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2019年1月

2019年1月24日 (木)

「小欲・中欲・大欲」の選択

 欲があるから人間なのだ。欲が無くなったときは人間を止める時である。「谷」に蹴落とされても「欠」けないものが「欲」である。四天王や天女が住む世界が欲界六天である。だから佛である四天王や天女にも欲がある。迷える人間を救いたいという欲である。大日如来を支えたいという欲である。無機質な物質には欲は無いが、生命には生き延びたいという本性の欲がある。だからそれを殺めるのは罪である。

 己を形作る37兆個の細胞は、己を生き延びさせたいと必死に働いている。それが佛性である。産業革命が起きて200年以上が経つが、いまだ人類は細胞一つ作れない。それは生き物が佛性を持つが故のことと思う。

 人として欲を持つ以上、できるなら大きな欲を持ちたいもの。飲む打つ買うは、動物界で爬虫類の持つ小欲である。人間なら自分を高めたいという中欲や、他人の魂を歓ばせる佛性ある大欲を持ちたいもの。

 

下記は「大楽金剛不空真実三摩経」末尾の恵峰先生の言葉

 大楽金剛不空真実三摩耶経般若波羅密多理趣品が、正式名称で般若心経とも云い真言密教の根本経典である。元は金剛頂経の中の第六会でその中の教と功徳を説いている部分を一つの品にまとめたものである。理趣は条理という意味で般若という真実の智恵をたよりにして解脱に到着すること意味しています。人間を含めてすべての自然は、その本性において清浄であるから、人間も修法によってはその本性が清浄になり、宇宙の原理と合一して佛になることが出来ると説いている。理趣経は欲の聖典とも云われる即ち我々人間の生命そのものが欲で、その欲に対してどのように生きていくかを解いたものであるから也。大楽は食べ遊び飲むの小楽に満足するのではなく、真の楽しみ人間の生命を支配している宇宙と一緒になり、永恒の生命を生きる楽しみであり、仏の境地に立って大意欲を持って生きよと説く。空海は三密動作、言葉思惟を表し、実際に宇宙の篤息の中に自分を同一化して身口意修行強調せり。百字の偈の読誦が一般的である。(南無大師遍照金剛 齋沐敬書二千字 霜月21日 恵峰馬場英男)

 

 本写経は絹本の軸に揮毫されているので、ゆっくり書くと滲んでしまう。早く書くと掠れてしまう。一定の速度で精神を統一して書かないと、常人には書けない代物である。本写経は原紙に直接揮毫されている。書いてから表装したのではない。

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 馬場恵峰書『報恩道書写行集』(久志能幾研究所刊)より

   「吾が人生の師天王」p114

2019-01-24 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

胃カメラの拷問

提案:大垣市民病院で、麻酔での胃カメラ検診を導入すべき 

  多くの人が、抵抗なく胃カメラ検診を受けれるように推進すべきである。現状は、その環境作りに大垣市は怠慢である。

 定期健診で胃カメラを飲む計画をしたら、大垣市民病院は麻酔をしての胃カメラ検査はしていないという。それで掛かり付けの医師に相談して、麻酔で胃カメラ検診を行う市内の胃腸科病院を紹介してもらい、そこで胃カメラでの検査を受けた。意識のない状態で検診を受けられて、苦痛もなく済んで幸いであった。

 その昔、三河の病院で胃カメラを飲んだことがあるが、まるで拷問であった。もう二度と検査をしたくないと思った。

 他の知人に聞いても、今時、大きな病院で麻酔をせず胃カメラを喉の押し込む残酷な拷問をしている病院は稀である。大垣市民病院は、麻酔をすると検査時間がかかるので、効率が悪く、病院経営上で経費がかかるのでやらないようだと推定した。要は、効率最優先で、病人の市民が被る苦しみなど知ったことではないのだ。つくづくと、大垣市民病院はド田舎の病院だと思った。

 その大垣市民病院の納入通知書兼領収証には、「大垣市民病院 大垣市長 小川敏」の名と印鑑が押してある。大垣市民病院の総責任者は小川敏大垣市長である。こんな市長がいては、市民は幸せになれない。

 

2019-01-24 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年1月23日 (水)

