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2019年3月

2019年3月 5日 (火)

磨墨知14.人生の大事を急げ

   あなたの人生の目的は何?

  されば一生のうち、むねをあらましきから事の中に、いずれかまさるともよく思い比べて、第一の事を案じ定めて、其の外は思いすてて一事にはげむべし。(徒然草188段-3)

 

 苦い薬を飲むのも、辛い手術を受けるのも、瀧に打たれるのも、部下を叱るのも、左遷の道を歩くのも、全て自分の人生目的達成のため。不運になれば、逃げずに全力で向き合おう。

 災難、トラブル、不合理人事に見舞われるのも、全て人生目的達成のため、神様が、「これでも人生目標をやれるかい?」と試している人生試験なのだ。そんなことでめげていては、人生目的は達成できない。トラブルが無いうなら、その人生目的は、大したことのないものなのだ。

 

歌やゴルフ、麻雀が下手で負けてもいいではないか。酒が弱くてもよいではないか。着る服の選択に時間を取られるより、白のカッターシャツと菜っ葉服の制服を機械的に着て、仕事をしよう。人生で付随的なことに強くなるために時間をかけて時間を無駄にするよりも、自分の人生目的の達成に力を入れよ。

 

2019-03-05  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月 4日 (月)

創る人は獣道を行く

高塚画伯の哲学

 高塚画伯の持論、「よい絵を描くには、批判眼を持たねばならない。『上手い絵』は描いた量に比例し、『良い絵』は考えた量に比例する。」

 私はあるアウトプットを評価するのに、「美しい□□」との表現を好む。これは「良い(絵)」との表現と同意語である。この表現は全てに当てはまる。文章、作曲、スポーツ等、およそ人間のなす仕事に全てに包括されるようだ。我々技術者は、持てる時間を汗に変え、頭で汗をかき、その思考量に依存した「良い仕事、美しい仕事」を完成させたい。それが美しい時間の使い方、創り方である。

 

師の指導

 「人を指導するのは難しい。先生とは指導する役目柄、何かを生徒に言うが、無言の先生もときにはいる。平櫛田中教授は、生徒の作業中を見回るだけで一言も発しない。あるとき、2人の生徒が勇気を持って自作を教授室に持ち込んで批判を乞うたら、先生はじゅっくり見てから、「もう少し何とかなりませんか」と言ったそうです。ある意味では、もっとも誠実な指導者かもしれない」、と高塚画伯は回想する。自分の人生は自分が創らねばならない。師は方向性が正しいかどうかを教えるが、走るのは自分である。

 

獣道を行く

 独自の人生道を歩くには、我が道、獣道を行かねばならぬ。高塚画伯は「君の絵には汗の匂いがない」と先輩に批評され、それから心して汗の匂わない女を描くことに心掛けたと言う。芸術家としての確固たるポリシー・自我がないと、そうはいくまい。女性を描くことでの、作者の伝えたいコミュニケーション内容は作者の明確なポリシーがないと、評価されない。

 「学ぶのは舗装道路。創るのは獣道」と高塚画伯は断言する。芸術家と科学者、研究者の置かれた立場は同じだ。累々たる失敗の屍の山の中で、自己の実現は難しい。それをやり遂げるのが芸術家だ。優しく美しい女性群の絵の影に、画伯のそんな孤高な姿と、強固な意思を垣間見る。


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 高塚省吾著『高塚省吾の絵の話』(芸術新聞社刊1996年2000円)

『命の器で創る夢の道』p210、『磨墨智383-1.モジリアーニを演じよう』

2019-03-04  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

人生の信号機

 高塚省吾画伯の「信号機」3枚の裸婦画は、意味深長な組み絵である。人生の赤信号とは何か。人生の信号が赤で不運のときである。その時は、自分を見つめ実力の内部蓄積を図って過ごして、信号が青になるのを待つ。その背景から危険が浮かび上がってくる。まず足元を見よ。脚下照顧。黄信号とは何か。襟を立て、上から状況を確認して注意して進む準備をせよ。緑信号は真っ直ぐ前を見て、安全を確認して進め。赤があって緑が映える。

