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2019年2月

2019年2月 6日 (水)

終活 「棺」を新調

 人は朝まで、死んだように熟睡するのが、健康の秘訣である。それも22時か遅くとも23時には、床に入るのが熟睡の秘訣である。幸いなことに私はまだ、夜にトイレで起きることなく、朝まで熟睡である。

 人生では、人は毎夜、死んだように眠る。翌朝、人生の目が覚めて、一日がスタートする。その長い人生で、たった一回だけ、目が覚めないときがあり、その時は、そのベッドが棺になる。だから毎日、我々は棺に寝ているのだ。人生の3分の1を過ごす場所だからこそ、多少は贅沢をしたい。熟睡が体の保全と翌日の活動の栄養素となる。いつ死んでもいいが、死ぬまでは健康を保って生きていきたい。

 

「棺」布団の新調

 河村義子先生の年末の逝去もあり、思うところがあり、今回、羽毛の布団を新調した。人には「羽毛の棺」を買ったと冗談で言っている。普通の綿布団に比べて本当に暖かく、軽く、体に負担をかけずに熟睡できる。体を冷やすから健康を害するのだ。それを防ぐのが危機管理である。完全にはその危機を防げないが、その確率を減らすことは、僅かな投資で可能である。羽毛布団の価格は、健康を考えれば安いと言える。実際、羽毛布団は、結構なお値段がしたが、健康を考えれば満足である。考えてみれば、人生の3分の1を過ごす場所である。

 

羽毛布団業界は二重価格業界

 何事も経験すると世の中の仕組みが分かってくる。今回の知見は、この羽毛布団の業界は二重価格制になっていることだ。その裏事情を知らないと、定価上は高価な羽毛布団を、値引き率が大きいと見せかけて買わされる。

 今回、馴染みの業者にそれを教えてもらい、安く買うことが出来た。羽毛の産地は、片やポーランド製、もう一方はドイツ製であった。製造・販売の会社は、何方も日本の一流メーカで同一である。競合の店は、私をカモだと見て、吹っ掛けたようだ。今回、ほぼ同一レベルの製品を10万円以上も安く買うことができた。

 

2019-02-06  久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年2月 5日 (火)

年賀状の終活

 昨年末は、河村義子先生が12月25日に突然亡くなられ、その対応もあり、気力も失せ、年賀状に手を付けられなかった。それで弔意を表すためもあり、1月15日の幕の内が終わってから、来た年賀状に対して返礼の年賀状をボチボチと書き始めた。それがやっと2月2日に、全ての年賀状の発送が終わった。そこで多くの学びがあった。

 

義理年賀

 今まではこちらが年賀状送ったから、義理で来ていた年賀状があった。こちらが出さなければ、相手からも来ないのである。今まで誰が義理で年賀状を出していたかが明確になり、年賀状の終活ができた。

 

両面とも印刷の年賀状

 宛先も、裏面も印刷の年賀状をもらっても、嬉しくない。また相手の近況が分からない。やはり一言の手書きのコメントがないと、商売のダイレクトメールと同じになる。

 2012年頃、松下幸之助関係の経営セミナーで知り合った酒屋の経営者から、そんな年賀状をもらったので、返信をせず、会ったときそのワケを話したら、翌年から年賀状が来なかった。その経営者は東日本大震災で多額の寄付(数百万円)を某知事にしてきたと豪語していた。

 ちなみに 内閣府は、東日本大震災の被害額は約16兆9000億円と推計額をまとめて、発表した。

 それと比較して、酒による社会的損失額は4兆円である。決して無視できない金額である。それに対して、煙草の社会的損失額は2兆円である。我々はもっと酒の弊害に目を向けるべきだと思う。酒屋は己の商売が、社会にどんな影響を与えているかを、認識するべきだ。両面印刷のダイレクトメールのような年賀状のご縁で、酒の被害に関心を持つことができた。

 私は、現在、完全禁酒です。

 

