夢興落花 人身得ること難し
正月のお供えものの謂われ
正月に昆布、スルメ、屠蘇、ミツカン、密柑、を供えるのはなぜか。子供に聞かれても親は答えられないから、子供から尊敬されない。2019年1月2日、馬場恵峰先生は、これは書いて残しておかねばと、「夢興落花 人身得ること難し」を揮毫された。
夢興落花 人身得ること難し
渋柿も振り落とされ、皮を剥かれ、寒風に晒されて、吊るされて、手入れ重なり白い粉を吹き、渋が砂糖のように変わる。渋そのものの甘味である。人生の心の灯台としたい。
昆布は海の塩水の中で生き育ち、海の試練に左右に揺れ、切れることなく自在に伸び、長いまま干され、柿と同じように白粉の甘さ生じである。
スルメも鳥賊の時、足は十本あって海の中で敵に会うと墨をかけて身を守る軟体動物。干されると軟が固くなり甘味はかみしめる程生まれる。
密柑は初夏に白い小花をつけて晩秋に実を結ぶ。中身は一つ一つ丁寧に包まれ、味覚を感ず黄色の皮は湯の中でも泳ぐ。密柑の種類も多く、人間生活の中でも多くのうるおいを与えている。
屠蘇は白朮(キク科植物の「オケラ、オオバナオケラの根茎」、山椒、防風、桔梗、桂皮などを砕いて調合、紅絹白絹を三角形に縫った袋に入れ、ミリンや酒に浸す。新年頭に飲み延命長寿を祈念もある。した。「甘からぬ屠蘇や旅なる酔心地」(漱石の句)もある。
先人たちに智慧、今新たまってどうこういうのではない。豊衣豊食の時代だからこそ、物の大切さと事の謂われを学び知るべきだと思う。
新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事 大伴家持「万葉集 大伴家持」
恵峰93歳日々歩み始める亥年二日に書述へ書物とす。 馬場恵峰
会社の末路
「夢興落花 人身得ること難し」に示されるように、正月に飾られる品物や、祝いに席に呼ばれる人には、相応の苦労、試練がないと人間の「味」が出てこない。エリートのように苦労せずスレートで階段を駆け上る人は、試練に脆い。その顔は傲慢さで弛緩している。
人生の荒波を避けて
私の昔の部下の二人が、有名校を出て特別扱いで入社してきて、専務、役員からちやほやされ、それを鼻にかけ鼻持ちならぬ態度であった。無名大学出の私は露骨に無視された。二人は、有力役員が占める出身大学で、会社の金で博士号を取らせてもらった(費用約2000万円)。将来の役員は間違いなかった。しかし、当初の博士号を取った技術が、自動車会社が取り組んだ技術開発で、その博士号を取った技術が不要となって、当初予定の機械開発は中止となった。その一人は不本意として、退社して大学の助手に転出してしまった。会社から受けた恩に、足で泥を掛けたのだ。エリートは恩知らずである。もう一人はその後、室長までは偉くなったが、後ろ盾が無くなってその後、閑職に追いやられて、鬱で出社しなくなってしまった。
えこひいきの被害を味わう
当時、私は彼らの上司なのに、完全に無視される悲哀を味わった。本来、主任の私が海外見本市視察出張の順番であったが、役員のえこひいき丸出しの差配で、私より若く経験もないこの社員が、私を飛び越して海外見本市視察の席を手にした。私は情けなかった。えこひいき人事に、宮仕えの身では何も言えない。
巻き返し
幸いなことに、同時期にあった会社創立50周年記念懸賞論文募集「10年後の会社を考える」で、応募論文200通の中、私は最優秀賞を獲得し、副賞としてその海外見本市視察出張の席を入手できた。私の論文のテーマは、人財育成である。その論文技法も「テクニカルライティング」の手法を使って、論理的に論旨を展開した。
後日の悪夢
当社が吸収合併されて消えた後、その鼻持ちならぬ元部下が某大学の助教授として、新会社の開発センターに「ご」指導に来た。役員と部長がお相手をしていたが、なぜ当社を足蹴した輩を「先生、先生」と持ち上げるか、どの面下げて、昔足蹴にした会社の指導をするのか、と呆れた。恥知らずである。もう少しで私もそのお相手をさせられそうであった。まさにブラックユーモアである。2008年頃の話しである。
別のえこひいき人事
同時期、三菱電機から途中入社してきた同年の某大学卒が職場に来た。何も超一流の三菱電機から格下の当社に来なくてもよいのに、同窓の役員に泣きついて転職したようだ。前職では浮いて、いたたまれなくなって退職したという噂だ。彼の配属先の課長は、「彼は同世代のМ主任より仕事は出来ないのに、給与だけは高い」とぼやいていた。本人は学業は優秀かもしれないが、当社で何も実績のないまま、あれよあれよという間に出世して、役員になった。私が横で彼を観察していても、技術があり実績を上げたとは思えない。説明の口だけはうまかった。新会社になって、しばらくして子会社の役員に転出して、いつの間にか消えた。子会社の社長とうまくいかなかったようだ。だれに聞いても、今どこで何をしているか不明である。こんな人をえこひいきする役員が跋扈すれば、会社もおかしくなるのも当然である。
あれから30年経って、その立場が逆転して、私は落ち込まず臥薪嘗胆して頑張ってきてよかったと思う。自分で自分を褒めてあげたい。
エリートに支配された会社の末路
その後、特定大学の派閥学歴を出世の条件にしていたその会社は、左前になり、格下の競合会社に、名目は対等合併であるが、実質的に吸収合併されて消えた。
吸収された社員の方は、塗炭の苦しみを味わった。昔の仲間の室長クラスは、ほぼ全員、中国とかに条件の悪い海外の現地工場に飛ばされた。それに対して、合併相手先の幹部はぬくぬくと国内勤務である。部署異動先を見ても、吸収された方は、人事で悲哀を味わった。決断の出来ない無能なトップが、会社の方針変更を遅らせ、会社の寿命を60年に短くして、私が人生を捧げた会社を消滅させた。
経営者の仕事
経営者の最大の仕事は決断である。経営者の最大の罪は、すべき決断をしない事。挫折を知らないエリートは決断が出来ない。苦労もしない実力もない学閥エリートに支配された会社の末路である。
こんな日本に誰がした
同じようなエリート主義経営の悪例が、東芝、東電、日産等で、連日マスコミをにぎわせている。学校の秀才が、経営には不適との事例である。先人が血と汗で築いた日本経済基盤を、名門というエリート意識の大学出が、ガン細胞のように先人の築いた礎を浸食した。欧米の経営方式を猿真似して、未来へ投資をせず、利益だけを追求し、会社組織をぼろぼろにしている。その結果、1970年頃は国際経済競争力が、世界1位であったが、現在は25位に没落である。天網恢恢疎にして漏らさず。
大垣行政の末路
同じように、東大出というだけで、市長が痴呆的に君臨している大垣市は、就任以来、年率1%で経済没落を続けている。数字は正直だ。近隣他市は、名古屋リニア景気の恩恵を受けて沸いているのに、大垣市は地価も上がらず、大垣市だけが中部圏で取り残されている。大垣の未来に何の貢献もしない市制100周年記念行事で、3億4千万円も浪費(業者を儲けさせるだけ)する愚行に血道を上げている。名目的エリートに支配された痴呆都市の末路である。
2019-02-21 久志能幾研究所 小田泰仙
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