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2019年1月14日 (月)

河村義子先生の告別式で怒り心頭

 河村義子先生の告別式に参列して、大垣市職員の人間として礼を失した振る舞いに怒りが出た。告別式の最前列の来賓席に、市の関係者席として教育長、大垣市文化関係の長、市会議員席が設けられていたが、告別式の途中で4名が揃って退席して、真ん前のど真ん中の席が4つも空席のままになった。お通夜では350人、告別式では650人ほどの参列者で、2階の別室でモニターを見ながら、告別式に参列した人も多かったが、立って告別式に参列した方が大部分であった。

 そのポッかり空いた4つの空席が、大垣市関係者の恥さらしを象徴していて、私は怒り心頭である。「義理だけで来るなら、来るな」である。故人に不敬である。告別式の途中退席するなら、義理で出るなら、何も義子先生の亡骸の真ん前のど真ん中席に座らなくてもよい。義理で来るなら、代理が焼香のときに、皆と同じく並んで焼香だけして、退席すればよい。N県会議員は、いつも葬儀の最後まで滞在しておられる。それが人の道である。組織は頭から腐るというが、現在の大垣行政の痴走をみると、それが顕在化した事象である。

1dsc02958  河村義子先生の告別式 2018年12月27日

河村義子先生の貢献

 河村義子先生が企画した2017年10月のTIMM演奏会、2018年1月のドレスデントリオの演奏会、2018年9月のサラ・ディビスコンサートは、本来、大垣市制100周年記念行事でやるべき事業であった。この演奏会では、大垣の未来を背負う120名の子供たちを無料の「あしながチケット」で招待して、演奏会を開催にこぎつけた。子供たちは、その感想文で、感激の言葉をしたためた。それは「世界で一流の音楽を楽しむ会」の田中重勝さんと仲間達が走り回って実現した演奏会であった。

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 TIMMとリハーサル中

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 TIMM演奏会では、あしながチケットで120人の子供達を招待した。冒頭でベーゼンドルファーのピアノの説明を子供達の為にされる河村義子先生。2017年9月29日。大垣市音楽堂で。

大垣市行政の浅ましさ

 しかし、大垣市は、市制100年記念行事で、3億4千万円の金を業者にばらまくことで頭に血が上り、この大垣の文化を育成する音楽文化事業等には目も向けなかった。やったのは、あさましい水饅頭食い合いで、わずか2週間の命のギネス記録に有頂天になっている。そのわずか2週間後、市民税は一銭もかけずに、日大三島高校が大垣市の記録を更新した。大垣市は、市民税を使いまくり、市の職員や外部組織や、部長級職員まで総動員して数を辻褄合わせした。もう記録ではなくなったのに、いまだに未練がましく、その祝賀垂れ幕を市庁舎に飾っている。正気の沙汰ではない。恥さらしである。

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2018年6月3日 水饅頭の浅ましい食わせ合い

5p1120012 今だ2018年12月5日でも祝賀垂れ幕がかかっている。大垣市庁舎

  多分今日も掲示されたままのはず。

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大垣市はデズニーパレードで狂気の沙汰

 2018年10月7日のデズニーのパレードでは懇意の警備会社に600万円もばらまいている。デズニーのパレードには大垣市人口の2倍の30万人が集まったが、どう計算してもその多くは大垣市外の人間である。なんで僅か30分のパレードに、大垣市民以外の人のために大垣の市民税600万円を使うのか。TDL35周年と大垣市制100周年とどういう関係があるのか。それが、どういう付加価値を大垣の未来に与えたのか。

 

ドレスデントリオ演奏会

 この河村先生が企画した3つの演奏会開催で、大垣市の協賛が全く得られないので、仲間が力を合わせて、大垣市内の企業に協賛のお願いに回り、3つの音楽会を開催にこぎつけた。やってよかったと思う。

 ドレスデントリオの演奏会「ニューイヤーコンサート」は、TIMM演奏会を3か月前に開催したばかりで、市内の企業の協賛にお願いに行けないので、私が資金面で全面的に援助した。それでよかったと思う。

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ドレスデントリオ「ニューイヤーコンサート」

2018年1月13日 クインテッサホテル大垣にて

サラ・ディビス大垣公演

 2018年9月17 日のサラ・ディビスのピアノコンサート大垣公演では、河村先生の最後の企画となった。その演奏会後、招待された子供たちは、サラ・ディビスからサインをもらい、一緒の写真が撮れて喜んでくれた。そのサイン会は、当初予定されていなく、事務局がサラさんに今回の公演の趣旨を話したら、急遽、子供が好きなサラさんが子供たちにサインをすると言い出し、事務局はその会場準備で大慌てであった。それでも私は、カメラマンとして、サラさんと子供たちの交流風景を撮影できて、よかったと思う。この子たちが、大垣の未来を背負ってくれる。今にして、あれだけ河村先生が喜んでくれたワケが分かった。それが河村義子先生への餞となった。見苦しくもあさましい水饅頭共食いのギネスや大垣市の為に何も残らないTDLパレードよりよほど、大垣の子供達の未来のためになった。

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サラさんのサイン会に並ぶ子供達

 

大垣の未来

 今の大垣市体制では、大垣の経済や文化はご臨終である。なんとかしようと思う。それには皆さんの力がいる。私は一燈を掲げて、大垣を良くするため歩いている。それが万燈になれば、大垣市は変わる。このブログ記事を仲間に広めてください。

 

最期のレッスン

 私は以上を報告しなければ、大垣の子供達の未来の為に命をかけた河村義子先生に申し訳ないと思い記述した。

 河村義子先生は2018年9月16日に、余命1週間と宣告された。義子先生は、その後、少し持ち直して体の無理を押して後進のために12月9日までレッスンを続けられた。その最後のピアノレッスンに同席されたお母さんは、義子先生が辛そうではあったが、それでもプロとしてレッスン中はしっかりされていたという。レッスンは演奏会よりも、多くの気力と体力を消耗するのです。

 私は11月17日に、メールで退院とレッスン再会のお誘いを受けて、先生が回復されたと安心していた。当時の先生の状況を全く知らず、幸か不幸かそのレッスンを遠慮して正解であった。老いた私より、前途有望な若手に最後のレッスン時間を譲ったことになり、結果として幸いであった。12月25日、寂滅。河村義子先生のご冥福をお祈りします。

 

2019-01-14 久志能幾研究所 小田泰仙

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