一刀三礼して祈念する
松本明慶先生が、東日本大震災(2011年3月11日)の復興祈願のみほとけの謹刻を2011年5月より開始した開始した。直径1mの楠の丸太をV字形に二分割し、一方に子安観音菩薩像を、もう一方に健やかに合掌する童子百人の群像を目指した仏像の謹刻である。松本明慶仏像彫刻美術館にて、来館者の方々に一刀ずつの造佛協力をお願いして、鎮魂と日本復興の祈りを発信する活動を開始された。
一刀三礼
一刀三礼とは、「佛師は一刀彫るごとに三度合掌し念じ入るような心構えで、造佛に打ち込め」という教えである。これは明慶先生の恩師故平岡定海先生が入院されていた折、心臓にペースメーカをつけた状態にも関わらず穏やかな眼差しで諭された口伝である。どんな仕事にでも、この気持ちで一挙一動を捧げれば、良き仕事ができる。
一刀三礼を体験
私も松本明慶仏像彫刻美術館を訪れた折(2011年12月18日)、若い佛師に指導をされて、子安観音菩薩像の右肩に一刀三礼をさせて頂いた。よきご縁であった。これからの仕事を一刀三礼の気持ちで取り組む第一歩としたい。
今までに約7千人の方が刀を入れられた。それが8年がかりで仕上げ彫りが進んでいる。このご縁で、今回の大震災には合計で50万円の義援金を出させていただいた。
松本明慶仏像彫刻美術館の子安観音菩薩像前にて。左は小久保館長。
修学旅行で来館した中学生も、緊張して一刀三礼のノミ入れに参加
(長野県木島村木島平中学校)
一刀三礼のノミ入れに最年少来場者も挑戦
佛木との出逢い
大仏師 松本明慶
このたびは当方の美術館にて行いました、一刀三礼運動に多くの心ある方々が協力下さり、誠にありごとうございました。遠方より、そして多忙な日々の暮らしの合間を縫って、宗派を超えた方がた像佛に参加して下さり、心より福深く御礼を申し上げます。
復興祈願のみほとけは造佛は、今回で二度目になります。一度目は平成16年に大地を揺るがした、中越大地震でした。謹刻させて頂きました復興地蔵九体は、樹齢180年の地震による杉の倒木を材としました。それは山古志の男衆が命がけで、雪崩の危険もある立ち入り禁止地区に分け入り、降り積もった3メートルの豪雪をかき分けながら、ワイヤーをかけ引きずり出した木材を、夜を徹して新潟より、京都の松本工房に運びこまれたものでした。完成するとすぐ仮設住宅で被災者の方々と共に暮らし、現在も山古志の地域復興センターで、大切にお祀りされています。
今春の東日本大震災は大変広範囲にわたり、被害の様相も地震・津波・原発事故に伴う目に見えぬ放射線への恐怖という、未曽有の惨事であり、いかなるみほとけを刻めば良いのかと、私も私案に暮れていましたが、名古屋の山富木材より連絡が入り、材木市場で入手した極上の銘木が浮んだのです。
それは末口1メートル長さ4メートルの、木味の良い見事な楠の丸太でした。木材は一本として同じ木はありませんが、材木市場で出逢った瞬間になんと素性の良いきなのかと、この楠と出逢たことに感謝しました。
その後、製材所に運び、芯割り(年輪の中心から縦半分に割ること)した断面を見つめ、私は鳥肌が立ち身がすくみました。この木こそ、佛様がすまわれるている。年輪は一分(3ミリ)間隔ですべてほぼ均一に揃い、上部に一つ節があるだけでした。この楠より、悲しみを静かに受けとめて未来へと光を放つ観音様をお迎えしよと、決めました。
まず芯割りした丸太をV字形に二分割し、凸形の木塊には子安観音菩薩が両手を広げたお姿を、もう一方には木塊には、百人の童子たちが合掌するお姿を彫り起こそうと、構想を練りました。これは犠牲となった方がたを大切に供養し、被災地をふるさととする子供たちが沢山生まれ育ち、将来を担う。それが復興であると思うからです。
そして、今回の一刀三礼運動に参加して下さった皆様のお心に、震災の記憶を留めて頂き、犠牲になられた方々の分も、力強く歩み続けて下さいますことを、祈念したしております。また完成には最低5年の年月を要し、完成後は当方の美術館に安置する予定でおります。
まだ荒彫りの段階ですので、一般の方々にもノミ入れを頂く余地がございます。この運動を美術館において、来年も継続させて頂くことにしました。入刀されておられない片は、是非ご参加頂ければと存じます。
合掌
松本明慶友の会会報『苦楽吉祥』 2011年12月 第49号より
『命の器で創る夢の道』p44より
2019-03-19 久志能幾研究所 小田泰仙
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