寄贈者募集 言志四録の板書

 下記で、板書に揮毫予定です。先に下記の文言を恵峰先生に揮毫をしてもらい、後日、寄贈者名を決めて署名予定です。これ以外に好きな言葉を選んで寄贈されても結構です。言葉がダブっても構いません。現在でも、人気ある言葉は複数枚、岩村の軒下に掲げられています。今回は栗の木で10枚です。次期のロットでは欅を選定しました。2つを比較して、その後の使用する木を決定します。

 

会社の宣伝に

 岩村には昨年、朝ドラ「半分、青い。」の効果で年間40万人の観光客が訪れました。この地に板書を会社名で寄贈すれば、その板書が会社の宣伝になります。会社の信用と格が上がります。個人で寄贈して、将来、孫たちが「これはお爺ちゃんが寄贈したのだ。立派な信条を持ったお爺さんだった」と人に自慢できるでしょう。

 

日本を再興したい

 この板書は100年間以上も後世に残るのです。自分も知人を岩村に案内して自慢できるでしょう。自分の名が残るのです。恵峰先生の書が残ります。それが日本の精神文化の高揚の一助になります。言志四録の文言を一つでも覚えれば、人生が変わります。皆さんの言動が日本の未来を変えます。皆さんの志の一燈が日本を変えるのです。今のままでは、日本の精神文化は欧米の拝金主義に侵されて沈没です。私はそれを防ぎたい。

 

下記を揮毫する計画 (紫字は寄贈者決定スミ)

1.少にして学べば即ち壮にして為すことあり 壮にして学べば即ち老いて衰えず 老いて学べば即ち死して朽ちず

 言志晩録60  寄贈 久志能幾研究所 小田泰仙

2.一燈を掲げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ。只一燈を頼め

 言志晩録13  寄贈 弘前市 新戸部八州男

3.人は当に自ら己が才性に短長有るを知るべし。

 言志後録13  寄贈 京都市 小久保健司

 4.太上は天を師とし その次は人を師とし 其の次は経を師とす

  言志志録2  寄贈 波佐見町 福田琢磨

 5.人は当に自ら吾が心を礼拝し 自ら安否を問うべし 

  言志晩録177  寄贈 大垣市 小田

 

6.宇は是対待の易にして 宙は是れ流行の易なり 宇宙は我が心に外ならず (後録20)

 7.春風を以て人に接し 秋霜を以て自ら粛す  (後録33)

8.我は当に人の長処を視るべし 人の短処を視る勿れ (晩録70)

9.凡そ事を作すには、須らく天に事ふるの心有るを要すべし。人に示すの念有るを要せず(言志四録3)

10.晦に処る者は能く顕を見 顕に拠る者は晦を見ず(後録64)

11.己むを得ざるに薄りて而る後に諸を外に発する者は花なり(志録92)

  準備万端整えれば、自分のために花は咲かざるを得ない。人も成長すれば、天から与えられた使命を果たす義務がある。人が一生懸命に使命に励むとき、人は美しい花を咲かせる。

12.閑想客感は志の立たざるに由る。一志既に立ちなば百邪退聴せん。(後録18)

  つまらぬ事に心が騒ぐのは、人生の目標が立っていないからだ。目標を経てたら、一心不乱にたゆまぬ努力をするべきだ。

 

以下順次、言葉を選定予定

寄贈を希望される方は小田まで連絡下さい。

 2019-01-23 久志能幾研究所 小田泰仙

 e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2019年1月22日 (火)

岩村小学校を訪問

 2019年1月21日、鈴木隆一会長に佐藤一斎の板書を贈呈して、その後、車で恵那駅まで送ってもらう途中で、「岩村の小学校を見学しませんか」という話になり、お言葉に甘えて小学校に向かった。なんでも岩村の藩校の趣を再現した門があるので,ぜひ見て欲しいとのことであった。

 その小学校は町から4,5キロ離れた山の中にあり、生徒のほとんどは徒歩で通学しているという。冬は通学の山道に雪も積もり通学が大変そうである。しかし若い時に体を鍛えるためには絶好の場所だという。

