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2019年3月

2019年3月24日 (日)

大垣市役所の表看板は恥さらし

 大垣市役所の表看板に恥さらしな標語が掲示されている。大垣の恥である。

「私たち大垣市民は人権を尊重する都市の実現を目指します」

 なぜこれを「大垣市は、人権を尊重する都市です。」と書けないのか。

P1100949   大垣市役所

 

政策的間違い

 大垣市民は人権を尊重している。尊重していないのは、小川敏市長を筆頭とした大垣市行政である。

 大垣市制100年も経つ今年になっても、大垣市はまだ人権を尊重する都市になっていないのか? なっていないと自分で宣言する愚かさである。小川敏市政19年も経って、まだ人権を尊重する都市になっていないのか? 小川敏市長の失政を自ら宣言している。恥さらしである。

 ふざけるな! 人権を尊重していないのは、小川敏市長そのものではないか。

 園児の虐待で、36度の炎天下で、芭蕉市で躍らせたのは小川敏市長ではないか。

 大垣市の怠慢で、大垣市の小学校のエアコン普及率は、2.1%で県下最低水準である。県下最低の普及率のまま放置したのは、小川敏市長ではないか。岐阜県他市はほとんど100%の設置率なのに。小学校生の人権を無視している。

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2018‎‎8‎‎4‎日10:00、36度の炎天下の中、市長命令の招集で芭蕉市で強制的に踊らされる園児達。市の担当者はテントの中で、高見の見物である。

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2018‎‎8‎‎4‎日、‏‎10:16。演技後、僅か16分後に、園児の頬は火傷状態。

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 「市民運動5つの目標」を要約すると、目指す大垣市民像は、「モノ・電気・支払いをケチり、交通安全旗を神仏のお守りとして、青少年よりも樹木を大事に、青少年よりも大事な犬猫を躾け、犬猫の排泄物を始末して美しく、ついでに青少年の育成にも努力をしましょう」である。青少年の人権など、くそくらえの宣言である。

 ドローン墜落人身事故で、人命軽視の行事を強行したのは大垣市ではないか。それも事故の責任を業者に押し付けて担当者はドローンである。業者の人権はどうなるのか。人権どころか人命軽視の大垣市政に、この看板は恥さらしである。

 大垣市の条例で、大垣市の行事の経費をマル秘にしているのは、市民の知る権利という人権を無視しているではないか。大垣市制100年記念行事の経費3億4千万円の使用用途に汚職の疑惑がプンプンである。

テクニカルライティング的間違い

 「実現する」、「目指す」と動詞が2つもある文章は、テクニカルライティング的に落第の文章である。こんな文章を試験で書けば、落第である。ワンセンテンスに一動詞である。

 

冗長さの間違い

 私たち大垣市民  → 二重の表現の無駄

 動詞が2個の冗長さ

 

業者との癒着の疑い

 いかに字数を多くするかの金を浪費する役人根性丸出しの看板である。字数が多くなれば、看板業者に金を多く回せる。税金の無駄遣いである。

 

文法的間違い

 主語は誰なんだ?

 「私たち大垣市民」が主語ではおかしいだろう。

 

内容を簡潔に表現できない幼児性の問題

 こんな表現を簡潔に表現できないのは、担当者、上司のレベルが低いのだ。誰がこの文章を校正したのか。課長の文書能力が疑われる。こんな役人が牛耳っているから大垣市は衰退している。

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2019-03-24   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

眼の手術の研究

 2012年春に白内障の手術を受け、その直後、網膜剥離を患った。その白内障の手術に不具合があり、その修正手術を三好輝行先生(福山市、三好眼科)にして頂いた。その後、網膜静脈閉塞症を患い、三好先生の紹介で、中部地区ではその第一人者の名古屋市立大学病院の小椋祐一郎教授に治療をして頂いた。

 それで手術に対して目が覚め、自分の目に対する手術の概要を知ろうと、医学専門書を捜して購入した。手術の概要を知ることは、自分の体をよく知ることになり、有益だと感じたからだ。自分の体に施される「工事」内容を知ることは、「施工主」として今後の治療方法の選択時の決断と予防の心構えに貴重な情報源となる。

 

方針決定は自分

 治療は医師が行うが、医師から提示された治療案の選択の決定は、自分がしなくてはならない。その知識を得るのに専門書は、貴重な情報源だ。捜した医学書は、たまたま、小椋祐一郎教授が著述された書籍で、書籍の内容のレベルから見ても、治療をお任せするのに大きな安心情報となった。2冊で43,200円と少々高価なのが難であった。この巻のシリーズの「白内障」の巻(30,000円)を以前に購入していたので、買うのに躊躇はなかった。

