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2019年3月

2019年3月11日 (月)

学ぶとは自分探し

 学ぶために記憶するとは、単に個別の項目を覚えるのではない。個々の項目と他の項目の関連を学ぶことなのだ。本を読んで新しい知識を得るのは、今まで学んで構築した脳内のネットワークを強固なベースにする手段である。単なる一項目を覚えても、人生では何も役立たない。それが自分の人生とどういう関係があるかまで、掘り下げて学ぶことが学問である。単に覚えることは受験勉強の抹消の技でしかない。学ぶ以上は、自分自身の癖や性格までを直さねば、本当の学問ではない。受験勉強はその入り口での練習なのだ。

 

読む

 本を読むだけが学びではない。自分で考えなければ、本を読むのがかえって害になる。考えることが最大の学びなのだ。母親が、乳児に乳を与えながら、生命の神秘を考えることは、万遍の書を読むよりはるかに価値がある。

 

科学とは

 科学の「科」とは、「禾」偏に「斗」と書く。稲を収穫して、それを秤で計測することを意味する。科学は幹を枝に分解して、枝を葉と花に分解し、花を花びらと雌しべに分解し、細かく細分化して本質を究明する学問である。現代は、余りに細分化しすぎてがため本質を見失いがちになっている。病気になり西洋医学がその病名を探求し治療法を開発するのだが、病気は治りました、病人は死にましたということも起こりがちである。

 

経済の細分化

 経済を究極に細分化した果てが、グローバル経済主義で、理論的には正しく、個別には成功するが、社会全体は不幸になる理論である。個人主義の欧米では、経済万能主義に行き着き、これに邁進中である。ねずみが集団となり、狂ったように暴走していき、海に突撃して行き全部が滅亡する様を思い描いてしまう。

 哲学や宗教、そして東洋思想は、その末端からその根源に向ってその源を探る学問である。木を見ず森を見て、その本質を究明する。東洋医学は西洋医学と違い、その病気のもとになった原因を探し、元から治していく治療方法である。

 

歴史を学ぶ

 歴史を学ぶとは、人間の営みを学ぶことである。2000年前の人間の行動と現代人の行動に、差などはない。史記、十八史略、三国史、ローマ史を読むと、人間の行動は変わっていないことが良く分かる。

 

経営とは

 経営とは、人間の歴史を学ぶことである。「経」とは、縦糸と横糸の関係を象形文字として現している。いままで連綿として営まれた歴史を、現代という流行の横糸で織りなした状況を、盛んに火を燃やして陣屋のなかで活動している様を表現した字が「営」である。今起こっている事象は、過去の事象の流れのなかで、今の事象はどういう関係にあるかを解明するのが、学びである。今の事象だけに振り回されていると、本質が分からず、間違った対応をすることになる。そのために、その関連を学ぶことが、歴史と経営を学ぶことなのだ。オックスフォード大学には経営の学問はない。経営は歴史を学べば、不要であるという考えである。

 

自分を見失わない

 学びを怠った民族は、滅亡するしかない。その事例は歴史の上に死屍累々と山積する。今の中韓の歴史の対応をみていると、考えさせられる。歴史は繰り返すので、歴史を学ばない愚かな国に振り回されることはない。

 自分探しを怠ると、己を見失い自虐的にも、攻撃的にもなる。挙句にうつ病に罹り、幽霊となり、認知症にもなる。学問をするとは、自分を見失わないための手段である。人として、当たり前のことをして、頂いた命を全うしたい。少しでも魂を磨いて世に貢献したい。来世でご先祖にあっても、胸を張ってただいま還りましたと言いたい。

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下図の巻物の文面に気に入り、恵峰先生にお願いして板書に書いて頂いた板書

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 『命の器で創る夢の道』p163より

2019-03-10 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月10日 (日)

某宗教法人の経営診断

招き猫が、私を宗教蟻地獄に堕ちるのを助けてくれた。

仏教は来世で成仏を目指す。新興宗教は現世で成仏させる。

 

ある宗教法人の経営戦略           

・ターゲット顧客  富裕層(顧客の収益性が高い)が主の顧客。

                     貧困層は対象外。貧困層は手間がかかり販売効率が低い。

・客寄せ商品   星占い、サイコロ占い、霊感ある壷や仏像、霊感商法、除霊商売等。客寄せ商品で開業資金を稼ぐ(詐欺商法で告訴されてもめげずに)

・キャッチコピー

  「あなたは特別に選ばれた人なのです。入信すれば子や孫まで代々、来世で特別扱いを受けます。普通は六道輪廻で阿弥陀仏のところには鈍行列車で回るべきところを、特別扱いの場合、直行便で阿弥陀仏のところに行ける身になります。六道輪廻も免除です。普通では入会したくても入会できないのです。この話を聞けるのも貴方の功徳なのです。この地区で貴方だけが選ばれたのです。この地区は霊気が高く、多くの人が入会しています。あの社長さんや歴代の経営研究会の会長さんも信徒です。 この教団だけがお釈迦様が教えた仏教の真髄を学べるのです」と。

  (顧客に自分は特別だと思い込ませる販売戦術)

 

・インターナルマーケッティング

  勧められれば断れない人や世間で信用されている人(社長、上司、会長、親族)が販売員として勧誘をする。信徒になれば、3名の新会員を入会させないと成仏できないと洗脳され、自動増殖機能を発揮する。(ネズミ講方式)

  全国の各地区に支部として30余箇所の別院が建設されていて、その別院に責任者が存在する。当然、各支部に会員勧誘のノルマが課せられると推定される。全国販売店支店長会議相当の会議があり、成績が悪いとその場で糾弾されるのだろう。

 

・販売戦略  高額の差別化戦略(安売り、多量販売はなし。ピンポイント販売)

 勧誘時は、「月2,000円の会費のみで、活動に参加は自由で仕事には影響ない」としか言わない。私の場合、これも言ってもらえなかった。

 

・収益(高付加価値商品販売)

 秘密の入会儀式 38万円(一般成人の場合で。特別富裕層は別途)

  地区の寺院に月参り 1万円×3回×12ヶ月(年間36万円)

  特別参拝 年に3回×10万円(年間30万円)

  特別回向 1万円×4回(年間4万円)、法名百万円、勧進百万円

  仏像や壷、仏具の販売で数百万の出費。

   寄進で1千万円や1億円を貢ぐ金持ち、経営者も多い

   それ故、離婚や家庭崩壊に至った信徒も多い

 

