人生の信号機
高塚省吾画伯の「信号機」3枚の裸婦画は、意味深長な組み絵である。人生の赤信号とは何か。人生の信号が赤で不運のときである。その時は、自分を見つめ実力の内部蓄積を図って過ごして、信号が青になるのを待つ。その背景から危険が浮かび上がってくる。まず足元を見よ。脚下照顧。黄信号とは何か。襟を立て、上から状況を確認して注意して進む準備をせよ。緑信号は真っ直ぐ前を見て、安全を確認して進め。赤があって緑が映える。
高塚省吾画伯の絵を購入
高塚省吾画伯の緑の「セーター」を衝動買いのように入手して、その後、赤の「ショール」を勧められたが(画廊で売れ残っていた)、気乗りがしなかった。「ショール」の女性の目が俯き気味で陰気さがあり、いつもの高塚画伯の描く真っ直ぐ前を見つめる明るい目の女性画でなかったからだ。かなり躊躇をしたが強く勧められて購入することになった。2枚揃うと信号機を連想して、「黄色があるといいね」と画商に冗談で言ったら、その1年後に高塚先生がその黄色の「新涼」を描いてきてしまった。今更、要らないとも言えず、購入資金をかき集めるのに大変だった。嘘みたいな話であった。だから冗談でこの3枚の絵を「信号機」と呼んでいる。
芸術作品との出会いは一期一会
これもご縁でしょう。20余年の時間が過ぎて、今にして良い絵を入手で来て良かったと思う。時間が経たないと、そのご縁のありがたさは分からない。もし今の時点で欲しいといっても手に入らない。特に芸術作品との出会いは一期一会である。このことで、欲しいと思った芸術品、ご縁や機会には躊躇せずに決断ができるようになった。その決断の訓練代と思えば、少々の出費ではあったが価値ある絵であった。また資金を捻出するため、『生活VA』という作品(約150頁)が完成した。それ以降、時間とお金の無駄遣いはしない習慣がついた。
『命の器で創る夢の道』p210、『磨墨智383-1.モジリアーニを演じよう』より
2019-03-04 久志能幾研究所 小田泰仙
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