« 2018年12月 | メイン | 2019年2月 »

2019年1月

2019年1月31日 (木)

般若心経とは

 般若心経とは、玄奘三蔵が万巻の経を集大成して276文字にまとめた経である。いわば人が生きていくためのエッセンスの言葉である。万巻の経典のトピックセンテンスを集めたと言える。玄奘三蔵が629年に国禁を犯してまでして陸路でインドに向かい、巡礼や仏教研究を行って、16年後の645年に経典657部や仏像などを持って帰還した。その苦難苦行で獲得した真理が般若心経に詰まっている。

 

苦集滅道とはPDCA

 般若心経の中央にかかれた真髄の言葉が「苦集滅道」である。この世に「苦」があるが、それは苦しい思いをして母のお腹の中からこの世に生まれてきたからである。楽をして物事は生まれない。そして生きている間に、いつしか「苦」の因を「集」めてしまう。それを「滅」しようと、神社のお札を貼り、お布施をしたり、祈願しても「滅」しはしない。それではショートカットである。人生でやるべき修行は放棄すべきでない。

 今まで安易な生活で、その「苦」の原因を「集」めてきたのなら、それを無くすには、正しい道(正八道)の修行をして、人が人になる訓練をすべきである。

 苦が起きた原因を明確にしない限り、それが一時的に対処療法で解決しても、また再発する。人生で「苦」が起きるのは世の定めである。それは問題ではない。問題は、それの真因を突き止め、再発防止ができるかどうかである。そのためにトヨタ生産方式の「なぜ何故を5回繰り返せ」を実践すべきなのだ。

 病気になる、火事に出会う、交通事故に逢う、すべてそれが起きた真因がある。それを明確にせずに、対処療法ですませるから、また不幸にであう。その真因を突き止め、それの再発防止をするのが、「道」である。その正しい道を歩む人は少ない。それは狭き道なのだ。

 道を外れた人に教えを与えるには、「時間」を選び、「時(季節)」を選び、「国(場所))を選び、「順序」を選び指導せねばなるまい。

Photo

2019-01-31 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

河村義子先生の命、人生の大事を急げ

磨墨知14.

 あなたの人生の目的は何?

 人生で何に命を捧げるか?

 されば一生のうち、むねをあらましきから事の中に、いずれかまさるともよく思い比べて、第一の事を案じ定めて、其の外は思いすてて一事にはげむべし。(徒然草188段-3)

 歌やゴルフ、麻雀が下手で負けてもいいではないか。そんなことに強くなるために時間をかけて時間を無駄にするよりも、自分の人生目的の達成に力を入れよ。

 

釣りの趣味は、人間の驕り

 その人生で大事な時間を、釣りやゲームにうつつを抜かしていいのか。天が与えた自然界の大事な命を己の痴呆的な遊びの道具に使って良いのか。その命も、生きたいという生存本能がある。それを己の遊びのために、いのちを持てあそび、命を殺すのは、霊長類の頂点の人として生まれて、恥ずかしい趣味だと思う。私は、釣りの趣味の人を軽蔑する。釣りバカ、である。私はそんな人とは付き合わない。

 いくらゲームとは言えは、人を殺す戦争ゲームや、格闘のゲームに興じていいのか。ゲームの後で何が残るのか。ゲームに負けてリセットすればすむ世界に狂ずれば、凄惨な人殺しも平気な人間が出来上がる。ゲームに興じている人の顔は、弛緩している。

 

河村義子先生の命

 河村義子先生の棺に横たわった死に顔は美しかったが、決して安らかではなかった。もっと生きたい、もっと音楽で皆さんに貢献したいという無念さが出ていた。

 「美しい死に顔ではあったが、安からなお顔ではなかった。もっと生きたい、という思いがお顔に現れていた」と義子先生の死に顔を見られた40年来の付き合いの知人のピアノの先生は涙ぐんでおられた。その方は悲しみで体調を崩して1週間ほど入院をされたとか。河村先生が亡くなられて1か月も経つのに、今日、偶然、通りすがりに出会ったら、そう言って涙ぐまれた。

