« 磨墨智2. 過ぎ去る時間は命の刻み | メイン | お金の意味 »

2019年2月27日 (水)

「修身」とは何か

修身とは、人として、当たり前のこと(孝行、勤勉、節約)を当たり前に、なすことである。自分の身を修め、家庭とご先祖を大事にして、国を治める。それが戦後、禁止された。それのどこがいけないのか。

修身で、天皇への忠誠心の前面に出したのは行き過ぎだが、孝行、従順、勤勉の象徴の二宮尊徳の崇拝は日本人の美徳として継続されるべきものだ

太平洋戦争中は、家族、家のために命を捧げる特攻、玉砕の戦闘行為に、米軍は恐怖の淵に落とされた。日本の特攻を受け、精神的に病んで、本国に送り返されえた米兵も多かったという。欧米の考えでは、3割も戦死すれば白旗を上げるのが常識なのに、殺しても殺しても玉砕まで戦ってくる日本兵は、戦慄の悪魔に見えたのだろう。今のISの自爆テロよりも怖ろしかったはず。

米国は、日本軍の恐ろしさを骨の髄まで感じて、修身の教育を禁止して、二度と米国に日本が歯向かえないように、日本精神を骨抜きにする施策に狂騒した。それが50年たって、ボディブローのように効いてきて、「日本狂セリ」のような状況となった。我々は、「日本狂セリ」との状況になった真因を探り、その対策をとらねば、日本の再建はない。

 

終戦後10年の広辞苑の「修身」の解釈表現は、現代の広辞苑と表現のユニアンスが微妙に違う。

【修身】(戦前の解釈)

=自分の行いを正し、身をおさめととのえること。

旧制の学校の教科の一。天皇への忠誠心の涵養を軸に、孝行・柔順・勤勉などの徳目を教育。1880年(明治13)以降重視され、第二次大戦後廃止。

―斉家治国平天下

 

○修身斉家治国平天下

[大学]天下を治めるには、まず自分の身を修め、次に家庭を平和にし、次に国を治め、次に天下を治める順序に従わなければならない。(「広辞苑」第5版)

 

太平洋戦争後の占領軍の施策

・占領軍が日本の軍国主義化の復活を恐れて「修身」教育を禁止、

・強靱で勤勉な日本の復興を恐れた米国が、日本人の精神を骨抜きにするため占領政策の一環として禁止。

・占領軍が全国の小学校の校庭から修身の象徴であった二宮金次郎像を撤去。

 二宮金次郎は、実際は業務改革のリーダであった(服部家の再建,小田原藩の財政建て直しで手腕を発揮)。

Photo_4

 

【修身】(戦後の解釈)

 ・ 自分の行いに就いて、悪を改め善に進むように身をおさめととのえること。

 ・旧制の小・中学校の教科目の一。国民道徳の実践、徳性の涵養を自覚させることを目的としたもの。昭和20年連合国軍総司令部の指令よってその教授は停止された。

 

○修身斉家治国平天下

 [大学]天下を治めるには、まず自分の身を修め、次に家庭を平和にし、次に国を治め、次に天下を治める順序に従わなければならぬの意。

     「広辞苑」 第1版 昭和30年(1995年)

 

2019-02-27  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

コメント

コメントを投稿