 その学校の門は、昔の藩校の門を再現したデザインになっていて、風格があった。その門の中に、孔子の書画と佐藤一斎の言志四録の一節の板書が掲示されていて、感心した。生徒は毎日この書を見て学校に登校するのだ。また玄関を上がると、正面に額入りの大きな書で三学戒「少にして学べば壮にして成すことあり…….」(神渡良平書)が掲示してあった。学校が言志四録モード全開である。

1p1060718   正門

2p1060721   正門の裏側

3p1060723  小学校の玄関

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5p1060715  正門の中

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7p1060731  三学戒 神渡良平書

小学校での言志四録の勉強

 鈴木隆一会長は、岩村小学校で、6年生の50数名に対して、佐藤一斎の教えの講義を年間6時間(2時間を3回)担当されている。素直な年代の小学校生は、水が砂に沁み込むようにその教えを吸収するという。小学校生は、卒業までに、言志四録の名句を30句、暗記するのを努力目標に頑張っている。日本の未来に少し希望が持てて嬉しかった。鈴木隆一先生は、前職は高校の校長先生である。退官後の時間を佐藤一斎顕彰会の会長として、また言志四録を子供の未来のために教える仕事に携わってみえる。素晴らしいことだ。

 

お嫁入り先が急遽決定

 この訪問時に、鈴木先生が思いついて校長先生に、贈呈した板書を見せることを思いつき、また岩村に寄贈予定の板書の一部を、小学校学校、中学校にも掲示するのも一案だと提案された。確かに、岩村に来る観光客より未来を背負う地元の子供たちの眼に毎日触れさせるほうが、日本のためにはなると合点した。

 それで校長先生に面会を求め、この板書の経緯を説明したら、一目で気に入ってもらい、ぜひ一枚を学校にと、この板書のお嫁入り先が決まってしまった。それは三学戒「少にして学べば壮にして成すことあり…….」でした。子供たちにもこの句は、人気ベスト5に入る句とか。この句は私の選定の寄贈板であるので、名誉なことだと嬉しくなった。吉村校長も言志四録の話しになると熱が籠って、他の小学校校長とは一線を引く存在感があった。子供たちには頼もしい先生である。

 この板書の寄贈を希望される方も、学校にも贈る前提で句を選定されると良い。先生の話を聞くと、巷の大人より、ここの小学校の生徒の方が、言志四録に関する知識がありそうだ。

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  鈴木隆一会長と吉村良校長  校長室で

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 たまたま、校長先生にお会いできたのは、奇跡である。当日、私は、近年まれにみるトラブルに遭遇して、その対応で奔走した。それで当初の午前中の鈴木さんとの面会が、午後にずれてしまった。そのお陰で出会ったご縁である。面会が午前中なら、当日は多忙であった校長先生と都合が合わず面会は叶わなかった。これは仏様が仕組んだトラブルのようで、結果オーライのご縁となった。私も危機管理として学びがあり、再発防止が出来た。

 

2019-01-22 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月21日 (月)

協賛募集 言志四録の板書寄贈

日本の精神文化を再興 

 私は、日本の精神文化のゆかりの地である岩村に、佐藤一斎の言志四録の文言の板書を恵峰書で岩村の町並みに掲げることを計画しています。現在、岩村の町並みの軒下には、約200枚の言志四録の文言の板書がかかっている。残念なことにそれは機械の字で、なおかつ風雪に侵されて風化寸前の板書が多い。

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 岩村にて 2018年3月4日

 

 今回、それを馬場恵峰書で、言志四録の名言を再現します。10年計画で100枚の板書を入れ替える計画です。馬場恵峰先生は、日本の近代書道の父と呼ばれ明治の3大名筆といわれた日下部明鶴の伝承者です。その板書の木も100年は持つ木を選定しています。今回は栗の木を選定しました。サイズは18×78×3cmです。

 つきましては、その協賛者を募集します。文言の選択は自由です。現在、7名の方がこのプロジェクトに賛同されています。寄贈希望者は、メールにて私に問い合わせをしてください。

 

効果

 この書を寄贈することで、岩村の町おこしにもなり、日本の精神文化の再興にもなります。寄贈者も皆さんに、寄贈したことに併せて、自分が選定した文言を信条としているとの宣伝になります。寄贈は個人でも、企業でも構いません。