 河村義子先生は生前、きっと「何故私だけが? 人生は理不尽だ」という思いがあったはず。先生は、さぞ無念であったと思う。それでも誰にもそれを告げず、5年間を音楽活動と後進の育成に命をかけて全力をつくされた。だから2018年8月に病状が悪化して、愛知県がんセンターに入院された時は、落ち込んで、誰も見舞いに来てほしくなかったという。私にも「珍しい病気ですが、がんでありません。名古屋の病院に入ります」とメールが来て、どの病院かは教えてくれなかった。推測はついたが、あえて聞けなかった。また男性の私が女性の病室は見舞いに行きづらい。2018年12月16日に緩和病院に入院されてから、最後の最期になって、さすがにそれではまずいと思われて、関係者だけにお別れをされたという。私も「近くを通ったら寄ってください」と誘われたが、愚かな私は、その緊迫度に気が付かなかった。

 人の死は必然である。なおかつ人生は理不尽なのだ。河村義子先生は、最後の5年の命を、人の何倍も活動して命を輝かせた。自分も何時かは死ぬ前提で、理不尽な人生を乗り越えて、人生の大事を急ぎたい。

20190131

2019-01-31 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月30日 (水)

写経とのご縁

 2012年夏、恵峰先生が写経書を明徳塾で紹介された。先生のお弟子さんが仏壇のご先祖に供えるため依頼された写経書の写しである。私も自宅仏壇に供えるには良いなと思って手を出そうとしたら、それを手にして見ていたT代表が、その写経書を抱えたまま手放さなかった。明徳塾運営上の職権乱用ではないかと思ったが、口先の佛が鬼になる事例を見ることもよき勉強ではある。ああしてはいけないと教えてくれている。T代表はさすが教育関係会社の代表である。

 欲しいと決断しても、入手が出来ないときもある。それが人生である。それでも、ずっと思っていれば、何時かは何とかなるものと最近は達観できるようになった。これも歳の功かなと思う。

 恵峰先生に話したら別に書いて上げるとの事で、後日、手に入れることができた。

1

写経の撮影

 その後、恵峰先生より中国で先生の書を出版するので、先生の書かれた軸の写真を撮って欲しいとのお話があり喜んでお受けした。丸順の今川順夫最高顧問からの写真集作成のご依頼のご縁も重なり、構えてカメラを新調した。当時、CCDがフルサイズの一眼レフのCANON 5DⅢで最高級品である。それを買えるのもご縁である。そうでないとこのカメラは買う気にもならなかった。なにせデカイし重たいし高価だし、持ち歩くには構えてしまう代物である。

 2014年12月10日、恵峰先生宅で約60本の経軸の写真撮影をした。福田琢磨氏に手伝って頂き、約6時間をかけて撮影をした。今回は構えて行ったので、不思議と失敗の写真は一枚も無かったのに驚いた。やはり高いものにはワケがある。それが後年の『馬場恵峰書 報恩道書写行集』の出版につながった。

 

絹本への写経

 次頁の軸は、馬場恵峰先生が書かかれた写経軸60本中でも圧巻の軸である。下地は絹のため、ゆっくり書いては墨が滲んでしまう。一定の速度で心を整えて書かなければならない。梵字もヘラのような筆で書くという。

 写経は一日に1行で良いからその意味を考えながら、書くと良いと恵峰先生は説かれる。写経とは人生を考えること。心静かに自分を見つめること。またそれがご先祖への一番の供養になるという。恵峰先生は今までに15,000字の経を書かれた。

 それを教えてもらったご縁で、2015年に自家のお墓を改建したおり、110枚ほどの為写経を毎朝、斎戒沐浴して書き上げ、お墓の納骨室に収めた。良き供養ができたと思う。