 

高塚省吾画伯の絵を購入

高塚省吾画伯の緑の「セーター」を衝動買いのように入手して、その後、赤の「ショール」を勧められたが(画廊で売れ残っていた)、気乗りがしなかった。「ショール」の女性の目が俯き気味で陰気さがあり、いつもの高塚画伯の描く真っ直ぐ前を見つめる明るい目の女性画でなかったからだ。かなり躊躇をしたが強く勧められて購入することになった。2枚揃うと信号機を連想して、「黄色があるといいね」と画商に冗談で言ったら、その1年後に高塚先生がその黄色の「新涼」を描いてきてしまった。今更、要らないとも言えず、購入資金をかき集めるのに大変だった。嘘みたいな話であった。だから冗談でこの3枚の絵を「信号機」と呼んでいる。

 

芸術作品との出会いは一期一会

これもご縁でしょう。20余年の時間が過ぎて、今にして良い絵を入手で来て良かったと思う。時間が経たないと、そのご縁のありがたさは分からない。もし今の時点で欲しいといっても手に入らない。特に芸術作品との出会いは一期一会である。このことで、欲しいと思った芸術品、ご縁や機会には躊躇せずに決断ができるようになった。その決断の訓練代と思えば、少々の出費ではあったが価値ある絵であった。また資金を捻出するため、『生活VA』という作品(約150頁)が完成した。それ以降、時間とお金の無駄遣いはしない習慣がついた。

 

Photo_2   高塚省吾 「セーター」10号  

Photo_3   高塚省吾 「ショール」10号

『命の器で創る夢の道』p210、『磨墨智383-1.モジリアーニを演じよう』より

2019-03-04  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

目は命を語る

モジリアーニの描く女性の顔は、極端に引き延ばされ、空白な目が虚ろにこちらに目を向ける。黒い眼は外をみつめ、黒目のない空白の眼は、自分自身の内面を見つめている象徴である。自分自身を内観をして自分を見つめ直そう。自分を見つめる事で、未来の時間が創造できる。答えは自分の中にある。

 

目の修正のお願い

  昔、高塚省吾画伯にイメージを伝えて絵を描いてもらったら、完成した絵の目が気に入らなかった。その目は、今まで高塚画伯が描いてきた澄んだ、真っすぐ前を見ている目ではなかった。それで、お願いをして修正してもらった。そのとき、画商に、絵の目の意味を教えてもらった。同じ絵でも、たった一つの瞳の描写如何で、顔の印象が劇的に変わる。今にして、大画伯に大それた厚かましいお願いをしたものだと思う。それを快く修正して頂いたことに感謝である。

 

目のメッセージ

人間の目も同じである。自分の目の輝きというメッセージを相手に伝えよう。目の輝きが人生の希望を示す。若者でも、未来の希望を失い目の死んだ者がいる。老いても、目が輝いている人もいる。

河村義子先生は、命の期限を切られてから、最後の日まで音楽の夢を実現するため一歩でも前進しようと目を輝やかせて生きた。義子先生は志半ばで、走りながら斃れられたが、その志の灯は弟子に受けつがれた。義子先生は、青春の時間を過ごしたのだ。

 自分は時間を真剣に見つめる目を持ちたい。自分を見つめる目、過去と現在、そして未来の自分を見つめる目はどんな目?

