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2019年1月

2019年1月19日 (土)

日本人のほとんど全員がガンになる

「ガン患者が99万5千人」は異常

ガン患者数

 「厚生労働省は16日、2016年に新たにがんと診断された患者数が延べ99万5132人だったと発表した。大腸がんがトップで、胃、肺と続いた。今回は16年施行のがん登録推進法に基づき、がん患者を診察した全ての病院と都道府県指定の診療所に報告を義務付けた「全国がん登録」に基づく初の公表データとなる。

 がんは日本人の死因第1位。公表された統計によると、16年に新たにがんと診断されたのは男性が約56万6千人、女性が約42万8千人で、合計で年間延べ100万人近くに上った。」(日本経済新聞2019年1月17日)

 

日本の出生数

 2017年の出生数は、過去最少94万6千人で、人口の高齢化を反映して死亡数は134万433人と戦後最多。

 

異常だと報道しないマスコミ

 99万5千人とは、およそ日本の生まれてくる人の数と同じ。なにかおかしい。つまり日本人のほとんどの人がガンになるという事実である。この40年間で医療費は4倍に増え、ガン患者は2倍に増えた。厚生労働省発表のガン患者数からいえば、日本人のほとんど全員がガンになるということだ。昨年、私は二人の師を亡くした。その一人の河村義子先生の死因はガンであった。

 

推定有罪

 私の推定では、その原因は現代の食生活と現代社会がギスギスしたストレス社会であることだと思う。食生活は、食品産業の利権が大きく、マスコミでの宣伝の大スポンサーになっているので、体に悪い食品でも、スポンサーに遠慮してマスコミも深くは追求しない。私は加工食品の氾濫ががんを引き寄せていると信じている。

 戦後、アメリカは太平洋戦争での日本の強さに恐怖して、二度と米国に立ち向かわないようにと、日本の精神文化を破壊する戦略で戦後を統治した。いま、その影響がボディブローのように出てきたのだと思う。それが原因で、利己主義、虐めの氾濫や、拝金主義万能の世界観を若い人に染めさせ、ストレスだらけの社会を作った。私はそれもガンの一因と信じている。

 我々は食生活の見直しと、日本古来の精神文化の大事さを見直したい。このブログでは、その危機感を背景に記事を書いている。

 

2019-01-18 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月18日 (金)

眉唾の「電気事業連合会のPR資料」

 ニューヨークタイムズの記事(Medical Scans Lead Some Hidden Lisks “The New York Times” SEPTEMBER 9,2012 )ではCTの危険性を警告しているが、電気事業連合会が出している「放射線を受ける量の比較」のPR資料(2011年)では、「100ミリシーベルト以下の放射線量では臨床症状が確認されていません」と説明がある。これはあくまで原子力発電を積極的に推進している団体の資料である。「臨床症状が確認されていない」とは一時的な臨床症状であって、長期間にわたる検証ではない。“The New York Times”の記事内容と異なる。電気事業連合会は原発に対して都合の悪いことは言えない団体であるし、放射能の危険を少しでもオブラートの包んで過小に説明したい団体である。同じデータでも、立場や見方が変わると、こうも解釈が変わる。

 この資料は、自分の価値観で広報データを正しく解釈する重要性を、教えてくれた。本多文洋先生とCTの話をしていたら、本データを教えていただいた。持つべきは師である。

 

電気事業連合会のPR資料(下図)

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「放射線Q&A」 電気事業連合会 2011.4 刊より

 電気事業連合会とは、電力会社9社と日本原子力発電、日本原燃、電源開発からなる組合である。発行は、2011年の福島第一原発事故の直後である。

 

偏向ニュース

 どんな資料も、自分の眼で資料を考えるべきだと教えてくれた。その後の原発事業でえげつない金儲けの実態が明らかになった。世にはフェイクニュースが氾濫している。新聞社、マスコミでさえも信用できないのに、天下り先の団体が作った資料など、色眼鏡で見ないと痛い目にあう。

 

師天王の護り

 自分の体という城は、自分で守らねばならぬ。世には外に出れば7人の敵がいる。回りは守銭奴、拝金主義の敵ばかり。佛の世界の高野山でも、大門には仁王様、中門には四天王が、高野山のご本尊を護っている。自分は、己が師天王になって己と家族を護れ。

 

2019-01-18 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月17日 (木)

医学的検査に潜む危険性

Medical Scans Lead Some Hidden Lisks

 

第6段落部

   Some of the newest uses of radiological imaging, including CT scans of coronary arteries to look for calcium buildup, have not yet undergone clinical trials. Experts have estimated that widespread use of coronary artery scans, which deliver 600 times the radiation of chest X-ray, could results in 42 cases of cancer for every 100,000 men, and 62 cases for every 100,000 women.