2

2019-01-30 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

死刑台へのエスカレータから降りよう

 私は健康管理の点で、エスカレータは使わない。それを1回使えば、その分、歩く機会が減り、寿命が1分短くなると私は信じて行動している。つまりエスカレータを使うと、死刑台への階段が自動で送られてしまう。その分、早く昇天である。あるいは、それは地獄への下りエスカレータかもしれない。

 せめて死ぬ時くらい自分の足で歩いていきたい。人は全員が死刑台のエスカレータに乗っている。せめて、そのエスカレータから降りて、自分の足で歩き、体力をつけて、1分でもご先祖から預かった体の寿命を延ばしたい。自然界の原則では、使わない器官は退化する、である。

 できれば、下りエスカレータを全力で駆け上がる元気が欲しい。

 

2019-01-30 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年1月29日 (火)

見聞触智新気開道

 2019年1月16日に、馬場恵峰先生宅を訪問したら、教室の前面に軸の「見聞触智新気開道」が掲示されていた。聞けば、これが恵峰先生の今年の抱負だという。

 意味は「見聞をして智に触れ、気を新たにして、道を開く」。

 やはりじっとしていては駄目。動いて見聞を広めるべき。そうすれば知恵を獲得できる。いつまでもめげていては駄目。気を新たに行動すれば、道が開けるのだ。不幸に落ち込んでいたが、先生宅でこの書を見て励まされた。

 帰りにお土産として、此の軸を恵峰先生より進呈された。感謝。

P11202771

2019-01-28 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年1月28日 (月)

河村義子先生宅へタイムスリップ

 2019年1月26日、河村義子先生の親友のAさんからお誘いがあり、河村先生宅の仏前にお参りに行ってきた。当日はドイツ滞在中の知人が、来日してAさんと同行される予定であったが、その方のご主人が来日直前に病気で倒れられて、来られなくなってしまった。その方は、告別式に出られなかったので、今回のお参りを予定されていたが、残念であった。それでAさんと一緒に霊前にお参りして、ご子息と3人で生前のお話しに花を咲かせた。

 ドイツからでもお参りに来ようとする友人がおられるのは、河村先生の人徳であろう。在りし日の義子先生の話をして過ごすのも先生への供養である。

 

人の死

 人は3度死ぬ。一度目は、その人の肉体的な死。2度目は、その人を知っている人が亡くなる時。3度目は、その人の記憶が此の世から無くなる時。義子先生はまだ友人、門下生の間では思い出として生きている。

 人は死を避けることはできないが、死に方は選択できる。義子先生は、見習うべき死に方を教えてくれた。

 

義子先生関係のビデオ

 その時、撮りためた河村義子先生関係の演奏会のビデオ記録を、25GのBRディスク8枚にまとめて、ご子息に進呈した。今、遺族の方にビデオデータを渡しておかないと、データが散逸してしまう恐れがあるからだ。私も明日が分からない。そのダビング中に、私自身が忘れていた義子先生のピアノ演奏のための指の体操の模様、レッスン室でピアノを弾く手だけを録画したデータを再発見した。よき記録を取っておいたと想い出を新たにした。公式の演奏会時の録画記録以外に、リハーサル中のビデオも撮影してあり、そのため25GのBRディスク8枚という膨大のデータとなった。

Photo   義子先生の指の運動(ビデオのワンシーン) 

Photo_2   義子先生の指運びの模範演奏(ビデオのワンシーン)  2015年06月26日

レッスンの録音データ

 そのほかに、私のピアノレッスン中の録音も、未整理で残っている。録音には河村先生の叱咤激励、褒め殺しの声もあり、懐かしさで一杯である。ぼちぼち整理して河村先生の指導を思い出す予定ある。その河村先生の指導内容を文書の形で残したいと思う。

 

