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2019年2月19日 (火)

河村義子先生の中陰を供養する(1/4)

2019210日が河村義子先生の49日の法要であった。馬場恵峰先生の書画の写真を整理していたら、1年前に撮影した写真で軸「中陰を生きる活かす」を見つけて、河村義子先生の49日の法要に想いを馳せ、供養とした。

 

供養

供養とは、故人へのお供えではない。供養の「供」は、人が共に、「養」は養う、育てる、教える、である。故人の遺徳に思いを馳せ、その個人の教えを思い出し、改めて我々を養うのだ。それは祈る人へのお供えでもある、祈る相手は、故人と自分自身である。自分に手を合わせて供養するのだ。

201797日、馬場恵峰師は、葬儀での49日の意味を皆さんが知らないし、親も教えないので、中陰(49日)の意味を掛け軸に書かれて、お弟子さんたちに講義をされた。

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馬場恵峰書「中陰を生きる活かす」

201797日揮毫

中陰

中陰とは、人の死後49日間の名称である。人は49日を一期として、また生を受けるという。極悪・極善のものは、すぐ次の生を受けるが、それ以外の者は、もし7日の終わりにまだ生縁を得なければ、さらに7日、第二7日の終わりに生を受ける。このようにして最も長い者は、第7期も終りには、必ず生を受けるという。

今まで、私もこの歳まで、49日の意味も知らず、お勤めをしたのが悔やまれる。これは僧侶でなく、親が子に教えるべきことだ。法要の意味も知らず対抗するから、仏教離れが起きるのだ。

 

1日 死んだのではない。ただお迎えが来ただけなのだ。死は還浄と言って元の場所に還ったのだ。生あるものは必ず死ぬ。その早い遅いがあるだけだ。どうせ、人は120年も生きられない。我々は、土から生まれ、土から生まれたものを食い、土に還る。我々は全宇宙の循環の一環として生かされている。全宇宙に流れる時間に比べれば、80年程の人生の長短は誤差範囲である。

2019年2月10日、河村義子先生の49日の法要が無事に終わってほっとしたとご主人からお話しを聞いて、安堵した。「今頃、故郷のドイツの空を舞っているよ」といわれる。ご家族は義子先生の霊は、ドイツと日本人のハーフだと信じている(?)(注:義子先生は純粋な日本人)。知人の霊感の強い二人が、そろって、義子先生の前身はドイツのガラス職人の娘だという。

2日 泣きたいときは涙の枯れるまで泣くとよい。それが亡き人への供養である。それだけ子供たちは義子先生に慕ったのだ。「子と音」の皆さんは、泣き顔で歌って踊って義子先生の出棺を見送った。

3日 逆境にあって初めて知る真の友情。辛いことに出会って、友情の真贋が露見する。それは天が与えるリトマス紙。その人に価値観が明らかになる。壊れるべき縁が切れ、あるべきご縁が生じる。逆境のとき、助けてくれなければ、この世では敵なのだ。我々の逆境とは、国が戦争をしていると同じ。国でも戦争中に助けてくれなければ、敵である。

4日 人の命は陽に対する霜の如し。たった一つの病気で簡単に人消える。80年間の時間はあっと言う間のこと。「私みたいに死なないで」が後進への義子先生の願いである。自分の命をお大事に。それが己と先生への供養。

5日 一度死んだ者は二度と死なない。人生二度なし。人の一生は、その命を何に使うかが問われた人生なのだ。河村義子先生は人に音楽と愛を教えた。人の死は人生の生きざまを教えてくれる。

6日 人の真価は棺を覆うてからわかる。愚かな私は、義子先生の偉大さが、生前は見えなかった。先日に亡くなられた堺屋太一氏の告別式1,000人であった。堺屋太一氏の場合は元官僚なので義理で来る人が大半であろう。それに対して、地方都市のピアニスト河村義子先生のお通夜350人、告別式650人の参列者は、その偉大さが現われている。

7日 目にしみる位牌の白さ日々改めて生命の尊さを知る。あの活動的で温かかった義子先生が白い位牌になった姿を見て、改めて義子先生の死の実感をする。

8日 出逢いが別れの始めなれば、ご縁大切に。64歳でピアノを始めようと猫足のグランドピアノを購入した。その前に、ピアノを置く部屋を改築した。そのご縁で、ヤマハのО販売課長さんから河村義子先生を紹介された。下手でうるさい生徒を扱うのは、包容力のある先生である必要があったようだ。住む場所との関係もあり、ビッグな義子先生に指導を受けることができるご縁を頂いた。今後、その指導内容を活かさねば義子先生に申し訳ない。それが供養となる。これも良きご縁の賜物である。

9日 誰でもがいつかは死ななければならぬ人生。5年後の死を前提に全力で生きて活動された義子先生の教えを受け止めて、己の生き方に反映するのが、供養である。

10日 死なれて始めて知る親の恩。死なれて、河村先生に変わる人がいない現実に戸惑い、先生の偉大さを再確認する。

11日 亡き親は俺に似るなと子を想い。

12日 亡き人が喜ぶ事をするのが最大の供養。義子先生が取り組んできた事業(志)を継続するのが、残された者の最大の供養だと思う。それは大垣の芸術文化の高揚、子供たちの教育である。大垣市がその面に怠慢だから、大垣が衰退している。痴呆的堕落的な水饅頭共食い記録に血道をあげ、小川敏市長を先頭にして痴呆道を疾走している。私にはそれを阻止する責務がある。

13日 お経は亡き人へかよう心の便り。お経は佛様にあげるのではない。自分自身の魂に聞かせるのだ。それこそが供養である。

14日 人を責めず、自らを省みる。15日 手のシワを合わせて合掌すれば幸せになり、手のふしを振り上げれば不幸せになれる。


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馬場恵峰書「中陰を生きる活かす」(部分)

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義子先生は、一番弟子の朱音さんに、「我が娘よ」と実の娘扱いで接した。朱音さんへの厳しい指導をする義子先生。後から心配そうに朱音さんの演奏を見守る義子先生。

2017年クリスマスコンサートのリハーサル。大垣フォーラムホテルで

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 ページターナー役の朱音さん。義子先生の厚い信頼がないと、ページターナーは任せてもらえない。TIMMコンサートで。2017929日、大垣市音楽堂

 

2019-02-19  久志能幾研究所 小田泰仙

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