社会的損失

 2008年の厚生労働省研究班の調査によると、日本の飲酒人口は、男性の83.1%、女性の60.9%で、合わせて7472万人です。

 スクリーニングテストAUDIT 8点以上(アルコールの危険な使用)を問題飲酒とすると、男性の22.8%、女性の3.8%が当てはまり、合わせて1353万人。ふだん飲酒するときの1日飲酒量が純アルコール60g(ビール換算中瓶3本)以上の人を「多量飲酒者」とすると、男性の12.0%、女性の3.1%で、合わせて766万人にのぼります。

 飲みすぎはさまざまな病気や事故、職場では労働損失を引き起こします。研究班がこれを金額に換算したところ、社会的損失は年間に4兆1483億円! 酒税の3倍超です。飲みすぎは個人や家庭だけの問題ではなく、社会全体の問題でもあるのです。

アルコール依存症治療ナビより

http://alcoholic-navi.jp/understand/problem/social_loss/

 

子供の写真だけの年賀状

 私が年賀状を送った相手は、付き合のある人であって、会ったこともない子供ではない。その子供の写真を見ても嬉しくないし、不快でさえある。そんな写真を祖父祖母に送るなら許されるが、ビジネスマンとして、上司や仲間に送るのは、非常識だと思う。それは、自分の会社での格付けを下げる行為となるので避けるべきだ。私が知りたいのは、本人の近況報告、本人の今年の抱負なのだ。子供のことなど知ったことではないのだ。その子供が私に何をしてくれたのか。

 

生存確認状

 「古希だから、今年で年賀状を止めます」という年賀状を時々もらうが、年賀状とは、生存確認状なのだ。今までの付き合いで、古希になったから年賀状を止めますとは、情けない人だと思う。今までが、単に義理で年賀状を書いていたのかと興ざめである。そんな人は、こちらからお断りである。

 

私の年賀状

 ちなみに私は、宛先を毛筆で直筆しています。裏面は毛筆の書面を作り、それをコピーしていました。先年から、裏面はワープロで近況報告を作成して、一言、毛筆でコメントを追記することにしている。毛筆と言っても筆ペンですが、それでも全てパソコン印刷の年賀状よりは良いと思います。

 

2019-02-05 久志能幾研究所 小田泰仙

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2019年2月 4日 (月)

人生飛行の失速・着陸失敗

 現代、定年後にやることが無く、一日中、テレビを見て無為に過ごしたり、パチンコに興じたり、ショッピングモールを一日ぶらついて、時間を潰す人達が多い日本社会の現実である。過去は、学問の名声があった大垣藩の状況と比較すると歯がゆくなる。ここに日本の閉塞状況の一因がある。子供はやかましく言った通りには育たない。親がしているように育つ。親の後姿を見て育つ。高度成長期、経済価値だけを重視して、家庭教育を放棄して、教育を学校任せに経済成長を盲進した咎が今現れている。現代日本を覆っている鬱積した気は、大人が正気にならないと良くはならない。

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 大規模小売店内のソファーで、朝から長時間を過ごす老人達。大規模小売店内で、買い物をするわけでもなく、雨風が防げ、空調の効いた店内で、同席した人と無為におしゃべりに興じて時間を過ごしている。もっとやるべきことがあるだろうと、私は思うのだが。

 大規模小売店に行くと、必ずこういう老人達がたむろっている。日本の退廃の象徴である。

 

日本の価値観崩壊

 日本がこんな情けない状況になった本当の原因は、日本占領時代に米国が日本の古来の価値観を破壊する教育システムを構築して、日本弱体化の施策を仕掛けたことにある。残念なことにその害毒は現代になって効き始めている。我々は、日本の後世のために、この欠陥ある教育システムを改革すべきである。

 

痴呆行事がオンパレード

 小川敏市長が、市制100周年記念行事で、痴呆な行事ばかりをする後ろ姿を子供達に見せているので、大垣の未来は暗い。人は一番多く見たものに影響を受けるのだ。なにが「アーんして、水饅頭」なのか。それでギネスで900万円も使うなら、子供たちの教育環境の整備に金を使って欲しい。文化事業に金を使って欲しい。恥さらしなことに、半年以上も経った2019年1月になっても、その記録達成の垂れ幕が市庁舎に掲示されている。その記録は2週間しか保てなかったのだ。大垣市長の浅知恵が、三島高校生徒会のそれに負けたのだ。浅ましくも見っともない饅頭の共食いがそんなに自慢なのか。それで世界記録と自慢する神経が分からない。それがどんなに子供たちに悪い影響を与えたか、分かっていないようだ。

