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2019年3月 4日 (月)

創る人は獣道を行く

高塚画伯の哲学

 高塚画伯の持論、「よい絵を描くには、批判眼を持たねばならない。『上手い絵』は描いた量に比例し、『良い絵』は考えた量に比例する。」

 私はあるアウトプットを評価するのに、「美しい□□」との表現を好む。これは「良い(絵)」との表現と同意語である。この表現は全てに当てはまる。文章、作曲、スポーツ等、およそ人間のなす仕事に全てに包括されるようだ。我々技術者は、持てる時間を汗に変え、頭で汗をかき、その思考量に依存した「良い仕事、美しい仕事」を完成させたい。それが美しい時間の使い方、創り方である。

 

師の指導

 「人を指導するのは難しい。先生とは指導する役目柄、何かを生徒に言うが、無言の先生もときにはいる。平櫛田中教授は、生徒の作業中を見回るだけで一言も発しない。あるとき、2人の生徒が勇気を持って自作を教授室に持ち込んで批判を乞うたら、先生はじゅっくり見てから、「もう少し何とかなりませんか」と言ったそうです。ある意味では、もっとも誠実な指導者かもしれない」、と高塚画伯は回想する。自分の人生は自分が創らねばならない。師は方向性が正しいかどうかを教えるが、走るのは自分である。

 

獣道を行く

 独自の人生道を歩くには、我が道、獣道を行かねばならぬ。高塚画伯は「君の絵には汗の匂いがない」と先輩に批評され、それから心して汗の匂わない女を描くことに心掛けたと言う。芸術家としての確固たるポリシー・自我がないと、そうはいくまい。女性を描くことでの、作者の伝えたいコミュニケーション内容は作者の明確なポリシーがないと、評価されない。

 「学ぶのは舗装道路。創るのは獣道」と高塚画伯は断言する。芸術家と科学者、研究者の置かれた立場は同じだ。累々たる失敗の屍の山の中で、自己の実現は難しい。それをやり遂げるのが芸術家だ。優しく美しい女性群の絵の影に、画伯のそんな孤高な姿と、強固な意思を垣間見る。


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 高塚省吾著『高塚省吾の絵の話』(芸術新聞社刊1996年2000円)

『命の器で創る夢の道』p210、『磨墨智383-1.モジリアーニを演じよう』

2019-03-04  久志能幾研究所 小田泰仙

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