By JANE.BRONDY  “The New York Times” SEPTEMBER 9,2012

 

要約「CTは胸部レントゲンの600倍の放射能を放射して、男性10万人に対して42人、女性10万人に62人の割合でガン患者を発生させる」

 

 2014年12月25日、私は大垣市民病院で心臓のCT検査を受けた。検査機械はドイツ シーメンス製であった。検査後に担当医師に聞いてみると1億円以上もする高価な機器である。この業界は東芝、GE、シーメンスがしのぎを削って売り込んでいるという。操作性と性能の点でシーメンス製にしたとの事であるが、減価償却費が大変なようである。その分、患者を回してその費用回収しなければならないので、病院経営的に、医師はつい安易にCT検査を勧めるようだと、合点がいった。

 

CTの性能の限界

 CT検査はエコー検査の1/200くらいしか性能がないという。CT機器は価格もエコー検査器(1500万円程)の10倍である。しかしエコー検査は医師に経験と技術が必要のため、若い医師はエコー検査を避け、CT検査に走りがちである。(石井光著『医師の嘘』幻冬舎)

 

 自分の体を検査する機器の知識を持つことは、生きることには大事である。敵を知り己を知れば百戦危うからず(孫子)。己を知るための機器の知識は、人生を戦う上での基礎情報である。

 今回のCT検査を最後にして、いっそうの健康管理に努めたい。それがご先祖様へのご恩返しである。

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By JANE.BRONDY

“The New York Times” SEPTEMBER 9,2012

 

2019-01-17    久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月16日 (水)

CTスキャンの仏心と鬼心

CT検査時には心拍数を抑える薬の服用等で撮影準備に1時間ほど要した。造影剤を注入するため一時的に体がカーッとすることが一瞬あり驚かされるが、別に痛みも無く撮影自体は20分ほどで終了した。人生の降りかかる事象は、その時は心臓ドキドキであるが済んでしまえば、何であんなに焦ったのかと思う事象と同じであった。

 

CТの被爆

3年ほど前、人間ドックでCTを受けることになっていたが、後藤悦夫先生からの情報(ニューヨークタイムズ)で、CTの被爆量は、普通のレントゲンの600倍であることを知り、急遽キャンセルした経緯がある。今回はリスクとメリットを天秤にかけて、あえてCTを受けた。結局は避けられないCTとのご縁であった。人生の勉強としてはよい経験であった。

Photo   馬場恵峰書

己に課せらた矩

 論語為政編は、人生のPDCAの言葉である。人生の節目の歳で、己がそのあるべきレベルに成長しているであろうか、自問自答すべきである。その答えは、人生皆我師として、回りの佛が教えてくれている。しかし自分が成長していないとそれに気がつかない。因果なものである。人生で一番知らなければならないのが己の持つ欲である。己に課せられた矩(おきて、きまり、法則、法度)とは何かであるかを自問したい。

 

CTスキャンは鬼門

 2012年当時、私は地元歯科医院からインプラント手術を勧められ、2012年9月18日10時からの手術を受ける段取りが進んでいた。日曜日に知り合いの佛様から連絡があり、インプラント手術の危険性を教えられた。それで、手術2時間前(敬老の日の連休明け火曜日、仏滅)に手術中止を決断した。休日のため医院に連絡が取れず、結果として手術2時間前にキャンセルする顛末となった。それでも無事キャンセルできて、神仏のご加護があることを思った。

 その時、成り行きとして次の来院予約を入れざるを得なくなり、仮の予約を入れた。しかし、刈谷総合病院で2次再検査(心臓のCT)と日程がダブってしまったので、それを言い訳にキャンセルをすることにした。それ以来、その歯科医院とは縁を切った。

 インプラントの中止決断では、馬場三根子先生からのアドバイスが大きかった。三根子先生からは、「インプラントを入れるとMRI検査が出来なくなる。若い小田さんは心して受ける様に」との助言を頂いた。今回2015年2月13日に脳のMRIの検査を受診するが、三根子先生の助言が大いに助かっている。

 インプラントの危険性は、カテゴリー「ma_経営診断♠インプラント」のブログ記事を参考にしてください。

 

CT検査のリスク

 CT検査の話を後藤悦夫先生(私の英語の師匠)と電話で話をしていたら、「CTはレントゲンの600倍の放射能を放射して、10万人に104人の割合でガン患者を発生させる」との記事が“The New York Times”に掲載されていること教えられた。早々に自宅の新聞の山から、その新聞を引っ張り出して確認した(次ページ参照)。また造影剤は腎臓を傷めるとの後藤先生からの注意があり、翌日のCT検査をキャンセルした。これもインプラントでのご縁から生じた佛さまからのご配慮のようです。ありがたいことです。

 後藤先生は一度、心臓が停止したが、緊急対応の手際よさと、担ぎ込まれた医療機関が心臓病で有名な病院で、その場に名医も待機していたという偶然にも恵まれて一命を取り留められた。つくづくと運のよさ、とりもなおさず人徳の高さを感じた。どれかひとつでも欠けていたら、もうこの世ではお会いできかった先生とのご縁であった。その時、心臓CT撮影で多量の造影剤が使われ、腎臓を傷められたとのこと。