201901232019‎‎1‎‎23‎日  恥さらしな大垣市庁舎ロビー

 

行政の責任

 大垣の未来を背負う子供達の教育環境整備に、大垣市行政は責任がある。大垣市は、子供たちに対する害毒を防ぐ責任がある。ところが小川敏市長はそんな気はさらさらない。赤字の大垣競輪を放置して、子供達に悪い環境を放置している。大垣駅前にパチンコ店の存在を許し、通学の子供達に、大人の恥さらしな姿を見せつけている。人は一番多く見たものに影響を受けるのだ。だから非行が増えるのだ。「大垣市は文化都市を目指す」と宣言したのだから、条例で、大垣の表看板である駅前にはパチンコ店等のギャンブル関係は営業禁止にすべきなのだ。

 なにせ自分達の都合のよいように、会計報告を非公開にする恥さらしな条例を施行する小川敏大垣市長なのだから、その気になれば、ギャンブル関係の禁止は簡単に出来る。それが今までの罪滅ぼしになるはずだ。

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 平日の早朝、大垣駅前のパチンコ店前で開店を待つ人達。こんな姿は子供達には見せられない。大垣駅前での大垣市の恥さらしである。これでなんで文化都市といえるのか。 201147() 0858

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 私は上記の書を毎日眺めて、生涯現役を目指している。恵峰先生も現在92歳で現役である。良き師に巡り合ったと感謝である。

 

2019-02-04 久志能幾研究所 小田泰仙

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2019年2月 3日 (日)

人生飛行の着陸

 飛行機の着陸の姿は、優美で美しい。速度を落とし、フラップを開き、ギアを降ろし、しずしずと空から降りてくる姿には、いつも引かれる。しかしその着陸は、離陸に比較してはるかに難しい。飛行機事故の大半が着陸時に起きている。離陸は、エンジンを全開して空に向って上昇すればよい。それに対して着陸は、広大な大地の中の決められた一点に着陸しなければならぬ。

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人生の如来ポイント

 己は何処を目指して飛行をしてきたのか。計画なき飛行では、着陸もままならぬ。燃料が乏しくなってから着陸態勢を取っては遅い。人生飛行では、誰しも初めての着陸である。着陸はソフトランディングでありたい。ハードランディングでは辛い。最期には、如来ポイントに着地できるようにしたい。如来とは、「かくの如くに来れしもの」という意味で、人のあるべき姿の理想像として創造された。宇宙の真理を象徴しての存在が大日如来である。如来になる理想を求めて歩き続けてこそ人間の一生である。

 宇宙の真理は、単純明快である。何のためもなく、天地自然界はただひたすら与えられた命を全うする。太陽は照らし、風は吹き、雨は大地を潤し、植物は上にただひたすらに伸びていく。その中で人は自然界の一つの存在でしかない。しかし動植物とは違い、人間は魂を持った存在であるから、世と調和を図り世に付加価値を与えて生きるべきだ。金品を過剰に集め強欲を出すようでは、全体の調和を乱し周りを不幸にする。

 

人生の着陸

 人生の着陸時とは、前の界を去り新しい界に突入する時期である。人生の総決算期で、収支決算が求められる。人生の真価が定まるときである。年老いて会社を去り、新しい世界で余命を過ごすとき、容色は衰え、嬌飾は廃れ、頭は惚け、その人間の真実が覆うところなく現れてくる。『菜根譚』にも「人を看るには只後半截を看よ」という。年老いて醜態を晒す人もいれば、益々意気盛んな人もいる。年老いて、人が寄ってくるのか、避けていくのか。仕事があるのか、ないのか。自ずと人生の収支決算書が出来上がる。人生貸借対照表で、恩を借りっ放しの赤字決算では人間恥ずかしい。「起きたけど寝るまで特に用もなし(詠み人恵峰)」という晩年では哀しい。

