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2019年2月21日 (木)

河村義子先生の中陰を供養する(2/4)

16日 もっとつくしてあげたかった悔いは、人への親切で。 人生は輪廻転生。悔いるよりも、己の至らぬ点が発見できたと喜ぼう。再発防止をすればよいのだ。師から受けた恩を後進に伝えよう。

17日 過去を悔いず、未来を夢見ず、ただ今を力強く。 過去の悔いは、未来のための修行。それを活かして今だけを考えよう。

18日 花びらは散っても花は散らない。 義子先生という花びらは散ったが、義子先生の志は散らない。それを受け継ぐ責任が門下生にある。それが供養である

19日 人を敬えば、自分も敬われる。「禮尚往来」 人を敬うとは、己を敬うこと。師の偉さを認めることができる目利きの己を、尊敬しよう。世には河村義子先生の偉さを理解出来ない人もいる。

20日 哀しい時は目をつむろう。まぶたの裏には広い世界がある。自分を見うしなわないように。 生きているから哀しいという感情が起きる。死んでしまえば、その感情も起きない。自分を見失うとは、自分が自分で無くなること。それで故人が喜びますか。

21日 人に頼るより、頼られる人に。 河村義子先生は子供たちへの愛に身を義して生きた。そいう生き方を目指して生きよう。

22日 何ごとも打て。それが己を強くする。

23日 自分には忠実 人には誠実 物には確実に。

24日 人の幸せを喜べる人が、自分も幸せになる。

25日 一人で生きているのではない。生かされていきているのだ。 支えられて生かされている事の気付くのが、故人への供養である。

26日 やがて死ぬ気色も見えず蝉の声。 まさかの突然の河村義子先生の訃報。それまでの活動的な音楽活動が真夏の蝉の声のようであった。一期一会。

27日 心変われば見方も変わる。逆境は展開のチャンス。 義子先生は死んだのではない、姿を変えて見守っているだけだ。独り立ちしなさいとの励ましなのだ。

28日 人生列車はいつも満員。楽になったら終点。 人生列車はビジネス快速列車である。自分の「志終着駅」を目指して、席の取り合いである。霊柩車はガラスキである。どちらに乗りますか? 人生列車から、途中下車させられた義子先生の無念を晴らすのが、供養となる。

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馬場恵峰書「中陰を生きる活かす」(部分)

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ドレスデントリオを招いてのニューイヤーコンサート。これが公式の最後の演奏会となった。2018113日、クインテッサホテル大垣で。

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2019-02-21  久志能幾研究所 小田泰仙

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