 ゲゲゲの鬼太郎で有名な境港市の水木しげるロードには、妖怪のモニュメントが177体あり、その多くが寄贈です。それが境港市の町おこしになっています。人口3万3千人の町で、年間200万人の観光客が訪れます。この妖怪モニュメントが大きな貢献をしていると思います。

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 宮川大助氏の寄贈 境港市 水木しげるロード 2018年11月27日

 

3枚を寄贈

 現在、雛形として3枚の板書が完成しました。2019年1月17日に馬場恵峰先生宅を訪問して板を受け取りました。今日の2019年1月21日、岩村を訪問して佐藤一斎顕彰会の鈴木隆一会長さんに3枚の板書を贈呈してきました。詳細は明日か明後日に報告します。

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2019-01-21  久志能幾研究所 小田泰仙

 e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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お宝探偵団は客寄せパンダ

美術品を投資目的に買うのは不遜

 いくら投資として絵画を集めても、売るときは2030%の価格である。値上がりの金儲けを目的に絵を買うのは不遜である。絵を所有してその間、楽しめたと思うのが芸術作品との接し方である。

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 お宝探偵団での鑑定結果は、あくまでお店の販売価格で、それを売るときは3分の一の価格である。そうでないと鑑定士、古美術商、デパートがやっていけない。彼らも生活がかかっている。お宝探偵団で出す価格は、客寄せパンダの値段である。一品物の販売は経費が掛かるのです。それが工業製品の価格とは違うところ。

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絵画を金儲け目的で買うなら、最低1億円以上のヨーロッパの昔の絵画「マスターピース」と呼ばれる絵画に投資すべきである。それなら価値がある。しかしそういうヨーロッパの昔の絵画は、日本人の感性に合わず、飾っても見ていても楽しくはないだろう。

絵画業界では、投資目的で買った数千万円の絵でも、買い手がつかないかもしれない。100万円単位の絵は、画商が売れないとみると、買取りを拒否することもある。それは市場で値が付かないのだ。100万円以下の絵は、売るときはポスター扱いである。

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絵の価格は、画家年鑑で、厳密に決められている。画家によって、一号いくらと業界で決まっている。業界はそれによって価格を決める。それも生きている画家が対象であって、物故作家では価格が下がる。その理由は、もう新作の作品がでてこないから、キャンペーンで人気を持ち上げる手段が取れないからである。

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画家も大変である。展覧会に出す絵は、30号、40号と大きな絵でないといけない。そんな絵は簡単には売れない。だから画家はその絵の保管に場所をとられる。多くは別にマンションの一室を借りて保管する。その経費も大変だ。

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 人気画家の絵でも、画家が受け取るのは販売価格の20%ほどの金額である。残りは画商、デパートが取ってしまう。画商、デパートにしろ、建屋の減価償却、人件費、場所代、売れ残りのリスクを見ると、販売価格の2030%の価格で扱わないと採算が取れない。だから絵画で財テクをするのは、間違いである。芸術は楽しむものであって、金儲けで付き合っては、裏切られる。絵にも命がある。その命に失礼である。美術品で儲かるのは、業者だけである。画家も絵を買う人も、儲からない。それは芸術関係の全てに当てはまる。

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私の使命

芸術関係で華やかな活動をする人は、ごく限られた人だけである。芸術家の生活は、堅気の生活ではない。特別の才能のない私は定年まで、サラリーマンの堅気の生活をしてきて、良かったと思う。その良きサラリーマンの生活も、グローバル経済主義の浸食で、日本の良き精神文化が衰退し、拝金主義、利己主義が氾濫して、そうでもなくなってきたのが哀しい現実である。私は心豊かな生活を追及したいと思い日々工夫をしている。このブログで、その一助となる情報を提供していきます。

 

2019-01-21      久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月20日 (日)

高い精神文化で世界をリードせよ

芸術は心の豊かさ、徳人の教養

 芸術の世界は儲からない。芸術は金がかかる。金を稼ぐなら、芸術の世界に入らないことだ。芸術につぎ込む情熱を、起業、経営、宗教狂祖の技につぎ込めば、誰でも成功する。ピアニストでも、毎日、8時間、10年間練習を続けないとモノにはならない。それだけの精力を別の面につぎ込めば、何でも成功できる。ところが芸術は、努力だけでは何ともならない面がある。好きでないとやれない世界である。