 

2019-02-03 久志能幾研究所 小田泰仙

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2019年2月 2日 (土)

競輪狂の小川敏市長が、子供達の未来を殺す

 大垣市制100周年記念行事リストで、「市制100周年特別競輪」がリストアップされているのを発見して、驚嘆した。

 近畿地方では、60年まえから、公営ギャンブル場、競輪が廃止され続けているが、大垣市は、世間から半世紀以上も遅れた鎖国状態、治外法権社会(違い惚けん社会)である。

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    大垣市のHPより

 

なぜ、血税を公営ギャンブルに

 なぜ競輪のギャンブルに、大垣市制100周年記念行事として税金を使うのか。それが大垣市制100年に、また次の100年に対して、どういう価値を生むのか。公営ギャンブルに血税を使うのは恥さらしである。大垣の未来を背負う子供たちに、どういう説明をすればよいのか。あさましいドク饅頭共食い競争や、嘘っぱちだらけの朝鮮使節行列行事、TDL宣伝だけのミッキーマウスの行進行事等をみれば、小川敏市長は狂っているとしか言いようがない。それが市民のためというなら、子供たちに競輪場に行くことを学校の課外授業として推薦して、ギャンブル漬けにすればよい。スマホゲームをすると同じである。スマホゲームも課金をされて金がかかるのだ。スマホゲームより、大垣競輪なら財テクとして儲かると狂育すればよい。

 

「学問の大垣」を小川敏市長が消滅させた

 学問では東の岩村と言われた岩村は、現代でも小学校生が論語と言志四録を勉強し、西の学問の都と言われた大垣では、子供に競輪と浅ましい毒饅頭の食い合いを教えられて、世間の笑いものである。小川敏市長の汚名が全国にとどろいて、市長は大満足であろう。

 

狂育委員怪の跋扈

 大垣市の文化の大功労者の河村義子先生の告別式で、650人の参列者の目の前で、最前列の来賓席から集団で途中退席するような恥知らずの大垣教育長や文化関係のトップを、大垣市長は任命した。部下はトップの後姿を見て行動する。不徳の小川市長と大垣教育委員会に相応しい迷走との声である。大勢の子供たちが、大垣教育長が途中退席するのを軽蔑の眼差しで眺めていた。

 

大垣競輪は赤字

 大垣競輪は大赤字である。市民税で補填している。何故、日頃、節約、節約と口癖の小川敏市長は、赤字を放置するのか。岐阜市も他とも公営ギャンブルを廃止したではないか。裏金でも貰っているのか。何故、市議会は追及しないのか。

 

大垣競輪場行きのバスは大赤字(大垣市の運営)

 何故、大垣市運営の大垣競輪場までのバスを運営するのか。昔は大勢乗っていたが、現在は1名か数人しか乗っていない。それでも大垣市民税でバスが運営されている。何故、議員の誰も追求しないのか。

 

東地区は万引き生徒の検挙率がダントツ

 大垣競輪場の周りの地区は競輪関係で食っている人が多く住んでいる。そのせいで、大垣競輪場がある東地区の中学、高校の不良生徒の検挙率が一番高い。万引きで検挙される生徒もダントツである。その地区に大垣競輪場があるのが最大の原因である。教育上で最悪の環境である。それを小川敏市長は放置している。

 

何故、マスゴミは問題提起しないのか。

 本件は、岐阜新聞も中日新聞も全く記事にしない。お抱え新聞の面目躍進である。小川敏市長の覚えが良いはずだ。

 

資料【競輪の社会的状況】

 以下、Wikipedia(2019年2月2日版) より引用・編集

 

財政難と廃止

 本来賭博罪に該当する公営ギャンブルが特別法の規定によって存在を許されている理由は、国や地方自治体への財政的貢献である。しかし、公営ギャンブルの売上額は1991年をピークに減少を続け、多くの公営ギャンブル場が赤字で財政貢献ができないため、違法の状態にあると指摘されている。大垣競輪も赤字であるから、違法である。