  以上のイベントが、顧客とのマーケティングでの関係強化の具体策(クロスセリング(関連購買)、節目需要、アフターマーケティング)である。この教団は企業経営理論のマーケティング手法に従って経営されている。だから高度成長ができた。

 

・危機管理体制 情報統制  

  入会秘密儀式内容を漏らすと六道輪廻に逆戻りと脅し。

  当宗教団体を告発するHPは弁護士を通じて脅迫して削除、閉鎖へ。

   (敬虔な仏教徒のはずの総本山が裁判で訴えるのも異常である)

  Wikipediaも都合の悪いことは信徒が改竄する。

  総本山は、寺院は観光寺ではないと信徒のみの入場制限。

  事前見学も、要所要所で、人数点検があり、勝手に動けない。

  広大な寺院内の掃除は、信徒の強制割り当てである。

 遠方からでも、参加せねばならない。そんな話は、入会前にはない。

 事前見学者は、掃除当番と口を利かないように段取りされる。

 入会しても、それを親族に漏らすと「地獄に堕ちる」と口止め

  「組織を通して与えられた情報を疑ってはならない」と通達。

 「2チャンネルやWEB情報を見てはいけない」と禁止。

  会前の私も言われた。(被害者の告発が一杯掲載されているから)

  「自分で考えてはいけない」、「あれこれと考えてはいけない。我を捨てて頭を真っ白にして素直に聞くこと」と指導する

 

・顧客の繋ぎ止め  

 退会の意思を出すと、地区の信徒達が家に押しかけて来て「無間地獄に堕ちるぞ」と脅迫してやめさせない。これは脱退信者に対する脅しではなく、この繋ぎ止めのため動員された現在の信徒への見せしめである。もし脱退しようとすると、恐ろしい目にあうことを見せ付けにしている。それを目の当たりにすれば脱退の意思が萎える。押しかけた信徒も真面目に脅迫しないと、自分が脱退を疑われるので真剣である。

 オウム真理教のサティアン内で、脱退信者が麻原死刑囚(当時は教祖)の指示でポア(リンチ殺害)された事件があった。これも他の信徒への見せしめである。脱退しようとするとどうなるかを全員の信徒に見せ付けたのである。

 

・顧客教育

  秘密入会儀式で2日間の監禁状態で心理学の治療手法を応用した洗脳教育をおこなう。真っ暗な部屋のなかでガンガンと洗脳されればまともな神経もおかしくなる。TVでCMを繰り返し視聴させられると同じである(貴方も日頃洗脳教育をされている)。

 

・テーマパークとしての広告塔

  壮大な寺院を建造して、威容で圧倒させて妄信させる広告塔

  巨大な本堂、仁王像、塔、本堂、仏像等を誇示

  開業30年にして日本最大級の本社ビル(総本山)を建設。

   奈良の老舗、興福寺は創業1300年です。信用が置けます。

 

 これは経験価値マーケティングの手法である。経験価値マーケティングとは、消費者の経験を刺激するマーケティング手法で、五感、喜怒哀楽、思考、行動、他人と交流の5つの消費者の経験領域に対して、広告・製品・ウェブサイト、モニュメントなどによって、新たな経験領域を提供する。この場合、巨大な寺院を見せ付けて、情緒的・主観的な方法で攻める手法である。そこには従来の合理的・客観的な方法とは一線を画する。経験価値マーケティングに沿った商品として、ディズニーランド等のテーマパーク、高級ブランドをイメージすると良い。これらは必ずしも機能的・経済的価値により販売されるものではない。持つ喜び、参加する喜ぶである。宗教の場合、入信したことに対して巨大寺院のスケールで自分を納得させる手法である。

 また38万円という価格設定も意味ある心理的価格設定(企業経営理論用語)である。ターゲット顧客は功成り名を遂げた中小企業の経営者が多い。脇目も振らず事業に没頭し、はっと気づいて先祖の供養もしなければ、と思ったとき、入信の勧誘の話がきた。入会金額が微妙である。高すぎては身分不相応と思われるし、安すぎてはそれ相応の人の自尊心をくすぐれない。すこし高いがポケットマネーで出せない金額ではない。では試しに入ってみるか、である。素晴らしい価格設定戦略である。

 

 神がかり的な教祖が、貴方を優しく右手で抱え、左手で懐から札束を抜き取るのです。

 

命(時間)の召し上げ

 この法人の顧客になると時間(命)とお金が教祖に捧げられる?

 あなたの命は誰のものですか?

 なぜ自分の頭で考えてはいけないのか?

 般若心経には、苦の原因を探し自分で考えて解決せよと書かれている。

 般若心経には、拘りを捨てろと説かれているが、自分を捨てろとは書かれていない。

 上記企業の顧客になって幸せだろうか?   

 何の功徳もしていない自分が、なぜ来世で特別扱いされるか?

 貧しいが人徳ある人が、なぜ地獄の堕ちなければならないのか?

 なぜ5万人もの信徒がそんなに簡単に入会するのか?

 日本国憲法では宗教の自由が保障されている。入るも自由なら、脱退するのも自由であるはずである。自分の頭で考えることが時間創造です。

 

 この経営手法を自分の会社に応用すべきである。こういう知恵を使えば、売上不振も解消し、急成長と高収益が間違いなし? これは企業経営理論のマーケティングの事例問題です。この経営手法は企業経営理論を学んだことのある人には常識の事項です。

 以上の項目はインターネットから情報を収集して記述しました

 

    『命の器で創る夢の道』p93より

2019-03-10 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

貴方はEメールで査定されている

電子メールでの正しい情報伝達とは

         「武道としての情報設計」講座

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 貴方は、あなたの書いた電子メールという水晶玉で占われている。知らぬは本人ばかり。

 そのメールの書き方に、あなたの性格、生きざまがすべて出ている。傲慢な人は、傲慢なメール文で、粗忽な人は、粗忽なメールを打つ。

 お粗末な内容の電子メールでの洪水が、仕事の効率を下げ、帰宅を遅くし、家庭不和となり、会社は儲からなくなり、自分の時間(命)を削る結果となる。膨大な設備投資をする前に、やるべきことがあるだろう。その意識改革がない限り、いくら高価なITを入れても、無駄である。かえって、会社の収益を下げる。その例が電子メールで、それに振り回されてはいませんか?