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河村義子先生も、音楽活動で、お金に苦労をされた。音楽活動は、音楽家の情熱以外に、スポンサーがなければ成り立たない。演奏会活動で、大垣市内の企業の多くに協賛金をお願いして、やっと音楽の活動を回していた。最近の企業経営の厳しさから、文化関係の寄付などの経費は、真っ先に削減の対象である。協賛してくれる金額面でも厳しいものがある。女性ピアニストなど女性の演奏家は、衣装にもお金がかかる。演奏会では、同じ服装はできないのです。

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コンサートで一人3000円のチケットでも、300人のホールに満席で、やっと売上90万円である。ドイツから3人の演奏家を呼べば、交通費・宿泊・日当で、軽く100万円はかかる。ホールの使用料、ピアノの利用料、練習の部屋の料金、通訳料、宣伝費、販売経費等を計算すると、演奏会ビジネスは赤字である。有志のボランティア活動で成り立っている。それを補うのは、企業のスポンサーや個人の寄付である。

 

芸術はスポンサーが必要

 その昔、私がヤマハジャズクラブでスタッフとして動いた時、ジャズコンサートがいかに儲からないかを実感した。ジャズコンサートで東京からジャズ演奏家4人を呼んでも、観客はせいぜい150名。チケット価格2500円で、総収入はせいぜい40万円程度。その中で、交通費、宿泊費、ホール使用料、打ち上げ費用等を賄わねばならぬ。4人のジャズ演奏家は2日間拘束されて、一回に10万円の金にもならない。これではジャズ演奏家の生活が大変だ。好きでないとやれない。ヤマハジャズクラブが運営できたのは、岡崎の内田病院の内田修先生のバックアップがあってできたこと。内田先生は、内田病院の病室を宿泊宿として提供、食事の提供もされてジャズメンバーをもてなした。だから内田先生は日本のジャズの父と呼ばれた。

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ルネッサンスの時代でも、メディチ家のように有力なスポンサーがいて、芸術家が活躍できた。それは現代でも変わらない。だから行政や企業が芸術を支援しないと、その都市の文化は育たない。

大垣市は、その点で、その支援が皆無に近い。芸術に理解ある市長に変わらないと、大垣市に文化は育たない。今の大垣市長ほど、芸術に理解のない市長もめずらしい。それでいてあさましい水饅頭の共食いのような下劣な行事には熱を上げる。

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子供たちに芸術を触れさせないと、拝金主義、成果主義に染まった人間が出来上がる。それでは日本の精神文化が崩壊する。それでは日本が未来に韓国中国の門下に下ることだ。日本は次の世代には、世界の精神文化のリーダーとして、世界に貢献せねばならない。それが日本の使命である。私はそれに貢献するための一灯になればと頑張っている。今のままでは死んでも死にきれない。

 

2019-01-20     久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

累計6万回の閲覧達成

 お陰様で、本日の午前1時前に、累計閲覧数6万回に到達しました。記事数は1015件、ブログ開設以来604日目の記録です。皆様の閲覧にお礼を申し上げます。

2019-01-20  久志能幾研究所 小田泰仙

聖観音菩薩が観る声

 聖観音菩薩とは「音」を「観る」佛様である。人はご縁(人・事件)にぶつかったり、すれ違ったりすると衝突音や摩擦音を発する。その音は自分の人格のレベルによって発する音が違う。衆生の助けを呼ぶ声を聞き分けて、助けに駆けつける佛様が聖観音菩薩様である。心を澄ませて聴けば、声なき声が聞こえてくる。万物は声なき経を唱えている。

 その声が聴こえないのは、目が曇っているからだ。心が汚れているからだ。心がねじれているからだ。強欲を持った目で見るからだ。世の中で一番佛に近い存在が赤子である。赤子の純真な心は素直である。松下幸之助翁は、経営者に必要な要素を「素直な心」と断言している。素直な目で観れば、物事の本質が見えてくる。その事象が発している声が聴こえてくる。それが聴こえる聖観音菩薩様のような存在を目指して、日々精進をしていきたいと思う。

 

