地獄を見る
地獄はあの世ではなく、今の世に地獄がある。今の世で地獄を経験してこそ人間として成長できる。地獄を見た人間は強い。地獄を見るとは、自分の持つ業が消えたときである。甘えが消えたときである。人(魂)は地獄の試練を受けないと浄化されない。この世で地獄を経験していない極楽トンボが、あの世で地獄に堕ちる。人は六道輪廻(天上道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)の法則で、地獄も一度は通過しなければならない宿命である。あの世で経験するかこの世で経験するか、遅いか早いかのわずかな差でしかない。地獄の時期は長くはない。修行と思って耐えよう。宗教の脅しに屈してはならない。
日本刀の地獄
日本刀も砂鉄の素材が、劫火に焼かれて真赤になり、刀鍛冶師により何百回も何千回も叩かれ鍛えられて、鋼の粘りある名刀に変身する。それは素材の砂鉄にとって地獄の試練である。鍛えていない日本刀は簡単に折れる。
出会いは一瞬で決まる。その時のために、自分を日本刀として鍛えよう。名刀は一瞬で勝負を決することができる。切れない日本刀は一番始末が悪い。
天獄
理想の天国は、天獄でもある。一日中、気持ちのいい音楽ながられる中、お花畑でフワフワ浮いていれば、やることもなく、私なら気が狂う。昔の仲間がみんな地獄に行った。だれも話し相手のいない天国は、地獄である。生きているから、いろいろあるのだ。だからそれで良いのだ。見通しても砂漠以外の風景がない砂漠を、誰にも会わずとぼとぼと、一生の間、歩いていくなど、地獄である。
臨死体験
人生で一度地獄を見ると、その後の生き方に覚悟ができる。一度、臨死体験をすると、モノの見方が変わる。一度死線をさ迷うと、今生きている事、出会うご縁の全てに感謝できる。そのご縁の真贋が見えるようになる。それは自分を捨てて、もっと高い見地から物事を俯瞰できるようになるからだ。
死線をさ迷うと、生きていてよかったとしみじみと実感する。その体験に比べれば、世の騒動は雑事である。是非、地獄を見よう。
『命の器で創る夢の道』p102より
2019-03-13 久志能幾研究所 小田泰仙
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