 この書籍に目を通して感じたことは、世の中には私以上に難しい状況に置かれた人が多くいるということ。また命の不思議さである。自分のまだ恵まれた状況を認識できた。また目の医学が進化していることを確認できたことは幸いであった。

 

ながい坂

 横田鶴良先生が杉田玄白著「蘭学事始」の写本を殿に勧めると、殿は「おれに医師になれというか」と初めに仰せられました。横田先生はそのとき「病気にかかるのは人間ばかりではない、世の中も病んでいるときがある、人体の病気も世間の病気も似たようなものだ、そうでなくても、書物というものは読んでおいて損はない」というふうに云われました。

             (山本周五郎著『ながい坂』Ⅱ p138)

 

 私はこの『長い坂』の文言に出会って以来、理工系の本ばかりでなく、医学書や自然界の現象の本にも手を出して読んでいる。人間の体は小宇宙の世界である。それを知れば、自分の生き方、経営診断にも応用できる。学ばない手はない。

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   『命の器で創る夢の道』P73より

 2019-03-24   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月23日 (土)

磨墨智625. 死んでもいいけど事故を起こさない

 死んでもいいけど、病気にならないこと。生死は神様の管轄範囲である。いくら注意をしても、天災は防げない。陰徳を積んで、ご先祖に守ってもうらしかない。しかし事故・病気は人間様の管轄範囲である。事故・病気ほど時間を無駄にするものはない。

 首相専用機、大統領専用機が事故を起こしたことを聞いたことがない。危機管理は、精神の問題である。この世で一番大事な「体」の運行には、機長として己の取り組み姿勢が問われている。病気も体の運行を失敗した事故である。

 「体」の運行の全ての責任は自分にある。そう意識すれば、衣食住の生活に注意を払い、人よりも病気になる確率が半減する。単に飽食、堕落した生活をするから病気になる。油断をして至福ポイント最大の「美味しいもの」を食べるから病気になる。美味しいものには毒がある。

 

2019-03-23 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

眼の命の代償  命の器

 現代は照明器具や、眼鏡が発達しても、それ以上に情報が氾濫し、活字、テレビ、PC等を使い、ついつい目を酷使する機会が多い。目にも寿命があることを意識して、大事に使わなければと肝に銘じた今回の目の病気(白内障、網膜剥離)のご縁であった。(2014年当時)

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京薩摩焼

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茶碗内面の蝶の絵柄 

京薩摩焼の名品

 この京薩摩焼は細かい蝶の絵柄を金、赤、青、黄の一色ずつ茶碗に色付けをして、焼く工程で仕上げる。色の数ごとに色付けをして、その色ごとに焼くという気の遠くなる職人技であった。色によって融点の温度が違うための必要な工程である。京薩摩焼は富国強兵を急ぐ薩摩藩や明治政府の日本の外貨獲得の貴重な輸出製品の一つであった。当時の職人は電球の無い時代であったため、太陽の下でこの細かい絵付け作業を強いられた。そしてみんな目をやられていった。やらなければ、後ろから刀で見張っている薩摩藩のお役人に殺される。この作品には京薩摩焼職人の眼の命がこもっている。

 

経緯

 ご縁がありこの作品は、2011年に自宅に来たが、その悲惨な製作過程を三好輝行先生に教えてもらって襟を正した。この作品は、明治初期の当時、日本を狙う欧米列強の外圧を撥ね退けるため富国強兵政策として外貨を稼ぐため、職人が命を掛けて作り欧州に輸出された作品である。2010年頃の円高の折、英国の貴族が所有していたこの作品がオークションに出て、日本に里帰りをした。2011年、これに大垣のデパートで出会って、その製作工程の気の遠くなるような凄さに感動して購入を決めた。職人の技の極致である。

 私はいまだかって骨董の陶器など興味がなかったのに、衝動買いである。それ以降も、骨董の陶器は買っていない。それほどの作品である。2019年現在まで、毎年、この展示会を見ているが、これほどの作品にはそれ以降、お目にかかれない。良きものを入手できたご縁を嬉しく思おう。

 この作品にはご縁がある。大老井伊直弼の横浜港での開国の決断のご縁が、これに結びついている。父方のご先祖は、大老井伊直弼の桜田門外の変にご縁があった。

 

   『命の器で創る夢の道』p77より

 2019-03-23  久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月22日 (金)

