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2019年2月 9日 (土)

占いという名の極道

 占いに凝っても運勢は良くならない。神さまは、自分自身を信じられない人には、幸運を授けてくれない。なぜなら、占いは自分が考えることを放棄させるからだ。

 

日本の占い産業

 現在、日本の占い産業は、占い師50万人、年間売り上げ2,0004,000億円の第6次産業とさえ言われている。現代人の占い好きが、このデータに表れている。昭和54年に流行った「天中殺」の和泉宗章の占い鑑定は、半年待ちの予約が必要で、30分間2万円であった。当初30分で1万円(以前は5千円の噂?)の鑑定料は、氏の著作『天中殺入門』が180 万部のベストセラーになって、2倍に値上がりした。人の足元を見られる商売はぼろ儲け?を実証した。これで単純計算すると、年間2億円ぐらいの収入になる。

 だから、やるなら占ってもらう立場よりも、占う側の立場になることだ。占い業は実に儲かる職業である。特に税務署も捕捉不能なのが魅力的? また必要経費、設備投資が大変少なくてすむのも魅力(街の易者は国有一等地をタダで利用可能?)。円高も関係がない。いや円高で迷える羊が増えて、商売繁盛の恩恵が大でさえある。人生において、いつまでも占われる側の受動形では、永遠に浮かばれまい。占いなどは簡単である。米の有名占い師は次のように言う。

 「人の運命を見る時は、30%の直感力と古来伝わる運命術を応用し、後は相手に媚を売ることです」と。

 

占いは乞食の商売

 街頭の易者をつくづく見るに、貧相で学識があるとは見えない風体であることが多く、なぜこんな輩に、人生の重大な相談を持ちかけているのか、他人事ながら心配になってくる。もともと古代中国では易は乞食の職業で、現在のタレント業の川原乞食と同じ類である。現代の易者が日の当たる華やかな場所に、でしゃばるのは気に食わない。

 そもそも占いは現状・未来を予言してくれる(ように見える)が、何ら解決策は提示してくれない。運命を切り開き、決断をするのは自己である。とは言っても、人間とは弱いものだ。つい占いという安易な手法を頼りがちになる。せめて、占いは自分の反省材料に使うべきだろう。なにか悪い掛が出た時には、今の行動の見直しか慎重さを促す神の声と聞くなら、使い道もあろう。

 

神様からの勤務評定

 自分の心に咎めるところがあれば、いつとなく気がうえてくる。すると、鬼神と共に動くところの至誠が、乏しくなってくるのです。そこで、人間は平生踏むところの筋道が大切ですよ。 (喜仙院 談(勝海舟『氷川清話』より)

 

私の恥ずかしい過去

 当時は私も人生に悩み多き時期で、恥ずかしながら時の人であった和泉宗章氏に鑑定をしてもらった一人である。占いに凝ると、考えることがどうしても消極的になる。これでは運命は好転しない。一時期、占いに凝って数十万を投資した私の反省です。

 

「親愛なるブルータスよ。その過ちは、我々が悪い星の下に生まれたからではない。過ちは我々自身の内にあるのだ。」  シェークスピア『ジュリアス・シーザ』

 

古代中国の職業観

 中国古代の占いに「四柱推命」があり、現代でも幅をきかせている。東洋哲学の陰陽道を基本としたこの占いでは、世の全ての事象を陰陽に分けている。それを「四柱推命」で各職業に当てはめると、「正財」と「偏財」に2分される。陽の「正財」とは、世の中で生産を司る仕事を意味する。陰の「偏財」とは、生産に直接寄与しない職業を意味する。例えば医者、学者、兵士、サービス業等である。その最極値の職業は、占い師と河原乞食(タレント)でしょう。どういうわけか、この2つの職業が現代日本で、もてはやされている。なにか狂っている・・・。本来占いとは、裏道でひっそりと息づくもので、表道には出てこないものだ。

 また現代日本では、泥臭く油臭いと思われる製造業が不当に虐げられていて、学生の人気が離散している。表の「正財」の職業が存在して初めて、裏の職業が存在する。現代では、カッコ良く、賃金の高い非製造業(製造業のテラ銭稼ぎの)の職種ばかりが学生に人気がある。主客が逆転したこんな風潮がある日本の未来に、私は憂いを抱いている。

 

占い活用の極意

 占いは使わないにこしたことはない、とういう考え方もある。伝説によると、昔の支那のある皇帝は一旦緩急ある時に備えて、高給を払って占い師を召し抱えていた。しかし、皇帝は死ぬまで占い師から助言を受けることがなかった。つまり皇帝の治世は平穏に終始したのである。これは占いを活用する極意といったものであろう。(千種堅 談『婦人公論 1980.2月号』)

           

占い師の条件

 ・人並み以上の常識・知識・洞察力

 ・豊富な人生経験

 ・人並み以上の体力・精神力

 ・人を引きつける話術(結婚詐欺、アナウンサー以上の技能必要)

 ・最低3つの占いの知識

 

占い師の業

 占い師は、占なわれる人の悪い「業」を受けることになり、精神的疲労は甚大であるという。なにせ客は深刻な悩みを抱いた人が多い。その話を聞くだけでも疲れる。その悲劇のどん底の藁をもすがる気持ちで占い師を頼って来ている当人から、いかようにも解釈できる「鑑定」で、金を巻き上げるから、まともな神経ではやれない。このために体力と精神力のタフさは欠かせない。

 一般に技術者は100を知っても確実な内容の10ぐらいしか表現しないが、文学者は10を知って100を表現するくらい芳醇な創造力があると言われている。占い師はこの微かな情報を、膨大な話にして相手を、納得させる技術が必要とされる。だから占い師を志す人は「ああ言えば、上祐」と言われた氏ぐらいの話術・心臓が欲しいもの。またその本当の運命を読み取っても、商売上であえて口に出しては言わない点に(ペテン師としての)占い師たる奥ゆかしい教養?が見いだせる。

 

占い師の人気急増

 最近の不況・就職難のためか、占い師になりたい人が急増しているとか。その自由業としての立場と収入の多さ、資格がなくてもなれる点が魅力だという。しかし1000人の占い志願者中、プロになれるのは3人だけとの厳しい現実もある。上記の条件を満足する人格・能力なら、どの道に進んでも社会的な成功は間違いない。なにも占い師に成りさがる必要がどこにあるのか。

 だからもし占ってもらうなら、然るべき占い師を選別するために、占い師の人相を鑑定する知恵を身につけてからにすること。それだけの知識と洞察力があれば、占なってもらう必要はないという論理となる。

 

占いは永遠なり?

 街頭や路地裏のうらさびれた易者を見るに、いつも次のことを思う。

「何で自分の将来が占えなかったの? 街の易者にまで落ちぶれて・・・」

 なにせ古代中国では易者は乞食の商売。だから、こんな人には占ってもらいたくない。人生で迷ったら、せめて恩師や人徳ある人に相談するのが賢明な手段である。宗教や占いに走らないこと。これは恐ろしい。これを1995年にオウム真理教事件が証明してくれたのは大いなる功徳である。24年も経った現在でも、新興宗教の跋扈は続いている。オウム真理教の後継団体が、今だ活動を続けている。怖ろしいことだ。目を覚まして、現実を見よう。少なくとも、お釈迦様は預言者ではなかった。

 

2019-02-09   久志能幾研究所 小田泰仙

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