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2019年2月 3日 (日)

人生飛行の着陸

 飛行機の着陸の姿は、優美で美しい。速度を落とし、フラップを開き、ギアを降ろし、しずしずと空から降りてくる姿には、いつも引かれる。しかしその着陸は、離陸に比較してはるかに難しい。飛行機事故の大半が着陸時に起きている。離陸は、エンジンを全開して空に向って上昇すればよい。それに対して着陸は、広大な大地の中の決められた一点に着陸しなければならぬ。

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人生の如来ポイント

 己は何処を目指して飛行をしてきたのか。計画なき飛行では、着陸もままならぬ。燃料が乏しくなってから着陸態勢を取っては遅い。人生飛行では、誰しも初めての着陸である。着陸はソフトランディングでありたい。ハードランディングでは辛い。最期には、如来ポイントに着地できるようにしたい。如来とは、「かくの如くに来れしもの」という意味で、人のあるべき姿の理想像として創造された。宇宙の真理を象徴しての存在が大日如来である。如来になる理想を求めて歩き続けてこそ人間の一生である。

 宇宙の真理は、単純明快である。何のためもなく、天地自然界はただひたすら与えられた命を全うする。太陽は照らし、風は吹き、雨は大地を潤し、植物は上にただひたすらに伸びていく。その中で人は自然界の一つの存在でしかない。しかし動植物とは違い、人間は魂を持った存在であるから、世と調和を図り世に付加価値を与えて生きるべきだ。金品を過剰に集め強欲を出すようでは、全体の調和を乱し周りを不幸にする。

 

人生の着陸

 人生の着陸時とは、前の界を去り新しい界に突入する時期である。人生の総決算期で、収支決算が求められる。人生の真価が定まるときである。年老いて会社を去り、新しい世界で余命を過ごすとき、容色は衰え、嬌飾は廃れ、頭は惚け、その人間の真実が覆うところなく現れてくる。『菜根譚』にも「人を看るには只後半截を看よ」という。年老いて醜態を晒す人もいれば、益々意気盛んな人もいる。年老いて、人が寄ってくるのか、避けていくのか。仕事があるのか、ないのか。自ずと人生の収支決算書が出来上がる。人生貸借対照表で、恩を借りっ放しの赤字決算では人間恥ずかしい。「起きたけど寝るまで特に用もなし(詠み人恵峰)」という晩年では哀しい。

 

2019-02-03 久志能幾研究所 小田泰仙

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