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2019年2月

2019年2月11日 (月)

縁がないというご縁で、吾が縁道を歩む

 2015年に改健したお墓の当初計画は、現のお墓に入っている親戚と合祀する予定であった。しかしその親戚より改建を反対されて、実施を諦めた。墓誌にもその親戚の戒名を刻めない情けない事態になった。しかしお陰で別の場所に今回のお墓を改建するご縁を得た。その親の子の情けない対応に接したのだが、住職から、「この世では縁がないというご縁」を頂いたと解釈すべきと助言を頂き、成り行きに任せることにした。無理を通しても却って悪縁を招くと考えた。

 

縁無き衆生

縁のない人には「縁の無いというご縁」がある。縁無き衆生度し難し、である。「度」とは秤のことである。人間界での浅はかな秤では、計りしれないご縁のつながりがあり、この世では縁のない人である。黙って身を引くのが、佛様のお計らいと感じた。

 201511月のパリでのISテロのような者たちのように、価値観が違って育てられると、話せば分かるとはいかない。問答無用の惨劇となる。相手の価値観を尊重して、そっと当方が身を引くのが、この世では正しい選択と思う。

 いままで60余年を生きてきて、人との葛藤で正論を掲げて何度も痛い目をあってきた。今回、やっとその「縁がないというご縁」の存在に気づかされた。親の子供に対する教育の失敗は、本人の没後23年目でやって来る。

 

ご縁の道

 人に道に縁道あり。その道が高速道路の場合もあれば、曲がりくねった山道の場合もある。そこを走る車や人は、目的も能力も違う。その道が同じと思うから、自分勝手に走り衝突が起きる。人は人として、己の道を歩めば交通事故も無い。高速道路と一般道は立体交差で衝突がないようになっている。同じように、走る世界が違うため、他の人とは歩む縁道が違う解釈して、己の世界で、最終目的地に向って、一歩、一歩を歩めばよい。遅いか早いかは別にして、最終目的地は「死」である。それに向って、歩む過程が人生道である。そう思うとき、人をうらやんだり、妬んだりする心が消える。人と葛藤が生じるとき、その人とは歩む縁道が違うと解釈すれば、怒りも消える。

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  東山魁夷画伯「道」、軸は馬場恵峰先生書

 

『書天王が描く世界』(全246頁)p177より

2019-02-11   久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

ご縁の破れ窓理論

 惚けの始まりか、認知症の始まりか、単なる運動神経の老化のせいか、201511月初旬に、自車をバック時に壁にぶつけ、バンパーを傷つけてしまった。半年前に悪戯でボディに傷をつけられたため、全面塗装をしたばかりである(警察に被害届を提出)。車歴15(2015年当時)でも全面塗装後は、気持ちよく乗ることができていた矢先のことである。このまま放置しておいても、大した問題ではないが、何か引っかかるものがあり、修理することにした。修理費用で4万円余がかかったが、そのまま放置するより、懐に痛い思いをすることで、今後、細心の注意をすることができると考えての修理であった。

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その修理が、20151114日に終り、1115日(日)に納車された。馬場恵峰師揮毫の墓石字を確認した翌日のことである。たった一つの傷を放置すると、全体が崩壊するという「蟻の一穴」の格言と「破れ窓理論」を思い出して、修理をして正解であったと思う。

 

破れご縁

 これから思い起こしたのが、ご先祖や周りのご縁の展開での歴史の流れに俯瞰すると、悪縁の風が入ってくる運命の窓が破れていると、家が傾く事象に思い至った。小さな縁を大事にしない人たち、ご先祖のご縁を大事にしない人たちは、破れ窓の「運命の家」に住んでいると思う。破れ窓の在る家には「破れご縁」が入ってくる。悪縁が悪縁を呼ぶ悪魔のサイクルに陥るようだ。逆も真なりで、よきご縁と付き合うと、良きご縁が循環するようで、それを今回のお墓つくりで体感した。

 私の親戚にも、両親の七回忌以降の法事をやっていない家がある。そんな考え方だから、その家とやり取りをしても不愉快になったので、付き合いをやめてしまった。それが当方にとってはよき展開であったようだ。「君子悪縁に近寄らず」である。今回のお墓作りで体得した人生の智慧は、「割れ窓理論」で説明される。それを私なりに解釈したのが「ご縁の割れ窓理論」である。

 

割れ窓理論

割れ窓理論(英: Broken Windows Theory)とは、軽微な犯罪も徹底的に取り締まることで、凶悪犯罪を含めた犯罪を抑止できるとする環境犯罪学上の理論。アメリカの犯罪学者ジョージ・ケリング(英語版)が考案した。「建物の窓が壊れているのを放置すると、誰も注意を払っていないという象徴になり、やがて他の窓もまもなく全て壊される」との考え方からこの名がある。

 

