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2019年2月

2019年2月22日 (金)

河村義子先生の中陰を供養する(3/4)

29日 今生きているのは何の為、温故創新一路前進。 天は己を生き永らせるために生かしているのではない。その命を世の為人のために使え。故人の遺徳・教えを温(たずね)て、世のために新しい価値を創れ。それが故人への供養である。

30日 仕事の中に亡き人の願いを生かすべし。 河村義子先生の願いを思い出すべし。

31日 したい事をするのではなく、仕なければならない事を生涯かけてもやりとげるべし。心如鉄石という。 それを河村義子先生は体を張ってみせてくれた。それをまねするのが供養。

32日 どうせ井戸を掘るなら、水の出るところまで掘って見よ。

33日 出来ないのではない。やって見ようとしないだけ。 河村義子先生はそれをやって見せてくれた。

34日 二度とない人生、今そこからいまの自分を大切に。 河村義子先生の死で、忘れていた、死を再認識した。頂いた命を大切に、悔いのない人生を送る決意を新たにした。

35日 そのうちそのうちでなさずじまい。今そこから気付く時から。 今やらなけらば、一生できない。河村義子先生は身を呈して教えてくれた。

36日 亡き人の遺産は誰でもない。世の為、人の為に残せ。 河村義子先生が遺した遺産は、音楽を通して子供たちの育成である。その志を受けつぐのが、供養である。

37日 耳すませて亡き人の呼び声を聞く心を大切に。 天地自然は仏の経を唱えている。それに気が付くのが供養である。

38日 人の子も自分の子も皆仏の子。皆ちがってみんないい。

39日 実るほど頭のさがる稲穂かな。

40日 亡き人へ、笑顔でおはよう、感謝でおやすみ。 いつまでも悲しんでいても、義子先生は喜ぶまい。

41日 拝む喜びが働く喜びを生む。 拝む相手がいることを喜ぼう。それが師なら幸せだ。拝む相手がいない人は、極悪非道の人。

42日 亡き人を呼ぶ口で、他人をそしるな、ののしるな。

3

馬場恵峰書「中陰を生きる活かす」(部分)

31   リハーサルにて

Timm

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3 ありし日の河村義子先生。チェリストTIMMを招いての音楽会。「あしながチケット」で120名の子供たちを招待した。「世界で一流の音楽を楽しむ会」では、世界一流の音楽家を招待して子供たちに一流の音楽に生で接する機会を提供している。  2017929日、大垣市音楽堂

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2019-02-22  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年2月21日 (木)

夢興落花 人身得ること難し

正月のお供えものの謂われ

正月に昆布、スルメ、屠蘇、ミツカン、密柑、を供えるのはなぜか。子供に聞かれても親は答えられないから、子供から尊敬されない。201912馬場恵峰先生は、これは書いて残しておかねばと、「夢興落花 人身得ること難し」を揮毫された。

 

夢興落花 人身得ること難し

渋柿も振り落とされ、皮を剥かれ、寒風に晒されて、吊るされて、手入れ重なり白い粉を吹き、渋が砂糖のように変わる。渋そのものの甘味である。人生の心の灯台としたい。

昆布は海の塩水の中で生き育ち、海の試練に左右に揺れ、切れることなく自在に伸び、長いまま干され、柿と同じように白粉の甘さ生じである。

スルメも鳥賊の時、足は十本あって海の中で敵に会うと墨をかけて身を守る軟体動物。干されると軟が固くなり甘味はかみしめる程生まれる。

密柑は初夏に白い小花をつけて晩秋に実を結ぶ。中身は一つ一つ丁寧に包まれ、味覚を感ず黄色の皮は湯の中でも泳ぐ。密柑の種類も多く、人間生活の中でも多くのうるおいを与えている。

屠蘇は白朮(キク科植物の「オケラ、オオバナオケラの根茎」、山椒、防風、桔梗、桂皮などを砕いて調合、紅絹白絹を三角形に縫った袋に入れ、ミリンや酒に浸す。新年頭に飲み延命長寿を祈念もある。した。「甘からぬ屠蘇や旅なる酔心地」(漱石の句)もある。