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高塚省吾 「新涼」  10号

   『命の器で創る夢の道』p210、『磨墨智383-1.モジリアーニを演じよう』より

 

2019-03-04  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月 3日 (日)

「飽食の罠」が日本人をガン集団自殺化へ

シベリア抑留での食事量を示されると、現代日本の「飽食の罠」に思いを馳せざるを得ない。病気になるのも、全て、食べすぎ飲みすぎ、薬漬けが原因であると私は確信している。

 

食物罠で、日本列島ガン収容所化

 テレビではグルメ番組の氾濫、食い物のCM、行列のできる飲食店の探求番組ばかりである。これでは国民が肥満になり、病気になるも故あること。己を諌める四天王が薬物で麻痺させられている。

 私は、現代の金儲けに重点を置いた商業ベースの食の生産体制が、ガンの増加を招いていると確信している。この40年間で、医療費は4倍に増えたが、ガン患者は減るどころか、逆に3倍に増えた。

 今日本人の99万5千人がガンに罹患する。年間に100万人が生まれ、100万人が死んでいく日本で、99万5千人がガンに罹患するのは異常である。いわば日本人全員がガンになるのだ。日本人の死因の半数がガンである。40年前と死因が激変している。

原因推定 

 この40年間で激変したのが、食生活である。生活環境は良くなっているのにガンが増えている。労働環境の激変で、ストレスが急増している。それもガン発生の一要因であろう。それだけでは、この急増は説明できない。

 このガンの急増を推理すると、食の急激な欧米化に、日本人の2000年かけて培った体のDNAが対応できていないために、体が悲鳴を上げ、体の組織が反抗してガンが急増したと推定される。西洋では2000年来、オリーブ油が使われているが、日本では油料理が普及しだしたのは、明治以降である。特に戦後の食生活の欧米化は急激であった。まるで草食動物の馬が、急に肉食生活をさせられたたようなものだ。それがガン増加の原因と思う。

 

対処療法の限界

 日本政府は、ガン治療の対処療法に力を入れているが、その真因の根本対策を放棄している。それには利権が絡んで、政府も及び腰である。まるで日本人全員が、ネズミの集団暴走で海へ突撃して集団自殺するように、ガンという死の海に猛進しているようだ。

 

肉の生産での発癌物質

 金儲けの為、過密状態で飼育される牛や豚、鶏には、病気を防ぐため、過剰な抗生物質が投与される。効率的な飼育の為、成長ホルモンが投与され、それが牛乳や肉に入り、人間の体に入り込む。牛には仮想妊娠として女性ホルモンが投入され、それが牛乳に入り込む。それは乳がんを誘発させる。日本女性の乳がんの増加の一因と言われている。

 

至福のポイントの罠

 人の健康は度外視して、売れるために「至福のポイント」を人工甘味料、糖分、脂分、油分等で味付けした食品が氾濫している。「止められない、止まらない」と食べ過ぎが誘発される。「うまい安い早い」で、わずか280円で牛丼が提供される。家庭でどう逆立ちしても、あんなうまい牛丼は出来ない。それには、怖しい人工調味料が多量に使われている。それが体にいいわけない。肉は上記の状況で飼育されている。劣悪工場のような畜舎で、大量生産される肉には、自然放牧のような良質の肉は存在しない。防腐剤も多用される。

 

糖分、脂分、油質分の殺人幇助罪

 お饅頭やてんぷら、スィーツ等の御馳走は、その昔は盆暮れお正月くらいしか食べさせてもらえなかった。当時はがん患者も少なく、認知症も少なく話題に上らなかった。

 私はその間接原因を、糖分、脂肪分、脂分だと思う。これらの成分が、血液を汚し、血管内部にプラークと呼ばれる壁膜を作り、血液の流れを阻害する。血液がうまく流れないので、体は自己防衛本能で血圧を上げる。これが高血圧の仕組みである。それを対処療法で降圧剤を飲むから、流れるべき血液が流れなくなる。血液には免疫酵素が含まれ、それがガン細胞等の病気の繁殖を防いでいる。

 だから、私は断糖、断油、断脂の食事療法で、高血圧症を治した。だから私は、禁「お饅頭」です。つらい!です。世の鉄則、美味しいものには毒がある。

 