磨墨智624. お坊さんと仲良くなろう

 いつかはお世話になるお坊さんです。後に残る人のために、お坊さんと仲良くなっておこう。後に残る人の時間が助かる。

 お坊さんは、その人の生前の言動から、本人に一番適した戒名を付ける。それが葬式の時、慌てて戒名をつけると、親族からその人の生前の姿を聞き込んで、その人にあった戒名を付けねばならぬ。

 私は今年か来年に戒名を授かる「受戒会」をしようと計画している。生前に戒名を授かると、安心して旅立てる。自分で自分の戒名に納得して、受けることが出来る。死んでから戒名を付けてもらっても、本人は知らず、である。戒名を授かるとは、その戒名に込められた「戒律」を背負って生きていくことである。あの世での仏道修行の前修行なのだ。

 

戒名のトラブル

 私の家でも住職が、祖父と母の戒名を付け間違えて、位牌と墓誌を作り直した痛い経験がある。墓誌だけでも100万円の損害である。お寺に苦情を言うわけにもいかず、泣き寝入りである。住職は、その責任を先代住職に押し付けて、お寺としての責任を取らなかった。私は腹に据えて、よほど怒鳴りつけて菩提寺を変更しようかと思ったほどだ。

 間違いはだれにでもある。問題はその事後策である。それはお寺と言う組織の問題である。今のお寺の責任者は誰なのだ。組織としての問題は、先の住職の問題でも、お寺として現在の責任者の責任なのだ。そういう状況で、責任者として、どう責任を取るのだ。お寺は別世界で、危機管理が全くできていない。お寺の世界は、一般の企業理論が通用しない。

 

義子先生の戒名

 河村義子先生は、お寺で演奏会をしたり、ピアノを寄付したりと、生前にお寺さんに多大の貢献をして、その人柄もお寺さんが熟知していたので、「聖観音院教音義愛大姉」との立派な戒名を贈呈された。この戒名は、まとものお寺さんなら100万円は請求されそうである。それだけ義子先生の貢献が大きかった。

 

2019-03-22 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

磨墨智623. 「死にそう~」と言わない

 でも貴方は本当に死ぬわけではない。不治の病で本当に死を目前にした人がいる。そんな人の手前「死にそう~」など甘えの言葉! 甘えの気持ちから時間は創れない。死ぬ覚悟でないと、時間は創れない。

 河村義子先生の死の直前の10日は辛かったと思う。義子先生は、体力的に家事ができなくなり、家族に迷惑をかけるので、大垣音楽堂でのクリスマスコンサートが終わった次の日、2018年12月16日、近所の緩和病棟に入院された。その連絡のメールでは、そんな緊急事態とは思えない文面であったので、私は油断した。生前にお見舞いをされた親友のAさんは、義子先生の手を握ったが、握り返す力が全くないのに愕然として、年内は持たないだろと感じたという。義子先生の場合、内臓全体が機能不全に陥っていった。「死にそう」とは、それほど、辛い状況なのだ。義子先生は、12月25日に逝去された。

 

2019-03-22 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月21日 (木)

磨墨智604. 死ぬな

人生の目標を持たないから早く死ぬ。

朝起きて、寝るまで、特にやることがないから、認知症になる。

到達点を見極めないから路半ばで死ぬ。

己の命の期限を悟らないから、老計も死計もなく無計画に生きる。

生きたいという願望がないから死ぬ。

生きたくない人の命は、捨てられた命。堕落した生活に堕ちる。

生きたいという強い願望があれば神様が生かしておいてくれる。

河村義子先生は、2018年9月7日に余命1週間と宣告されたが、最後の後進への指導の願望があり、奇跡的に回復し、退院して1か月のレッスン時間と12月8日、15日のクリスマスコンサートの音楽監修の時間を創った。その後、12月16日に再入院して12月25日に亡くなられた。

生かされていることを感謝して働いて時間をつくろう。

Dsc01825   2017年12月2日、一年前のクリスマスコンサートで、愛弟子の小林朱音さんのリハーサルを厳しい眼で見つめる義子先生。愛があるから厳しく教えられる。手に持つ鉛筆が印象的。大垣フォーラムホテルにて。

 

2019-03-21 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

自分の命の値段

 ある日、自分が北朝鮮に拉致されて死刑を宣告されたとする。死刑は免れないが金を出せば1カ月間の時間余裕を与えると言われた時、自分は1カ月間の余命に、いくらの金を出すのか。その金額が自分の時間価値となる。

 