 

気配りを

 電子メールでの情報構築には、それ以前の気配りが必要である。業務のメールは、上司に読んでもらわないためにメールを送るのだ。仕事だから、報告はせねばならぬ。その情報をどう処理するかは、受け取り手の責任である。送ったメールを全て読んでもらおうとは、厚かましい根性だ。

 メールを送った相手に、読む優先順位を付けてもらう配慮が、送り手に必要だ。上司は情報の洪水に溺れている。大企業の部長、室長クラスで、日に100~200通のメールが飛来する。1通1分としても、一日に2時間はメールを見るだけで拘束される。だから何が重要か、緊急か、目的は何か、をメールタイトルで選択可能にするが、送り手の責任(気配り、礼儀)である。

 

貴方のメールは見てもらっていますか?

某自動車会社の技術部某室長曰く: 「ccメールは見ない」

前職の会社の製造部の某部長 「ccメールは見ない。人の名前を見て、見ずにゴミ箱へ(アーカイブへ)。19時からメール処理をする。この時間帯は開封速度以上に新メール殺到でうんざり。」

間接部門の某部長: 「深夜にメール処理をする。この時間でも見る速度以上に新メールが来て閉口」

技術企画部室長 「人の名前と題名で開封順序を決めて処理する。それでも未開封メールがたまる一方。お粗末なメールを見ると血圧が上がる。メールの内容で発信者(個人、他社)の業務能力を評価する。」

 

仕事占い

 文は人なり。メールを見れば、人格と業務能力がわかる。メールを発信しないのは仕事をしていない証拠。電子メールで効率を上げるのがIT利用の本筋。

 

電子メールで受信者を驚かせてはいけない

 Don’t surprise your audience by your poor e-mail.

Surprise の定義

 the feeling caused by something unexpected

 an unexpected event

 

メール題名とメールの中身が違っていると、受信者はびっくりする。

 「ナニ、今から会議だと! それならちゃんと『会議案内 6/9』と書いてよ!」

 Eメールはびっくり箱ではないのだ。しかし現実は往々にびっくり箱であるケースが多い。

 

電子メールでの情報構築の基本

Eメールの題名はWWHで

Eメール題名の文字数はWWHの情報(「論題(topic)」と目的(purpose))を含めて15文字程度にする(画面の制約上)。

会議案内の題名には、プロジェクト名、会議日、会議名等を含める。

理由:これにより題名だけで、その情報の80%が伝わり、メールの開封処理の優先度が選択できる(読み手にとって)。

 

必要情報

 Eメール題名:WWH(いつ、何を、どのように)

 報告書の内容:5W1H(いつ、何故、何を、何処で、誰が、どのように   

 報告書の題名:WH(何を、どのように)

  →必然的に、1メール、1要件になる

 

Eメール回送の意図を

 自分の所に来たメールを回送する場合、冒頭に回送者の意図を追加する。

 例1)「FDD:マルマル会議」 (オリジナル)

     →「10/5代理出席依頼  FDD:マルマル会議」

    「資料作成依頼 FDD:マルマル会議」 直接担当者宛

    「cc 資料作成依頼 FDD:マルマル会議」 関連職制宛

      ↑

    回送者の意図を追記する

 

議事録送付の場合

 通信欄は議事録の結論か要約部分をコピ-して張り付ける。それで、もっと情報が欲しければ、読み手は添付ファイルを開いて読む。詳細の議事録は添付ファイルにする。できれば、通信欄だけで書くのが推薦。

 

電子メールの禁則

・メールより、直接対話か電話で。どうしても事情があればメールで

  ビジネスの基本はFace to Face。

  だめなら電話で。それでも駄目ならメールで。

  携帯電話番号の公開(推奨)すること。今時、携帯電話の番号を公開しないビジネスマンなど、私は人間的に信用しない。

・1メール、1用件

  添付ファイルは極力なし

  添付ファイルの場合は、要点を通信欄に記入。

  添付ファイルを開くのは面倒です。

・メールタイトルの冒頭に【】をつけて強調しない

・冒頭の目的語に「送付」は使わない

  メールの機能は「送る」に決まっている。 何を送ったか、目的は何かが重要。

・表題は簡略にする。

   表題は、正式名称でなく簡略形に。「なになにの件」は使わない。

 「・・・について」の「ついて」は使用禁止

  何なにの目的語を冒頭に書く

・安易に転送しない

  無差別に転送するのは、相手の業務妨害。メールが来た以上、開封して読まねばならぬ。それが直接関係ない場合、大きな時間ロスになる。

・表題に〈〉は使わない    

・なるべくスクロールしなくて見えるように

  簡潔に一画面で最初の要点が分かる様に

・時候の挨拶なし

  社内メールでは「いつもお世話になっています」は書かない。(社外はOK)

    ていねい過ぎる言葉は厭味である。書いてあれば読まねばならない。1秒1円のロス

・担当直入に記述

  電子メールは電話と手紙の中間のコミュニケーション手段。

  冗長な前置きは不要

・返信時、むやみに引用しない

  何通もの返信や転送のメールを転送して送付する場合は、自分としての全体の要約を書いて相手に自分が何をして欲しいかを伝える。

・一行を最大40文字以内で

  機種や送付先のメーラーの機能の関係で、長い行は強制的に折り返されてしまい、読み手が読みにくくなる。

なるべく左寄せで

  空白文字を打つのも時間がかかっています。時間がかかるとはお金がかかること。

・メール文は箇条書きに

・絵文字はビジネスでは使用禁止

  ビジネスマンの品格を疑われます

 

下記は不適切メールの実例(カッコ内は私のぼやき)

  こんなメールが毎日、大量にくれば気が狂う。

「Re(2):シナリオ作成依頼」 (実は、キックオフ大会延期の通知)

「02 sqc 実績」  (それについてどうしたの?)

「本日の講演会の準備」 (実は準備の招集令状だった)

「Fw:Fw:回答します」   (何のこっちゃ?)

「ご参考」        (何の?)

「ご依頼の件」  (私はあちこちに依頼していて、これでは何のことか?)

「***の会 代表総会について」 (実は招集令状でした)

「Fwd:ガラス等の件」  (目的項なし)

「よろしくおねがいします」  (何のこっちゃ?)

「どうもです   (何のこっちゃ?)

「雛形モデル作成の進捗状況について」 (それがどうした?)