割れ窓理論とは

治安が悪化するまでには次のような経過をたどる。

1.建物の窓が壊れているのを放置すると、それが「誰も当該地域に対し関心を払っていない」というサインとなり、犯罪を起こしやすい環境を作り出す。

2.ゴミのポイ捨てなどの軽犯罪が起きるようになる。

3.住民のモラルが低下して、地域の振興、安全確保に協力しなくなる。それがさらに環境を悪化させる。

4.凶悪犯罪を含めた犯罪が多発するようになる。

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したがって、治安を回復させるには、一見無害であったり、軽微な秩序違反行為でも取り締まる(ごみはきちんと分類して捨てるなど)。警察職員による徒歩パトロールや交通違反の取り締まりを強化する。地域社会は警察職員に協力し、秩序の維持に努力する。などを行えばよい。

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ビジネス界の例[編集]

ビジネス界において、割れ窓理論を適用して成功を収めている例がある。

日本・東京ディズニーランド・東京ディズニーシーでは、ささいな傷をおろそかにせず、ペンキの塗りなおし等の修繕を惜しみなく夜間に頻繁に行うことで、従業員や来客のマナーを向上させることに成功している。

アメリカのデパートチェーン、ノードストロームは、単に傷を治しておくという消極的対策だけでなく、「割れ窓」の対極である意味合いのピアノの生演奏を顧客に提供するなどして、成果につなげている。

                 Wikipediaより 20151118日より編集

 

   『書天王が描く世界』(全246頁)p128より

2019-02-11   久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年2月10日 (日)

人生という飛行プロジェクト

 生あるものは必ず死ぬ。春夏秋冬、始まりがあれば終わりがある。飛行機も飛び立てば、必ずいつかは着陸せねばならぬ。飛行機の離着陸に人生を感じる。

 

飛行はプロジェクト

 旅客機がある飛行場から飛びたち、目的地の飛行場に着陸する飛行は一つのプロジェクト(以下PJ)である。操縦士だけでなく、機関士、クルー、キャビネットアテンダントを含め、10数名のクルーによって遂行される目的を持ったPJである。地上の整備員、管制官等の多くのサポータ全員の協力があって、このPJは完遂する。一つでも、一人でも欠けても完遂ができない。

 多くの支援を受けて、飛行機が全出力を出して飛び立っていく。引力を振り切っての離陸である。その姿は健気である。巡航飛行に入り、高度10,000mを飛ぶ飛行機は、コンパスを使い、目的地を目指す。コンパスが無ければ、何処に行くか分からない。目的地の上空に差し掛かれば、高度を下げ、速度を下げ、フラップ、ギアを降ろして、優雅に静々と大空から降りてくる。

 

着陸の美

着陸には離陸とは違った美しさがある。離陸から巡航、そして着陸に到る過程はまるで一つの人生のようである。人生の旅立ちでは人間としての育成が必要で、どこに志すかが必要で、壮年期は、北極星に相当する己の戒め、使命、志を見つめて歩かないと、人生行路で墜落・沈没する。いくら盛大な人生を送っても、晩年を見据えて行動しないと、惨めな末路が待っている。

 

お墓という飛行場

お墓とは一つの人生を終えて、次世の大空に旅立つための基地である。戒名という来世飛行コードをもらい、佛弟子として佛道を行じるという修行航路を向かう。墓地はその離陸する飛行場なのだ。

 一人で生きてきたつもりでも、多くに人のご縁・支援があって全うできた人生である。飛行機事故の80%は着陸時に起きている。それは人生の終着点で、道を誤る人が多いのに似ている。その事故例は私の家系図にも見受けられる。人生の着陸が近づいてきたのに、速度を落とさず、地面に激突する人もある。荷物(遺産)や燃料を積みすぎて、離着陸での失敗をする人も多い。多すぎるお金が、人生を不幸にする事例に事欠かない。遺産相続争いで、家族の間で炎上するのは、醜態である。それは感謝を忘れ、利己だけを考えた人生の結末である。人は裸で生まれ、裸で死んでいくことを忘れた咎である。

残すのが金だけの人生は哀しい。何のために生まれたのか。それでは授かった天命を知らずに生きたのと同じで、屍の人生である。人生で残るのは、集めたものではなく、与えたものなのだ。人と生まれた以上、稼ぐ人生よりも、与える人生でありたい。

 

河村義子先生の49

 201929日、河村先生のご主人に明日の所要の件で、連絡を取ったら、たまたま明日の210日は義子先生の49日だという。その日の私の所用と触れ合って、その偶然に驚いた。偶然とはいえ、義子先生の霊が私にさよならを言ったような気がした。義子先生を思い浮かべ、頂いた多くの教えに感謝して、手を合わせた。

 河村義子先生の人生飛行は、昨年の聖なる日の1225日に無事着陸して、その後、整備を終えて、新しい飛行コード(聖観院教音義愛大姉)で浄土に向けて離陸した。それも多くの人に送られてである。

 

天の差配

死んだのではない、ただ、お迎えが来ただけなのだ。飛行場の管制官は、必然の業務として、お迎えの離陸の管制をしているだけだ。此の世の運命は必然である。天の差配は人知を超える。私は地上整備員の一人として、義子先生の人生飛行、着陸、離陸の仕事関係で、多くのお手伝いができたことをありがたいと思う。合掌。

