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2019年2月

2019年2月28日 (木)

磨墨智6. アウシュビッツから生還しよう

 生きる目的を持った者だけが、アウシュビッツやシベリアで生き延びた。生き延びるとは消滅寸前の時間の炎を復活すること。どんな状況下でも、希望を捨てず、生き延びるべき。

 

父のシベリア抑留

 私の父も地獄のシベリア抑留から生き延びて帰国した。それで今の私の生がある。零下30度の極寒労働地、極貧の食事、劣悪な極酷の労働条件。朝,目を覚ますと若い戦友が隣のベッドで冷たくなっている。半分の戦友がシベリアの土に消えた。アウシュビッツでは、死亡率95%。1945年のシベリア抑留開始の初期にはロシア側の準備不足で、死亡率は80%。10万人の邦人がシベリアの土になった。しかしその極限条件下でも生き延びた人達がいる。

 

ヴィクトル・E・フランクルの行動

 下記はナチス強制収容所から生還し、その体験を記した『夜と霧』の著者(心理学者)、ヴィクトル・E・フランクルがとった行動。

 

◇ 働ける体であるように見せる

    働ける状態でなければ、自動的にガス室行きである。だから常に若く見えるように、立ったり歩いたりする時は背筋をピッと延ばしていた。若く見えるように髭を毎日剃った。最後のパン一切れを人に与えても、ガラスの破片で髭を剃ってもらった。病気にならない。病人になれば、自動的にガス室行き。

◇ 常に未来を信じる

   近い将来、講演会で自分が演説している姿を思い浮かべた。

◇ 収容所での苦しみは意味があると認識

    無意味だとすると生きることの価値が無くなる

◇ 愛する人との魂での会話

◇ 感動を失わない

     沈みゆく太陽の夕焼けの風景に感動

◇ ユーモアを失わない

     自分を見失わない魂の武器

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会社が経営危機の時、リストラ対象になるのはどんな人?

リストラされると今の経済状態では再就職は至難の技。年間3万人の自殺者

 

生きるとはつまり、(生きる義務を引き受ける行為)

 ・生きることへの問いに正しく答える義務

  ・生きることが各人に課す課題を果たす義務

  ・時々刻々の要請を充たす義務

苦しむとは何かをなしとげること

「夜と霧」ヴィクトル・E・フランクルより

 

私とシベリア

 父もシベリア抑留から生還できたから、今の私の命がある。父の弟はシベリアの土になった。その子は父の顔をしらない。

Photo_3 父の遺品の慰労状

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恒久平和乃碑(大垣公園内)

1991年建立、父もダモイ会に入会していた

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濃尾護国神社前の碑(大垣公園内)

 国を護るために命を捧げた英霊を忘れてはならない。

 そして今の我々の命がある。

 

 

2019-02-28  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

お金の意味

お金は単なる数値の羅列でしかない。独居老人が亡くなって、床下から数千万円の札束が出てきたという新聞記事を良く見かける。お金の真の意味を理解していない人は多い。お金は使ってこそ価値が出る。お金は道具でしかない。その道具のために、働くのはお金の奴隷となること。手段と目的を取り違えるから起こる間違いである。下手にお金を後進に残すと、財産争いが起こる。働く意味を理解できないと、10年後に子孫を醜い相続争いで不幸にすることになる。それはお金からの復讐である。

必要以上に金があると、使うのに労力がかかり、死んでしまうくらい疲れる。毎日10万円の食事をすれば、病気になるのは必然。旅行をすれば疲労困憊で、死んでしまう。人は食べて1升、飲んで一升、寝て畳1畳である。金を使うのも大変だ。だれかのように数百億円も貯めても、まともには使えない。

死ぬときに、預金通帳の残高が100万円多いか少ないかなどは、何も持たずあの世に旅立つ身には、煩わしい雑事である。人生では小さな問題である。

「人生で生きていくのに必要なのは、勇気とsome moneyである。」(チャップリンの言葉)

 

稼ぐ能力

 人生で必要なのはお金ではなく、お金を稼ぐ能力と使う才覚である。両方が身に付けば、お金のほうから擦り寄ってくる。お金も人間が作り出した人の子である。お金にも魂があり、現金なものである。お金は経済状況が変われば消えてしまうことがある。しかし身につけたお金を稼ぐ能力は、どんな経済状況になっても消えない。その能力がお金に勝る財産である。