「CAD教育の件」 (中身は想定外の要件だった)

 

 

2019-03-10 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

累計閲覧数70,000回突破

お陰様で当ブロブの累計閲覧数が、昨日で70,000回を超えました。

皆様の閲覧にお礼申し上げます。

昨日は、体調不良で、ブログを休載させていただきました。今日は更新します。

2019-03-10 久志能幾研究所  小田泰仙

2019年3月 8日 (金)

命の末路 「幽霊友の会」からのお誘い

 命を大事にしたいなら、未来を切り開く生き方を続けること。「幽霊友の会」には入らないこと。最近、会社のOB会のお誘いがあり、K市での懇親会に参加をして後悔をした。そこで会った昔の仲間達が幽霊に見えたのである。OB会は「幽霊友の会」であった。

 

幽霊とは

 幽霊とは、足を地に付けず、手を下向きにして、後ろ髪を振り乱し、上目遣いで、うらめしやと囁く人たちである。遇った人の多くは年金生活で、特に日々やることもなく過ごしているという。そういう人は無精ひげを生やし、服装もだらしがない。目も精彩がない。まさに地に足がついていない生活である。後ろ髪を惹かれるがごとく過去の思い出を語り、仲間と酒の席で時間を潰す。前向きの明日の話はせず、病気や妻の愚痴、家庭菜園、ゴルフ、釣り、旅行の話しばかりに身を入れる。正に手を下に向けての身の上話しである。

 こういう病気になったとの話題に花が咲くが、病気は己が不節制で体を痛めて、体の部位が故障したに過ぎない。それを人ごとのように神仏のせいにして、うらめしや、とぼやく様は幽霊である。定年退職したはずなのに、未だに当時の職位のままに対人関係で酒の席を回っている。まだ後ろ髪を引かれている。

 

『現代の平家物語』を語る

OB会で、昔の仲間が足に地を付けない生活に堕ちて、過ぎ去りし恨み話や過去の肩書きで話に興じて、手を下向けて病気や妻への愚痴の未来なき話に興じる様は、幽霊の所業である。幽霊まで行かなくても、片足が棺桶に入っている。目の前にいる相手が幽霊と見えないのは、己が盲目の琵琶法師「耳なし芳一」のように、壇ノ浦に沈んだ平家武士の怨霊を前にして、昔話を弾き語っているのと同じである。『現代の平家物語』が、栄光と没落の会社物語として語られる。会社の寿命は30年である。未来への投資を怠った会社は、合併で消え幽霊となった。幽霊の仲間に取り囲まれ、過去の話に加わると、己にも幽霊の「気」が乗り移る。朱に交われば赤くなる。幽霊に交われば、陰気になる。あの世が近くなる。

自分の体中から「元気」と「未来」という陽気を発して、幽霊を追い払おう。掌を上に向けて、来る縁をプラスに受け止めて、前向きに生きる仲間と議論をしよう。そうすれば少しは長生きができる。

P10406492  平家物語歴史館(高松市)にて

 

50年ぶりの中学時代の同窓会

仏像彫刻美術館の館長さんが50年ぶりで、中学時代の同窓会に参加した。同期の約200名のうち、33名が既に鬼門に入っていた。残りの大半は、前記OB会の仲間のようにラフな格好で、話題も病気や家庭菜園、ゴルフ、釣り、旅行の話しばかりだという。残りの10%がまともな格好で、まともな話しをする仲間であった。人の真の評価は、60歳からと感じたという。

 笑い話として、館長さんが仏像彫刻美術館に勤めている話しが、仏壇屋の番頭をしているという話しに化けていて、それを打ち消す説明に四苦八苦したという。自分の世界に閉じこもり、仏像美術と言う世界を知らないし、理解しようともしない。広く知識を得ようとしない。まさに認知症の世界の入り口をさ迷っているようだという。60歳過ぎても仕事をしている幸せを感じたという。仕事をしていれば多くの人と出会える。仕事をしなければ惚けるの当然である。

 

会社の同期会

その後、私は同期会にも誘われた。同期なら意気が合うはずと参加したが、状況は前のОB会をあまり変らなった。みんな人の良い爺になっていて、病気や孫の話しばかりで、未来の話が全くないのだ。私みたいな現役は私を含めて3名しかいなかった。同期会の一人に、元役員がいたが、ふんぞり返っていて、会社をつぶした経営者の一人との認識が無いようで、一緒に話すに値しないと判断した。

 

幽霊にならない人はゾンビになる

 もっと恐ろしいのは生きたままゾンビになること。認知症になり、わが子も認識できなくなり、脳死同然の状態で、親の仮面を被って夜な夜な、ベッドから抜け出し徘徊するさまはゾンビである。精魂込めて介護しても、「お前はだれだ、俺をベッドに縛り付けてお前は鬼か」と罵られては、わが子は心身ともに疲労困憊である。手塩をかけて育てた子供から虐待をされ、家族からはゾンビと思われるのも、全て己の不摂生が招いた因果である。この世の地獄である。

 

 在宅介護する家族の80%がストレスを感じており、35.5%が憎しみさえ感じている。虐待したことがあるかの質問に、12.3%がイエスと答えている。重い認知症の場合、は26.9%がイエスと答えている。

   (調査は連合加盟の労働組合からの1381件の有効回答より 2014821日 産経ニュースより)

 

妖怪ばばあ

2014911日朝7時半ごろ、散歩の道中の喫茶店に寄ったら、老女4名が大声で吼えていた。曰く「薬を飲みテレビを見ていて寝てしまった。テレビが付けっ放し。そのため夜に寝むられず、睡眠薬を飲んだ」。静かな朝の喫茶店内でゾンビ行動である。歳はとってもボケたくはない。淑やかであったはずの日本女性も歳を取ると化け物になる。

 

次の川柳を笑える人は幸せである。そのうち、笑えなくなる日がやってくる。それが一日でも遅くなるように精進をしたいもの。

起きたけど寝るまで特に用もなし

Photo_2馬場恵峰先生書  2013214

 

 『命の器で創る夢の道』p233より

2019-03-07  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

グローバル経済主義狂の牙

 現在はグローバル経済競争という宗教が、世界中で猛威を振るい、従来の価値観を破壊しつつある。特に世界の大企業は、この宗教に帰依しないと生き残れないとして、この「宗教活動」の布教に邁進している。この宗教が国家の時間を食いつぶしている。次のステージは暴動、国家崩壊である。国民が不幸になるために働く社会が正常であろうか。大垣市も市長の悪政のせいで、グローバル経済主義狂の病に冒されている。