 

放漫経営

 公営競技の運営関係者たちは客商売の自覚や経営努力に欠けており、自動券売機やネットによる投票の導入後で窓口販売員が不要になっても、販売員を解雇しない(できない)など、放漫経営で経営難に拍車をかけている。また、競輪や競艇の選手は実力下位であっても一般的なサラリーマンよりも高額の収入を得ているといわれている。

 収益悪化を理由に公営競技事業から撤退した自治体や、撤退を検討中の自治体が増加している。大垣市は、その気配さえない。

 

公営ギャンブルの売上推移

 1992年の公営競技の売上高は過去最高額の8兆9320億円を記録した。2005年は5兆2440億円、2006年は5兆1330億円、2007年は5兆0973億円、2008年は4兆9628億円と16年連続で減少し続けている。

 このうち、中央競馬の売上はピーク時の69%であるが、他競技の売上はすべてピーク時の50%以下にまで減少している。オートレース(31%)、地方競馬(39%)、競輪(42%)、競艇(45%)、の順に減少が激しい[12]。

 

現時点で、公営ギャンブル場が存在しない県

 宮城県(仙台市、石巻市に競馬場があった)

 秋田県(秋田、大館に競馬場があった)

 山形県(米沢市、上山市に競馬場があった)

 山梨県(現在の甲斐市、山中湖村に競馬場があった)

 長野県(現在の安曇野市、諏訪市に競馬場が、松本市に松本競輪場があった)

 鳥取県(米子市に競馬場があった)

 島根県(益田競馬場、松江市に松江競輪場があった)

 宮崎県(都城、宮崎競馬場があった)

 鹿児島県(鹿児島市と鹿屋市に競馬場があった)

 沖縄県

 

相次ぐ競輪場の廃止

 近畿地区で競輪場の廃止が相次いだ。まず1958年(昭和33年)、京都市営競輪場が市議会の賛成多数により廃止を決定。

 さらに当時の兵庫県知事・阪本勝も兵庫県営ギャンブルの廃止を表明したことから、1960年(昭和35年)12月に神戸競輪場が、1961年(昭和36年)3月に明石競輪場がそれぞれ廃止された。

 大阪市営中央競輪場も、1959年(昭和34年)に大阪競馬場が廃止されたことを踏まえ都市公園として整備する方針で、大阪市長中井光次は1962年(昭和37年)3月をもって廃止を決定した。

 大阪住之江競輪場も1964年(昭和39年)に休止(事実上の廃止)となり、大阪市内に存在した2つの競輪場が消滅した。

 近畿地区以外にも政治的な理由による廃止が相次ぎ、札幌競輪場(1960年開催廃止)・福岡競輪場(1962年廃止)・会津競輪場(1963年休止)・長崎競輪場(1966年開催廃止)がそれぞれ姿を消した。

 

2019-02-02

久志能幾研究所 小田泰仙

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河村義子先生の航跡、ピアノが奏でる人生

ピアノの原理

 ピアノはハンマーでピアノ線の弦を叩くことで音を創る。大きく叩けば大きな音が生まれ、小さく叩けば小さく鳴る。弦が叩かれて共鳴板に響いた大きな音も、何時かは闇夜のしじまに消える。大きなエネルギーを持って生まれた音も、何時かは無の空間に引き戻される。音楽として連続した音を出すには、ハンマーで弦を叩き続けなければ、音は静寂の中に消えてゆく。叩いて音を出し続けてこそ、ピアノは音楽を奏でることができる。

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   ヤマハCFX

人が奏でる音楽

 人として生を受けても、いつかは死の世界に引き戻される。生まれた以上は、世を響かせる音を出すことだ。人間として世の中に問いを発し続けてこそ、生きている証である。その問いが消えたとき、静寂な死の世界が広がる。