 母方の祖父は、銀行に預けた虎の子の退職金が、戦後の新円切替(1946216日)で、紙くず同然となった惨めな体験をした。私の生まれる4年前のことである。母がその話を何回もしてくれた。その時期、母と結婚前の父は、シベリア抑留の身であったが、洋裁の才能という芸があったので生きて帰国できた。

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Wikipedia  2014/9/19より

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 お金は道具であるから、悪縁を切るための道具として使えばよい。札束で相手の頬をひっぱ叩いてやれば、道具としてのお金の価値が出る。悪縁の人に金を貢いで金を浪費させられても、それを縁切り金と思えば、安いもの。それで今後、自分の大事な時間を邪魔されない体制がとれえるのだ。それで相手が目を覚せば救いがあるのだが、縁なき衆生度し難し、で目を覚ましてくれないのが現実である。

 

金は道具

仕事は「使命感」をもって取り組むもの。しかし、「使金感」をもって生きるとは言わない。言うのは「資金力」であり、お金が道具、手段であることは明白である。そのお金を人生の目的にするから、にわか成金が晩年を汚すのである。

 

ご縁の貯金

お金も大事に扱ってあげて、心を込めて旅出せてあげれば、お金がお友達をつれて帰ってきてくれる。お金を貯めるばかりで、使わないから幸せになれない。可愛い子(お金)には旅をさせよ、である。

 人生はお金ではないのだ。お金より大事なのが、どんな時代でも生きていける知恵と稼ぐ能力である。貯めるべきは智慧とご縁である。

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馬場恵峰書 2014

 

 『命の器で創る夢の道』p33より

2019-02-28  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年2月27日 (水)

「修身」とは何か

修身とは、人として、当たり前のこと(孝行、勤勉、節約)を当たり前に、なすことである。自分の身を修め、家庭とご先祖を大事にして、国を治める。それが戦後、禁止された。それのどこがいけないのか。

修身で、天皇への忠誠心の前面に出したのは行き過ぎだが、孝行、従順、勤勉の象徴の二宮尊徳の崇拝は日本人の美徳として継続されるべきものだ

太平洋戦争中は、家族、家のために命を捧げる特攻、玉砕の戦闘行為に、米軍は恐怖の淵に落とされた。日本の特攻を受け、精神的に病んで、本国に送り返されえた米兵も多かったという。欧米の考えでは、3割も戦死すれば白旗を上げるのが常識なのに、殺しても殺しても玉砕まで戦ってくる日本兵は、戦慄の悪魔に見えたのだろう。今のISの自爆テロよりも怖ろしかったはず。

米国は、日本軍の恐ろしさを骨の髄まで感じて、修身の教育を禁止して、二度と米国に日本が歯向かえないように、日本精神を骨抜きにする施策に狂騒した。それが50年たって、ボディブローのように効いてきて、「日本狂セリ」のような状況となった。我々は、「日本狂セリ」との状況になった真因を探り、その対策をとらねば、日本の再建はない。

 

終戦後10年の広辞苑の「修身」の解釈表現は、現代の広辞苑と表現のユニアンスが微妙に違う。

【修身】(戦前の解釈)

=自分の行いを正し、身をおさめととのえること。

旧制の学校の教科の一。天皇への忠誠心の涵養を軸に、孝行・柔順・勤勉などの徳目を教育。1880年(明治13)以降重視され、第二次大戦後廃止。

―斉家治国平天下

 

○修身斉家治国平天下

[大学]天下を治めるには、まず自分の身を修め、次に家庭を平和にし、次に国を治め、次に天下を治める順序に従わなければならない。(「広辞苑」第5版)

 

太平洋戦争後の占領軍の施策

・占領軍が日本の軍国主義化の復活を恐れて「修身」教育を禁止、

・強靱で勤勉な日本の復興を恐れた米国が、日本人の精神を骨抜きにするため占領政策の一環として禁止。

・占領軍が全国の小学校の校庭から修身の象徴であった二宮金次郎像を撤去。

 二宮金次郎は、実際は業務改革のリーダであった(服部家の再建,小田原藩の財政建て直しで手腕を発揮)。

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【修身】(戦後の解釈)