 

貧富の差の拡大

 行き過ぎたグローバル経済競争の結果が、一部の特権階級が99パーセントの富を独占し、貧富の差を拡大し、年功序列の価値観を破壊し、国民の多くを不幸にしている。成果主義の過度な増長である。ゴーン元社長のように年収10億円の社長がいる一方で、生活保護者が216万5000人いる。これは、100人に2人の貧困者割合であり、何かおかしい。それでいて、ゴーンのように保釈金10億円を平気で払える身分の人種がいる。

 

生活保護者の増加

 日本の生活保護受給者は約216万5000人で、高齢者世帯がおよそ半数を占めてる。生活保護費負担金は3兆8431億円で、国が75%を負担し、自治体が25%を負担している。(2014年9月現在、厚生労働省)

 実に国の予算の3%が生活保護に向けられる。国の政策が根本的におかしい証拠である。国の政策は、日本人全体を貧困家庭化するようだ。

 

国の「宗教」政策

 企業が海外進出をすることで国内の生産を減らし、結果として労働市場を縮小させ、非正規社員を増加させ(1,850万人 全体の36% 2013年)、フリータを増やし(178万人 2009年)、失業者を増やし、自殺者(年間3万人強)を増やしている。古い価値観が崩壊している。儲かっているのは特定の企業のみである。多くの人が不幸になる「宗教」とは正しいのだろうか。

 新興宗教でも教団が金持ちになり、信徒が貧乏になる構図を表している。

 

食の安全危機もグローバル経済主義が原因

 金儲けだかが最優先で、食の安全は二の次になる。これが日本のガン患者の増加になる。

 

大垣の文化の貧困化もグローバル経済主義狂が原因

 拝金主義なので、文化芸術活動への協賛金は儲けにならないと経費削減の目の敵にされ、最低限の金しか出さない。大垣財界が結託して、文化関係の寄付には横並びで雀の涙金しか寄付しない。これが大垣の文化を貧困化させる要因である。

大垣市への寄付は売名行為

 大垣市は、大企業の売名行為の寄付ばかりである。寄付をして小川敏市長とツーショット写真を岐阜新聞、中日新聞に掲載してもらえば、企業の宣伝となる。それには百万単位の金を出すが、金儲けにならない文化・芸術関係には殆ど金を出さない。出しても2万円である。それもグローバル経済主義狂の影響である。金儲けのためには、余分な経費は出すな、である。

 大垣市の大企業にとって、大垣市への寄付は宣伝広報費なのだ。小川敏市長に媚びを売って、政治的に便宜を図ってもらう為の経費なのだ。本来、市民税をやりくりして、大垣市の行政運営をしなければならないのに、小川敏市長は企業に寄付を強要し(そうとしか思えない)、己と寄付企業の宣伝を岐阜新聞、中日新聞に掲載してる。二つの新聞社もグルなのだ。その金が何処に消えたか、不明である。

 赤い羽根共同募金でも、小川敏市長が音頭をとり、金を集めているが、その金の2割は使途不明金である。寄付金として集めた金額の7%は、集めた団体にキャッシュバックされ、宴会費用や研修会という名目の温泉宿への大名旅行の費用に使われる。

 頻繁に、小川敏市長と寄付企業のツーショット写真が、岐阜新聞、中日新聞に掲載されれば、寄付は売名行為として子供たちにもそれが分かり、道徳が廃れる原因となる。本来、寄付は陰徳で、名前を出すのは厚かましい行為である。

 

グローバル経済主義という名の宗教

教祖   欧米の特権階級、各企業のトップ

御神体  拝金主義が求めるマネー

経典   グローバル経済主義と拝金主義という教義

      金儲けが最優先、勝者のルールを弱者に押し付け一人勝ち

      1%人が99%の富を独占するのが自然の法則という定め

      貧困層が激増するのも神の思し召し

      (経済学と科学が浸透すれば、貧困は無くなるはずだが?)

寺院   大企業、グローバル企業

信徒   大企業の経営者(中小零細企業は対象外)

異教徒  一般大衆

 

ジニ係数

 ジニ係数とは、主に社会における所得分配の不平等さを測る指標である。ローレンツ曲線をもとに、1936年、イタリアの統計学者コッラド・ジニによって考案された。所得分配の不平等さ以外にも、富の偏在性やエネルギー消費における不平等さなどに応用される。係数の範囲は0から1で、係数の値が0に近いほど格差が少ない状態で、1に近いほど格差が大きい状態であることを意味する。ちなみに、0のときには完全な「平等」つまり皆同じ所得を得ている状態を示す。社会騒乱多発の警戒ラインは、0.4である。

 

ジニ係数  1975年  2015年

中国          0.61

ブラジル   0.57       0.61

アメリカ   0.32     0.43

イギリス       0.27     0.37

日本             0.25     0.35

フランス       0.29     0.33

ドイツ          0.27     0.30

デンマーク      0.25     0.25(2010年)

フィンランド   0.21    0.22(2010年)

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ローレンツ曲線

 もっとも平等な社会はジニ係数が0で右図の緑線で示される。不平等ほど下凸の曲線で、示される。完全不平等ではジニ係数が1の赤線で示される。この場合は99人が貧乏で、1人が富の99%を独占している状態を示す。

 アメリカではグローバル経済主義で拝金主義が横行して、貧富の差が急拡大している。中国ではジニ係数が0.612012年末)になり、暴動発生寸前の状況である。これも経済特区を作り、経済最優先で驀進して、中国特有の特権階級が富を独占しているからである。金持ちは益々金持ちに、貧乏人は益々貧乏になっていく。

 高福祉国家のデンマーク、フィンランドはジニ係数が低い。フランス、ドイツ、日本はまだ平均的なジニ係数の値である。

 20148月、米国・ミズーリ州で黒人青年の警察官による射殺事件をきっかけに抗議デモ、暴動や略奪行為が起こり、夜間外出禁止令も出る騒動になっている。この背景にはグローバル経済主義の行き過ぎがもたらす貧富の格差の拡大による貧困層の不満の爆発がある。世界最富裕の国で暴動、夜間外出禁止令である。世も末で、米国も中国を笑えない。

 

合成の誤謬

 「合成の誤謬」とは経済用語で、個々の場合には正しいが、全体となると正しくないことを意味する。グローバル経済主義は、個々の企業には都合が良いが、社会全体には不都合な結果をもたらす。

 

『命の器で創る夢の道』p106より

2019-03-08  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月 7日 (木)

魔法の薬入り牛丼は美味い、だから禁止

「佛は牛丼を我慢する」(2017/6/4)を改定

 誰が河村義子先生を殺したのだ?