 

病気は自分で治す

 医院は治療や検査はするが、病気を治しはしない。病気を治すのは自分の意思と体の治癒力である。過剰な検査や薬は、それを妨害する。過度な検査は新たな病気を生み出す。その治療でまた医者にかからねばならない。医師と製薬メーカ、医療機器メーカとの関係で、現在の病院は金儲けコンベアラインのケースが多い。医者通いは自分の体への設備保全である。その選択は、心して構えたい。

 

己の体はリース物件

 自分の体とはご先祖と佛様からのリース物件なのだ。平均寿命80年の契約が満期すれば返さねばならぬ。大事に使わないと落とし前を要求される。大事に使わないと、契約途中でも、返却を要求される。仏様の契約を裏切ると、慈しみの佛が借金取りのヤクザに変身するので気をつけたい。佛の顔も3度までである。

 

医学雑誌のデータ

 人の年間の許容X線量は、1ミリシーベルトである。胃透視でのX線量は、3ミリシーベルトである。CT撮影でのX線量は、10ミリシーベルトである。年間3回以上CTを受けると、ガンが発生する確率が顕著になる。

 

2019-01-15  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月15日 (火)

人生のCTスキャン

(コンピュータ断層撮影 Computed Tomography)

 年末の鬼酒とのご縁で倒れ、救急車を呼ばれてしまった。そのため循環器系の精密検査をする羽目になり、2014年12月25日のクリスマスプレゼントとして大垣市民病院で心臓のCTを受けた。その待合室に、CTスキャン説明ビデオが流れていた。これを見て、人生で遭遇する事件とCTの構成が良く似ていることに思い至った。思い起こせば、河村先生が逝去された日の正に4年前の出来事である。河村先生からレッスンを受け始めて半年後の事である。

 CTは放射線の放射銃が体の中心の周りを回転しながら対象の臓器に向けて撮影用の放射線を発射する。ドーナツ状のガントリ内に配置された検出器でその映像を撮影して、その情報をコンピュータで合成して三次元画像を作成する。

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CT適塾  http://www.ct-tekijyuku.net/basic/equipment/equipment001 より

 

佛のCTスキャン(師弟スキャン)

 人生で遭遇する事象(天災、病気、怪我、悪魔の誘い、試験、トラブル等)が、己の心の揺れる状態を行動に投影する。多くの事象が違った角度で、人生の節目毎に振るかかり、己の心が佛の光に照らされて明かになる。己の反応の様が心の円熟未熟度を露見させて投影される。それを己が真摯に診断して、今後の生き方の軌道修正ができるかどうかを、佛様が試している。それを「何で私だけが」と反論しては、人生ゲームで失格、退場である。

 自分は遭遇した試練にどう反応したのか、前と同じような事件の時とは対処状況が成長できたのか? 自分の対応は佛様から合格通知をもらえたのか? 事前に分かっていた試練に対する準備に覚悟があったのか? 自分の心の動きを分析すると自分の成長度合いが自明となる。

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人生のPDCA

 魂の成長のために、計画・実行・分析・改善(PDCA)を回さない限り人間としての成長はない。師は弟子の修行状況を全方角から診断して、弟子のために敢えてキツイ試練を与える。これが師弟スキャンである。そこに裸にされた己の心が現れる。

 今回の河村義子先生の最後の行動で多くの学びがあり、自分の心に投影されて、自分の課題と使命が浮かび上がった。また先生の真の姿が見えて良かったと思う。

 

話題閑休=師弟スキャン

 河村先生のご主人から伺った話では、義子先生の前世は、ドイツのガラス職人だという。知人の2人の霊感に強い人から、同じことを言われたという。これは1月11日に、河村家を訪れて義子先生の霊前のお参りした時、ご主人から聞いた。「いまごろ義子さんは、ドイツの空を舞っているよ」と言われて思わず納得してしまった。義子先生のガラス細工のような繊細な音楽を奏でる姿は、ガラス職人に合っているかもしれない。

 大垣の片田舎で活躍した一ピアニストとして、世界で著名なドイツの音楽家の多くの知人を持って活躍されたことは、奇跡みたいである。私は、ドレスデンやシュッツガルドのメンバーが、「ヨシコと演奏をしたいと言ってくれる」と河村先生が嬉しそうに言われたのを思い出した。生前の義子先生の活躍を「師弟スキャン」にかけると、その裏に潜む前世の妖精たちが垣間見える。これを信じるかどうかは、お任せです。

 

刺偵スキャン

 大垣行政の状況を「刺偵スキャン」かけると、大垣市行政の裏の姿、市の職員の本音、大垣行政のがん組織が明らかになった。

 組織が行う行事、政策、計画を色んな角度で投射すると、その組織の本音が浮かび上がる。小川敏市長が精力的に推進している市制100周年記念行事を多方面から照らして検証すると、市長は大垣市を衰退に導くがん細胞であることが浮かび上がる。がん組織は早期に摘出しなければ、大垣市の命が危ない。