 ・ 自分の行いに就いて、悪を改め善に進むように身をおさめととのえること。

 ・旧制の小・中学校の教科目の一。国民道徳の実践、徳性の涵養を自覚させることを目的としたもの。昭和20年連合国軍総司令部の指令よってその教授は停止された。

 

○修身斉家治国平天下

 [大学]天下を治めるには、まず自分の身を修め、次に家庭を平和にし、次に国を治め、次に天下を治める順序に従わなければならぬの意。

     「広辞苑」 第1版 昭和30年(1995年)

 

2019-02-27  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

磨墨智2. 過ぎ去る時間は命の刻み

 「時は金なり」は間違い。失ったお金は稼げば取り戻せるが、失った時間は、いくら金を積んでも取り戻せない。

 命とは、その生き物が一生の間に使える総時間量なのだ。その使える残り時間を知った時、その人の生きざまの差が顕著に表れる。

 人によっては、医者に「金はいくらでも出すから、助けてくれ」と泣きつき、ダメだと知ると「このヤブ医者メ」と泣き崩れる醜態を見せる人もいる。自暴自棄になる人もいる。逍遥と事後の準備をする人、とさまざまである。

 河村義子先生は、余命5年と宣告されて、最期の時間を最大に輝かせた。それが私にとって、生きざまを教えてくれた最高で最後のレッスンとなった。感謝。

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河村義子先生の人生最後の公式演奏会

 ドレスデントリオとのニューイヤーコンサート、クインテッサホテル大垣で。 

 2018年1月13日

  このコンサートでは、私が協賛金を出し、先生とこのプロジェクトを遂行できたことを、今にして嬉しく思う。仲間がチケットを売ってくれて180名の観客を集めることが出来た。これが最後の演奏会になるとは、夢にも思わずであった。

 

2019-02-27  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年2月26日 (火)

磨墨智20.一歩でも前進

より「早く」目標に達成が第一ではあるが、状況が悪いときは「一歩でも目標に近づく」取り組みが時間をつくる。平静心がなくなると、「早く」が先にきて「一歩でも目標に近づく」がおろそかになりがち。そしてミスをし、時間をロスする。目標達成に対する最大の敵は、状況が悪くなると冷静さを失う自分自身なのだ。自分を第三者の目で観て、自然体で行こう。

時には立ち止まって、考えることも、一歩後退しないための智慧なのだ。

 

2019-02-26  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

磨墨智*  アッシー君にならない

貴方は運転手ではない。貴方はアッシー君ではない。クルマは移動手段であるが、自分で運転して車での移動は、時間ロスである。移動は運転手(電車の運転手、タクシーの運転手)に任せて、その間を、自分の仕事、能力向上、思索の時間に使うべきだ。

だから私は長距離運転をできるだけしないようにしている。クルマの運転が好きなら仕方がないが、運転はできるだけ避けるべきだ。運転も楽しいのは、若い時だけだ。私も若い時は、狂ったように一日800キロを走ったこともあった。それは点と点を結んだだけ。自分は何を得たのかと今にして後悔する。それも車の通行量が少なかった時代の事。今のように車が氾濫している状況では、運転するとストレスは溜まるし、時間もかかる。事故でも起こせば、人生台無しだ。

自分は、人生航路を走る船の司令塔なのだ。自分が、何処に行きたいかは運転手に伝えればよい。方向とやるべきことを指示すればよいのだ。

 

2019-02-26  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年2月25日 (月)

死望校を死計する

 大学という世界に行くときに志望校の選定があるように、あの世という世界に行くときは、死因となる病の学ぶ校舎を選ぶ行為があってしかるべきである。志望校に受かるには、それ相応の努力が必要であった。一生で一回だけのあの世の門をくぐる入試に、希望する「死病」になるには、然るべき努力は必要である。その準備をしないから、悲惨な死を迎える。己の死に方は、仏様が試す入死試験なのだ。

 

死とは生きること

 死に方(死計)を決めるとは、人生を最大に生きること。就活も婚活も終活も、必死にやらねば成果は得られない。まして一生で一回限りの死なのだ。構えなければ、野垂れ死にである。あらかじめ死計があれば、死に接しても逍遥として、死を迎えることが出来る。死計が明確であれば、余命宣告を受けても、慌てることはない。

 

万物すべて活き物(佐藤一斎著『言志録』242

(万物には活きた道理が存在しているから)万物は初めから活きた物である。だから世事も総て活物である。(その道理からすると)生は勿論のこと死も活物と言える。(久須本文雄訳)