残すべきもの

 先にご遺族にお渡しした写真データは、25GのBRディスク3枚で、約8000枚の写真データである。ご子息の仕事が音楽関係でないので少し残念である。将来、ご子息のお子さんがこのビデオや写真を見てくれるだろうと思う。そういう記録がビデオや写真データのBRディスクで残せる時代は素晴らしいと思う。

 ご子息は英語の先生なので、私がミシガン大学で学んだテクニカルライティングの講義記録の著書3冊(総頁で約400頁の製本版)を進呈した。以前から私のミシガン大学の記録を誰かに渡したいと思っていた。私もいつまでも生きているわけではない。河村義子先生のご父君は、私の中学時代の英語の先生であった。父君の内藤信吾先生にご恩返しができたようだ。

 馬場恵峰先生もこの4月で93歳である。その記録についても後に残すべきデータに関して、河村先生の訃報を啓示として関係者と協議をした。私が保管するデータは膨大である。恵峰先生のお孫さんが後日、その資料をひも解くようにしようと段取り中である。人間の明日の運命は分からない。

 

ピアノレッスン室

 その後、懐かしいピアノレッスン室の写真を撮らせてもらった。半年ぶりである。愛犬のグレースもそこに付いてきて、ピアノの横に鎮座して私を眺めていた。グレースは、レッスン中には、ピアノの横の檻の中でカーテンを下ろしていつも静かにしていた。よく躾がされていておとなしく賢い犬である。最近は私が行くと、寄ってきて歓迎してくれる。

 半年ぶりのピアノ室で、当時のままに置かれている。懐かしさいっぱいでタイムスリプしたような気持であった。

P1060881 ピアノレッスン室(当時のまま)

P1060882    義子先生の愛犬 グレース

 その後、昼食として河村先生とAさんが行きつけであった寿し処「あおきや」(安八町 電話0584-64-7277)に3人で行って、穴子丼を賞味した。穴子丼は河村先生が好物のメニューだったとか。3人でしばし河村先生の想い出話しに花がさいた。よき供養が出来たと感謝である。

P1060888

2019-01-28 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月27日 (日)

人生経営での利益(りやく)

 お宝(体、時間、命、ご縁、お金)は、神仏・ご先祖からの一時的な預かりもの。その資源を使って人生経営をどうするかが問われている。それを有効に使うのも、無為にするのも、酷使してしっぺ返しを受けるのも全て己の人格のなせること。どのお宝も、あの世に持って行けない。その資源の効力が有効なのは、この娑婆中だけである。人は裸で生まれて、裸で死んでいく。いつかは寂滅の世界に行く。その前提で生きるべし。

 

経営とは

 人生経営とは、人としてご先祖から与えられた資源を最大限に活用する行いである。会社経営とは、人の能力を最大限に活かすことである。人生経営では、己の持てる資源を使って、人生の利益(りやく)を出すことである。それが使命であり、天命である。

 

利益(りやく)

 仏教でいう利益は、俗世間の「利益(りえき)」ではなく、「利益(りやく)」と呼び、現実の生活苦からの離脱を求めて祈りつづけ、その恵みとして与えられた恩恵を、ご利益(りやく)という。その利益には、自分が利益を得るだけでなく、他の人を益すること、恵みを与えることである。仏教では、仏の教えに生きて得られた恩恵を、自利・利他の益(やく)としている。

 自ら利益を得るだけでなく、他の人びとを利益することが菩薩の精神である。仏の教えによって得られる利益(りやく)は、金銭上や物質上の利益ではなく、自らの生存在に自覚的に醒めて生きる、自覚者の誕生のことである。我々は、自らの命の尊さに目覚めて生きねばならぬ。

 