ご縁の音

 ご縁に出逢って、どんな音が観えたのか、自分はどんな反応を示したのか、その出会いの音を、もう一人の素直な自分の目で観ることが人としての成長である。人は皆佛性を持っている。事件の遭遇したときその佛性が明らかになる。そこに裸に自分の姿が明らかになる。いくら小手先の労をこねくり回しても、自分の人格のレベルを上げない限り、自分の作品に艶は出てこない。格を上げない限り、社会と不協和音を響かせる結果となる。心の中に佛心も鬼心も備えて人間である。佛と鬼の境界をさ迷う心を澄ませて事象を観れば、世間の音が観える。素直な心を持たない限り、人格を上げない限り、声なき音を観られない。無私の心と高い見識から徳や悟りが生まれる。やるべきことを済ませて、あの世には無心で逝きたいものだ。

 

衆生の声

 この5年間も師事した河村義子先生の言葉の節々に、死を示唆する声があったが、私にはその声を観る力がなかった。今回の河村先生の訃報で、つくづくと己の未熟さを思い知った。それを知っても、病気に対しては無力な己である。今まで一期一会の姿勢で、先生の活動の姿を記録に残せたのが慰めである。そういうご縁を頂いただいたことに感謝である。

 

人の一生

 人はん坊で生まれ、春を謳歌し、金の壮年を過ごし、髪の老人となり、子のようになって暗黒の死を迎える。加齢により色が変貌していく様は、生き物の無常を表す。無常の声が聴こえるようになると人間として完成が近い。

 

人は皆、菩薩

 菩薩とは、仏道を極めるために修行途上の佛様をいう。聖観音菩薩様も人格(佛格?)の完成を求めて修行を積む。人間界の我々は修行を積んで、よき終末を迎えたい。この世で地獄の業火に焼かれて身を焦がすよりも、人生最後のプロセスで、背負った心身の業を少しでも落として逝きたいと思う。

 人生飛行の着陸には、余分なものを捨てて身を軽くしないと、重すぎて着陸に失敗する。人生の最期を有終の美で飾るため、美しい姿勢で着陸したい。

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   大仏師松本明慶先生作  聖観音菩薩像 楠 1尺

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2019-01-18 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月19日 (土)

河村義子先生の葬儀

 気持ちの整理が少しできたので、河村義子先生の葬儀の模様を報告する。2018年12月26日、河村先生のお通夜の日、開始の2時間前に、何かお手伝いをしようと会場に到着した。しかし葬儀社が全て対応しいて、やることがなかった。それで関係者が来るまでのおよそ1時間弱を、義子先生の眠る棺の近くで、静かに先生と過ごした。それは結果として良かったと思う。棺の蓋が開けられていて、お顔を拝ませていただいた。やつれはされていたが、穏やかな美しいお顔であった。

 

病状

 その会場に掲示されたご子息の挨拶文で、先生が5年前にガンが見つかり、手術をするとピアニストとして活動できなくなるので、最後までピアニストとして生きる決意をされ、手術を拒否されたことを初めて知った。だからほとんどの人がそれを知らず、突然の訃報に呆然とした。

 河村先生の場合、体力的に抗がん剤も使えなかったという。河村先生は菜食主義で、ご子息へのおやつも手作りをされていて、健康には人一倍気を使ってみえたのに、残念でならない。

 

最後のメール

 私は、11月17日の先生からの「退院しました。30分のレッスンを再開しました」のメールを受けて「体調が戻られたら退院お祝いで一席を」と返信したら、12月16日になって

「それが、、Uターンです。またお近く通られましたらのぞいてください。クリコン、撮影などありがとうございました。病院でもみれるようにポータブルのものを買いました! やはりまだまだブルーレイは広まってないようです。^^大垣のもの、お待ちしてます。私の自宅へおくってくださる?」

とメールがあり、その病院が先生宅の近所で、文面からそんな緊急事態とは夢想だにしていなかった。それが最後のメールとなった。12月25日に突然の訃報で茫然自失である。

 先生が入院されても、相手が女性なので、男性の私が病室を見舞うはやはり抵抗がある。いまにして、やつれた死期を悟った先生も、そんな姿を知人に見せたくなかったはず。今まで一期一会で5年間をお付き合いできてよかったと納得している。大病をされた女性の方によると、お見舞いは男女を問わず嬉しかったという。今回はご縁がなかったと納得している。

