河村義子」

というメールが来た。これが義子先生の最後のメールとなったが、鈍感な私は、義子先生が死の床のあるとは夢想だにせず、退院されたらお祝いをしようと思っていた。「緩和病棟」という文字を見落とした。悔いである。またやつれた女性の方の病院見舞いは男性として躊躇があり、華やかさのある先生もそんな姿を見せたくないはず。義子先生のご夫君の意見としても、会わなかったのが良かったようだ。この世では、義子先生の「死の床」のご縁がなかったと思う。私としては、何時までも元気な義子先生の面影を心に抱くことができてよかったと思う。

 義子先生が、死の床で、私を会いたい人の一人に選定してくれたことを嬉しく思う。自分の体験と照らし合わせて、それを実感した。

 

死の床での出会い 

 死の床で会いたい人とは、仏様のような人だ。もし幸いにして死の床から復帰できたら、その後の人生で、大事にしていくべき人なのだ。その人を手本として生きていくべきだ。

 死の床に来てくれた人、来なかった人、そこから多くの学びがある。

 

転衣

 転衣とは仏教の学びの結論である。転衣とは、生まれ変わる、あるいはよりどころが変わる、価値観が変わるという意味である。死の床を経験することで、「転衣」して良き友をよりどころにして生きていくと、新しい人生が開けてくる。

 

2019-03-14 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月13日 (水)

地獄を見る

 地獄はあの世ではなく、今の世に地獄がある。今の世で地獄を経験してこそ人間として成長できる。地獄を見た人間は強い。地獄を見るとは、自分の持つ業が消えたときである。甘えが消えたときである。人(魂)は地獄の試練を受けないと浄化されない。この世で地獄を経験していない極楽トンボが、あの世で地獄に堕ちる。人は六道輪廻(天上道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)の法則で、地獄も一度は通過しなければならない宿命である。あの世で経験するかこの世で経験するか、遅いか早いかのわずかな差でしかない。地獄の時期は長くはない。修行と思って耐えよう。宗教の脅しに屈してはならない。

 

日本刀の地獄

 日本刀も砂鉄の素材が、劫火に焼かれて真赤になり、刀鍛冶師により何百回も何千回も叩かれ鍛えられて、鋼の粘りある名刀に変身する。それは素材の砂鉄にとって地獄の試練である。鍛えていない日本刀は簡単に折れる。

出会いは一瞬で決まる。その時のために、自分を日本刀として鍛えよう。名刀は一瞬で勝負を決することができる。切れない日本刀は一番始末が悪い。

 

天獄

 理想の天国は、天獄でもある。一日中、気持ちのいい音楽ながられる中、お花畑でフワフワ浮いていれば、やることもなく、私なら気が狂う。昔の仲間がみんな地獄に行った。だれも話し相手のいない天国は、地獄である。生きているから、いろいろあるのだ。だからそれで良いのだ。見通しても砂漠以外の風景がない砂漠を、誰にも会わずとぼとぼと、一生の間、歩いていくなど、地獄である。

 

臨死体験

 人生で一度地獄を見ると、その後の生き方に覚悟ができる。一度、臨死体験をすると、モノの見方が変わる。一度死線をさ迷うと、今生きている事、出会うご縁の全てに感謝できる。そのご縁の真贋が見えるようになる。それは自分を捨てて、もっと高い見地から物事を俯瞰できるようになるからだ。

 死線をさ迷うと、生きていてよかったとしみじみと実感する。その体験に比べれば、世の騒動は雑事である。是非、地獄を見よう。

 

 『命の器で創る夢の道』p102より

2019-03-13  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月12日 (火)

トヨタ教の経典で真贋を判別

 今回の新興宗教団体とのトラブルで、その宗教の真贋をトヨタ教の教えで判断した。この判定法は、宗教団体の真贋鑑定だけでなく、車のディーラー、保険会社、病院、営業マン鑑定、人物鑑定等でも、今まで私が人生の生存競争を生き延びてきた道具である。

 

トヨタ教

 私はトヨタ教(トヨタ生産方式 The TOYOTA WAY)の「現地現物」を大事にしている。それはトヨタ自動車を世界一の会社にした根本原則である。しっかり自分の目を見開いて、素直に見て、足で見て(「見」は「目」に「足」が付いた象形文字)、過去の知見を総動員して、衆智を結集して、物事の真贋を見極めよう。宗教に入信とは、自分の命(時間)を捧げることであり、人生の存亡に影響する。来る縁が全て善とは限らない。気を緩めたとき、妄信したとき、恐ろしい誘惑が襲って来る。勧誘側にもノルマがある。