諸悪の根源

 命の尊さに目覚めれば、運が悪いとか、頭が悪いとか、肝臓が悪いとかは言えないはずある。すべて己の体を経営する自覚が足りなかったのだ。

 運が悪いのではない。運を悪くするような人生経営をしてきたのだ。

 体が弱いのではない。ご先祖から貸与された体を、怠けて安易な生活に溺れ鍛えなかっただけだ。体の適切な保全の経営をしてこなかったのだ。

 頭が悪いのではない。頭を鍛える経営をしなかっただけだ。

 肝臓が悪いのではない。肝臓さんを傷めつけるような経営をしてきたのだ。つまり酒を飲み過ぎたのだ。肝臓が悪いといったら、肝臓さんに悪い。肝臓さんは悪くない。肝臓さんを傷めつける経営をした己が悪いのだ。世は最高の事しか起こらない。酒を飲み過ぎれば、肝臓が悪くなるのが、生理学的に最高の結果なのだ。

 お金がないのではない。お金を大事に扱う習慣がなかったのだ。だからお金さんが、愛想をつかして逃げていったのだ。お金さんを大事に扱えば、お金さんが友達を連れて帰ってきてくれる。お金を儲けたければ、経営での顧客(お金さん)の満足度を上げればよいのだ。

 

己の後ろ姿を見つめる者

 自分の後姿を神仏に代わって子供、部下、世間が見つめる。世間の眼は、神の如きである。それでその家、組織の興亡が決まる。三田圭子の息子、みのもんたの息子、不祥事企業の社長の無様な姿がそれを示している。

 

積善の家に余慶あり

 今の己の姿が、ご先祖からの功徳の積分値である。己は、何代も続くご先祖の代表選手なのだ。ご先祖に恥ずかしくない行動を取りたいもの。自分の役割は、連綿と続くご先祖からの駅伝走者の位置付けである。己の使命は、何を受け取り、何を後世に伝えるのか。それを自問したい。

 ご縁に出会ったら、自分の為、家族の為、国のためにそのご縁を一期一会で受け止めて活かせ。それが命を授けてくださったご先祖様への御恩返しである。

4k8a02531

     馬場恵峰書

 

2019-01-27 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月26日 (土)

義子先生の懐に抱かれて雨やどり

自然の中で、雨が降るように

人生の中でも雨が降る

その時に、君を頼ってきた人に

雨やどりをさせてあげられる

強さを育てていってほしい

   外松太恵子詩  (義子書)

0p1120221

  河村義子先生の自宅玄関に掲示されている

 

 2018年12月27日、河村義子先生の告別式の最後の挨拶で、ご主人がこの書の話をされた。この書は、5年前から、ずっと義子先生の自宅の玄関に掲示されていた。義子先生を訪ねてくる人の全ての人に、人生の雨宿りさせてあげたいという義子先生の優しい心の表れなのだ。それは義子先生が不治の病に侵されて、人の痛みが分かったからだと思われる。私は、それを告別式で説明されるまで気が付かなかった。その書が玄関に掲示されていても、あれども見えず、であった。つくづくと己の愚かさを痛感した。

 人は棺を覆って初めてその人生の偉大さが分かる。この書は、義子先生が5年前にがん告知されて、手術をせず最期までピアニストとして生きようと決心した時、思いを込めて、この書を書かれたようだ。そして子供から大人まで、人生の雨やどりをさせてあげようと、命ある限り、全力を注いで音楽活動をされた。それと同じ時期に、私がグランドピアノを買い、個人レッスンで義子先生に師事し、写真撮影のお手伝い始めたのもご縁である。

 義子先生は10年前から大垣市民病院で「院内ふれあいコンサート」をされていたが、私は知り合ったときと同じころ、余命5年を宣告されていた。

 義子先生は内臓の病気の為、その当時から下向くと辛いようで、風呂掃除等には家政婦さんをお願いしたという。それ以外はけなげに家事をされていたという。2018年11月、最後の最期になって、食事の家事ができなくなり、家族に迷惑をかけてはならぬと、緩和病院に入院されたという。死の一か月前である。

 