 大垣行政の健康診断をしようにも、小川敏市長は、その会計報告をマル秘扱いにして平然としている。大垣市の外部組織もそれに便乗して、会計報告を市民に公開しないので、その外部団体予算に不正の匂いがプンプンである。小川敏大垣市長は、まるで人間ドックを前にして、便検査、尿検査、レントゲン検査、血液検査、内視鏡検査をかたくなに拒否している様である。重病で、推定有罪で、クロとしか断定できないのは自然の成り行きである。このままでは大垣市は病気発見の手遅れで、ご臨終である。私は何とかしなければと焦燥感で一杯である。

 

2019-01-14 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月14日 (月)

河村義子先生の告別式で怒り心頭

 河村義子先生の告別式に参列して、大垣市職員の人間として礼を失した振る舞いに怒りが出た。告別式の最前列の来賓席に、市の関係者席として教育長、大垣市文化関係の長、市会議員席が設けられていたが、告別式の途中で4名が揃って退席して、真ん前のど真ん中の席が4つも空席のままになった。お通夜では350人、告別式では650人ほどの参列者で、2階の別室でモニターを見ながら、告別式に参列した人も多かったが、立って告別式に参列した方が大部分であった。

 そのポッかり空いた4つの空席が、大垣市関係者の恥さらしを象徴していて、私は怒り心頭である。「義理だけで来るなら、来るな」である。故人に不敬である。告別式の途中退席するなら、義理で出るなら、何も義子先生の亡骸の真ん前のど真ん中席に座らなくてもよい。義理で来るなら、代理が焼香のときに、皆と同じく並んで焼香だけして、退席すればよい。N県会議員は、いつも葬儀の最後まで滞在しておられる。それが人の道である。組織は頭から腐るというが、現在の大垣行政の痴走をみると、それが顕在化した事象である。

1dsc02958  河村義子先生の告別式 2018年12月27日

河村義子先生の貢献

 河村義子先生が企画した2017年10月のTIMM演奏会、2018年1月のドレスデントリオの演奏会、2018年9月のサラ・ディビスコンサートは、本来、大垣市制100周年記念行事でやるべき事業であった。この演奏会では、大垣の未来を背負う120名の子供たちを無料の「あしながチケット」で招待して、演奏会を開催にこぎつけた。子供たちは、その感想文で、感激の言葉をしたためた。それは「世界で一流の音楽を楽しむ会」の田中重勝さんと仲間達が走り回って実現した演奏会であった。

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 TIMMとリハーサル中

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 TIMM演奏会では、あしながチケットで120人の子供達を招待した。冒頭でベーゼンドルファーのピアノの説明を子供達の為にされる河村義子先生。2017年9月29日。大垣市音楽堂で。

大垣市行政の浅ましさ

 しかし、大垣市は、市制100年記念行事で、3億4千万円の金を業者にばらまくことで頭に血が上り、この大垣の文化を育成する音楽文化事業等には目も向けなかった。やったのは、あさましい水饅頭食い合いで、わずか2週間の命のギネス記録に有頂天になっている。そのわずか2週間後、市民税は一銭もかけずに、日大三島高校が大垣市の記録を更新した。大垣市は、市民税を使いまくり、市の職員や外部組織や、部長級職員まで総動員して数を辻褄合わせした。もう記録ではなくなったのに、いまだに未練がましく、その祝賀垂れ幕を市庁舎に飾っている。正気の沙汰ではない。恥さらしである。

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2018年6月3日 水饅頭の浅ましい食わせ合い

5p1120012 今だ2018年12月5日でも祝賀垂れ幕がかかっている。大垣市庁舎

  多分今日も掲示されたままのはず。

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大垣市はデズニーパレードで狂気の沙汰

 2018年10月7日のデズニーのパレードでは懇意の警備会社に600万円もばらまいている。デズニーのパレードには大垣市人口の2倍の30万人が集まったが、どう計算してもその多くは大垣市外の人間である。なんで僅か30分のパレードに、大垣市民以外の人のために大垣の市民税600万円を使うのか。TDL35周年と大垣市制100周年とどういう関係があるのか。それが、どういう付加価値を大垣の未来に与えたのか。

 

ドレスデントリオ演奏会

 この河村先生が企画した3つの演奏会開催で、大垣市の協賛が全く得られないので、仲間が力を合わせて、大垣市内の企業に協賛のお願いに回り、3つの音楽会を開催にこぎつけた。やってよかったと思う。

 ドレスデントリオの演奏会「ニューイヤーコンサート」は、TIMM演奏会を3か月前に開催したばかりで、市内の企業の協賛にお願いに行けないので、私が資金面で全面的に援助した。それでよかったと思う。