タバコの発癌性

 タバコがガンの誘発要因であることは明白なのに、喫煙者の国会議員がその対策を妨害している。売国奴である。ヘビースモーカの橋本氏が首相になったのは、日本が健康意識の後進国の象徴なのだ。有権者が、喫煙者の候補者に投票するから、日本列島のガン化が収まらない。自分で自分の首を絞めているのだ。

 2015年には、JTカナダ子会社などに計1.4兆円超の賠償命令がカナダ裁判所から下された。喜ばしいことだ。

 

酒の発癌性

 昨年、英国で、酒には発癌性があるとの論文が発表された。アルコールは体内に入ると、肝臓で薬物と同じように分解処理をされ、アセトアルデヒドに変換される。そのアセトアルデヒドに発癌性がある。普通の食物は胃で消化されるが、アルコールは肝臓で分解される。だから酒は少量でも毒である。「酒は百薬の長」は酒のみがほざいた戯言である。世界保健機構(WHО)は酒を薬物に分類している。だから通常の宴会とは、薬物パーティなのだ。がん患者が増えて当然である。

 飲酒は、喫煙よりも社会損失額が大きい。政府はもっと酒に関して規制をすべきなのだ。喫煙は4兆円、飲酒は6.6兆円の社会的損害である(厚労省調べ)。

 そんな有害物質なのに、マスコミの宣伝では大きな顔をしている。政府が酒の宣伝を規制するべきだ。禁酒法とはいかないまでも、何らかの規制が必要だ。スェーデンでは、17時までアルコールの販売が法律で禁止されている。

 私は2年前から完全禁酒とした。

 

農薬の被害

 お米の生産には農薬を大量に使われ、欧米の3倍の農薬が残留する。日本人一人当たり6キロの農薬を浴びている。

 最近は、日本人は死んでも腐らなくなったという。それは防腐剤や農薬が体に入っているからなのだ。だからガンが増えたと推察される。

 

精神の荒廃というガン細胞

 そして異常な事件が起こるのも、昼間から刑事ドラマで殺人事件を頻発させ、人殺しが日常茶飯事のように映像で流れ感覚が麻痺させられている。視覚、思考感覚の麻痺である。テレビゲームでは殺し合いがゲームとなり、死んでもリセットすればゲーム再開。これでは実社会で殺人事件が起きても不思議ではない。そんな鬼の社会を我々は目指してきたのだろうか。

 

仕事の目的

 仕事とは、生きる目的と生きる糧の獲得である。松本明慶先生曰く「私は、みほとけを謹刻することによってのみ生かされている」

 アウシュビッツやシベリアの極限状態では、生きる目的を持った者だけが生き延びた。生き延びるとは、ご先祖から頂いた命を全うすること。私の父もシベリア抑留から生き延びて帰国した。それで今の私の生がある。零下30度の極寒労働地、極貧の食事、劣悪な極酷の労働条件。朝,目を覚ますと若い戦友が隣のベッドで冷たくなっている。半分の戦友がシベリアの土に消えた。アウシュビッツでは20人に一人しか生き延びられなかった(致死率95%)。シベリア抑留開始の初期は、ロシア側の準備不足があり、致死率は80%にも達した。最終的には10%の致死率である。しかしその極限条件下でも生き延びた人達がいる。下記はドイツ強制収容所から生還し、その体験を記した『夜と霧』の著者(心理学者)、ヴィクトル・E・フランクルがとった行動である。

 

◇ 働ける体であるように見せる

   働ける状態でなければ、自動的にガス室行き。仕事をするには健康が必須。

◇ 常に未来を信じる   未来になすべき仕事を天命と信じて。

◇ 収容所での苦しみは意味があると認識  仕事のための試練と受け止める。

◇ 愛する人との魂での会話

◇ 感動を失わない     良き仕事は感動する心が必要。          

◇ ユーモアを失わない            

 