 

ファーストフード禁止令

 ロワジールホテル大垣の料理長・齋藤さんは修行時代に親方から「牛丼、カレー、ホンだし入りの味噌汁は食べてはいけない」と指導された。牛丼が世に出回り始めた頃の話である。

親方曰く「牛丼はあまりに美味しすぎて味覚が麻痺するので、料理人として食べてはならない」普通の料理方法では、あれだけの魅力的な味は出せないという。魔法の調味料(味覚を麻痺させる化学調味料)を多量に入れてあるからだという。だから味覚も確実に劣化する。多量に食べ続ければ、何時かは体がおかしくなる。またそんな美味しいものが280円で食べられることが異様である。安いものにはワケがある。

 

牛丼の添加物の発がん性

牛丼が美味く、安いのには訳があった。その牛丼のタレには粘り気を出すために増粘剤が使われている。その増粘剤には、発癌性が疑われているものもあるという。増粘剤の一部は、EUが幼児用食品に禁止している。なおかつ、スーパー等で売られている食品はその成分の表示が義務付けられているが、食品表示法において、外食事業者は使用する添加物を明らかにする義務がない。

「週刊現代」の編集部が、外食産業にその添加物の内容を聞き込み調査しても、殆どの外食産業は回答を拒否したという。各企業は他社との価格競争に打ち勝つために、料理の質を向上させるよりも、コストダウンが最重要課題である。外食産業は人手不足で、人件費は高騰している。また魚などの原材料費が値上がりしている。だから各企業はコストを下げるために、添加物で味をごまかしている。(この項、『週刊現代 「あの有名牛丼屋でも発がん性物質が使われていた」2019316日号』をもとに記述)

 

ガン患者の急増の怪

牛丼が世に出回り始めた40年前の日本の医療費総額は、10兆円ほどであったが、現在は40兆円を超える。医療費総額の最高額の更新は12年連続である(20159月現在)。医療が発達しても患者は増え、医療費は増える一方である。最近はガン、認知症、糖尿病の急増である。今では若年性認知症まで蔓延している。当時は、認知症など話題にも上らなかった。何かおかしい。その医療費の増加は、日本のファーストフードの普及の歴史と重なる。ファーストフードに含まれる、糖分、劣悪油、添加物、抗生物質や成長ホルモン、女性ホルモン(牛や鶏の餌に含まれる)を多量に日本人が摂取しはじめたせいではないかと私は推定している。

河村義子先生は、10年まえに乳がんを患い、それは完治したが、5年まえに腹部にガンを発症させ、2018年12月25日に亡くなられた。日本の食品に含まれる添加剤、抗生物質、成長ホルモン、女性ホルモンが原因だと私は思う。これは、行政の規制の怠慢である。全て利権につながっているので役所も及び腰だと思う。これは日本のガンである。

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乳がんの激増

 1975年から2018年で、乳がんが21人から98人(10万人あたりで)に増加である。実に4.7倍の増加である。子宮がんは2倍、大腸がんも2倍の増加である。(愛知県がんセンター調査)。何かおかしい。それは1970年頃からの高度成長期、急速に進んだ食の欧米化で、乳製品、肉類の消費量増加が原因と推定される。特に女性ホルモンの混入した乳製品を消費しだしたのが原因と私は推定している。大腸がんの増加も食の欧米化で野菜類の消費が減ったのに起因する。

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カップラーメンの怪

私は若いころ、胆石症を患って、胆のう摘出手術を受けた。その後、カップラーメンを食べると、てきめんに下痢をするようになり、カップ麺を食べなくなった。油を消化する酵素を濃縮して出す胆嚢がないので、体がカップ麺の油を受け付けないようだ。つまり、カップ麺には人間の体に合わない油を使っているようで、私の抵抗力のない体が正直に反応したようだ。お陰で、この40年間、カップ麺とは縁のない生活をしている。

 

カップラーメンは毒?

当時、カップ麺を食べた後、そのカップを後から容器として使おうと流しの水に漬けて置いたら、いつの間にか大きなムカデがそのカップに入って死んでいて、気持ちが悪く、ぞっとした記憶がある。要は、カップ麺のカップに残った汁を吸って、ムカデが死んだのだ。それは人間にも、体に良いわけがないと悟った。

 

体の門番

とは口という門から入る食物を毒見する六根の一佛である。六根とは六織を生ずる六つの感官(眼・耳・鼻・舌・身・意)の称である(佛語)。そのお役目は体の防衛である。しかし化学調味料はその六根の門番さえも騙してしまう魔物である。

 

 カレーは、いつ何処で食べても美味しく食べられるので、味覚が麻痺させられる。カレーには香辛料が多く入っている。香辛料とは胡椒等の本来の味を誤魔化す調味料である。胡椒とは保存技術の無い中世ヨーロッパで、腐りかけた肉を少しでも美味しく食べるために、腐臭を誤魔化すために使った調味料である。腐った肉が体に良いわけが無い。その腐臭を誤魔化すための香辛料も体に良いわけが無い。

胡椒が宝石のように高価なインドの特産品であったので、奴隷商人のコロンブスは、胡椒の新しい運搬航路を求めて新航路を探す旅に出て、新大陸を発見した。その後、アメリカ原住民のインディアン600万人が、アメリカ人(イギリス人)により虐殺された。カレーとは、そんな曰くつきの料理である。

 

ホンだしも化学調味料であるので、同じ理由で不可である。齋藤さんがある土地でメチャウマのラーメンに出あった。その料理をするところを見ていたら、小さじ一杯の白い粉を汁に入れていた。白い粉は、味の素に相当する化学調味料の何かであったようだ。

 

我慢とは煩悩である

我慢とは七慢の一つである(佛語)。七慢とは、過慢、慢過慢、我慢、増上慢、下劣慢、邪慢を言う。慢とは「忄」(心)+「曼」〔音〕で、「心が伸びたるんで怠る」を意味する。「我慢」の意味は、①我をよりどころとして心が高慢であること、②我を張ること、③じっと耐え忍ぶこと、である。当初の意味の「自分自身に固執する」ところの①の意味から②に転じ、さらに③の意味となった。