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ドレスデントリオ「ニューイヤーコンサート」

2018年1月13日 クインテッサホテル大垣にて

サラ・ディビス大垣公演

 2018年9月17 日のサラ・ディビスのピアノコンサート大垣公演では、河村先生の最後の企画となった。その演奏会後、招待された子供たちは、サラ・ディビスからサインをもらい、一緒の写真が撮れて喜んでくれた。そのサイン会は、当初予定されていなく、事務局がサラさんに今回の公演の趣旨を話したら、急遽、子供が好きなサラさんが子供たちにサインをすると言い出し、事務局はその会場準備で大慌てであった。それでも私は、カメラマンとして、サラさんと子供たちの交流風景を撮影できて、よかったと思う。この子たちが、大垣の未来を背負ってくれる。今にして、あれだけ河村先生が喜んでくれたワケが分かった。それが河村義子先生への餞となった。見苦しくもあさましい水饅頭共食いのギネスや大垣市の為に何も残らないTDLパレードよりよほど、大垣の子供達の未来のためになった。

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サラさんのサイン会に並ぶ子供達

 

大垣の未来

 今の大垣市体制では、大垣の経済や文化はご臨終である。なんとかしようと思う。それには皆さんの力がいる。私は一燈を掲げて、大垣を良くするため歩いている。それが万燈になれば、大垣市は変わる。このブログ記事を仲間に広めてください。

 

最期のレッスン

 私は以上を報告しなければ、大垣の子供達の未来の為に命をかけた河村義子先生に申し訳ないと思い記述した。

 河村義子先生は2018年9月16日に、余命1週間と宣告された。義子先生は、その後、少し持ち直して体の無理を押して後進のために12月9日までレッスンを続けられた。その最後のピアノレッスンに同席されたお母さんは、義子先生が辛そうではあったが、それでもプロとしてレッスン中はしっかりされていたという。レッスンは演奏会よりも、多くの気力と体力を消耗するのです。

 私は11月17日に、メールで退院とレッスン再会のお誘いを受けて、先生が回復されたと安心していた。当時の先生の状況を全く知らず、幸か不幸かそのレッスンを遠慮して正解であった。老いた私より、前途有望な若手に最後のレッスン時間を譲ったことになり、結果として幸いであった。12月25日、寂滅。河村義子先生のご冥福をお祈りします。

 

2019-01-14 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

「病気と闘う」とは佛様への暴言

 病気になった原因は己にある。佛様は己の体を慈しみ、最高の結果として病気を授けたのだ。日頃、適量以上に食べ過ぎれば、爬虫類の脳は、この40億年間の飢餓状態に思いを馳せ、餓死を防ぐために己のお腹に脂肪をせっせと溜めるため本能を働かせる。食べ物が豊富にあるのは、有史以来でこの数十年間にしか過ぎない。それまではずっと飢餓状態であった。食べ過ぎれば太り、結果として高血圧、糖尿病になるのは、生理学的に最高の結果である。

 

病気の真因

 ガンとはストレスや食べ物が原因の腫瘍で、種の保存の本能で悪いものを一箇所に集めて全体に拡散させないための結果である。それで節制すれば、腫瘍の傷口が自然と癒えるが、その不摂生を止めなければ、その傷口が大きくなり、それがガンとなる。そこを手術で除去すれば当然、集める場所を新たに作ることになる。それがガンの転移である。ガンになった原因を除去しない限り、ガンは無くならない。

 高血圧も血管の硬化や肥満化で、血圧を高めないと毛細血管の細部まで血が行き届かないので、血圧を上げて生命の維持を図っているに過ぎない。それを佛の働きという。病気と闘うのではなく、頂いた病気を佛様からの啓示と受け止め、病気と共存して生活習慣を正す。それが病気という赤信号で報せてくれた佛様へのご恩返しである。

自然界の共生

 人間は他の命を奪うことで生きている。太るとは食べ過ぎであり、他の命を必要以上に殺めている。自然界の共生に反する行動であり、罰が当たった結果が病気である。例えば、種の保存の防衛手段として、卵には食べ過ぎると毒になる成分が含まれている。その毒が痛風を発症させる。

 食べ過ぎて出すことをきちんとしないから、老廃物が体内に蓄積して病気なる。入れるより出すことが大事なのだ。頭に血のめぐりを良くさせないから、認知症、うつになる。

 

心の病の真因

 金を貯めるだけで出さないから、日本の景気が良くならず、子孫の醜い相続争いが起こる。経済の病気である。ご縁の恵みを回さず不義理をするから、不運という病気になる。悪縁を排除しないから、悪縁が寄ってくる。全て自分の責任である。不運の御祓いを神仏に願ってもお門違いである。病気、事故、不運は全て神仏からの啓示である。悪い生活習慣を変えず、薬やご祈祷のお札だけで治そうとするから、佛様の反撃を食らう。様にもメンツがある。佛様の顔をつぶしては駄目。佛様を怒らせるとヤクザより怖い。

 