 現代は、飽食と痴呆的な環境が蔓延し、遅延性の毒として脳を蝕み、現在、65歳以上の15%が認知症となっている。生きる目的と仕事を放棄した結果である。

 

食品業界の「業」

 仕事は、世のためになってこそ仕事である。仕事とは「事」に「仕える」のだ。「事」は世のためになるものである。現代の商品業界は、拝金主義に侵され、金儲けが主目的になり、消費者の健康を害している。食品業界のそれは、「仕事」ではなく作業で、人間の「業」を「作って」いるのだ。

 その命を無視する経営が、日本を滅ぼしかねない。中国の侵略の脅威より、北朝鮮の核ミサイルよりも怖ろしいのが、日本人の精神の荒廃である。金儲けのためなら、売る商品で日本人の健康を害しても知ったことではないのだ。その結果が、ガン患者の急増である。私は、河村義子先生は食品業界に殺されたのだと思う。

 

日本人の集団自殺

 その添加物、抗生物質、防腐剤、農薬等の「毒」の使用を自社だけ止めれば、自社製品が高くなり、自社だけが売れなくなり、倒産してしまう。だから自社だけでは、「毒」の使用が止められないのだ。まるで集団自殺をする小動物「レミング」のように、日本人全体が、死の海に向かって暴走しているようだ。

 これは政府が全食品業界を指導して法律で規制しどうしない。その政府も議員が業界の利権に取りつかれて、規制に動かない。マスコミも食品業界の広告費が大きな割合を占めるで、真実を報道できない。だから日本の集団自殺の暴走が止らない。

 

2019-03-03  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月 2日 (土)

シベリア強制収容所「死への罠」

 シベリア強制収容所では、三度の食事は最低限の量しか供与されない。それで毎日重労働を強いられる。栄養失調になり下痢をして医務室の運ばれる戦友がいたが、薬がなく戻ってこない戦友が多くいた。栄養失調で倒れるのは死への切符をもらうこと。

 

極限状態の食事

 一日の食料は、朝は雑炊で茶碗に半分くらいの量である。昼食はシャビシャビのスープと黒パン350グラムであり、夕食も雑炊である。翌日の昼食のパンは夕食時に配給されるため、夕食時や空腹に耐えかねて夜の間に食べてしまう仲間も多い。そうなると次の夜まで食べるものは何もなく、栄養失調で倒れる者も多く、帰らぬ人となった仲間も多い。残酷なパンの支給方法である。

 

死の罠

 収容所の近くに保存食の塩漬けのニシンを入れた樽が置いてあった。その樽の後ろ側が壊れていてニシンがはみ出していた。飢えた戦友は、それを衛兵の目を盗んで、口に入れて食べるのだが、衛兵も見て見ぬ振りをしていたそうだ。しかし塩漬けのニシンを、そのまま空腹の胃に入るとてきめんに下痢である。下痢になれば、氷点下30度の戸外のトイレで用を足さねばならぬ。それは死を意味する。今川氏は誘惑に負けて斃れた仲間が不憫でならないという。

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2   支給されたパンの分割を殺伐たる目で見つめる

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今川順夫氏の講演会で  (現在91歳)

手にしているのが350グラムのパンの量。これで一食一人分の配給

2014816日 興文地区センター(大垣市)

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遺体埋葬

 戦友のコチンコチン凍った遺体は、有志が大八車で、死体遺棄場所に運ぶ。凍土の埋めるのだが、凍土のため土を掘ることもできず、僅かな苔を顔にかけて、手を合わせるしか手がないのである。今川氏は、亡くなった戦友が不憫でならないという。

