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2019年1月12日 (土)

未来は変えられないが、過去は変えられる

 過去の自分を虐めた輩は、佛が身をやつして、自分を鍛えるために表われた佛様である。昔の苦労・試練をいじめと解釈するか、修行・諭しと思うかどうかで、己の未来は変わる。自分を厳しく鍛えてくれたがゆえ、今の成長した自分がある。その昔、自分を厳しく育ててくれたトヨタから出向の大森部長がいた。その他の優しかった部長達の思い出は少ないが、厳しく育ててくれた大森部長は、今も心の中で私を睨んでくれている。

 病という佛様が、己を虐めてくれるから、自分の生活状況を見直せる。世間との葛藤の悩みから師や仏門を叩くご縁が生まれる。試験に落ちたご縁から、自分の病や弱点を発見できる。全てのご縁は仏様である。

 過去の事象をどう解釈するかである。そうすれば過去はどうにでも変えられる。そうれば未来は明るい方向に変えられる。全て己が作り出す世界である。

 

四衆

 何時までも過去のしがらみに囚われていては、未来は開けまい。人を箱に閉じ込めて「囚」れの人にするのは、己の狭い了見である。己は何の固定観念に取り付かれているのか、自問したい。身の回りの人は全て師である、仏様である。

 「修証義」に曰く「その形いやしといえども此の心を発せば已に一切衆生の導師なり、たとえ七歳の女流といえども四衆の導師、四衆の慈父なり、男女を論ずることなかれ、これ佛道極妙の法則なり」。四衆とは佛教に帰依した弟子(仏語))

 

己を俯瞰

 タイムマシンに乗り、過去の自分を今の時点で眺めると未来が見えてくる。過去と未来を見せてくれるタイムマシンは、同窓会、卒業アルバム、親睦会、仕事場、己の過去の仕事等で、己を移す鏡として身の回りに多く存在する。もっと眼を凝らして、見えない世界を観よう。見る気がないから、見たくないから、その真実が観えないだけである。

 以上は2015年1月4日の高校同窓会に出て感じたことが、今回、河村義子先生の葬儀で過去の写真を整理して更にその思いを新たにした。

Photo

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 上図は馬場恵峰書 道元禅師 『修證義』

 馬場恵峰書『報恩道書写行集』(久志能幾研究所刊)より

 

 「修証義」等の経典を読めば読むほどに、人生の深淵を垣間見る思いである。歳を取り、経験を積んで、初めてハッとする言葉を発見する。今まで何回も読んだのに、気がつかなかった己の盲目さに呆れる。

 

2019-01-12 久志能幾研究所 小田泰仙

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