病気は仏様の使者

 病気は、仏様が慈しみで遣わす「死の使者」である。「今の悪い生活態度を続けると死ぬよ」と警告の使者なのだ。「死の使者」も、仏様の使者なので、手ぶらでは帰れない。本人が生活習慣を悔い改めれば、仏様に良き報告ができるので手ぶらで帰れる。そうでないと本人を連れてあの世に帰らねばならない。辛いお役目である。たまには「死の使者」の立場で考えよう。

 

企業の生存問題

 その昔、私は管理職として部下を指導して、「死の使者」の役目をしたことがある。その葛藤で胃が痛くなった。だから仏様の気持ちがよくわかる。その部下に思うことは、「なぜわかってくれないのか」であった。そうなれば企業の生存本能で、切るしかない。そしないと他の社員が不幸になる。

 煙草を吸うのがガンになる確率が高いのは自明である。喫煙すれば、生理学的に最高の結果が肺がんなのだ。飽食や添加物一杯の食べ物、甘いモノを食べ続ければ、病気になるのが生物生理学の最高の結果なのだ。

 

病気はお客様として接遇すべきもの

 病気は戦うものではない。病気は頂くものなのだ。気づいた時点で、改めるべきことを改めれば、佛様のご加護がある。1日早ければ1日早い、病魔・悪縁からの離脱がある。病気とは自分で治すもの。病院は金の儲かる治療はするが、病気は治せない。本人が治す気にならないと、病気は治せない。気づいたときが、最高の始める時である。死期が目前でも、一日一生の信念で、一秒でも早く方向転換をすべしだ。人は死ぬ直前まで、健康で魂を成長させるべきだ。それが魂を持った人間の務めだ。そのためにも長寿であるように日頃の生活を心して送るべきだ。

 病気を仏様からの手紙と思い、感謝の念で返信しよう。生き方の改善が、最善の返信である。

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 材料は東日本大震災で倒壊した神社を再興したときに出た端材の桧。

 馬場恵峰先生書、材料は齋藤明彦氏提供、大工の新立広美氏製作。  2013年9月

 

2019-01-14 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月13日 (日)

還暦になって観る悪夢

私独裁帝国が迎える最期の日

 60年間、己は私独裁帝国の独裁者であった。人生の最盛期は、飲み放題、食べ放題、やりたい放題で人生を謳歌してきた。しかし人生の戦いも末期を迎え、私独裁帝国に夕暮れが迫ってきた。ある日、鬼神佛連合軍の爆撃隊が頭上に現れ、原死爆弾(解雇、死病告知、倒産、定年離婚、子息の犯罪・逮捕)を落とした。その被害で帝国の指令本部内は混乱を極め、側近が、「総統、ご決断を」と迫る。己はなす術もなく、虚ろな目が宙に舞う。私独裁帝国が音もなく崩れてゆく。

 

四天王の諫言

 世の中は最高のことしか起こらない。世の真理は一つである。宇宙の真理を人の想いで形にしたのが大日如来像の姿である。かくの如く人生を過ごせば、来るべき結末は一つである。暴飲暴食、不摂生、縁の不義理の結末である。それを「運が悪い」、「なんで俺だけが」では神佛に不遜である。全ての原因は己にある。あの時、広目天の「視野を広げて観よ」、多聞天の「法の話を聴け」という叫びを無視した己がいた。

 この絶体絶命の状態で、自分は何ができるのか、それが問われている。まだ神佛は自分を殺さずに生きる道を示し、見えざる手を差し伸べている。それに気づけないのでは畜生である。早く己の愚かさに目覚め、目を見開いて観よ、耳を澄まして声なき声を聴け。今からでも遅くない。打てるあらゆる手を打て。

1039a1185  高野山 中門 広目天 大仏師松本明慶師作

     眼入れは岩田明彩師   2015年10月8日 撮影

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  高野山 中門 多聞天 大仏師松本明慶師修復(江戸時代の作)

     眼入れは岩田明彩師  2015年10月8日 撮影

 下記チャップリンのスピーチで、奴隷を食や金に対する己の弱さ、国境を己の周りに築いた壁、貪欲を己の欲、獣を世の娯楽産業に置き変えると、チャップリンの凄さを感じる。

 この演説で、「自然に反する者たち、機械のマインド、機械の心を持った機械人間たち」を拝金主義者、グローバル経済主義者、共産主義者に置きなおすと、世の中の動きが分かる。当時と何が違うのか。日本の未来を考える為に自問したい。

 

「絶望してはいけない」

 チャップリンの史上最高のスピーチ【独裁者】

 私たちは皆、助け合いたいのだ。人間とはそういうものなんだ。私たちは皆、他人の不幸ではなく、お互いの幸福と寄り添って生きたいのだ。私たちは憎み合ったり、見下し合ったりなどしたくないのだ。

