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2019年3月22日 (金)

磨墨智624. お坊さんと仲良くなろう

 いつかはお世話になるお坊さんです。後に残る人のために、お坊さんと仲良くなっておこう。後に残る人の時間が助かる。

 お坊さんは、その人の生前の言動から、本人に一番適した戒名を付ける。それが葬式の時、慌てて戒名をつけると、親族からその人の生前の姿を聞き込んで、その人にあった戒名を付けねばならぬ。

 私は今年か来年に戒名を授かる「受戒会」をしようと計画している。生前に戒名を授かると、安心して旅立てる。自分で自分の戒名に納得して、受けることが出来る。死んでから戒名を付けてもらっても、本人は知らず、である。戒名を授かるとは、その戒名に込められた「戒律」を背負って生きていくことである。あの世での仏道修行の前修行なのだ。

 

戒名のトラブル

 私の家でも住職が、祖父と母の戒名を付け間違えて、位牌と墓誌を作り直した痛い経験がある。墓誌だけでも100万円の損害である。お寺に苦情を言うわけにもいかず、泣き寝入りである。住職は、その責任を先代住職に押し付けて、お寺としての責任を取らなかった。私は腹に据えて、よほど怒鳴りつけて菩提寺を変更しようかと思ったほどだ。

 間違いはだれにでもある。問題はその事後策である。それはお寺と言う組織の問題である。今のお寺の責任者は誰なのだ。組織としての問題は、先の住職の問題でも、お寺として現在の責任者の責任なのだ。そういう状況で、責任者として、どう責任を取るのだ。お寺は別世界で、危機管理が全くできていない。お寺の世界は、一般の企業理論が通用しない。

 

義子先生の戒名

 河村義子先生は、お寺で演奏会をしたり、ピアノを寄付したりと、生前にお寺さんに多大の貢献をして、その人柄もお寺さんが熟知していたので、「聖観音院教音義愛大姉」との立派な戒名を贈呈された。この戒名は、まとものお寺さんなら100万円は請求されそうである。それだけ義子先生の貢献が大きかった。

 

2019-03-22 久志能幾研究所 小田泰仙

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