先人たちに智慧、今新たまってどうこういうのではない。豊衣豊食の時代だからこそ、物の大切さと事の謂われを学び知るべきだと思う。

新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事 大伴家持「万葉集 大伴家持」

恵峰93歳日々歩み始める亥年二日に書述へ書物とす。  馬場恵峰

 

会社の末路

「夢興落花 人身得ること難し」に示されるように、正月に飾られる品物や、祝いに席に呼ばれる人には、相応の苦労、試練がないと人間の「味」が出てこない。エリートのように苦労せずスレートで階段を駆け上る人は、試練に脆い。その顔は傲慢さで弛緩している。

 

人生の荒波を避けて

私の昔の部下の二人が、有名校を出て特別扱いで入社してきて、専務、役員からちやほやされ、それを鼻にかけ鼻持ちならぬ態度であった。無名大学出の私は露骨に無視された。二人は、有力役員が占める出身大学で、会社の金で博士号を取らせてもらった(費用約2000万円)。将来の役員は間違いなかった。しかし、当初の博士号を取った技術が、自動車会社が取り組んだ技術開発で、その博士号を取った技術が不要となって、当初予定の機械開発は中止となった。その一人は不本意として、退社して大学の助手に転出してしまった。会社から受けた恩に、足で泥を掛けたのだ。エリートは恩知らずである。もう一人はその後、室長までは偉くなったが、後ろ盾が無くなってその後、閑職に追いやられて、鬱で出社しなくなってしまった。

 

えこひいきの被害を味わう

当時、私は彼らの上司なのに、完全に無視される悲哀を味わった。本来、主任の私が海外見本市視察出張の順番であったが、役員のえこひいき丸出しの差配で、私より若く経験もないこの社員が、私を飛び越して海外見本市視察の席を手にした。私は情けなかった。えこひいき人事に、宮仕えの身では何も言えない。

 

巻き返し

幸いなことに、同時期にあった会社創立50周年記念懸賞論文募集「10年後の会社を考える」で、応募論文200通の中、私は最優秀賞を獲得し、副賞としてその海外見本市視察出張の席を入手できた。私の論文のテーマは、人財育成である。その論文技法も「テクニカルライティング」の手法を使って、論理的に論旨を展開した。

 

後日の悪夢

当社が吸収合併されて消えた後、その鼻持ちならぬ元部下が某大学の助教授として、新会社の開発センターに「ご」指導に来た。役員と部長がお相手をしていたが、なぜ当社を足蹴した輩を「先生、先生」と持ち上げるか、どの面下げて、昔足蹴にした会社の指導をするのか、と呆れた。恥知らずである。もう少しで私もそのお相手をさせられそうであった。まさにブラックユーモアである。2008年頃の話しである。

 

別のえこひいき人事

同時期、三菱電機から途中入社してきた同年の某大学卒が職場に来た。何も超一流の三菱電機から格下の当社に来なくてもよいのに、同窓の役員に泣きついて転職したようだ。前職では浮いて、いたたまれなくなって退職したという噂だ。彼の配属先の課長は、「彼は同世代のМ主任より仕事は出来ないのに、給与だけは高い」とぼやいていた。本人は学業は優秀かもしれないが、当社で何も実績のないまま、あれよあれよという間に出世して、役員になった。私が横で彼を観察していても、技術があり実績を上げたとは思えない。説明の口だけはうまかった。新会社になって、しばらくして子会社の役員に転出して、いつの間にか消えた。子会社の社長とうまくいかなかったようだ。だれに聞いても、今どこで何をしているか不明である。こんな人をえこひいきする役員が跋扈すれば、会社もおかしくなるのも当然である。

あれから30年経って、その立場が逆転して、私は落ち込まず臥薪嘗胆して頑張ってきてよかったと思う。自分で自分を褒めてあげたい。

 

エリートに支配された会社の末路

その後、特定大学の派閥学歴を出世の条件にしていたその会社は、左前になり、格下の競合会社に、名目は対等合併であるが、実質的に吸収合併されて消えた。

吸収された社員の方は、塗炭の苦しみを味わった。昔の仲間の室長クラスは、ほぼ全員、中国とかに条件の悪い海外の現地工場に飛ばされた。それに対して、合併相手先の幹部はぬくぬくと国内勤務である。部署異動先を見ても、吸収された方は、人事で悲哀を味わった。決断の出来ない無能なトップが、会社の方針変更を遅らせ、会社の寿命を60年に短くして、私が人生を捧げた会社を消滅させた。