 この世界には、全人類が暮らせるだけの場所があり、大地は豊かで、皆に恵みを与えてくれる。人生の生き方は自由で美しい。しかし私たちは生き方を見失ってしまったのだ。欲が人の魂を毒し、憎しみと共に世界を閉鎖し、不幸、惨劇へと私たちを行進させた。私たちはスピードを開発したが、それによって自分自身を孤立させた。ゆとりを与えてくれる機械により、貧困を作り上げた。知識は私たちを皮肉にし、知恵は私たちを冷たく薄情にした。私たちは考え過ぎで、感じなく過ぎる。機械よりも私たちには人類愛が必要なのだ。賢さよりも、優しさや思いやりが必要なのだ。そういう感情なしには、世の中は暴力で満ち、全てが失われてしまう。

 飛行機やラジオが私たちの距離を縮めてくれた。そんな発明の本質は人間の良心に呼びかけ、世界が一つになることを呼びかける。今も私の声は世界中の何百万人もの人々のもとに、絶望した男性達、女性達、子供達、罪なき人達を拷問し投獄する組織の犠牲者の元に届いている。

 私の声が聞こえる人達に言う、「絶望してはいけない」。

 私たちに覆いかぶさっている不幸は、単に過ぎ去る欲であり、人間の進歩を恐れる者の嫌悪なのだ。憎しみは消え去り、独裁者たちは死に絶え、人々から奪いとられた権力は、人々のもとに返されるだろう。人間が永遠には生きることがないように、自由も滅びることもない。

 兵士たちよ。獣たちに身を託してはいけない。君たちを見下し、奴隷にし、人生を操る者たちは、君たちが何をし、何を考え、何を感じるかを指図し、そして、君たちを仕込み、食べ物を制限する者たちは、君たちを家畜として、単なるコマとして扱うのだ。

 そんな自然に反する者たち、機械のマインド、機械の心を持った機械人間たちに、身を託してはいけない。君たちは機械じゃない。君たちは家畜じゃない。君たちは人間だ。君たちは心に人類愛を持った人間だ。憎んではいけない。愛されない者だけが憎むのだ。愛されず、自然に反する者だけだ。

 兵士よ。奴隷を作るために闘うな。自由のために闘え。『ルカによる福音書』の17章に、「神の国は人間の中にある」と書かれている。一人の人間ではなく、一部の人間でもなく、全ての人間の中なのだ。君たちの中になんだ。君たち、人々は、機械を作り上げる力、幸福を作り上げる力があるんだ。君たち、人々は人生を自由に、美しいものに、この人生を素晴らしい冒険にする力を持っているんだ。

 だから、民主国家の名のもとに、その力を使おうではないか。皆でひとつになろう。新しい世界のために、皆が雇用の機会を与えられる、君たちが未来を与えられる、老後に安定を与えてくれる、常識のある世界のために闘おう。

 そんな約束をしながら獣たちも権力を伸ばしてきたが、奴らは嘘をつく。約束を果たさない。これからも果たしはしないだろう。独裁者たちは自分たちを自由し、人々を奴隷にする。

 今こそ、約束を実現させるために闘おう。世界を自由にするために、国境のバリアを失くすために、憎しみと耐え切れない苦しみと一緒に貪欲を失くすために闘おう。(一部割愛)

 出典 NEWSポストセブン「こんな時代だからこそ胸に沁みる・・・チャップリンのの感動すぎるスピーチを聞け!

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チャップリンの「独裁者」1940年より

 「独裁者」(1940) :チャップリンが監督・製作・脚本・主演を務め、アドルフ・ヒトラーとナチズムの風刺が主なテーマ。ヨーロッパの大国トメニアの独裁者ヒンケル(チャップリン)は、世界征服とユダヤ人排斥を旗印に、世界に君臨しようとしていた。一方、ユダヤ人のゲットーの床屋であるチャーリー(チャップリン)は、ヒンケルと容貌が似ていた。そして、ふとしたことからチャーリーがヒンケルに間違われてしまう。

Photo_3  馬場恵峰書 2006年

 

2019-01-13 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

曼荼羅とのご縁

 曼荼羅の言葉は知っていたが、その詳細はおぼろげな理解であった。2014年11月20日、仙台市での松本明慶仏像彫刻展に出かけ、そこで絵佛師の岩田明彩師から内容を教えてもらった。それが曼荼羅との新しきご縁の始まりであった。ご縁とは足を使って自らが動いて、手に入る我が宝である。足で歩くから道ができる。

中門とは曼荼羅への入口

 弘法大師が、高野山の立体曼荼羅が広がる根本大塔前に中門を設置して、門の四隅に四天王を配した意味は深い。その先に人間の歩く道がある。まずその門を通らないと始まらない。人生の目的地までは千里の道のりである。

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 高野山 中門 四天王が睨みを利かす

2039a1174  広目天 大仏師松本明慶師作

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 持国天  大仏師松本明慶師作   2015年10月8日撮影

 『新約聖書』マタイ伝第七章に「狭き門より入れ。滅びに至る門は大きくその路は広く、これより入る者多し。いのちに至る門は狭く、その路は細く、これを見出す者なし」という。「狭き門」は、キリスト教で天国に至ることが困難であることを例えた言葉である。転じて、入学試験や就職試験など、競争相手が多くて突破するのが難しいことの例えである。