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仲間の死

 欧米人にとって、日本人等の有色人種は、人間ではないのだ。人間でないので、死んだら、それはendで、死ではないので、その処理は、捕虜たちに勝手に任せればよいのだ。Deadなら、事後処理が必要だが、日本人はモノ扱いである。その感覚がなければ、10万人の邦人を死に追いやる強制労働はさせられまい。捕虜は、戦争に勝った方が、自由にできる戦利品なのだ。この考え方は、今でも続いている。だから、そのツケが現在の移民問題に発した欧州の混乱である。

 

米国の植民地政策

 米国は、インディアンの土地であったアメリカ大陸を強奪して、当時1000万人いたインディアンを950万人も虐殺した。現在、インディアンは50万人しか残っていない。米国人(英国人が大半)は、入植当時、インディアンからトウモロコシやジャガイモの栽培方法をインディアンから教えてもらって飢えをしのいだ。しかし米国人は、インディアンに恩を仇で返した。西部劇は、あくまで勝者の物語である。米国は、アフリカから強奪してきた奴隷を酷使して国を造った。米国人にとってアフリカ奴隷もモノである。だから、日本を焦土にして、東京大空襲で10万人を焼き殺し、広島と長崎に原爆を落とす皆殺し作戦を平気で行えた。それはナチスと変わらない。戦争犯罪として裁かれなかったのは、戦勝国であったから。

 

英国の植民地政策

 紳士の国・英国も、中国にアヘンを売って、中国人をアヘン漬けにして、因縁をつけてアヘン戦争を仕掛け、中国の領土を割譲させた。まるでヤクザである。英国は、インドを植民地にして、結果として200年間で、インド人を2600万人も餓死させたという。インド人は、英国にとって、人間ではないので、教会も公認である。根本に、キリスト教徒以外の異教徒は人間ではないとの教会の教えがある。それは当時のローマ法王も公認であった。 

 

恒久平和祈念の碑


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 雪の日の「恒久平和祈念の碑」  大垣市  2015年1月2日 

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201512日、正月早々に雪が降り、大垣市内が雪化粧に覆われた。朝の散歩で「恒久平和の碑」の前に、いつものようにいつもの時間に来て、いつものように手を合わせた。この日は寒さに震えたが、大垣の地よりも遥かに寒いシベリアの地に夏服のままで送り込まれ、強制労働を強いられた皆さんと父を思うと覚悟が新たになる。この碑の裏面の銘板に父の名も刻まれている。父の名が刻まれているのを発見したのは2014年7月のことである。この4年間、毎日この前を通っていたが気づかなかったご縁である。碑の横に立つ木は「いのちの柿の木」である。2000年に「長崎・被爆柿の木2世」の苗木を長崎から迎え、名づけられた。この写真を見てこの頁の原稿を書いている時、この木の名前をこの横に設置してある看板を見て初めて知った。この木の横を4年間通っているが、201531日になって気がついたご縁である。出会いのご縁にみほとけのお導きを感じた。

 

父が生きて帰還できたが故、今の自分の命がある。なぜ人は死鬼衆になるのか。なぜ共産主義は人の命を粗末にするのか。なぜアーリア人は民族皆殺しの死鬼業を平気で犯すのか。何故、日本の食品メーカは、日本人の命を削る食品を販売するのか。己は恒久平和のために何が出来るのか。我々は後世に何を伝えるべきか。この碑を見るたびに考えている。

 

上図は、今川順夫著『夢への挑戦の礎』より

『吾が人生の師天王』p83より

2019-03-02  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月 1日 (金)

日本列島「アウシュビッツ収容所」化で虐殺横行

 現代日本では、「ナチス党」に変わり「グローバル拝金成果主義党」が猛威を振っている。小泉首相の構造改革以後に、労働環境が激変し、世にはグローバル経済主義教、成果主義教を妄信したブラック企業が横行し、首切り、過労死、自殺、パワハラ、鬱病、下請けいじめの拷問が頻発するようになった。

 これ以降、自殺者の年間3万人越えが10年間も続いた。自殺者もその4割は分別ある管理職、事業主である。そのうち6%が管理職で、35%が自営業者である。(平成13年度)