 いつか私も人生飛行を終えて着陸して、西に向かって飛び立たねばならぬ。それまでに、やるべきことは多い。やることが多いとは有り難いこと。

1  雨の中でも手荷物の積み込みはある 長崎空港

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地上クルーの打ち合わせ

Photo_2 地上クルーのチーム活動 セントレア  

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赤道上のシンガポールから夜を徹して飛行してセントレアに着陸  20151111

6離陸 20151111日  セントレア

2019-02-10   久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

企業占い師を診断する

 企業診断士とは、企業の経営を診断する「先生」である。私はその卵の姿を5年間見てきて、占い師と合い通じるものを発見した。自分の体や姿を観て、自分の生き方を診断・改革・改善できず、何が企業診断士かと思う。企業の診断とは、経営診断である。

経営とは、生き物である会社の営みである。その営みは、歴史と現代の世相の絡み合いから生まれる状況である。それを観ようとするなら、身を正さないと、見るべきものも見えない。

人の短処は良く見えるもの。企業診断士である前に、「自分株式会社」を経営する己でありたい。自分の株主は、両親でありご先祖様なのだ。

 

診断士の様相

 肥満体の診断士、だらしない服相の診断士の卵、重箱の隅をつつくような診断士の指導教官等である。自分の体の診断をしてその対策もできない人に、経営の診断などできるわけがない。だらしない服相の企業診断士を顧客が信用するのか。単に教科書に載っている指標だけで、企業を診断しても、その信ぴょう性は薄い。重箱の隅を突っつくような事象だけを捉えて、本筋を外れた診断をしてどうするのか。

 

未来予想

 未来は誰にも分からないが、その姿からおおよその推定はできる。現実の姿は、未来の予告なのだ。それがそんなにも外れた推定ではないことが、60にもなると分かってくる。その結果は、その顔や外観、日頃の行動に刻まれている。責任ある人間なら、己の顔にも責任を持たねばならぬ。顔とは、名刺であり、服相であり、言葉遣いであり、交友関係の顔である。50代の男の顔を観れば、おおよその未来は見えてくる。その言動を観れば、未来は確定である。

 

音を観る

 人の外見や行動は、一つのメッセージを発している。そのメッセージを観るのが観音様である。自分が佛となって、人を観ないと、自分の未来は拓けない。自分の未来は人様が運んでくれる。その人が良縁を運んでくる福の神か、悪縁を運んでくる貧乏神かの見極めをしたいもの。それを見極める力の育成は、自己研鑽しかない。

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  『馬場恵峰書 佐藤一斎著「言志四録」51選集』(久志能幾研究所刊)より

 

    『書天王が描く世界』p60より

2019-02-09   久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年2月 9日 (土)

占いという名の極道

 占いに凝っても運勢は良くならない。神さまは、自分自身を信じられない人には、幸運を授けてくれない。なぜなら、占いは自分が考えることを放棄させるからだ。

 

日本の占い産業

 現在、日本の占い産業は、占い師50万人、年間売り上げ2,0004,000億円の第6次産業とさえ言われている。現代人の占い好きが、このデータに表れている。昭和54年に流行った「天中殺」の和泉宗章の占い鑑定は、半年待ちの予約が必要で、30分間2万円であった。当初30分で1万円(以前は5千円の噂?)の鑑定料は、氏の著作『天中殺入門』が180 万部のベストセラーになって、2倍に値上がりした。人の足元を見られる商売はぼろ儲け?を実証した。これで単純計算すると、年間2億円ぐらいの収入になる。

 だから、やるなら占ってもらう立場よりも、占う側の立場になることだ。占い業は実に儲かる職業である。特に税務署も捕捉不能なのが魅力的? また必要経費、設備投資が大変少なくてすむのも魅力(街の易者は国有一等地をタダで利用可能?)。円高も関係がない。いや円高で迷える羊が増えて、商売繁盛の恩恵が大でさえある。人生において、いつまでも占われる側の受動形では、永遠に浮かばれまい。占いなどは簡単である。米の有名占い師は次のように言う。

 「人の運命を見る時は、30%の直感力と古来伝わる運命術を応用し、後は相手に媚を売ることです」と。

 

占いは乞食の商売

 街頭の易者をつくづく見るに、貧相で学識があるとは見えない風体であることが多く、なぜこんな輩に、人生の重大な相談を持ちかけているのか、他人事ながら心配になってくる。もともと古代中国では易は乞食の職業で、現在のタレント業の川原乞食と同じ類である。現代の易者が日の当たる華やかな場所に、でしゃばるのは気に食わない。

 そもそも占いは現状・未来を予言してくれる(ように見える)が、何ら解決策は提示してくれない。運命を切り開き、決断をするのは自己である。とは言っても、人間とは弱いものだ。つい占いという安易な手法を頼りがちになる。せめて、占いは自分の反省材料に使うべきだろう。なにか悪い掛が出た時には、今の行動の見直しか慎重さを促す神の声と聞くなら、使い道もあろう。

 