 

経営者の仕事

経営者の最大の仕事は決断である。経営者の最大の罪は、すべき決断をしない事。挫折を知らないエリートは決断が出来ない。苦労もしない実力もない学閥エリートに支配された会社の末路である。

 

こんな日本に誰がした

同じようなエリート主義経営の悪例が、東芝、東電、日産等で、連日マスコミをにぎわせている。学校の秀才が、経営には不適との事例である。先人が血と汗で築いた日本経済基盤を、名門というエリート意識の大学出が、ガン細胞のように先人の築いた礎を浸食した。欧米の経営方式を猿真似して、未来へ投資をせず、利益だけを追求し、会社組織をぼろぼろにしている。その結果、1970年頃は国際経済競争力が、世界1位であったが、現在は25位に没落である。天網恢恢疎にして漏らさず。

 

大垣行政の末路

同じように、東大出というだけで、市長が痴呆的に君臨している大垣市は、就任以来、年率1%で経済没落を続けている。数字は正直だ。近隣他市は、名古屋リニア景気の恩恵を受けて沸いているのに、大垣市は地価も上がらず、大垣市だけが中部圏で取り残されている。大垣の未来に何の貢献もしない市制100周年記念行事で、34千万円も浪費(業者を儲けさせるだけ)する愚行に血道を上げている。名目的エリートに支配された痴呆都市の末路である。

 

2019-02-21  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

河村義子先生の中陰を供養する(2/4)

16日 もっとつくしてあげたかった悔いは、人への親切で。 人生は輪廻転生。悔いるよりも、己の至らぬ点が発見できたと喜ぼう。再発防止をすればよいのだ。師から受けた恩を後進に伝えよう。

17日 過去を悔いず、未来を夢見ず、ただ今を力強く。 過去の悔いは、未来のための修行。それを活かして今だけを考えよう。

18日 花びらは散っても花は散らない。 義子先生という花びらは散ったが、義子先生の志は散らない。それを受け継ぐ責任が門下生にある。それが供養である

19日 人を敬えば、自分も敬われる。「禮尚往来」 人を敬うとは、己を敬うこと。師の偉さを認めることができる目利きの己を、尊敬しよう。世には河村義子先生の偉さを理解出来ない人もいる。

20日 哀しい時は目をつむろう。まぶたの裏には広い世界がある。自分を見うしなわないように。 生きているから哀しいという感情が起きる。死んでしまえば、その感情も起きない。自分を見失うとは、自分が自分で無くなること。それで故人が喜びますか。

21日 人に頼るより、頼られる人に。 河村義子先生は子供たちへの愛に身を義して生きた。そいう生き方を目指して生きよう。

22日 何ごとも打て。それが己を強くする。

23日 自分には忠実 人には誠実 物には確実に。

24日 人の幸せを喜べる人が、自分も幸せになる。

25日 一人で生きているのではない。生かされていきているのだ。 支えられて生かされている事の気付くのが、故人への供養である。

26日 やがて死ぬ気色も見えず蝉の声。 まさかの突然の河村義子先生の訃報。それまでの活動的な音楽活動が真夏の蝉の声のようであった。一期一会。

27日 心変われば見方も変わる。逆境は展開のチャンス。 義子先生は死んだのではない、姿を変えて見守っているだけだ。独り立ちしなさいとの励ましなのだ。

28日 人生列車はいつも満員。楽になったら終点。 人生列車はビジネス快速列車である。自分の「志終着駅」を目指して、席の取り合いである。霊柩車はガラスキである。どちらに乗りますか? 人生列車から、途中下車させられた義子先生の無念を晴らすのが、供養となる。

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馬場恵峰書「中陰を生きる活かす」(部分)

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ドレスデントリオを招いてのニューイヤーコンサート。これが公式の最後の演奏会となった。2018113日、クインテッサホテル大垣で。

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2019-02-21  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年2月19日 (火)

河村義子先生の中陰を供養する(1/4)

2019210日が河村義子先生の49日の法要であった。馬場恵峰先生の書画の写真を整理していたら、1年前に撮影した写真で軸「中陰を生きる活かす」を見つけて、河村義子先生の49日の法要に想いを馳せ、供養とした。