 

現地現物 :Go and See for Yourself to Thoroughly Understand the Situation. Observe the production floor without preconceptions and blank mind. Repeat“why”   five times to every matter. Taiichi Ohno (as quoted in The Toyota Way Document)

                                JEFFREY K.LIKER“THE TOYOTA WAY”

 現地現物とは、自分で現地に行き、自分の目で見て、状況を完全に理解することである。先入観なく、素直な心で生産現場を観察せよ。そして5回のナゼを繰り返せ。(大野耐一)(「現地現物」の説明として、ミシガン大学リッカー教授の英語訳は出来色である。)

 

・仏師の考察

 松本明慶大仏師はwikipedia でも詳細に説明されている。この某教団の釈迦如来像、仁王像は人間国宝○○○作とあるが、wikipedia では「○○○」を検索できない。Webでも百科辞典でも、画像も図書もネットオークションでも検索できない。そもそも中国に人間国宝の制度はない。共産国家にとって、宗教よりも共産党主席が最優先なので、邪魔な存在のはずである。仏様より毛沢東主席、習近平主席が偉いのである。そんな共産党という宗教が、仏像彫刻文化を保護して人間国宝と言う称号は作らない。共産国のソ連でもキリスト教も迫害されていた歴史がある。中国も同じである。

 

・中華人民共和国[編集]での仏教

 第二次世界大戦が終わり、中国国民党が台湾に逃れて、共産党により中華人民共和国が成立すると、仏教は国家による多大な弾圧を受けた。(マルクス主義は宗教を否定する。旧ソ連でも同様に教会は政府に破壊された)特に1960年代の文化大革命には極端な弾圧と破壊が行われ、中でもチベット地域では、多数の寺院が破壊され、多数の僧侶が虐殺され、ダライ・ラマを初めとするチベット政府はインドへ逃れざるを得なかった。

 21世紀現在では、中国政府は文化大革命の非を認め、政府の統制の元にある中国仏教協会を中心とした活動を公認し、開放政策に方向転換をしている。日本との国交正常化直後には中国国内の仏教寺院は荒れ果てていたが、現在では日本の寺院や華僑の援助によって沿海部を中心に復興を遂げている。(Wikipedia より 2013/09/17)

 

共産中国での仏教

 かの地で仏教は公認されているが、日本のように文化庁が人間国宝の制度まではない。だから「人間国宝○○○作」という表現は嘘である。仏像彫刻も文化である。最近、中国での仏教への迫害はなくなったが、荒れ果てていた仏教寺院に、芸術が再び育つには長い年月が必要であろう。

 

人生の原理原則

ブッディストの3条件  

  1. 人と比べない
  2. 神仏に頼みごとをしない
  3. 世間様に迷惑をかけない

斑目嚝談『日経ビジネス』1997.0908「有訓無訓」

 

 仏教の教えでは、信徒の勧誘は禁止されている。あくまで自分の意思での帰依である。だから誰も出家しろとは言わない。キリスト教でも同じである。それを某新興宗教団体の教義では、信徒を3名勧誘しないと極楽浄土に行けないとは、仏教の教義違反である。法律の面でも、法に書いてないことは、善意で解釈すればよいが法律の原則である。

 日本国憲法でも、宗教の自由が保障されており、退会も自由である。それが退会すると「無間地獄」に堕ちるでは、日本人をやめなくてはならない。ましてや、大きさを誇って他と比べてはいけない。

 また「無間地獄」に堕ちるには、生前に殺生・盗み・邪淫・飲酒・妄語・邪見・犯持戒人・父母殺害、阿羅漢殺害他の罪を犯さなくてはならない。脱退だけではその資格がなく無間地獄に入れてもらえない。最近は地獄の入門も入所者数が多いのでセキュリティが厳しくなっている。入門に証明書が必要です。(このことは私の師である元大学教授のH先生より教えて頂いた。師は、今は乞われてある寺院の住職をされている。

 