神様からの勤務評定

 自分の心に咎めるところがあれば、いつとなく気がうえてくる。すると、鬼神と共に動くところの至誠が、乏しくなってくるのです。そこで、人間は平生踏むところの筋道が大切ですよ。 (喜仙院 談(勝海舟『氷川清話』より)

 

私の恥ずかしい過去

 当時は私も人生に悩み多き時期で、恥ずかしながら時の人であった和泉宗章氏に鑑定をしてもらった一人である。占いに凝ると、考えることがどうしても消極的になる。これでは運命は好転しない。一時期、占いに凝って数十万を投資した私の反省です。

 

「親愛なるブルータスよ。その過ちは、我々が悪い星の下に生まれたからではない。過ちは我々自身の内にあるのだ。」  シェークスピア『ジュリアス・シーザ』

 

古代中国の職業観

 中国古代の占いに「四柱推命」があり、現代でも幅をきかせている。東洋哲学の陰陽道を基本としたこの占いでは、世の全ての事象を陰陽に分けている。それを「四柱推命」で各職業に当てはめると、「正財」と「偏財」に2分される。陽の「正財」とは、世の中で生産を司る仕事を意味する。陰の「偏財」とは、生産に直接寄与しない職業を意味する。例えば医者、学者、兵士、サービス業等である。その最極値の職業は、占い師と河原乞食(タレント)でしょう。どういうわけか、この2つの職業が現代日本で、もてはやされている。なにか狂っている・・・。本来占いとは、裏道でひっそりと息づくもので、表道には出てこないものだ。

 また現代日本では、泥臭く油臭いと思われる製造業が不当に虐げられていて、学生の人気が離散している。表の「正財」の職業が存在して初めて、裏の職業が存在する。現代では、カッコ良く、賃金の高い非製造業(製造業のテラ銭稼ぎの)の職種ばかりが学生に人気がある。主客が逆転したこんな風潮がある日本の未来に、私は憂いを抱いている。

 

占い活用の極意

 占いは使わないにこしたことはない、とういう考え方もある。伝説によると、昔の支那のある皇帝は一旦緩急ある時に備えて、高給を払って占い師を召し抱えていた。しかし、皇帝は死ぬまで占い師から助言を受けることがなかった。つまり皇帝の治世は平穏に終始したのである。これは占いを活用する極意といったものであろう。(千種堅 談『婦人公論 1980.2月号』)

           

占い師の条件

 ・人並み以上の常識・知識・洞察力

 ・豊富な人生経験

 ・人並み以上の体力・精神力

 ・人を引きつける話術(結婚詐欺、アナウンサー以上の技能必要)

 ・最低3つの占いの知識

 

占い師の業

 占い師は、占なわれる人の悪い「業」を受けることになり、精神的疲労は甚大であるという。なにせ客は深刻な悩みを抱いた人が多い。その話を聞くだけでも疲れる。その悲劇のどん底の藁をもすがる気持ちで占い師を頼って来ている当人から、いかようにも解釈できる「鑑定」で、金を巻き上げるから、まともな神経ではやれない。このために体力と精神力のタフさは欠かせない。

 一般に技術者は100を知っても確実な内容の10ぐらいしか表現しないが、文学者は10を知って100を表現するくらい芳醇な創造力があると言われている。占い師はこの微かな情報を、膨大な話にして相手を、納得させる技術が必要とされる。だから占い師を志す人は「ああ言えば、上祐」と言われた氏ぐらいの話術・心臓が欲しいもの。またその本当の運命を読み取っても、商売上であえて口に出しては言わない点に(ペテン師としての)占い師たる奥ゆかしい教養?が見いだせる。

 

占い師の人気急増

 最近の不況・就職難のためか、占い師になりたい人が急増しているとか。その自由業としての立場と収入の多さ、資格がなくてもなれる点が魅力だという。しかし1000人の占い志願者中、プロになれるのは3人だけとの厳しい現実もある。上記の条件を満足する人格・能力なら、どの道に進んでも社会的な成功は間違いない。なにも占い師に成りさがる必要がどこにあるのか。

 だからもし占ってもらうなら、然るべき占い師を選別するために、占い師の人相を鑑定する知恵を身につけてからにすること。それだけの知識と洞察力があれば、占なってもらう必要はないという論理となる。

 

占いは永遠なり?

 街頭や路地裏のうらさびれた易者を見るに、いつも次のことを思う。

「何で自分の将来が占えなかったの? 街の易者にまで落ちぶれて・・・」

 なにせ古代中国では易者は乞食の商売。だから、こんな人には占ってもらいたくない。人生で迷ったら、せめて恩師や人徳ある人に相談するのが賢明な手段である。宗教や占いに走らないこと。これは恐ろしい。これを1995年にオウム真理教事件が証明してくれたのは大いなる功徳である。24年も経った現在でも、新興宗教の跋扈は続いている。オウム真理教の後継団体が、今だ活動を続けている。怖ろしいことだ。目を覚まして、現実を見よう。少なくとも、お釈迦様は預言者ではなかった。

 