 

供養

供養とは、故人へのお供えではない。供養の「供」は、人が共に、「養」は養う、育てる、教える、である。故人の遺徳に思いを馳せ、その個人の教えを思い出し、改めて我々を養うのだ。それは祈る人へのお供えでもある、祈る相手は、故人と自分自身である。自分に手を合わせて供養するのだ。

201797日、馬場恵峰師は、葬儀での49日の意味を皆さんが知らないし、親も教えないので、中陰(49日)の意味を掛け軸に書かれて、お弟子さんたちに講義をされた。

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馬場恵峰書「中陰を生きる活かす」

201797日揮毫

中陰

中陰とは、人の死後49日間の名称である。人は49日を一期として、また生を受けるという。極悪・極善のものは、すぐ次の生を受けるが、それ以外の者は、もし7日の終わりにまだ生縁を得なければ、さらに7日、第二7日の終わりに生を受ける。このようにして最も長い者は、第7期も終りには、必ず生を受けるという。

今まで、私もこの歳まで、49日の意味も知らず、お勤めをしたのが悔やまれる。これは僧侶でなく、親が子に教えるべきことだ。法要の意味も知らず対抗するから、仏教離れが起きるのだ。

 

1日 死んだのではない。ただお迎えが来ただけなのだ。死は還浄と言って元の場所に還ったのだ。生あるものは必ず死ぬ。その早い遅いがあるだけだ。どうせ、人は120年も生きられない。我々は、土から生まれ、土から生まれたものを食い、土に還る。我々は全宇宙の循環の一環として生かされている。全宇宙に流れる時間に比べれば、80年程の人生の長短は誤差範囲である。

2019年2月10日、河村義子先生の49日の法要が無事に終わってほっとしたとご主人からお話しを聞いて、安堵した。「今頃、故郷のドイツの空を舞っているよ」といわれる。ご家族は義子先生の霊は、ドイツと日本人のハーフだと信じている(?)(注:義子先生は純粋な日本人)。知人の霊感の強い二人が、そろって、義子先生の前身はドイツのガラス職人の娘だという。

2日 泣きたいときは涙の枯れるまで泣くとよい。それが亡き人への供養である。それだけ子供たちは義子先生に慕ったのだ。「子と音」の皆さんは、泣き顔で歌って踊って義子先生の出棺を見送った。

3日 逆境にあって初めて知る真の友情。辛いことに出会って、友情の真贋が露見する。それは天が与えるリトマス紙。その人に価値観が明らかになる。壊れるべき縁が切れ、あるべきご縁が生じる。逆境のとき、助けてくれなければ、この世では敵なのだ。我々の逆境とは、国が戦争をしていると同じ。国でも戦争中に助けてくれなければ、敵である。

4日 人の命は陽に対する霜の如し。たった一つの病気で簡単に人消える。80年間の時間はあっと言う間のこと。「私みたいに死なないで」が後進への義子先生の願いである。自分の命をお大事に。それが己と先生への供養。

5日 一度死んだ者は二度と死なない。人生二度なし。人の一生は、その命を何に使うかが問われた人生なのだ。河村義子先生は人に音楽と愛を教えた。人の死は人生の生きざまを教えてくれる。

6日 人の真価は棺を覆うてからわかる。愚かな私は、義子先生の偉大さが、生前は見えなかった。先日に亡くなられた堺屋太一氏の告別式1,000人であった。堺屋太一氏の場合は元官僚なので義理で来る人が大半であろう。それに対して、地方都市のピアニスト河村義子先生のお通夜350人、告別式650人の参列者は、その偉大さが現われている。

7日 目にしみる位牌の白さ日々改めて生命の尊さを知る。あの活動的で温かかった義子先生が白い位牌になった姿を見て、改めて義子先生の死の実感をする。

8日 出逢いが別れの始めなれば、ご縁大切に。64歳でピアノを始めようと猫足のグランドピアノを購入した。その前に、ピアノを置く部屋を改築した。そのご縁で、ヤマハのО販売課長さんから河村義子先生を紹介された。下手でうるさい生徒を扱うのは、包容力のある先生である必要があったようだ。住む場所との関係もあり、ビッグな義子先生に指導を受けることができるご縁を頂いた。今後、その指導内容を活かさねば義子先生に申し訳ない。それが供養となる。これも良きご縁の賜物である。