 

理想の死は老衰

 理想の死に方は、老衰である。しかし老衰で死ねる人は1%しかいない狭き門なのだ。せめて死の1週間前までは現役で活動して、1週間ほど体調を崩して寝込み、死ぬのが理想である。

 スイスの法学者ヒルティは、朝、いつものように散歩をして、帰宅後、少し疲れたといってベッドに寝て、妹が温かいミルクを持ってきたら、亡くなっていた。心臓麻痺で77歳の死である。彼は前日の夜まで執筆活動をして、現役での死で、理想的な死である。彼が亡くなったのは1909年で、現在に換算すれば90歳近い年齢であった。

私は、認知症、心筋梗塞・脳梗塞、糖尿病では、絶対に死にたくない。そのために、私は死にもの狂い(?)の取り組みをしている。

 

認知症

 現在、日本の65歳以上の人の15%は認知症である。認知症は脳死である。自分が自分で無くなるという悲惨な死に方である。認知症になると、本人は何もわからないから良いが、その家族は悲惨である。

 警察署長や校長先生は、認知症になりやすいという。気ばかり使って、頭を使わず過ごしてきたからだ。一日中、痴呆的なテレビ番組を見て過ごせば、認知症になりやすいだろう。

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脳梗塞、心筋梗塞

 この病魔に襲われると、ほぼ即死状態である。死後の準備が何もできない。それだけは避けたい病気である。私はその防止で、4か月に一度、大垣市から久留米市の真島消化器クリニックに通院している。その真島院長の指導のお陰で、高血圧が改善し、この病気で倒れる危険性は減った。

 

糖尿病

 糖尿病にかかり失明でもすれば、私にはもう生きていく望みがない。目が見えない世界など想像できない。私は本を読み、書くことに生きがいを感じている。失明は致命傷である。

 糖尿病で人工透析に身になれば、1週間のうち3日の半日が、ベッドで透析を受けることになる。白い天井を見ながら半日を過ごす。命の時間が無為に過ぎていく。その費用も年間500万円という。保険がるので自己負担額はそんなに多くないが、多くの人の健康保険金を使うことになる。それが10年間も続く。国の財政を圧迫する罪である。

 

緩慢なる自殺という死計

 煙草を吸えば肺がんのリスクが上がるのは常識である。酒を飲めば、アルコールは肝臓でアセトアルデヒドに分解される。これは発癌性がある物質である。酒を飲み過ぎれば、肝臓がんや他のガンになる確率が増える。暴飲暴食をすれば、体の臓器に負担をかける。それが長年続けば、病気になるのは自然の摂理。

 世には人の健康は知ったことではない食品業界が跋扈している。止められない止まらないと、人の食欲を煽る嗜好品が氾濫している。人工甘味料、添加物、合成調味料を食べ続ければ、病気にならないのが不自然である。その嗜好品の誘惑に負けると、自分の死計が狂ってしまう。

 例えば、格安牛乳なら、狭い牛舎で密集して育てられ、病気予防で抗生物質、成長ホルモン入りの餌で、強制妊娠として女性ホルモンが多量に出た牛から、搾乳された牛乳が出回っている。その牛乳には抗生物質、成長ホルモン、女性ホルモンが含まれている。それがガンを誘発する原因となる。だから日本人にガンが増加している。他の食品も、人の健康は度外視して、効率化、金儲けのためだけに生産される。それが体にいいわけがない。

 

危機管理

人間の体は自転車操業である。歩くの止めれば倒れてしまう。適度な運動が病気を防いでくれる。

定期検診をさぼれば、病気が進行し、手遅れとなる恐れがある。どれだけ注意をしても、病気は避けられない。せめて早期発見、早期治療が緩慢なる自殺を防ぐ手段である。

 病気に対する知識を学ぶことが、緩慢なる自殺を防ぐことになる。それは危機管理としての死計である。自分の城は自分で守れ。トヨタの鉄則である。

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馬場恵峰書『佐藤一斎著「言志四録」51選訓集』(久志能幾研究所刊)より

 

2019-02-25  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年2月24日 (日)

