自分の遺影を撮影
終活の一環として、私の遺影用の撮影を2019年2月6日に行った。やはり5年毎くらいに、スタジオで撮影をするのが良いようだ。その前は、定年後の還暦時に、パスポート用を兼ねて写真館で撮影をした。
それ以降、毎年、私は受験票に貼る証明用の写真で撮影をしていたが、写真館で正式に撮るのは、9年ぶりである。やはり証明用写真と、正式のスタジオで撮る写真ではレベルが違う。
両親の遺影
28年前の母の葬儀では、母のまともな写真が無くて、大騒ぎをした苦い経験がある。昔の人は写真を撮られるのが嫌いのようで、母の写真はほとんど無かった。結局、従妹の結婚式の披露宴の時に写した小さな写真を引き伸ばして使った。鮮明な写真でないが致し方なかった。
18年前の父の葬儀の時は、母の例に懲りて、父が胃がん手術で入院直前に、写真館に行って家族写真を撮り、それが霊前を飾った。その写真が間に合って良かったと思う。
時間の危機管理
遺影は後に残った人のためである。自分のためではない。後に残った人に苦労を掛けては申し訳ないと思い、今回、9年ぶりに自身の姿を撮影した。後の残った人が、遺影用の写真を探し回る時間が、勿体にない。遺影用の写真がないと、それを探す時間(命)を奪うことになる。それは人生の罪である。何事も準備をしてあれば鬼に金棒である。それが無駄になることが、最大の効果である。保険も同じである。それが危機管理である。どうせ近い将来、必ず必要となることは、事前にやっておくべきだ。
自分は盆栽の木
自分の全身像と上半身像を撮影して、その映像画面をモニターでみて盆栽を連想した。盆栽も、育てた人の丹精込めた労苦がその姿に表れている。同じように、己の体は、己が人生で費やした汗水の結果が全身の姿と顔相に表れていた。
酒に溺れ、飽食で過ごせば、肥満、ビール腹になるだろう。それで肝臓を傷めれば、黒い顔や目の下に黒い膜も出るだろう。
日頃、しかめっ面で過ごせば、カメラの前で「笑って」と言われても、ぎこちない顔つきでしか写らない。笑わないので、法令が鍛えられず、法令線が薄くなり、ノッペラボウの顔となる。眉間にしわがあるかもしれない。
日頃、テレビばかり見て過ごせば、痴呆的な顔つきになるだろう。日頃、運動もせず、歩きもしないと、姿勢も悪い姿でしか写らない。
今回、その自分の写真を見て、そういう姿でなかったので安心した。加齢の為、少々、頭の毛が薄く、白いのは致し方あるまい。己の体は、己の人生の作品なのだ。
若作りの遺影
その写真も、老いぼれた姿よりも、まだ体力があり若い姿の時がよい。だから早めの遺影撮影は、おすすめなのだ。老いぼれてからは、写真撮影をする気にもなれまい。私も多くの葬儀に参列したが、若い時の遺影の方が、好ましいと思う。
スタジオの差
パスポート用の写真を2010年に、街の馴染みの写真館で撮影した。今回、大手カメラチェーン店の系列のスタジオで撮影したが、その設備のレベル差に驚いた。まずカメラ機材が違う。スタジオの環境が違う。撮影場所も広く、照明設備も金がかかっており、撮影補助機材が違う。街のスタジオでは普通の三脚で撮影である。今回のスタジオでは医療器械の設備のようにカメラスタンドの下に車輪が付いており前後左右がスピーディに動き、上下、回転がスライド式でスピーディに行えるカメラスタンドがある。お店もお客が多く来て、儲かるから益々良い設備を導入できる。
自分の全身像を撮影して、その場で映像画面をモニターで見ることができた。以前の街のカメラ屋では、カメラ屋が数枚写真と撮り、そこからカメラ屋が選別して仕上げである。
衰退している街(大垣市のように)のスタジオでは、お客があまり来ないので、設備投資ができず、悪魔の下降スパイラルで、益々儲からず、設備投資ができない。これはお店だけの責任ではない。
河村義子先生の遺影
河村先生の葬儀で祭壇を飾った遺影は、日頃、先生がパンフレット、HP等で使っている写真であった。現在も「かすみの会」のHPにその写真が掲載されている。そのお顔は美しい写真で、その写真が先生のレッスン室に貼られた演奏会のポスターに使われていた。こちらから聞いたわけではないのに、河村先生は「この写真が気に入っている」と言われた。5年前の当時、「この写真は、私の葬儀の遺影にも使うの」と説明されたので、私は冗談だと思い呆れた。今にして思うのは、そのころ、がん告知をされ、手術をせず、最期までピアニストとして生きる決意をされたころである。鈍感な私はそんなことには思いもよらなかった。後で聞けば、名古屋のスタジオで撮影されたとか。並みの決意では、名古屋まで行って写真を撮るまいと思う。その点でも偉い方であった。
2019-02-09 久志能幾研究所 小田泰仙
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