9日 誰でもがいつかは死ななければならぬ人生。5年後の死を前提に全力で生きて活動された義子先生の教えを受け止めて、己の生き方に反映するのが、供養である。

10日 死なれて始めて知る親の恩。死なれて、河村先生に変わる人がいない現実に戸惑い、先生の偉大さを再確認する。

11日 亡き親は俺に似るなと子を想い。

12日 亡き人が喜ぶ事をするのが最大の供養。義子先生が取り組んできた事業(志)を継続するのが、残された者の最大の供養だと思う。それは大垣の芸術文化の高揚、子供たちの教育である。大垣市がその面に怠慢だから、大垣が衰退している。痴呆的堕落的な水饅頭共食い記録に血道をあげ、小川敏市長を先頭にして痴呆道を疾走している。私にはそれを阻止する責務がある。

13日 お経は亡き人へかよう心の便り。お経は佛様にあげるのではない。自分自身の魂に聞かせるのだ。それこそが供養である。

14日 人を責めず、自らを省みる。15日 手のシワを合わせて合掌すれば幸せになり、手のふしを振り上げれば不幸せになれる。


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馬場恵峰書「中陰を生きる活かす」(部分)

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義子先生は、一番弟子の朱音さんに、「我が娘よ」と実の娘扱いで接した。朱音さんへの厳しい指導をする義子先生。後から心配そうに朱音さんの演奏を見守る義子先生。

2017年クリスマスコンサートのリハーサル。大垣フォーラムホテルで

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 ページターナー役の朱音さん。義子先生の厚い信頼がないと、ページターナーは任せてもらえない。TIMMコンサートで。2017929日、大垣市音楽堂

 

2019-02-19  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

お報せ

 河村義子先生の49日以来、体調を崩して、ここ7日間ほどブログを休載しました。体調も少し戻り、これからぼちぼち復帰します。皆様にご心配をかけ恐縮です。

 休載中にも関わらず、この間、1060回以上の閲覧をして頂き、累計閲覧数は66,280を超えました。ありがとうございました。

2019-0219  久志能幾研究所 小田泰仙

2019年2月12日 (火)

縁は偶然、別れは必然

 この世は一期一会、偶然手に入った自分の若さも、いつかは別れなければならぬ。永遠の師も、恋人も、友人でもいつかは別れが訪れる。 

 縁ありて花開き、恩ありて実を結ぶ。しかしそれはこの世の一時のこと。その花もいつかは散る。得た実もいつかは無くなる時が来る。散ることを知って、一期一会を全うしたいと思う。今日の己は、昨日の己にあらず。明日の己は、今日とは別の己である。 

 縁にも生老病死がある。いくら自分が成長しても相手が成長しなければ、その人とのご縁は老病死である。いくら仲が良くても、共に同じような成長は難しい。己と成長のペースが同じでない人との付き合いは苦痛となる。それで自然な別れが生じる。それもご縁である。

 5年ほど前に、友のたった一言の使い方が原因で、40年来の友と別れたことがあった。今にして思うと、私は友の成長のなさが我慢できなかったようだ。友人であっても同じように成長し、同じ価値観を共有しないと、友人として成立しない。縁は偶然だが、別れは必然であることを実感している。同じようなことを渡部昇一先生が『95歳』という著書で書いてみえる。

 

 縁は偶然の産物。その縁を掴むか、育てるかは、その人の縁力である。縁力を高めるお心肥をケチる人に、良きご縁は回ってこない。人格の低い人、仏縁の薄い人には縁の育成は難しい。

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  馬場恵峰書『源氏物語より(1)』「桐壺」

 

「限りとて別るる道の悲しきに、いかまほしきは命なりけり」(『源氏物語』)

 どんなご縁にも、どんなに愛しい恋人ともいつかは別れが来る。そのとき「いかまほしきは命なりけり」と望んでも運命は残酷である。だからこそ頂いた命と命の出会いは一期一会、ご縁を大切にすべし。この世で出会う相手は、人生の恋人なのだ。

 