日本狂セリ

下記のような現代日本の風潮で、日本人の人格が荒廃している。何故、こんなことが起きるのか。原因は日本人精神の劣化である。それは、日本の戦いぶりに恐怖を感じたアメリカが、日本が二度と米国に立ち向かわないようにと占領軍(GHQ)が仕組んだ、日本人に戦争責任は全て日本(戦争犯罪罪悪感植え付けプログラム=war guilty progrum)のせいなのだ。日本人はそれで自虐的になり、日本人としての誇りを失った。そのお先棒を担いだのは朝日、NHKを先頭としたマスコミである。それの効果があまりに効きすぎて、現在のモラル崩壊になっている。

 

 親の子殺し

 子供の親殺し

 若者による凄惨な殺人事件の多発

 陰鬱ないじめの増加

 自殺者3万人越えが10年も続く

  減ったといっても3万人近い人が自殺する現象は続いている。

左翼野党議員が国を貶める言動を繰り返す

  なぜサヨクは中韓の肩を持ち、日本国を貶めるのか。

そんなに中韓がいいなら移民すればよいのに、それはしない。

 フェイクニュースの横行

  金儲けのためなら、恥も外聞もない。朝日が良い例

若者のガン増加、全体でガンの増加

企業の金儲け主義で、農薬・食品の野放しが原因と推定

なぜ欧米で禁止のトランクス酸のマーガリンの規制がないのか。

なぜ人口甘味料だらけの飲料水のCМの規制がないのか。

日本のことを考えない利権役人の氾濫

 

 拝金主義の経営者の氾濫

  もうかれば、反社会的なことでもやるのか。

 名門大企業で不祥事多発

  エリートの経営者自身が、モラル崩壊である。

 

 学級崩壊

  親の子共へのしつけ教育が崩壊したのだ。

  子供よりも親が劣化したのだ。

 親の凶暴化

  なんでもクレームをつける親が教師を委縮させている。

 墓の風化、法事の風化

ご先祖を敬う精神の荒廃。家の崩壊。

 煽り運転

  モラルの崩壊

 女性が人前でお化粧

  日本人のたしなみを忘れている

 グルメ痴行の氾濫

  痴呆的に、うまいうまいという顔を見せて恥ずかしくないのか。

  教養ある人は、人に食べる姿をさらしませんぞ。

食べ物を粗末にする番組の横行

   勿体ないの精神の荒廃

金儲けのためなら羞恥心を捨てる。

 愚劣ワイドショーの氾濫

  品格のないおバカタレントの横行

   そんな番組を見るアホがいるから繁殖する。

それを許容するから日本人がアホになった。

アホずらのタレントから事件の講釈など聞きたくない。

昼間から、よろめきドラマ、殺人事件ドラマの氾濫

  人を殺しても何の違和感を持たない人間を製造

        金儲けのためなら、人殺しの場面を利用するのか

ポケモンGОに我を忘れる愚か者達の氾濫

ポケモン探しを邪魔されたと警官に殴って逮捕されるものまで出る始末

お世話になっても礼状を書かない、電話で済ませる

  日本人の礼は失われた

 

最大の敵

 我々は、北朝鮮の核も中国からの侵略の恐れも、ゴキブリ?(私は苦手)も恐れることはない。我々が日本人としてのアイデンティティを失わなければ、全員で一致一丸となって、そんな危機は打破できる。しかし、日本人としてのアイデンティティが、失われれば、日本は内部崩壊してしまう。一番怖い敵は、外部ではなく内部なのだ。現在のように、そのアイデンティティが崩壊ししつつあるのは大危機なのだ。

 

「修身」を新設

私はこの問題に、一燈を掲げて暗夜を行くつもりで、取り組みたい。今後、日本人の精神修養の根本であった「修身」について記述を進める。カテゴリーで「i-修身」を新設します。

 

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馬場恵峰書 2019年、岩村へ寄贈

新戸部八州男氏の寄贈

18×78×3cm、栗の木

 

2019-02-24  久志能幾研究所 小田泰仙

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2019年2月23日 (土)

河村義子先生の中陰を供養する(4/4)

「河村義子先生の中陰を供養する」(1/4)~(3/4)中の写真を更新しました。

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43日 常に人を拝む心得大切に。拝まれる人になる心得大切。