 仏教でも同じことを教えている。人は狭い門の母の経道を通り、母親を苦しめて人間界に生まれてきた。決して大門を楽に通ってきたわけではない。大門は人も動物も生き物が通ってくる。その中で魂を持って生まれてくるのは人間だけである。魂を持った人のみが、その次の中門に入れることができる。人は自分の使命に向って進む。動物は欲望のまま生きる。中門に入界審査官の四天王が立ち、通る人の心に問うている。己はその四天王の目を直視できるのか。その先には大宇宙を表す立体曼荼羅が広がっている。己の目的地はどこか。

 

人の狭き門

 人として生まれたのなら、構えた門の下に何を置くかである。門の下に「人」を置けば「閃き」である。門の中に人がチラッといるのを見るという意味である。閃きは生きている人間にだけに与えられている。閃きは仕事、修行において求めるものを探求し艱難辛苦の果てに天与されるもの。贅沢三昧の極楽温泉に浸かり心が緩んだ人には授からない。

 「間」とは門を閉じても日光、月光がもれるさまから、隙間を意味する。月の光は日に照らされて放つ光である。だから「閒」とも書く。言動から佛性の光が漏れ出るのが人間である。己は縁ある人に何を照らし与えているのか。功徳ある照らす存在でありたい。光を吸い込むブラックホールの存在では哀しい。

 「開く」は「門」+「幵」で、「幵」は、両手の象形である。門に両手をかけて開くの意味を表す。己の人生の新しい門は、己の両手で渾身の力で押さないと開けられない。開けられないのは門が重いからではなく、力の出し方が足りないのだ。

 「才」を置けば「閉じる」である。「閂」も同じである。門を木のかんぬきでとじた様を表す。己という人生の門にかんぬきをしては、人生は始まらない。

 門の下に「口」を置けば「問う」、「耳」を置けば「聞く」。人生を生きていくために、己の門の下に何を置くかが問われている。かんぬきだけは置くのを避けたい。見ざる聞かざる言わざる、ではサルの畜生である。

 門の下に心を置けば、「悶える(もだえる)」。口には出さずに、心を門の下に置いて公衆に晒す状態である。智者の行為ではない。

 

Dsc002342   馬場恵峰書 「あせって」の書体にほれ込んで入手した

2019-01-13 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月12日 (土)

未来は変えられないが、過去は変えられる

 過去の自分を虐めた輩は、佛が身をやつして、自分を鍛えるために表われた佛様である。昔の苦労・試練をいじめと解釈するか、修行・諭しと思うかどうかで、己の未来は変わる。自分を厳しく鍛えてくれたがゆえ、今の成長した自分がある。その昔、自分を厳しく育ててくれたトヨタから出向の大森部長がいた。その他の優しかった部長達の思い出は少ないが、厳しく育ててくれた大森部長は、今も心の中で私を睨んでくれている。

 病という佛様が、己を虐めてくれるから、自分の生活状況を見直せる。世間との葛藤の悩みから師や仏門を叩くご縁が生まれる。試験に落ちたご縁から、自分の病や弱点を発見できる。全てのご縁は仏様である。

 過去の事象をどう解釈するかである。そうすれば過去はどうにでも変えられる。そうれば未来は明るい方向に変えられる。全て己が作り出す世界である。

 

四衆

 何時までも過去のしがらみに囚われていては、未来は開けまい。人を箱に閉じ込めて「囚」れの人にするのは、己の狭い了見である。己は何の固定観念に取り付かれているのか、自問したい。身の回りの人は全て師である、仏様である。

 「修証義」に曰く「その形いやしといえども此の心を発せば已に一切衆生の導師なり、たとえ七歳の女流といえども四衆の導師、四衆の慈父なり、男女を論ずることなかれ、これ佛道極妙の法則なり」。四衆とは佛教に帰依した弟子(仏語))

 

己を俯瞰

 タイムマシンに乗り、過去の自分を今の時点で眺めると未来が見えてくる。過去と未来を見せてくれるタイムマシンは、同窓会、卒業アルバム、親睦会、仕事場、己の過去の仕事等で、己を移す鏡として身の回りに多く存在する。もっと眼を凝らして、見えない世界を観よう。見る気がないから、見たくないから、その真実が観えないだけである。

 以上は2015年1月4日の高校同窓会に出て感じたことが、今回、河村義子先生の葬儀で過去の写真を整理して更にその思いを新たにした。

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 上図は馬場恵峰書 道元禅師 『修證義』

 馬場恵峰書『報恩道書写行集』(久志能幾研究所刊)より

 

 「修証義」等の経典を読めば読むほどに、人生の深淵を垣間見る思いである。歳を取り、経験を積んで、初めてハッとする言葉を発見する。今まで何回も読んだのに、気がつかなかった己の盲目さに呆れる。

 

2019-01-12 久志能幾研究所 小田泰仙

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