2019-02-12   久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

人生の結論

 人生の結論は死である。そこから始めて何を残すか、何をやるかを考えるのが人生設計であり、そこから死計の智慧が生まれる。若い頃は頭で薄々分かっていても実感の無かった死という結論が、あちこちと体に不調を抱える歳になり、お墓作りを通しておぼろげながら見えてきた。

人生の四計(生計、活計、老計、死計)を考えない人は、スリラー小説みたいな人生を無為に送り、上り坂、下り坂、マサカの場面に遭遇して転落する。本を読んだり、スリラー小説、演劇を見るときは、初めから終わりへと頁をめくり、観劇をする。そのストーリーのクライマックスで、どんでん返しを見せられて狼狽する。そうならないように、死計を考えて生きていきたい。

 

クライテリア(CRITERIAとは基本方針である。1994年のミシガン大学テクニカルライティング受講時、出会ったキーワードであり、一番感銘を受けた言葉である。先ず方針ありきで、その基本方針・考えがないと書類作成も仕事でも何事も進まない。会社経営では、終わりの目標から始めて、そこに到達するために、衆知を集めて取り組む。人生経営で、自分はどんなクライテリアの基づき生きてきたのか。残された時間をどのように使うのか。

米国ビジネス社会では「読みにくく、内容不明瞭な文書を、受取手(上司、同僚)が読まなくてもなんら責任がない」とのスチーブンソン教授の見解は、論理構成の重要性を再認識させられた。読んでもらうために、真剣に書類の「クライテリア」を明確にして「デザイン」をしなくてはならない。

 

文書デザインは、ビジネス社会で情報を伝えるツールとしての書類に、命を与える。書類を「設計」するには、その基本概念の明確化と書類の戦略と戦術が要求される。それは製品を作るためプロセスと同じである。

人生デザイン、何のために生きるかというクライテリアを盛り込んだ人生設計図である。それなくして死計もありえない。一番素晴らしい人生とは、死に臨んで死計として従容として死に就くことである。よく働いた日が安らかな眠りを誘うように、計画を完遂した人生は安らかな死を賜う。それはやるべきことをやり遂げた人への佛様からのご褒美である。いつ死んでもよいように、今を一生懸命に生き、仕事をして、使命を果たす。一念とは「今」の迷う「心」を一つにして、背中に我慢を背負い、右手にソロバンと左手に海図(理念・経典)を持って、明日は分からない命を抱えて生きることである。そのためには、命の運搬手段としての体に悪い影響を与える事象を遠ざけるのが死計である。

 

 余生とは、生きながらえている状態である。人生設計図に余生などはない。最期まで現役であれば、余生は不要である。この歳まで無事に「歳を頂いた」のだから、ご先祖とこの世にお返しをしなければなるまい。

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 馬場恵峰書 『恵峰人生書画詩文旅日記』 日中文化資料館蔵

 上図は『報恩道書写凝集』(久志能幾研究所)に収録

 

    『佛が振るチェッカーフラグ』p68より

2019-02-12   久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年2月11日 (月)

河村義子先生が教える人生評価

 人は棺を覆ってその評価が定まる。評価する以上は、その評価基準が明確でないと、評価ができない。

私が信ずる評価法は、一生に間にどれだけ稼いだか、集めたかではない。どれだけ人に与えたかである。人生はお金ではないのだ。お金は人生で価値を生み出すための手段に過ぎない。それを間違えるから、人生道を誤り、社会に害毒を流すことになる。長い目で見て、その誤謬の実例が今の欧州の混乱だと思う。この世では、最高のことしか起きない。因果応報である。

 

欧州の混乱の真因

欧州人の過去の覇権主義思想が、現代欧州社会に混乱を起こすという、最高の結果をもたらしたのだ。欧州の現代人は、ご先祖がしでかした罪の尻ぬぐいをしているにすぎない。その真因を探らず、対処療法で、手当をしているから、混乱が収まらない。欧州のご先祖は、アフリカから現地人を奴隷として拉致して、金儲けをしてきたのだ。アジアを植民地にして、アジア人を見せしめで虐殺してきた。それが植民地政策であった。今更、人権重視だ、差別反対だと、ほざいても、現実の欧州社会は、有色人種に明確な差別がある。アメリカを発見したコロンブスは、奴隷商人であった。