2019-02-09   久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

浜松国際ピアノコンクール(12)舞台の裏話

 201923日、第10回浜松国際ピアノコンクール(浜コン)の裏話を語る梅田智也さんのトークセッションとピアノコンサートが、名古屋ヤマハホールであった。そこで梅田さんが語った舞台裏のお話である。梅田さんは先の浜コンで、セミファイナリストに残り、日本人作品最優秀演奏賞を受賞した。

 

審査

 まず郵送によるDVD審査で、380人の応募者があり、そこから61日に一次予選の合格者が発表される。一次予選では、95人の合格者である。実際は辞退者があり、88名で一次予選のコンクールを闘った。

 一次審査前の約3.5か月前に課題曲の連絡が事務局から来た。

9月末、本番で何を演奏するかのプログラムを事務局に提出する。

 自分の力量を見せるため、いろんな面を各ステージで見せるため、曲の選定が重要である。

 

公式練習

会場での一次審査の公式練習時間は、4時間である。二次審査の練習時間は12時間が与えられる。ヤマハ、スタンウェイ、カワイの各社は、計30台のピアノを挑戦者のために会場のホテルに持ち込んだ。

場所が、浜松という日本の中央であるし、一次予選は5日間の長丁場であるので、一度、自宅に帰ってそこで練習をしてくる仲間が多かったそうだ。浜松で宿泊した仲間は、皆で食事に行ったりしたという。海外でのコンクールに比べて、リラックスしてコンクールに臨めるので良いという。一次予選の1日目と5日目の参加では、準備の仕方が違う。それはコントロールできず、運命である。

 

ピアノ選定

ピアノ選定の裏話は先のブログに記載したので、そちらを参照ください。

 「浜松国際ピアノコンクール(11)ピアノ選びはロシアンルーレット」

 

調律

参加ピアノメーカは朝6時から9時までが調律に充てられる。各社1時間の時間である。夜は2124時が調律の時間である。調律師は演奏中も自分が調律したピアノの様子を見ていなければならず、仕事は早朝、深夜になり大変である。各ステージの間の僅か20分間の合間でも、調律は行われる。

 

調律師の心遣い

多くのスタッフが出演前に声をかけてくれるが、その多くは「頑張ってね」である。梅田さんは、それは逆にプレッシャーを感じることがあるという。相手は悪気があって言う訳ではないので、気にしてはいないという。

今回、三次予選の前に、調律師(ヤマハの花岡さんと推定)から「楽しんでね」と言われたという。調律師も、他社を蹴落とすために調律をしたのではない。あくまで、自社のピアノを音楽的に最高レベルに調律したのだ。調律師はそれに命を掛ける。可愛い我が子が晴れ舞台でその技を披露するのだ。多くの研鑽を積んできたコンクール挑戦者が、他社を差し置いて我が子を選んでくれて、聴衆にその持てる実力をお披露目してくれるのだ。それは楽しい出来事なのだ。だから、調律師は、「(我が子と音楽演奏を)楽しんでね」と言ったのだ。それで梅田さんは気が楽になり、コンクールという場を忘れて、存分に演奏をできたという。音楽は魂の舞いなのだ。評価する人ごとに、その評価が変わる。それに振り回されたら、音楽に本質から外れてしまう。

梅田さんは、同時期、もっと格下のコンクールに応募したが、予備審査で落ちたという。だからコンクールで実力判定が正しいかどうかは、神のみぞ知るである。それは時代の流れや流行もある。100年後に評価される芸術家はごまんといる。

 

音楽のかかわり方

 下記は梅田智之さんの考えである。

梅田さんは、聴衆とどれだけ良い関係を築けるかに心を砕いて演奏しているという。技を競うのが音楽演奏ではない。コンサートは、音楽の良さを聴衆に伝える場なのだ。演奏家はそれの伝教者なのだ。演奏家の技の見せびらかしではないのだ。

 良いピアノとは、体の一部である。ピアノは音楽を伝えるフィルターであり、楽器ではないのだ。ピアノを己の体の一部になるまで、弾き込む必要があるのだ。それには長い年月と血のにじむ練習が必要だ。

 

2019-02-09   久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

自分の遺影を撮影

 終活の一環として、私の遺影用の撮影を20192月6日に行った。やはり5年毎くらいに、スタジオで撮影をするのが良いようだ。その前は、定年後の還暦時に、パスポート用を兼ねて写真館で撮影をした。

それ以降、毎年、私は受験票に貼る証明用の写真で撮影をしていたが、写真館で正式に撮るのは、9年ぶりである。やはり証明用写真と、正式のスタジオで撮る写真ではレベルが違う。

 

両親の遺影

28年前の母の葬儀では、母のまともな写真が無くて、大騒ぎをした苦い経験がある。昔の人は写真を撮られるのが嫌いのようで、母の写真はほとんど無かった。結局、従妹の結婚式の披露宴の時に写した小さな写真を引き伸ばして使った。鮮明な写真でないが致し方なかった。

 18年前の父の葬儀の時は、母の例に懲りて、父が胃がん手術で入院直前に、写真館に行って家族写真を撮り、それが霊前を飾った。その写真が間に合って良かったと思う。

 