キリスト教も120宗派ある

 米国では、最近は地獄の入門以前に、犯罪者が激増して刑務所が足りず、入所待ちの受刑者が多いという。世も末である。それもグローバル経済主義万能を信奉するので、結果として貧富の差が激しくなり、犯罪が増えたに過ぎない。そのご利益で、新興宗教の活躍の場が広がった。米国では、同じキリスト教といいながら、120の分派がある。その分派ごとに教祖が存在するのであろう。

 

十六小地獄 (無間地獄)とは

 十六小地獄とは、仏教の地獄に伝わる八大地獄の周囲に存在する小規模の地獄で、地獄に落ちた亡者の中でもそれぞれ設定された細かい条件(生前の悪事)に合致した者が苦しみを受ける。条件は当時の倫理観や仏教の教えに沿っているため、中には現在の倫理観や社会風俗などに合わないものも存在する。

 ここでは、生前に殺生・盗み・邪淫・飲酒・妄語・邪見・犯持戒人・父母殺害、阿羅漢殺害他の罪を犯したものが落とされる無間地獄の小地獄を解説する。なお、特に断りがない場合、種類と描写は「正法念処経」の記述に従う。(この項 Wikipedia 2013/09/24 より)

 

 日頃は科学万能の現代社会に生きていながら、急に地獄の話を信じるのも、それで脅すのも滑稽である。人間は太古の時代から精神面では少しも進歩していない。

 

・仏像のお顔を人相学的に考察

 松本明慶先生作の釈迦如来座像のお顔は端正である。お釈迦様のお顔であるので端正は当たり前である。大日如来像のお顔なら、その姿は宇宙根源の象徴だから、美しくないはずがない。松本明慶先生作の釈迦如来座像や他の仏像のお顔は慈悲に満ちた眼差しで、思わず手を合わせたくなる。

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 松本明慶先生作 釈迦牟尼佛座像(上)、虚空蔵菩薩坐像(下図)

 

某教団の仏様のお顔

 それに対して、某教団の釈迦如来像を人相学的に観察すると、ぶ厚い唇は生命力に溢れ、物欲性欲も強いとされるので、仏様のお顔としては、異様である。この仏様のお顔は上品ではない。また上唇の厚みが下唇よりも薄くバランスが悪い。これは我が強いことを表している。私の昔の上司がこの唇のタイプであった(私は苦労をさせられた。言い出したらきかない性格であった)。上に反った唇のカーブも不気味である。

 少しつり上がった目は、何か信用を置けない雰囲気を与える。垂れ目のタレレントの萩本欣一さんは憎めない親しみを感じる顔相であり、欣ちゃんの垂れ目がそれを表している。この仏像の目とその表情からは、ありがたい眼施をされているとは思えない。

太い鼻柱は強い強欲さを感じさせる。二重顎(三重顎?)は肥満ぎみの証である。食欲を自制できていないのか。ほうれい(鼻と口の間)が短いので、あまり良い人相とは言えない。ほうれいの長い人は長命といわれ福相である。頬のふくらみもなにか異様である。私は冷たい印象を受けた。耳の形と大きさも意味があるのだが、なにか異様である。        

 全体的なお顔の印象が、東大寺の大仏や明慶大仏師作の仏像に比べると不気味である。ありがたみがほとんど感じられないのは私だけであろうか。お釈迦様のお顔であるので、端正であるはずである。それが感じられない。

某教団の釈迦如来像は、キンキラキンの金箔仕上げで、分厚いまぶた、分厚い唇等と、日本人の私には違和感がある。そのお顔の造りはインド人、中国人系である。浄土では金とか物欲とは無関係の世界であるが、黄金の釈迦如来像ではあまりの俗世間的である。

 

仏像はその国の文化

 仏像や宗教はその国の文化なのだ。その国が醸成した思想や文化がそのまま宗教に反映されてその象徴として仏像の姿に現れる。厳しい砂漠の自然が、厳しい掟のあるユダヤ教を生んだ。目には目を歯には歯を、である。そういう戒律で縛らないと生きて行けない自然環境である。温和な自然の中で生まれた仏教とは、環境が異なり、違った雰囲気を伝えている。同じ仏教でもインド、中国の仏教と日本の仏教とは大きな差が出てきている。それが仏像のお顔に表れる。それが文化の差の表れなのだ。

Photo_3日本の宮廷文化 京都・御所 

Photo_4東大寺の大仏

 『命の器で創る夢の道』p96より

2019-03-12  久志能幾研究所 小田泰仙

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