 

ホリエモン語録

 「誤解を恐れずに言えば、人の心はお金で買えるのです。」、「人間を動かすのはお金です。世の中にカネで買えないものなんて、あるわけないじゃないですか。」、「お金が最も公平な価値基準です。」

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 以上の言葉の真偽は、ホリエモンが棺に入らないと、分からないだろう。少なくともグローバル経済主義的には、正しい考え方だろう。それを実践することで1%の富者は、99%の富を独占することができた。それで99%の人が不幸になる社会が正しいのだろうか。戦前は、植民地政策、侵略戦争で、覇権国が富を独占できた論法である。私の個人的見解では、間違っていると信じている。

 

河村義子先生の評価

 義子先生は音楽と後継者育成に命を掛けたが、お金は貯まらなかった。わずか(?)100万円程の演奏会主催費用の捻出に苦労をされた。コンサートは、金儲けでやるなら、やらない方がましなのだ。大垣の子供たちの音楽教育のため、命を掛けて音楽活動をされた。あしながチケットを子供たちに贈って、音楽の素晴らしさを体験させた。大垣の音楽文化を向上させるために、教育と音楽活動に命を捧げた。だから、葬儀の弔問客が1000人にもなった。私は良き師と巡り合って幸せだと思う。河村義子先生は、人生の価値評価とは何かを、体で教えてくれた。感謝。合掌。

 

2019-02-11   久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

身体の保全と危機管理、がん増加の真因

日本は「農薬大国」で、年間約60万トンもの農薬が生産されている。農薬は主に殺菌剤、除草剤、殺虫剤として使われる。これらの中には、発がんリスクの高い猛毒を含む。我々は普段の食事で、体によいと思って食べている野菜や果物と共に、そのような毒物も摂取している恐れがある。日本人の体内脂肪から有機塩素材(農薬)の残留量が世界平均の3倍も検出されたというデータもある。

 日本の年間約60万トンの農薬を一人当たり年間に換算すると、6kgの農薬を「浴びて」いる計算になる。輸入される外国の農産物に使われる農薬や防腐剤を含めると、我々は恐ろしい量の「毒」を浴びている。

 

ガン患者の増加

1975年の医師数が約13万人、がん死者数は約13万人だった。その後の40年間で、医師数は約3万人増加し、がんに関する研究や治療は格段に進歩したのに、2014年のがん死者数は36万人を越えた。

1970年代の日本の総医療費は10兆円であった。2010年代に総医療費は40兆円までに拡大したが、がん患者は減るどころか3倍に増えている。

 1950年から2010年までの60年間でみて、肉の摂取量9.8倍、卵6.3倍、牛乳・乳製品が18.2倍と著増し、米が半分、芋類は10分の1と激減した。つまり、肉・卵・牛乳・バター・マヨネーズなどに代表される「高脂肪」の欧米食が現代日本人のがん増加の原因の一つであると推定される。その証拠として、以前多かった胃がんや子宮頸がんなどの日本型のがんは減少して、肺、大腸、乳、卵巣、子宮体、前立腺、すい臓、食道がんなどの欧米型のがんが著増している。

 畜産品は、利益最優先で牛、豚、鶏の成長を早めるため、成長ホルモンが投入されている。畜舎の中に過密状態で育てるため、伝染病の予防で多量の抗生物質が飼料に投入され無理に飼育されている。そうやって育った肉や乳製品を多く食べれば、病気にもなるのは「理」に合っている。「理」に適わない食品が体に毒になる。それは「宇宙根源の理」に反した食物である。

 ハムや加工肉を日に50g以上食べ続けると大腸がんになる確率が18%増加するとWHOから報告があった。ハムや加工肉は、防腐剤や添加物が多く入っている。そんな肉を長年食べれば、病気になるのが必然である。

2000年も前から漢方医学では「食は生命」としている。贅沢な欧米型の現代食生活を謳歌すると、20年後に病気と言う悪魔のサイクルのご縁を頂く。因果応報である。がんという病気を対処療法で治しても、その根本原因である食生活を直さないと病気は治らない。気づいた時には遅いが、遅くても、一日でも早く食生活を正すのが、ご先祖へのご恩返しである。