院内ふれあいコンサート

 義子先生は、そんな状況で慈善の大垣市民病院の「院内ふれあいコンサート」に精力的に取り組まれていた。その姿をみて、病気を知っている大垣市民病院医師はその精神力の強さに驚嘆していた。私はそんな状況とは露知らず、撮影を頼まれ、そのお役に没頭していて、先生の病状には気が付かなかった。これも人生のお役目であったと思う。見事に義子先生に騙されていた。結果として義子先生の慈愛の懐に抱かれていた。命を門下生や皆さんのために捧げた義子先生の行動は美しい。だから「聖観院教音義愛大姉」の戒名を授かった。

 義子先生は、生前にお寺で慈善コンサートをされたり、お寺にピアノを寄付されたりと多くの貢献をされている。だからお寺さんが、この立派な戒名を無償で授与された。普通はお金を出してももらえない価値ある戒名である。

14k8a1243

24k8a1245

34k8a1312

44k8a1328

   河村義子先生と天野千恵先生

  2017年6月5日 院内ふれあいコンサート(大垣市民病院)

 人がその慈愛に満ちた行動に気が付くとき、往々にしてその観音様は世を去っている。それは無償の母の愛に似ている。母は無償の愛を子供に授けるが、子供は往々にしてそれを干渉しすぎだとうるさがるもの。その愛に気が付いた時は、母はこの世にいない。私の場合もそうだった。

 私は義子先生の門下生として、その後ろ姿から多くを学ばせていただいた。その志を受け継ぎ、私も皆さんが人生の雨やどりできるような貢献をしたいと頑張っている。

 

2019-01-26 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月25日 (金)

大餓鬼紙の小欲

 大垣市では家業が紙屋の小川敏市長が、爬虫類の小欲に取りつかれて、それが原因で大垣市が衰退の危機に瀕している。市長や取り巻きはいい思いをしているようだが、市民は悲惨である。

 

長期政権の弊害

 小川敏市長は、血迷って5期も市長の座にしがみ付いている。それも姑息な方法で、大垣財界への根回しをして対抗馬が出馬できないようにしての無投票当選である。常識的に2期が行政の長の任期である。任期中に後進を育て、後は後任に託すのが世のためである。それが大欲である。

 長期政権は腐敗するのが世の常識である。日産ゴーン体制を見ても明らかだ。小川敏市政は長期的な視点に欠け、小欲の餓鬼道に迷い込んでいる。自分の名誉欲だけ市長の座に居座ると、市の行政の空気が澱む。だから大垣市庁舎にはヒラメが跋扈して、澱み切っている。左遷を恐れて誰も諫言をしない。

 

大垣市の失策

 大垣市長は目先の線香花火ごとき行事ばかりに熱を上げ、市の経済は衰退の一途である。それは市制100周年記念行事を見ても明らかだ。大垣市にはケバイ目先の計画ばかりで未来を展望した計画がない。

 現在、大垣市の経済は年率1%で減少の一途である。「大垣市中心街活性化計画」にその現状の惨状が明記されている。それなのに、その真因を追及せず、市外の業者が儲かる間違った政策ばかりを施行している。やましいことがあるようで、その会計報告は条例でマル秘である。間違った政策を続けるから大垣市の衰退が止らない。仏様はよく見ている。結果として、2017年9月2日(金)現在、大垣駅前商店街は、61%の店がシャッターを下ろしていた。

(久志能幾研究所通信「大垣駅前フェリー 61%沈没(改定)」2017-09-20 を参照。カテゴリー「大垣を良くする階」に収録)

 

他市の景気は良い、それなのに

 近隣他市が、リニア景気で沸いて地価が上昇しているのに、大垣市は取り残されている。市場は正直だ。全ての原因は、小川敏市長が小欲に基づいて行政を行っているためである。だから大垣市制100周年記念行事を「100個行うのだ」と小川敏市長は意固地になっている。それをやっただけ、大垣の未来は遠のいていく。それが小欲の末路である。ゴーン被告がその典型を示してくれた。その点で、ゴーンは逆縁の仏様である。手を合わせたい気持である。良き悪例を世のために演じてくれた。ゴーン被告の任期と小川敏氏の任期が同じなのは、何の啓示なのか。

2019-01-25 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

爬虫類の氾濫(小欲)

 現代社会の問題は、全て小欲に犯された輩が大手を振って歩いていること。それを認める社会の矩が問題である。人としての基礎が出来ていない。なぜか? そういう躾、教育を放棄しているためである。師天王は、己の心に問いかける。

 

・形式主義――法律さえ犯さなければ何をやってもよいのか?