 世の中に響かない活動は、死の演奏である。動いて、話して、書いて、モノを生み出してこそ、世に問う音が響く。世の中という共鳴板に共鳴してこそ価値がある。己の力で鳴らない隣の弦を共鳴させてこそ生きている証である。ベーゼンドルファーのピアノにあるプラス9本の弦は、弾かれず鳴りはしないが共鳴して音に芳穠さを与える。自分の弦を鳴らしても、単弦が鳴るだけでは、音は死の闇に吸い込まれる。デッドの劇場では成果が闇に吸い込まれる。場と付き合う人を変えて、ライブの世界に身を転じてこそ仕事をする価値が生まれる。出した音に共鳴してくれる聴衆があっての人生である。

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 サマランカホール(岐阜市)

音を作る

 ハンマーは自分、弦は仕事、社会である。ピアノのフレームは自分の体である。まず自分の体がしっかりしていないと良い音は出せない。

 同じ鍵盤を弾いても、ハンマーが叩いて出す音は同じではない。叩く速度や加速度が違えば音も変わる。だから何千回、何万回と弾き込まないと納得できる音は完成しない。練習の励むのは技量を身につけるためだけではない。人間としての変容を目指すのだ。人間が変容してこそ、出す音が変わる。自分の修行(練習)量によって出る音に差があることが分かるには、鍛錬という修行をつんだ後である。職人として同じ製品を作るにしても、名人と呼ばれる人は、日々向上を目指しており、その作品に違いが生まれる。同じ鍵盤を叩いても、回りの状況や指に込める思いの差により、出てくる音は輝きもするし、悲しみを漂わせる音色ともなる。音は回りで自分を支える聴衆とのハーモニーなのだ。

 

 私はいくら指が動いても音に輝きがなかったらピアノ本来の持っている良さは出ないと思うんです。確かに指が動くことも大事ですが、良い音色を出せるか否かは、自分の耳が納得するまでその音を何千回、何万回と繰り返すことでしょうか。(ピアニスト 川上ミネ)  『致知 2014-2 p76』

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  河村先生の弾く手  2015年1月23日

人生交響曲

 人生のご縁が並ぶ鍵盤の前で、どのキーを弾くかは自由である。自分と言うハンマーで、ご縁を叩いた結果が自分の命の響きなのだ。「命」とは、「人」を棒(「―」)で「叩」くと書く。人の人格では、ご縁(仕事・人・事件)の叩き方が問われる。一音一音を叮嚀に慎重に心を込めて叩きたいと思う。

 自分が生きた証を音の余韻として、どれだけ永く世に残せるかが、生き様として問われる。人生舞台の幕が開き、自分の仕事(演奏)が人生ホールに響き渡る。幕が開く前の血の滲む訓練が、問われる瞬間である。自分が鍵盤を叩いた練習量に比例して、その音は遠くにまで響いていく。そのエンディングで、どんな曲を奏でるのかを考えたい。死に様まで考えた編曲・演奏をして、人生劇場を飾りたいと思う。幕は下りても演奏の余韻は残る。心地よい余韻を残して人生舞台を去りたいと思う。

 

航跡

 「かすみの会」を運営し、「カナデノワ コンクール」や多くの演奏会を主催し、多くの後進を育てた河村義子先生は、何時までも多くに人の心の中に残る美しい航跡を残してくれた。航跡(wake(behind a sailing ship)とは、船が残す波の跡である。船が行ってしまっても、その航跡が長く続くほど、その方の偉大さがわかる。感謝。

 『師天王が詠う老計・死計』p198より

2019-02-02 久志能幾研究所 小田泰仙

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2019年2月 1日 (金)

第二の人生は自力で飛ぶ

 定年後の第二の人生は大型ジェット旅客機に搭乗ではなく、人力飛行機を飛ばすつもりで旅立ちたい。人力自力と思っていても、その陰で多くの人の援助があって離陸できる。大企業の会社勤めは、定期航路の大型旅客機に乗っていたと同じ。大過なく乗っていれば定年まで目的地まで運んでくれる。定年後の第二の人生は、自力で自由に空を飛びたい。そのための準備や体力維持には人知れぬ精進が必要である。第二の人生の出発時には、健康状態、体力、天候(経済状況)を入念に点検したい。人力飛行機は、漕ぐのを止めれば墜落である。日々、なすべきこともなく無為に過ごせば、認知症や堕落へまっしぐらで地獄に墜落である。死ぬまで継続してペダルを漕いで、現役で「彼岸」に達したい。