データは2016年当時。 『書天王が描く世界』(全246頁)p220より

 

2019-02-11   久志能幾研究所 小田泰仙

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縁は正義を嫌う

--  価値観の相違を乗り越えて

 正義を通すと、人は鬼にならざるを得ない。お互いが相手の価値観を排除しあうから、戦いとなる。お互いが阿修羅ごとき戦う神となると、相手には悪魔のごとき所業を犯すのが常である。お互いに価値観を受け容れて許容する心が仏心である。全て受け容れるから海の如く大きな器ができる。佛教は神仏融合を含めて包容力があるから日本の「和」の精神にあって受け容れられた。一神教は、排他的な思想が濃いため不幸なご縁を作り出す。聖徳太子の憲法17条は、和の精神である。

 

 自佗は時に随うて無窮なり。海の水を辞せざるは同事なり、是の故に能く水聚りて海となるなり。(修證義)

 

お釈迦様は2500年前、自分が生まれ育った国を他国に滅ぼされる憂き目を受けている。その際、お釈迦様は他国の軍を前にして3回、座って止めようとした。しかし、4回目は止めることをせず、他国に攻め滅ぼされた。お釈迦様は、武力に対して、武力ではなく対話と行動で止めようとした。

浄土宗を開いた法然上人は、幼少期に武士であった父親を敵対する者によって殺される経験をしている。父は死の直前に若き法然上人に対し、「敵を恨んではならない。これは前世における行いの報いなのだ。もし、おまえが恨み心をもったならば、その恨みは何世代にもわたって尽きることはないだろう。早く俗世を逃れ、出家して私の菩提を弔ってほしい」と遺した。それにより、法然上人は敵を討つことをやめ、自分や人々が救われる道を求めて、僧侶となった。法然上人は、報復の連鎖を繰り返すことをやめたのだ。

 

幕末から現代の戦い

1860年、安政の大獄では、幕府の体制を守り、開国して欧米の植民地侵略から日本を守るため井伊直弼公は鬼となり多くの志士を処罰した。それから幕末の殺伐たる争いが巻き起こった。

1868年、西郷隆盛軍は、江戸城明け渡しを求めて、100万人が住む街を焼き討ちすると脅して、勝海舟に降伏を迫った。どんな理由があれ、平和に暮らす民を焼き討ちするという発想が許せない。そこには大儀を掲げ、己の価値観が最高という驕りがある。

太平洋戦争後のビルマでは、戦勝国の英国兵は現地人をモノ扱いして、人間とは認めていなかった。倉庫の食糧を盗むため侵入した現地人を英国兵が射殺した。英国兵は、動かない死体を足で蹴って「end」と表現したと、会田雄次氏はその著書の『アーロン収容所』で書いている。「dead」なら人間としてその対応しなければならないが、「end」だから、モノ扱いをすれば良いと考えているようだ。欧米人にとって、有色人種は人間ではない。価値観の隔離した動物扱いの存在である。

1945年、米国は非戦闘員20万人を原爆で殺した。日本人が白人であれば、決して落とさなかった原爆である。

1940年、ドイツ帝国は、アウシュビッツでユダヤ人を工場生産のように死を大量生産した。ヒットラーがユダヤ人の価値観を認めなかったからである。

現代でも中共は、チベット弾圧を繰り返し、約120万人の人民を虐殺した。人口の約20%にも及ぶ。日本に換算すると2,000万人の民を殺したことになる。

中共が建国以来、自国民の4,000万人を死に追いやったのは歴然たる史実である。共産党にとって、人民は労働力で人という価値を認めていない。

1946年、ソ連のシベリア抑留では80万人の日本人が強制労働をさせられ、10万人が極寒の異国の土になったといわれる。私の父もシベリア抑留されたが、生還できたから、今の私の命がある。父の弟はシベリアの土になった。共産党のソ連にとって、捕虜は人間ではなく単なる労働力であった。国際法上でも違法であるが、その国際法の価値観を己の価値観に合わせて無視をした。

 2015年、パリISテロでは、ISは己の正義を信じてマシンガンの銃口を無実のキリスト教徒に向けた。宗教の価値観の違いを認めなかった結果である。

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2019-02-11   久志能幾研究所 小田泰仙

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