時間の危機管理

 遺影は後に残った人のためである。自分のためではない。後に残った人に苦労を掛けては申し訳ないと思い、今回、9年ぶりに自身の姿を撮影した。後の残った人が、遺影用の写真を探し回る時間が、勿体にない。遺影用の写真がないと、それを探す時間(命)を奪うことになる。それは人生の罪である。何事も準備をしてあれば鬼に金棒である。それが無駄になることが、最大の効果である。保険も同じである。それが危機管理である。どうせ近い将来、必ず必要となることは、事前にやっておくべきだ。

 

自分は盆栽の木

 自分の全身像と上半身像を撮影して、その映像画面をモニターでみて盆栽を連想した。盆栽も、育てた人の丹精込めた労苦がその姿に表れている。同じように、己の体は、己が人生で費やした汗水の結果が全身の姿と顔相に表れていた。

 酒に溺れ、飽食で過ごせば、肥満、ビール腹になるだろう。それで肝臓を傷めれば、黒い顔や目の下に黒い膜も出るだろう。

日頃、しかめっ面で過ごせば、カメラの前で「笑って」と言われても、ぎこちない顔つきでしか写らない。笑わないので、法令が鍛えられず、法令線が薄くなり、ノッペラボウの顔となる。眉間にしわがあるかもしれない。

日頃、テレビばかり見て過ごせば、痴呆的な顔つきになるだろう。日頃、運動もせず、歩きもしないと、姿勢も悪い姿でしか写らない。

 今回、その自分の写真を見て、そういう姿でなかったので安心した。加齢の為、少々、頭の毛が薄く、白いのは致し方あるまい。己の体は、己の人生の作品なのだ。

若作りの遺影

 その写真も、老いぼれた姿よりも、まだ体力があり若い姿の時がよい。だから早めの遺影撮影は、おすすめなのだ。老いぼれてからは、写真撮影をする気にもなれまい。私も多くの葬儀に参列したが、若い時の遺影の方が、好ましいと思う。

 

スタジオの差

 パスポート用の写真を2010年に、街の馴染みの写真館で撮影した。今回、大手カメラチェーン店の系列のスタジオで撮影したが、その設備のレベル差に驚いた。まずカメラ機材が違う。スタジオの環境が違う。撮影場所も広く、照明設備も金がかかっており、撮影補助機材が違う。街のスタジオでは普通の三脚で撮影である。今回のスタジオでは医療器械の設備のようにカメラスタンドの下に車輪が付いており前後左右がスピーディに動き、上下、回転がスライド式でスピーディに行えるカメラスタンドがある。お店もお客が多く来て、儲かるから益々良い設備を導入できる。

 自分の全身像を撮影して、その場で映像画面をモニターで見ることができた。以前の街のカメラ屋では、カメラ屋が数枚写真と撮り、そこからカメラ屋が選別して仕上げである。

衰退している街(大垣市のように)のスタジオでは、お客があまり来ないので、設備投資ができず、悪魔の下降スパイラルで、益々儲からず、設備投資ができない。これはお店だけの責任ではない。

 

河村義子先生の遺影

河村先生の葬儀で祭壇を飾った遺影は、日頃、先生がパンフレット、HP等で使っている写真であった。現在も「かすみの会」のHPにその写真が掲載されている。そのお顔は美しい写真で、その写真が先生のレッスン室に貼られた演奏会のポスターに使われていた。こちらから聞いたわけではないのに、河村先生は「この写真が気に入っている」と言われた。5年前の当時、「この写真は、私の葬儀の遺影にも使うの」と説明されたので、私は冗談だと思い呆れた。今にして思うのは、そのころ、がん告知をされ、手術をせず、最期までピアニストとして生きる決意をされたころである。鈍感な私はそんなことには思いもよらなかった。後で聞けば、名古屋のスタジオで撮影されたとか。並みの決意では、名古屋まで行って写真を撮るまいと思う。その点でも偉い方であった。

 

2019-02-09   久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年2月 8日 (金)

50m巻物「静楽養愚詩文録」編集後記

 河村義子先生の逝去に出会って、延び延びになっていた馬場恵峰先生の巻物の出版の準備が完了して、201928日、印刷会社に試し刷りの原稿を送った。下記はその編集後記である。

 本巻物では、馬場恵峰先生の生き様と歴史、およびその時に心情が50mの巻物に書かれている。3月初旬に出版予定です。

 

編集後記

20181225日、突然にピアニスト河村義子先生の訃報に接した。享年61歳で若すぎる死である。河村先生は、5年前の検査で病巣が見つかったが、手術をすると多くの生活の機能が失われるとのことで、最後までピアニストとして生きたいとして、その手術を止めて対処療法の選択をされ、病魔と闘いながら、この5年を全力で生きられた。私は5年前からのお付き合いであるが、それに気が付かなかったが、結果として先生の最後の仕事のお手伝いをするご縁を頂けたことを嬉しく思う。寿命は運命に多く影響されている。河村先生が、その運命を受け入れて、人間としての尊厳を保って、最期まで全力で生きられた後姿を、先生の最後のレッスンとして学んだ。