 

先生の遺言

 「湿っぽいお葬式はイヤ、明るく音楽で送って欲しい」が先生の遺言であったそうで、結果として先生に相応しい立派な葬儀となった。参列者もお通夜で350名、告別式で650名の芸能人並みの多さで、会場が大混雑で大変であった。

 祭壇も遺族の方と相談して♪のデザインの素晴らしい形となった。私はこんなデザインは初めてみて先生に相応しいと感心した。

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 お通夜では、親友の天野千恵さんのバイオリンと内藤先生の電子ピアノで、G線のアリアを、河村先生のお顔をみながら語り掛けるように弾かれた。思わず目頭が熱くなった。

 どういう因果か、私は空いている来賓席に座らされて、その模様を至近距離で撮影するご縁を頂いた。20年後にその写真を見ると、仏縁に感謝だと思う。 

先生を偲ぶ部屋

 感心したのは、別室で「先生を偲ぶ部屋」が設営されていたこと。そこで先生の生前の活動記録が展示されていた。私の知らないことが多くあり、先生の活動の多方面ぶりを初めて知った。ビデオも放映されていた。

 その展示物を見ていて、先生の活動ぶりの写真集を展示することを思いつき、お通夜から帰宅して、大慌てで撮りためた8000枚余の写真の中から、40枚ほどの写真を抜粋して、A4判カラーでプリントして、クリアファイルに納めて「先生の想い出写真集」を作成した。それを翌日の告別式開始までに「先生を偲ぶ部屋」に展示をした。同時に、河村先生の活動に関する私のブログ記事30通を印刷して、同じくクリアファイルに収めて、並べて展示をして弔問客に見てもらった。作業は深夜までかかったが、先生の供養としてよかったと思う。この二つの資料を基に、近い将来、関係者のために出版予定である。海外にも友人が多いので、英文併記の予定である。

 仏教では、葬儀で「友引」は根拠のない迷信である。私の菩提寺の住職さんから教えられた。火葬場が休日を取るための俗信だともいう。先生が亡くなられて、翌日がお通夜では、準備が大変であった。

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告別式

 告別式では、在りし日の姿をビデオで放映しながらの告別式であった。「明るく送って欲しい」との遺言で、サザエさんの替え歌を流しながらの葬儀であった。その替え歌は、門下生が先生の還暦祝いで、サプライズとしてサザエさん替え歌と贈ったという。その替え歌を流して先生のお別れの葬儀である。この歌は、微笑ましい歌詞で先生の人間味ある人柄を思い起こさせてくれた。「演奏に出かけたヨシコさん、♪ 眼鏡を忘れて慌てるヨシコさん、♪….. 愉快なヨシコさん♪」(文言は少しうろ覚えで正確ではありません)

 また葬儀社が、亡くなられて3日後が「友引」であるため、葬儀の日程が緊迫して、先生の写真関係の準備ができず困っているとの話を聞き、急遽、私のブロブを紹介した。それで葬儀社の方が、そのブログの中から、2018年1月13日のドレスデントリオ演奏会の写真をプリントして、2階の第二会場の壁に掲示して頂けたのも、よき功徳になったと納得した。

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2階の第二会場。側面の写真は2018年1月13日のドレスデントリオの演奏会の写真(著者撮影)

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サザエさんの替え歌を流して。スライドは先生の還暦お祝い時の写真。

出棺

 先生の出棺では、最愛の教え子達「子と音」の皆さんが、歌って踊りながら、明るく送り出した。でも子供たちは泣き顔である。私はお勤めとして、撮影を担当した。暗い会場であったが、演奏会撮影用のカメラsonyα9を所有していて幸いであった。想い出として良き写真が撮れて、CDに収めて皆さんに贈呈できた。今は悲しい記録であるが、10年後は良き想い出となるはずだ。泣きながら送り出したことが、先生への最大の供養である。ブログでは事情により、画質を落として掲載します。

 私は火葬場まで同行させていただいた。私は火葬場で、関係者の一人として最期のお別れをさせていただいてよかったと思う。灰葬は親族だけというので遠慮をさせていただいた。

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2019-01-19 久志能幾研究所 小田泰仙

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