 

周辺の惨状

 学校では、躾・道徳・モラルの崩壊で、陰湿で凄惨ないじめで、殺されたり、自殺する児童が絶えなくなった。それが増える一方である。

 モラルが破壊された囚人のご機嫌を損じると、煽り運転で虐殺される。それも最近頻発である。

 精神的に追い詰められて、気がふれた囚人が、無差別殺人に興じている。「殺す相手は誰でもよかった。死刑になりたいのだ」という。日本アウシュビッツ収容所で追い詰められての犯行である。

 

原因と対策

 この原因は、アホな経営者が欧米の短期利益を求める株主優先の経営に舵を切ったことにある。まるでドイツがナチズム(国家社会主義)に舵を切ったように、日本は欧米の猿真似で拝金主義教に舵を切ったのだ。それでグローバル経済主義、拝金主義、成果主義が横行し、従来の日本的経営が切って捨てられた。それで日本がおかしくなり、「日本アウシュビッツ収容所」化していくことになった。日本は早く正気にならないと、西洋の没落の道ずれになってしまう。日本の道徳、精神文化、利他、修身の世界を取り戻すべきなのだ。

 

殺されないために

 その「日本アウシュビッツ収容所」で殺されないために、アウシュビッツ収容所でヴィクトル・E・フランクルがとった行動が、参考になる。でもこれは対処療法なのだ。根本対策は、修身である。日本人の精神が、まともになれば、この現象はなくなる。

 

◇ 働ける体であるように見せる

    元気がなければ、自動的にリストラ、いじめ対象である。だから元気だと見えるように、立ったり歩いたりする時は背筋をピッと延ばす。

◇ 常に未来を信じる

  どんな暗い闇夜も、いつかは明けると信じよう。

◇ 収容所(職場)での苦しみは意味があると認識

    無意味だとすると生きることの価値が無くなる

◇ 愛する人との魂での会話

◇ 感動を失わない

     沈みゆく太陽の夕焼けの風景に感動

◇ ユーモアを失わない

     自分を見失わない魂の武器

 

私のアウシュビッツ体験1(合併前)

 私の前会社で在職中に、一緒に仕事をした仲間が、在職中に24人も不慮の事故で亡くなっている。今振り返ると、これはブラック企業であったためだと思う。一時は、国会でも名指しで当社がブラックと告発されたことがある。私は、よく無事に定年を迎えれたと仏様に感謝である。

 その24人のうち、特許室のある中堅社員は、業績悪化の為、現場応援に出されて、単身赴任先の寮で、朝冷たくなっていた。残された奥さんと子供を葬儀場で見て、まともに目を向けられなかった。彼には私がミシガン大学に行った時、現地でお世話になった。社長が経営の判断ミスをして経営が赤字になったのに、泥縄式の対策で、体力のない事務職を過酷な現場作業に投入しての悲劇である。これは看守側(経営者)の責任である。しかし誰も責任を取らない。看守(経営者)にとって、囚人(社員)は人間ではないのだ。

 

アウシュビッツ部門

 当時、私の事業部に強烈パワハラの役員がいて、管理職や主任クラスがバッタバッタと鬱にされ倒されていた。部下を倒した数が多いほど、優秀な上司と言われる始末である。その役員の後姿を見て、その部下の部長もパワハラになる。私は管理部の基幹職として、倒れた課長を部下として面倒見ることになった。その課長は、同期では一番の出世頭であったのに。それが倒された。その役員は親会社では、札付きの部長で、親会社も手を焼いて、外に出したようだ。親会社から部長クラスで天下ってくる場合は、ロクな輩がいない。その部署の社員を周りの人は、憐れみで見ていた。あの部署はアウシュビッツで、絶対に行きたくないね、と。

 