今の私の生あるは、時と場所と親を選ばず生まれたが、多くの因縁で多くご先祖と多くの出会うべき師との縁があり、今の私がある。決して偶然ではないと感じている。

河村先生の生きざまに感動しながら、それを馬場恵峰先生の生きざまにダブらせている。現在、馬場恵峰先生が、92歳でありながら全力で生きておられる姿に感動する。これは佛様のご加護以外にないと思う。

 この巻物の書の中で、恵峰先生の歴史と生きざまが記述されていている。私は多くの示唆を得た。特に人は時と場と親を選ばず生まれるが、必ず多くの因縁で必然のような人生となっている。それを受け入れ最善の努力をすると天が助けてくれる。そんな巻物を撮影するご縁を頂いたことの感謝である。

 この巻物の撮影は半年前にすんでいたが、写真の編集する過程で、撮影ミスに気が付き、また同時に多くの雑事の囚われ、再撮影と編集が延び延びになっていた。河村先生の突然の逝去に接し、人生の歳月のスピードの速さに目覚め、大慌てで本書の編集を急ぎ、出版にこぎつけた。河村先生が背中を押してくれたと思う。感謝です。

 

 

2019-02-08    久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

浜松国際ピアノコンクール(11)ピアノ選定はロシアンルーレット

 2019年2月3日、第10回浜松国際ピアノコンクール(以下、浜コン)の裏話を語る梅田智也さんのトークセッションと梅田さんのピアノコンサートが、名古屋ヤマハホールであった。そこで梅田さんが語ったピアノ選定の舞台裏のお話です。

 梅田さんは先の浜コンで、セミファイナリストに残り、日本人作品最優秀演奏賞を受賞した。

 

ピアノ選定

 浜コンで、挑戦者に与えられたピアノ選定の時間は10分間である。ヤマハ、スタンウェイ、カワイの3台のピアノの弾き比べであるから、実質的に9分間で、3台のピアノを各3分間弾いて、どれを選ぶか決める。そのピアノは舞台上に3台置かれている。問題は、舞台の中央に置かれたピアノの響きが一番良いのだが、自分が弾きたいと予め想定しているピアノが何処に置かれているかは、その時にならないと分からないことだ。その3台のピアノは公平を期すため、ある順番ごとに、舞台の上で回して入れ替えられる。各ピアノもメーカーのトップ調律師が命を掛けて調律したのだから、最高レベルに仕上がっている。その差は分からない。どのピアノの響きが一番番いいかは、置かれた場所で全く異なって聞こえるので、益々わからないという。まさにロシアンルーレットである。

 梅田さんも、限られて時間内で3台を弾き比べしても、全くわからなかったという。舞台を支援するスタッフも、挑戦者のほぼ全員が、ピアノの差は全く分からないというと言っていた。

 

手がかり

 唯一、その手掛かりは、ピアノ選びの挑戦者に、前の順番の挑戦者がピアノ選定で試弾している時間を、そのピアノの響きを観客席で聴くことができること。中央で弾かれているピアノの響きや両端に置かれたピアノの響きで、その鳴り方を推定するしかない。またそれも聴く場所で、違って聞こえるから厄介だ。浜松の中ホールでは、審査員席がある二階席が、音響的に一番良いようだ。

 

決め手

 だから挑戦者がピアノを選ぶのは、今まで数多く弾き込んで、素性の分かったピアノを選ぶのが順当のようだ。梅田さんの場合、CFXの高音の澄んだ響きに惚れてヤマハCFX を選定したという。

 たしかに、私も浜コンで、今までにない澄んだピアニシモの音を聞いて、すごいなとヤマハCFXを見直した。調律師の花岡さんの力である。挑戦者もヤマハの指名が一番多かった。

 

己の「ピアノ選定」の基準

 我々も、人生で数人の候補者の中から、人生を戦うための相棒一人を選ばねばならぬ状況に直面することがある。それは結婚相手やリストラ対象者、昇格対象者、後継者の選定、その場合の判断基準は、その時の特別の振る舞い(プレゼン)ではなく、日頃に接した行動から判断するのが一番、自然である。その場だけや、お見合いの席の時だけ一番格よく見せても、ダメなのだ。己の「ピアノ選び」の基準は何かを、振りかえろう。

 

経営の場での「ピアノ選定」

 その選定の失敗事例では、シェイクスピアの戯曲「リア王」が思い浮かぶ。この戯曲は、虚言を言う姉妹に騙された愚かな王の物語である。最近頻繁に目にする不祥事を起こした会社のトップは、間違った「ピアノ選定」で選ばれたのだろう。大企業の社長といえども、「リア王」を笑えまい。

 今にして何故、ソニーのストリンガーが社長に選定されたのだ。グローバル経済主義、短期成果主義を掲げた彼が、ソニーを没落させた。彼を選んだ前社長の責任は重い。成果主義で一時的な成果を誇っても、永続性はないのだ。企業の最大の役目は永続性である。

