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2019年3月21日 (木)

病気お見舞いの心得

 その昔、私が入院した時、3人の見舞い人が立て続けでお見舞い品にお花を持ってきた。それもケースに入ったかさ張るドライフラワーであった。さすが3つとなると、かさ張りすぎるので、病室に飾るのにも支障があり、退院時に持って帰るのが大変だと焦ってしまった。それでお見舞い訪問予定者に電話をして、お花のお見舞い品辞退のお願いした次第である。

 入院していて、一番うれしいお見舞い品は、手ぶらで本人が来て話をしてくれること。病院に見舞いにくる時間、交通費を考えると、1秒1円で計算すると、数万円の価値がある。わざわざ、己の命の時間を削って見舞いに来てくれたのだ。お金に代えがたい価値あるお見舞い品である。

 お見舞金などもらうと、後での快気祝いが面倒である。そのままお金で返すのも気が引け、却って病後の本人に負担をかける。お見舞いは相手の身になって、考えてしよう。

 

信用金庫

 来てくれるはずの人が来ないと、その人との今後の付き合い方を考えざるを得ない。「見舞いに行きます」と言った人が来ないと、人間性を疑ってしまう。その言動から、良きリトマス姿を得たと考えよう。

 

生生流転

 病気入院は、人生や人間関係を考え直す良き機会である。長い人生、たまには静養して人生を見直そう。長い人生、たまには正規の人間ドックに入って、体を保守修繕していると考えよう。病気になったのもお陰様、その事実を見つめよう。全てを受け入れ、医師、仏様に全てを委ねよう。命には寿命がある。それを悟らせてくれるのが病気である。

 

 2019-03-21 久志能幾研究所 小田泰仙

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