 

人力飛行機

 2004年頃、人力飛行機「極楽とんぼ」で日本記録を達成した鈴木正人さん(ヤマハ発動機)とご縁ができて、自動車技術会支部報の記事のため取材をした。その後、彼の開発の取り組み姿勢にほれ込み、一時期、テスト飛行の追っかけをしたことがある。人知れぬ20余年間のチームとしての精進を見て、人力飛行機に人生を感じた。

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 上図: ついに琵琶湖の「彼岸」に到達(1998年)

 出典:『航空情報』 1998年11月号

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「極楽とんぼ」のテスト飛行風景

入念な飛行前チェックをする鈴木正人さん

飛騨エアパークで 2004年5月29日

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入念な体力調整中のエンジン役、中山さん

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自力とは言え、回りの仲間の協力があって飛ぶ立てる

                     (2015年記)『吾が人生の師天王』p219より

2019-01-18 久志能幾研究所 小田泰仙

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ポンコツ飛行機整備中

 60余年間も体をこき使えば、あちこちに不具合が出て来るのも当然である。徹夜、長時間残業、暴飲暴食、不節制、上下からのストレス等を37年間も続けてきた。そうしないと宮仕えは出来ない。若い時なら耐えられたが、何時までも青年と同じ体力、健康であるわけが無い。エンジンのピストンは磨耗し、シールは劣化し、エンジンオイルも汚れてきた。コンピュータの記憶媒体も欠損が出てきた。機体のあちこちに綻びも出てきた。エンジン出力も半減である。きちんと整備、点検が必要なのは飛行機の整備に限らない。

 

生老病死

 どんなモノでも生老病死である。整備を怠れば、ある日突然エンジン停止で考える間もなく墜落である。人間ドックに行って検査をし、必要なら各部の精密検査も行って、悪いところが見つかれば心の準備も出来る。ポンコツになっても、大事に使えば、昔のように速くも遠くまでも飛べないが、行き先を選別すれば、そこそこには飛べる。悪い箇所を治療しながら飛び続けたいと思う。これから世の中に何が貢献できるかを問いながら生きていきたい。

 

精進せよ

 生きていくのではない。佛様によって生かされている。この世に用のあるうちは、佛様も自分を生かしてくれる。まだまだご恩ご縁の借金が返せていない。佛様も借金を返す意思のある人は、生かしてくれる。銀行だって多額負債者は殺さない。借りた方が強いのだ。胸を張ってご縁の借金をして社会にご恩返しをすればよい。朝起きてまだ息をしていれば、やるべきことは、まだ沢山あるという佛様からの啓示である。

 お釈迦様の弟子たちへの最期の言葉は、「精進せよ」である。人間は死ぬまでが修行なのだ。

 

悪魔の囁き

 若い時には、自分が身を置く製造業の給与と比較して銀行員の給与の高さに羨望の眼差しを向けた記憶がある。2015年2月24日、某都市銀行の支店長以上のOB会事務局長と話す機会があった。彼の話では、そのOB会の平均寿命が69歳であるという。日本男性の平均寿命より10年も短いのに衝撃である。

 銀行の管理職はストレスの多い職業である。銀行マンの生きがいとは何かを人ごとながら考えてしまった。就職時に収入面だけで職業を選ぶと、その落としまえを45年後に払わされる。給与が高いとは、給与が高い分、己の寿命を10年分悪魔に売っているのだ。佛様は命を金で売ったことを閻魔帳に記録をしている。給与が高いのが幸せなのか、何が幸せなのかを考えたい。

 地道な精進をして長寿こそが、人生の宝である。子供にとって、親の早死にほど、子孝行に反する行為はない。自分の長生きこそ子孫の宝である。

   (2015年記)『吾が人生の師天王』p218より

2019-01-18 久志能幾研究所 小田泰仙

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