アウシュビッツ水道哲学

 もう一人は、私の直属の部下で、当社を辞めて松下電器に転職して、胃がんで倒れた。当時の松下電機のリストラ騒ぎに巻き込まれて心労で胃がんになったようだ。がんが見つかった時は手遅れ状態で、50前に死亡した。松下電機のリストラ騒ぎでも、経営者は責任を取らない。パナソニック(前松下電器)はこの5年間で、毎年1万人のリストラをしている。5年まえに対して13万人も従業員が減少して、日本企業上位500社中のランキングで減少数トップである。まさに経営者の失敗である。それでもトップは責任をとらない。松下幸之助の水道哲学で、従業員は豊富にあるから、簡単に首を切れる。水は豊富にあるから、道端の水道から黙って水を飲んでも誰も文句を言わない。同じ考えで、豊富な従業員は切っても誰も文句を言わない。松下幸之助が草葉の陰で泣いている。

 

私のアウシュビッツ体験2(吸収合併された後)

 私の前職の会社が吸収合併された後、私の元の部署(生技)の基幹職の仲間8人が、1人を除いて、全員海外に飛ばされた。露骨な差別人事が横行した。それもPМ2.5の毒ガスに満ちた中国や、タイ等の条件の悪い東南アジアの工場に飛ばされた。まるで「ガス室送り」である。看守側(吸収合併先)の同部署の基幹職は、国内勤務でぬくぬくとしていた。その生産技術部門の優秀さはでは、当社の方が上であったが、敗戦側は惨めである。

 

会社側弔意を全面拒否

 私と懇意であった温厚な営業のSさんは、敵がうじゃうじゃいる大阪本社に単身赴任を強いられ、ある朝、体調が悪いから病院に行くといって病院に行き、その日に帰らぬ人となった。妻は、夫は会社に殺されたとして、会社側の弔意を一切拒否した。

 

アウシュビッツ収容所から脱走

 名目は対等合併でも、それの比率が同一でないと、比率の多い方は人事権を握り、やりたい放題で、吸収された方は奴隷扱いである。私も合併相手先から陰湿ないじめを受けて辛かった。白髪が一度に増えた。そういう背景もあり、私は定年延長せず、60歳で収容所から脱走した。その収容所は、東海道の基幹路線から遠く外れた盆地にあった。盆地の住民は、閉鎖的な風土である。ロシアとよく似ている。

 

日産アウシュビッツ収容所

 日産アウシュビッツ収容所所長のゴーンが、8千人の人員の首を切り、社員を地獄へ突き落とした。仕入れ先を切り、出入りの業者を路頭に迷わせた。自殺に追い込まれた経営者もあっただろう。家庭が崩壊した家族もあったろう。社員の首を切って、資産を切り売りして業績を立て直すなら、素人の経営者でもできる。本来の責任は経営者にあるのに、彼らは責任を取らず安穏としている。それでいて、ゴーン収容所所長は、囚人の生き血を吸って、毎年10億円の金を会社からふんだくり、贅沢の極みをしていた。日産ゴーンの不正報酬分の50億円あれば社員8千人の虐殺は不要だった。昨年末にやっとその悪事が露見した。独アウシュビッツ収容所と同じパターンである。虐殺されたユダヤ人が生き返らないように、解雇された日産の社員の生活は戻らない。

 

SONYアウシュビッツ収容所

 SONYのリストラ劇も凄惨である。17年間で78,000人が虐殺された。わざわざ、「追い出し部屋」を作り、社員を囚人扱いしてまでしての虐殺である。その張本人は、高額の報酬を得てのうのうとしている。今の状況は、グローバル経済主義教、成果主義教を妄信して、目先に利益ばかり追い、将来の投資を無視したツケなのだ。ストリンガーにAIBOも虐殺された。最近、AIBOも生き返ったようだ。当時、虐殺されず、成長していれば、もっと素晴らしい子になったはずだ。

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2019-03-01  久志能幾研究所 小田泰仙

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