余命宣告

 己の健康管理の怠慢で病に冒され、余命半年と宣告されてから「金はいくらでも出すから助けてくれ」と医者に泣きつく御仁が娑婆には多くいる。無法国家に拉致されるのと状況は変わらない。医者は治療をするが、病気は治せない。しかし、死期の予想は正確に当てる。私も父の病気の時に医者から余命1年と聞かされ、それが余りにも正確だったので驚いた覚えがある。

 東日本大震災のように、突然津波に呑まれて命を落とされた方に比べれば、余命1年があるだけ、どれだけ幸せなことか。亡くなられた方々の無念がしのばれる。

 

死にざま

 松本明慶先生作の「魂(オニ)」の納佛された日(2014年7月16日)から1週間も経過しない日(7月22日)、韓国フェリー事故の船会社のオーナーが変死体で発見されたと言うニュースが入ってきた。6月には、100億円出すから中国に密出国させて欲しいと闇ブローカに交渉中とのニュースが流れていた。その最期はこの夏のなか、冬の高級コートを着て、周りに酒の空き瓶を置いての畑の中でさびしい服毒死か病死である。贅沢な生活に身を置いたが故、病身で余命は長くなかったようだ。それでも100億円の金を出して生き延びようとする。このオーナーは数百億円とも言われる財産を築きながらも、この有様である。フェリー事故で犠牲となった高校生達がかわいそうである。このオーナーは信徒9万人の新興宗教「救援派」(オカルト宗教と言われる)の教祖とも言われるのが、新興宗教では人が救えないことを教祖自身が証明したといえる。人の偉さ(醜さ)はその死に様に現れる。

 

悪縁の後悔

 余命1ヶ月の時になって後悔することが、その昔に付加価値を生まない悪縁との付き合いで、貴重な時間を無駄遣いしたことである。そのために、やりたいこと、やるべきことが一つできずに、先送りになったという後悔である。やれる歳になると、体がいうことをきかなくなる。そんな後悔を避けるために、悪縁の元を絶つことは、人生の価値を上げはできないが、下げる危惧を無くしてくれる。

 

 

 ご先祖から頂いた命は、能力を最大限に使って人生を全うしたい。安岡正篤師は、「人は学ばなくなったら、人間ではなくなる」とまで言う。吉田松陰は、「一日でも生きている限り、どんな状況においても学問か仕事に励むのだ」という。学ばないから、仕事をしないから、頭を使わないから、世の中に貢献しないから、認知症になる。「使わない器官は退化する」という自然界の摂理がそこにある。社会に貢献をしない人は、社会のお荷物である。仕事をすれば、多少なりとも税金を納め、社会に貢献することになる。脳トレをすれば認知症が防げるのではない。それは遊びと同じで、長くやると苦痛になり続かない。それは社会にとって時間とお金の無駄使いである。

 

   『命の器で創る夢の道』p75より

 2019-03-21 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

病気お見舞いの心得

 その昔、私が入院した時、3人の見舞い人が立て続けでお見舞い品にお花を持ってきた。それもケースに入ったかさ張るドライフラワーであった。さすが3つとなると、かさ張りすぎるので、病室に飾るのにも支障があり、退院時に持って帰るのが大変だと焦ってしまった。それでお見舞い訪問予定者に電話をして、お花のお見舞い品辞退のお願いした次第である。

 入院していて、一番うれしいお見舞い品は、手ぶらで本人が来て話をしてくれること。病院に見舞いにくる時間、交通費を考えると、1秒1円で計算すると、数万円の価値がある。わざわざ、己の命の時間を削って見舞いに来てくれたのだ。お金に代えがたい価値あるお見舞い品である。

 お見舞金などもらうと、後での快気祝いが面倒である。そのままお金で返すのも気が引け、却って病後の本人に負担をかける。お見舞いは相手の身になって、考えてしよう。

 

信用金庫

 来てくれるはずの人が来ないと、その人との今後の付き合い方を考えざるを得ない。「見舞いに行きます」と言った人が来ないと、人間性を疑ってしまう。その言動から、良きリトマス姿を得たと考えよう。

 

生生流転

 病気入院は、人生や人間関係を考え直す良き機会である。長い人生、たまには静養して人生を見直そう。長い人生、たまには正規の人間ドックに入って、体を保守修繕していると考えよう。病気になったのもお陰様、その事実を見つめよう。全てを受け入れ、医師、仏様に全てを委ねよう。命には寿命がある。それを悟らせてくれるのが病気である。

 

 2019-03-21 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月20日 (水)