 七慢は人が持つ煩悩である。その煩悩を断ち切るのが不動明王の持つ宝剣である。佛法、佛像を作り出した古代の賢者は、人の持つ慢心を知っていた。慢心を持つ人の本質は、2千年前から少しも変わっていない。それが、今でも不動明王が現役で活躍する所以である。

 

2019-03-07  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

人生の回数券

 寝ていても 走りゆく 夜汽車かな

どこへ? 浄土へである。寝ても覚めても、我々を乗せた汽車は、冷酷に西に走り続けている。その人生という乗り物の行き先は、「死」である。人は、人生のレールの上を、ひたすら死の終着駅に向かって走る汽車に乗っているようである。人生の汽車の乗車券は、回数券であって、定期券ではない。人生で使える回数券の総数は決まっている。一度使ってしまうと二度と使えない。時間という回数券を全て使い切ると、死が待っている。

 

回数券の有効期限

 勉強するにも、効率的に勉強できるような回数券は、若い時しか使えない。歳取ってからでは、その回数券は期限切れで使えない。暴飲暴食や体を痛める習慣で乗車すると、回数券を余分に出す必要がある。

その回数券も有効期限付きで、時間の使い方次第で、その有効期限が書き換えられる。人生の免停(大病)があると、期限が短縮される。自分は、日ごろ、有効期限を早くする悪さをしていないだろうか。それは身内である37兆個の自分の細胞を虐めること。それを罪と言う。暴飲暴食、不摂生、夜更し、運動不足、ファーストフード、スナック菓子、清涼飲料水….

 

最後のあがき

最期になって、その回数券の枚数が足りなくなったから、「金はいくらかかってもいいから、回数券を売ってくれ」と医者に泣きつき、拒否されると、「お前は藪医者か!」と罵っても手遅れである。

 安いというだけの理由で回り道をしての買い物は、時間と言う回数券の無駄使いである。そんなことをすれば、人生の残り時間は確実に減る。お金は節約できても、人生最期の土壇場で、「時間が足りないで症候群」に陥る。その時には、時間はお金で買えない。お金で時間を買えるのは今だけ。

 

冥途行き最終列車

最近は三途の河を渡るのに、舟ではなく汽車になった。時代の流れである。三途の川を渡る列車に乗るには、お一人様1回限りの最終回数券が必要である。

最近は、三途の川へ行くのに、病院のベッドの上で、それがそのまま夜行寝台(死んだ)列車に変わって、それで浄土に逝く。病院の病室がそのまま死の寝台車となり、ベッドが棺となる。夜行寝台列車は、棺を乗せて、西に向かってひたすら浄土を目指して走っていく。

 

理想の死

死ぬ理想は、現役のまま、前のめりで斃れることだ。今はそれが難しい時代である。ちょっと油断すると、多方面から病魔が襲う。日本人の多くは病院で、多くの管を付けられて、安らかでない死である。時には暴れないように、ベッドに縛り付けられての病院暮らしである。毎年、日本人は、100 万人が生まれ、100 万人が死んでいく。毎年、995千人がガンになり、日本人の2人に1人がガンで死ぬ。理想的な死は、自宅での老衰の死だが、そんな幸せな人は1%しかない。そうなるように、親から頂いた命を大事にして精進をしたい。

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 終末医療での死。病院の病室が夜行寝台列車の客室のようだ。西の空が夕闇に包まれていく。観音菩薩様のような優しい看護婦さんが、死を見守ってくれる。(名古屋の某病院にて)

 

三途の川行き最終電車

あなたの乗る電車は、鈍行? 特急電車?

上り電車? 下り電車?

始発? 最終電車? 

自由席? 指定席? グリーン車?

単線? 複線? 

 乗り換えは何回目?

 終着駅への到着時刻は、自分の生き様で変わる。途中の成果も回数券の使い方次第。

 

めぐり逢い

めぐり合いは一瞬で決まる。早すぎず遅すぎず。しかし二度とは巡ってこない。それは命と命の巡りあい。命の存在が奇跡なら、巡り合いも奇跡である。還暦を過ぎてやっとそのことに気がついた。日暮れて途遠し。親から頂いた命を大事にしよう。

 

仏法ご聴聞の心得

一つ、この度のご縁は、今生初めてのご縁と思うべし。

一つ、この度のご縁は、私一人のためのご縁と思うべし。

一つ、この度のご縁は、今生最後のご縁と思うべし。

          青山俊董著『道元禅師・今を生きるとは』より

Photo 馬場恵峰書。明徳塾の会場で、この書を見付けて、思うところがあり、即決で入手した。2013

 

 『命の器で創る夢の道』p259より

2019-03-07  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月 6日 (水)

豪徳寺に参拝(1/3)

 20151012日、弘前市の新戸部八州男社長を訪問した後、翌日、豪徳寺を訪問して、井伊直弼公のお墓所と日下部鳴鶴の墓所に参拝した。

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豪徳寺の由来

彦根藩二代目藩主井伊直孝公が豪徳寺(東京都世田谷区)の近くを通りかかった時、猫が手招きをしたため、お寺に入ったところ、丁度激しい雷雨が降りだし落雷の難を危うく逃れたという逸話がある。そのため和尚の法話を聞くことができ、後に豪徳寺を井伊家の御菩提所としたといわれる。一説には招き猫発祥の地ともされている。

豪徳寺では「招福猫児(まねぎねこ)」と称し、招猫観音(招福観世音菩薩、招福猫児はその眷属)を祀る「招猫殿」を置いている。招猫殿の横には、願が成就したお礼として、数多くの招福猫児が奉納されている。

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   『書天王が描く世界』 p36より

 

2019-03-06  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

私はこれ(小指)で、※※をやめました

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神仏の啓示

神仏は己のためにメッセージを発信している。心を澄ませてその声を聴こう。大事な人生を無駄にしないために。

 

チャーミングな招き猫との出会い

・伝説

 私の生まれ故郷の彦根は、招き猫の産地(?)として有名である。彦根藩二代目藩主井伊直孝が豪徳寺(東京都世田谷区)の近くを通りかかったとき、猫が手招きをしたため、お寺に入ったところ、丁度激しい雷雨が降りだし落雷の難を危うく逃れたという逸話がある。そのため和尚の法話を聞くことができ、後に豪徳寺を井伊家の御菩提所としたといわれる。一説には招き猫発祥の地ともされている。