44日 亡き人に日々家庭円満な暮らしを見てもらおう。

45日 寂しい時には手を合わそう。亡き人の命にふれることが出来る。亡き人の分まで、日々大切に生きよう。

46日 日頃真心の供養をささげれば、己の一日一日で心が清められるもの。一日清閑一日福の道を歩もう。

47日 うれしい時はまず亡き人へのご報告

48日 人生四苦八苦新たに日々共に喜びともに悲しむ

49日 日々振り返って、ほほえめるような悔いのない人生を創生して生活るべし。幸不幸苦楽皆自から体験して人間として生活る道。「明日あると思う心のあだ桜今日の訪れなんとときくらん。」人生二度なし。

 上記は吉田松陰の辞世の句である。志半ばで倒れた吉田松陰の志を受け継いだ志士達が、日本の夜明けを創った。我々は河村義子先生の志を受け継ぎ、大垣の音楽文化を育成していくのが勤めである。

 

平成2997日 91歳翁三寶齋恵峰考書

4 馬場恵峰書「中陰を生きる活かす」(部分)

河村義子先生の想い出写真。良き想い出と教えをありがとう。

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ピアノ発表会 2017723日、大垣フォーラムホテルにて

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子供を見る目が温かい

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「子と音」が出演中、観客の後ろで心配そうに見守る義子先生

201745日 大垣市民病院のふれあいコンサートで(義子先生は後列右から3人目)

47 勉強会の前の準備体操

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 ピアノの先生たちの勉強会で、2017‎‎6‎‎19‎日、大垣音楽堂

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2019-02-22  久志能幾研究所 小田泰仙

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2019年2月22日 (金)

「自分ノーベル賞 久志部門賞」を創設

私の夢はノーベル賞を受賞すること。しかしそれは叶わぬ夢の夢だ。しかし、自分で「自分ノーベル賞財団」を創設して、世に貢献している団体に基金を贈呈することは簡単だ。毎年なら大変だが、それも一生で一回、一団体だけに贈呈なら簡単である。私が死んだときに遺産を贈ればよいのだ。そうすれば今のノーベル賞の賞金額ぐらいは贈れるだろう。これは誰でもできること。現在、日本で家・土地・貯金と預金の遺産相続の平均金額は約4,700万円という。その額は、優にノーベル賞の金額に相当する。

 

子孫に美田を残さず

子孫に美田を残さず、功あるある団体に遺すべし。私の親戚でも、親の遺産があり過ぎて身を滅ぼした輩がいる。他山の石としたい。子供は汗水たらさず、棚ぼたで手にした金で堕落する。

 

遺産処理の条件

終活の一環の作業として、遺産処理をどうするかに悩んでいた。国に遺産を取られるの避けたい。それでは役人の無駄遣いされるのがオチ。両親と私が苦労して貯めた資産が、クズ役人に貪り食われるは、両親に申し訳がない。私も我慢が出来ない。公式の役所の団体に贈っても、そのトップが変われば、どうなるか分かったものではない。

 

創造的な活用

 援助として遺産を贈るとして、それが未来のためになる組織を対象にすべきである。日本赤十字社に義援金を贈ってもその総額の2割が経費としてピンハネされる。寄付金全体の会計報告の詳細は公表されない。大災害が起きると日本赤十字社本社のある飲み屋街が賑わるという巷の噂であう。大垣市では寄付金の一部は、寄付集めに駆り出された団体に、その額の7%がキャッシュバックされるという。本来、寄付した人の趣旨を踏みにじる行為が横行している。

今困っている人を助けるため寄付しても、一時的な対処療法である。助けても助けてもきりがない。助けなければならない状況にならないような施策の未来投資が必要だ。アフリカの病気に罹った子共達のためにカネを使うのは未来に対して創造的でない。火事になったら火を消すのは対処療法である。真の対策は、火事の起きない体制を作ることなのだ。病気で悲惨な状況にならない社会体制を構築するために金を使うのが根本対策なのだ。そういう方面に私の遺産を使って欲しい。

 

「久志」部門賞

 自分は、世に貢献できる分野で、志を久しく継続して貢献している団体に、この賞を贈りたい。今後の自分の生き方で、より多く稼いで多く残せば、より多く「自分ノーベル賞財団」の資金に充てられる。それはこれからの生きる励みとなる。そのためには、皆さんのために長生きせねばならぬ。これこそ終活の極意である。これも河村義子先生が亡くなられて、気が付いたご縁である。合掌。

 

2019-02-22  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。