 己の使命も、ご先祖から預かった命を長らえさせねば、達成できない。刹那的な快楽に身を任せて、命を削ってはならぬ。

 

2019-02-08   久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年2月 7日 (木)

終活に目覚める

 昨年の漢字は「災」であった。最近の災害、不慮の事故、病気の増加を見て、いつ何時、事故に逢うやも、病気になるやもしれずと目覚めて、終活の準備を始めた。

 脳梗塞、心筋梗塞、交通事故、飛行機事故に遭遇すれば、即死状態で、何も準備ができない。私も後20年もすれば、ヨイヨイになって、その準備に頭も回らなければ、体も動かず、電車にも乗れないかもしれない。その時、お金も底をついているかもしれない。

 昨年末に河村義子先生の逝去という縁に出会い、それを「今、終活をやっておくべき」との佛様からの啓示を解釈した。これも危機管理である。

 死亡通知が銀行に回ると、その人の預金は封鎖である。親族でも、遺産相続人全てのハンコがないと、私の葬儀費用でも一円も下ろせない状況に陥る。だから生前の準備が重要なのだ。どうせ一生の間に、必ず必要となる費用である。それなら前払いが良い。

 

葬儀費用を前払い

 思いたった日が吉日である。2015年に自家のお墓は改健したので、今回は、お葬式の準備と死後50年分の法要の準備を始めた。2019年2月4日(立春・大安)、お寺さんにお話しをして、葬式費用と死後50年間分の法要費用を支払った。戒名分を含め、お寺さんへの心付けを追加して総額百万円である。他人に頼めば、心付けもままならぬ。これで38年後(?)までの間に、いつでも安心(?)して死ねる。それが何時かは分からないのが、幸いである。朝、目が覚めたら、まだ人生でやる気ことが残っているとの佛様のお告げである。後38年間を生きるつもりで、頑張りたい。煩悩を超越した108歳まで生きるのが目標である。

 

お墓の護持会費の前払い

 それとお墓の護持会費の前払いをした。前払いと言っても、遺産の一部を物納する契約書を作成しただけである。きちんと司法書士事務所で契約した。

 お墓の土地は、お寺から借りているだけで、買ったわけではない。お墓の護持会費が数年間滞たり、所有者の存在が確定できなくなると、お寺は官報にその旨を公示して、申し出がないと1年後にお墓を撤去できる。それはお墓に関する民法で定められている。

 私の菩提寺は約200家の檀家があるが、約80家が連絡不能で、そのお墓が朽ちたままになっている。多くの家が、東京に出ていき、お墓が放置されたままになっている。お寺さんは、無縁になり朽ちたお墓の撤去費用を負担せねばならぬ。80家もそれがあると、費用が膨大である。それは残った檀家が均等に負担せねばならぬ。そんなご先祖のお墓を放置して東京に行ったままの家は、不謹慎である。罰が当たりますぞ。墓石は簡単に廃棄をできない。お寺で御精魂を抜く法要をして、大阪のある業者に委託する。その業者は近畿地方で1社だけだとか。お寺の損益分岐点は、檀家が200軒である。お寺離れのこの時代、お寺経営も大変である。

 

受戒会

 戒名を受けるため、この4月に「受戒会」として、法要をすることになった。一般的に、お葬式の時、戒名を授かるが、それはあくまで、応急処置である。本来、生前中に「受戒会」を執り行い、戒名を導師から授かるのが正式である。

 受戒会は己の戒名を知って、己の生き方の戒めとして戒名を授かるのだ。その戒名で、来世を佛行に励む。「戒」とは、己が生きていく上での「いましめ」である。それを背負って、戒律を守り、受戒会の後、今世と来世を生きる。それが戒名である。院号は、導師が己のために来世に建ててくれるお寺の名前である。

 

戒名

 亡くなられてから、応急処置として戒名を付けると、お寺さんも、本人の人となりが分からず、親族に生前の生活ぶりを聞いて応急的に名前を付ける。しかし生前に戒名を授与されると、お寺さんも、本人と話をして、その人に相応しい戒名を授けることができる。本人も候補の戒名から選択することもできる。100年後でも、その戒名を見れば、その人の人柄が思い浮かぶのが良い戒名である。その点で河村義子先生の「聖観院教音義愛大姉」は素晴らしい戒名である。

 

危機管理

 何事も、準備だけをしておけば、その時に慌てずに済むし、やるべきことの80%はやらなくて済む。後の20%をその時に対応すればよいのだ。全ては無理である。それが人生を生きる知恵だと思う。私はそうやって生きてきた。

 危機状態の時、敵味方の明徳が明らかになる。危機の時は己が戦争に巻き込まれたときである。個人にとって戦争とは、己が大変な目に逢った時だ。その時、助けてくれない人は敵なのだ。少なくとも味方ではないことが明らかになったのだ。今後、その人と付き合って得るべきものはない。その人の行動が、その人の人生経営の収支報告書なのだ。そこでその相手の徳のレベルが明らかになる。

 

2019-02-07  久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。