・効率主義――小さな努力で大きな成果を、が立派なのか?

・利己主義――自分さえ、今さえよければ良いのか?

         自分の回りに壁を造り、部分最適を目指すのか?

・拝金主義――お金が全てを超越するのか?

         犯罪を犯しても、お金で解決すればよいのか?

 

強欲主義の果て

 ホリエモンに代表される拝金主義の横行。グローバル経済主義(成果主義)の今さえ成績が上がればよいと、将来の飯の種蒔きを放棄し、人材育成を軽視している現代経営の横行がある。その代表的な事例が、日産のゴーンCEOの10億円の年収である。本人はまだ不足と思っている強欲さがある。日産の資産を切り売りして見かけの利益を上げ、魅力ある商品開発を怠り、10年後の今日、他社が増益増収となる中、日産だけの一人負けである。その原因は、まだ先の車である電気自動車に力を入れすぎて、目標未達になったためである。ゴーンCEO自身の経営判断のミスであるが、その責任を部下に押し付け、ナンバーツウのクビを切って、ゴーンCEOは責任を取らない。成果主義の反面教師である。

 ルノーの拝金主義経営に染まった日産からは、情熱は消え、魅力的な車が生まれなくなった。それでいて日産のゴーンCEOの年俸は10億円に迫り、平均役員報酬は1億円を超え、トヨタのそれの数倍もある。それに対して一般社員の平均給与は、トヨタよりも低い。ゴーンCEOはそれを「恥じることはない」と恥さらしな言葉を豪語する。何かおかしい。(2015年記)

 

2019年の現実

 以上を2015年初稿の『吾が人生の師天王』の一節に書いて、2018年末にゴーンの不正が発覚した。誰が見てもおかしいことが、18年間も横行したことが、日本社会の情けなさを象徴している。日本の精神文化の衰退である。

 一部の人だけが富を独占して幸せになり(本当に幸せかどうかは別にして)、99%の人が不幸になる社会を、我々は本当に目指してきたのだろうか。この構図は共産中国の党幹部だけが、富を独占している姿に似ている。グローバル経済主義=拝金主義社会である。

 

福沢諭吉の醒眼

 文明開化(グローバル化)で西洋の本質に気がついた福沢諭吉翁は、「学問のすすめ」で「数百年の久しき、おのおのその国土に行われたる習慣は、仮令い利害の明らかなるものと雖も、頓にこれを彼に取りてこれに移すべからず・・・・これを採用せんとするには千思万慮歳月を積み、漸くその性質を明かにして取捨を判断せざるべからず」と記述する。諭吉翁は狩猟民族の持つ動物的本能に疑惑の眼を向けている。

 

西洋思想と東洋思想の差

 西洋の思想は論理的、比較的、現実的、刹那的である。それに対して東洋思想は内面的、感性的、永世的である。西洋の思想は、現世の利益追求で小欲の権化である。一生の間に使え切りもしない金を集めてもまだ足りないと守銭奴のごとき行動を取る。それはゴーン被告の罪状を見ると明らかだ。それは他人と比較するから、まだ足りない、まだ足りないと餓鬼の世界に堕ちていく。

 それに対して東洋思想は、少欲、利他、足るを知る、という大欲のレベルの行動を目指す。東洋の目指すところは宇宙である。即ち自分の心である。人間としての尊厳として大欲で生きるのが本筋である。

094k8a11161

   馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」久志能幾研究所刊より

2019-01-25 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。