一刀三礼して祈念する

 松本明慶先生が、東日本大震災(2011年3月11日)の復興祈願のみほとけの謹刻を2011年5月より開始した開始した。直径1mの楠の丸太をV字形に二分割し、一方に子安観音菩薩像を、もう一方に健やかに合掌する童子百人の群像を目指した仏像の謹刻である。松本明慶仏像彫刻美術館にて、来館者の方々に一刀ずつの造佛協力をお願いして、鎮魂と日本復興の祈りを発信する活動を開始された。

 

一刀三礼

 一刀三礼とは、「佛師は一刀彫るごとに三度合掌し念じ入るような心構えで、造佛に打ち込め」という教えである。これは明慶先生の恩師故平岡定海先生が入院されていた折、心臓にペースメーカをつけた状態にも関わらず穏やかな眼差しで諭された口伝である。どんな仕事にでも、この気持ちで一挙一動を捧げれば、良き仕事ができる。

 

一刀三礼を体験

 私も松本明慶仏像彫刻美術館を訪れた折(2011年12月18日)、若い佛師に指導をされて、子安観音菩薩像の右肩に一刀三礼をさせて頂いた。よきご縁であった。これからの仕事を一刀三礼の気持ちで取り組む第一歩としたい。

 今までに約7千人の方が刀を入れられた。それが8年がかりで仕上げ彫りが進んでいる。このご縁で、今回の大震災には合計で50万円の義援金を出させていただいた。

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松本明慶仏像彫刻美術館の子安観音菩薩像前にて。左は小久保館長。

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修学旅行で来館した中学生も、緊張して一刀三礼のノミ入れに参加

(長野県木島村木島平中学校) 

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一刀三礼のノミ入れに最年少来場者も挑戦

 

佛木との出逢い

                                                          大仏師 松本明慶

 このたびは当方の美術館にて行いました、一刀三礼運動に多くの心ある方々が協力下さり、誠にありごとうございました。遠方より、そして多忙な日々の暮らしの合間を縫って、宗派を超えた方がた像佛に参加して下さり、心より福深く御礼を申し上げます。

 復興祈願のみほとけは造佛は、今回で二度目になります。一度目は平成16年に大地を揺るがした、中越大地震でした。謹刻させて頂きました復興地蔵九体は、樹齢180年の地震による杉の倒木を材としました。それは山古志の男衆が命がけで、雪崩の危険もある立ち入り禁止地区に分け入り、降り積もった3メートルの豪雪をかき分けながら、ワイヤーをかけ引きずり出した木材を、夜を徹して新潟より、京都の松本工房に運びこまれたものでした。完成するとすぐ仮設住宅で被災者の方々と共に暮らし、現在も山古志の地域復興センターで、大切にお祀りされています。

 今春の東日本大震災は大変広範囲にわたり、被害の様相も地震・津波・原発事故に伴う目に見えぬ放射線への恐怖という、未曽有の惨事であり、いかなるみほとけを刻めば良いのかと、私も私案に暮れていましたが、名古屋の山富木材より連絡が入り、材木市場で入手した極上の銘木が浮んだのです。

 それは末口1メートル長さ4メートルの、木味の良い見事な楠の丸太でした。木材は一本として同じ木はありませんが、材木市場で出逢った瞬間になんと素性の良いきなのかと、この楠と出逢たことに感謝しました。

 その後、製材所に運び、芯割り(年輪の中心から縦半分に割ること)した断面を見つめ、私は鳥肌が立ち身がすくみました。この木こそ、佛様がすまわれるている。年輪は一分(3ミリ)間隔ですべてほぼ均一に揃い、上部に一つ節があるだけでした。この楠より、悲しみを静かに受けとめて未来へと光を放つ観音様をお迎えしよと、決めました。

 まず芯割りした丸太をV字形に二分割し、凸形の木塊には子安観音菩薩が両手を広げたお姿を、もう一方には木塊には、百人の童子たちが合掌するお姿を彫り起こそうと、構想を練りました。これは犠牲となった方がたを大切に供養し、被災地をふるさととする子供たちが沢山生まれ育ち、将来を担う。それが復興であると思うからです。

 そして、今回の一刀三礼運動に参加して下さった皆様のお心に、震災の記憶を留めて頂き、犠牲になられた方々の分も、力強く歩み続けて下さいますことを、祈念したしております。また完成には最低5年の年月を要し、完成後は当方の美術館に安置する予定でおります。

 まだ荒彫りの段階ですので、一般の方々にもノミ入れを頂く余地がございます。この運動を美術館において、来年も継続させて頂くことにしました。入刀されておられない片は、是非ご参加頂ければと存じます。

                             合掌

  松本明慶友の会会報『苦楽吉祥』 2011年12月 第49号より

 

 『命の器で創る夢の道』p44より

 

 2019-03-19 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。