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2019年1月24日 (木)

「小欲・中欲・大欲」の選択

 欲があるから人間なのだ。欲が無くなったときは人間を止める時である。「谷」に蹴落とされても「欠」けないものが「欲」である。四天王や天女が住む世界が欲界六天である。だから佛である四天王や天女にも欲がある。迷える人間を救いたいという欲である。大日如来を支えたいという欲である。無機質な物質には欲は無いが、生命には生き延びたいという本性の欲がある。だからそれを殺めるのは罪である。

 己を形作る37兆個の細胞は、己を生き延びさせたいと必死に働いている。それが佛性である。産業革命が起きて200年以上が経つが、いまだ人類は細胞一つ作れない。それは生き物が佛性を持つが故のことと思う。

 人として欲を持つ以上、できるなら大きな欲を持ちたいもの。飲む打つ買うは、動物界で爬虫類の持つ小欲である。人間なら自分を高めたいという中欲や、他人の魂を歓ばせる佛性ある大欲を持ちたいもの。

 

下記は「大楽金剛不空真実三摩経」末尾の恵峰先生の言葉

 大楽金剛不空真実三摩耶経般若波羅密多理趣品が、正式名称で般若心経とも云い真言密教の根本経典である。元は金剛頂経の中の第六会でその中の教と功徳を説いている部分を一つの品にまとめたものである。理趣は条理という意味で般若という真実の智恵をたよりにして解脱に到着すること意味しています。人間を含めてすべての自然は、その本性において清浄であるから、人間も修法によってはその本性が清浄になり、宇宙の原理と合一して佛になることが出来ると説いている。理趣経は欲の聖典とも云われる即ち我々人間の生命そのものが欲で、その欲に対してどのように生きていくかを解いたものであるから也。大楽は食べ遊び飲むの小楽に満足するのではなく、真の楽しみ人間の生命を支配している宇宙と一緒になり、永恒の生命を生きる楽しみであり、仏の境地に立って大意欲を持って生きよと説く。空海は三密動作、言葉思惟を表し、実際に宇宙の篤息の中に自分を同一化して身口意修行強調せり。百字の偈の読誦が一般的である。(南無大師遍照金剛 齋沐敬書二千字 霜月21日 恵峰馬場英男)

 

 本写経は絹本の軸に揮毫されているので、ゆっくり書くと滲んでしまう。早く書くと掠れてしまう。一定の速度で精神を統一して書かないと、常人には書けない代物である。本写経は原紙に直接揮毫されている。書いてから表装したのではない。

Photo

 馬場恵峰書『報恩道書写行集』(久志能幾研究所刊)より

   「吾が人生の師天王」p114

2019-01-24 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

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