 豪徳寺では「招福猫児(まねぎねこ)」と称し、招猫観音(招福観世音菩薩、招福猫児はその眷属)を祀る「招猫殿」を置いている。招猫殿の横には、願が成就したお礼として、数多くの招福猫児が奉納されている。

Photo_2    豪徳寺

 その経緯で、この近辺と彦根城の近くには、招き猫を中心とした猫グッズ専門店が多くある。ちなみに招き猫は右手で招くものと左手で招くものがあり、右手がお金を、左手が人(お客)を招くそうだ。この招福猫児は右手を上げており、小判などを持たない素朴な白い招き猫である。緩キャラの雄、ひこにゃんもこの伝説から派生しているようだ。

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ひこにゃん   彦根城の天守閣の石垣の前でポーズ

(2011/01/08)  ウィキペディア  http://ja.wikipedia.org/wiki/

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伊藤石材店(彦根市)の店頭で

・出会い

 父の三回忌(2004年)を終えて、彦根の城下町を歩いているとき、偶然、招き猫専門店「招福本舗」を見つけ、そこで「もりわじん」の招き猫(全高20cm)を一目見て気に入り、連れて帰った。36,000円もした高価な猫である。これも出会いである。部屋に飾って眺めているが、会社で嫌なことがあっても、上品で柔和なこの三毛猫の顔を見るとなぜか心が安らぐ。会社に行くときもこの顔をみると元気になって出発できる。私の守り神(招猫観音)様である。今は仏壇のある座敷のテーブルの上に鎮座して、訪問されるお客様を見守っている。

 これは芸術作品である。一点一点焼いて製作した陶器ですから、同じものはない。また毛並みの描きこみも絶品ものである。数ヵ月後、親戚の叔母に贈ろうと買いに行ったら、値段がかなり上がっており、一回り小さいサイズの猫しか手に入りません。「もりわじん」の猫は人気商品になったようである。その後、この種の猫を探しましたが、これ以上の魅力ある猫ちゃんにはお会いしていません。いい時期に出合えたと思う。芸術作品の出会いは一期一会。これもご縁である。井伊直弼の言葉は、「一期一会 余情残心」。

 

出世ぶり

 201117日、彦根の街に出向いて、7年ぶりに「招福本舗」を訪れて、「もりわじん」の猫と再会した。なんと同じサイズの猫の値段が、当時より7倍にも跳ね上がっており、20万円では手に入らない。お店の人に聞いたら、人気が出て高騰しているとか。当時のことを話すと、「ずいぶんお値打ちに入手されましたね」と感心された。いつの間にか、お宝探偵団に出せるお宝になっていた。氏の作品は東京で専門のギャラリーを作られてそこでも展示がされているとか。

 あまりの「出世?」ぶりに敬意を表して、特注ガラスケースにいれて「箱入り猫」として、大事に飾ることにした。また出入りの畳屋さんが、専用の敷き畳も作ってくれるご縁を頂いた。座布団に座った猫ちゃんには畳の上が似合うようです。


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  自宅の招き猫「箱入り猫」

「もりわじん」のプロフィール

 1957年、日本生まれ。カルカッタ、ソウル、ニューヨークなど、世界の各都市で個展を開催。生命形態作家として、独自の活動を展開中。生命(生き物)をテーマに、平面、立体を問わず、あらゆる手法で生命の大切さや生きることの心地よさを表現しています。(以上、第二回来る福招き猫まつり解説より転載) 特に猫や招き猫をモチーフにした作品は、その独特な雰囲気やユーモア感で、高い人気があります。(2010/12/21)

http://spysee.jp/%E3%82%82%E3%82%8A%E3%82%8F%E3%81%98%E3%82%93/1564975/#lead

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・招き猫の恩返し

 ある日、某経営研究会の元会長が自宅を訪問して、彼が帰った後、片付け中にこの招き猫のいる座敷の真ん中で滑って転び、右小指を骨折してしまった。60年間も生きてきて自宅内での骨折事故である。

当時、全国組織である某経営研究会(会員数約4,200名 20139月現在)に入会したばかりである。そこで知り合った元会長からある宗教団体を勧められて承諾をして、入会の秘密の儀式の出向く段取りが進んでいた。相手が信用できると思われた元会長である。その紹介者も大きな会計事務所の会長で、事務所4階の大きな会長室で教団の素晴らしさを説法されてしまった。試しに入会して駄目ならすぐ退会すればいいと安易に考えての入会承諾であった。

この骨折でなにか胸騒ぎを感じ、その宗教団体を調べたら、危ない新興宗教であることが判明した。入会金は38万円だが、その後のお布施の額が半端ではないし(概算計算で数百万円を超える)、退団はとても難しい(信者が自宅に説得に大勢押しかけてきて、「退会すると地獄に堕ちるぞ」と脅迫する)ことが判明し、訴訟も数多く起こされていることが判明した。急遽、入会を断った次第。骨折は、招き猫からのメッセージとして受け止めた。この招き猫は、招猫観音である。

 この2年後、私は白内障手術の後、網膜はく離を患った。目の耐力が人よりも弱いようである。この教団の修行として太陽を直視する行があるようだ。もし入信していたら、その修行で失明していた恐れがある。私を勧誘した元会長は、以前に眼底出血で失明寸前になったという。元会長は何も言わないが、この修行が原因であると私は推測している。恐ろしい事態になるところであった。

私は小指の骨折の啓示で、事態の不審さに気づき、某宗教団体への入団を取りやめることができた。合掌。

 

後日談

後日、松本明慶仏像彫刻美術館の館長さんから次の話を伺った。「以前にその教団から仏像製作の依頼があり、10体の仏像(一体5百万円)を納仏した。それがわずか1カ月で、教団内で全て完売した。それも売値は3倍である。その仏像を教団の専門販売店に展示して、そこに教祖が来て「この仏像は素晴らしい」と囁いたら、信徒達が争うように買い求め、10体の仏像が瞬く間に売れてしまった。1ヶ月間で売上1億5千万円、純益1億円。また他の仏具も同じ手口で「囁く」とのこと。趣旨が違うので、以後の注文は全てお断りした。」

 

 心を澄ませて、耳をそばだてよう。無心になれば神仏の無言のメッセージが聞こえる。ご先祖様は自分を守ってくれるため、メッセージを発している。この世では全て最高のことしか起こらない。病気も怪我も自分を守るための最高の事象である。それに気がつくと大事な自分の命(時間)を永らえることができる。

 

2019-03-06  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。