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2019年3月12日 (火)

トヨタ教の経典で真贋を判別

 今回の新興宗教団体とのトラブルで、その宗教の真贋をトヨタ教の教えで判断した。この判定法は、宗教団体の真贋鑑定だけでなく、車のディーラー、保険会社、病院、営業マン鑑定、人物鑑定等でも、今まで私が人生の生存競争を生き延びてきた道具である。

 

トヨタ教

 私はトヨタ教(トヨタ生産方式 The TOYOTA WAY)の「現地現物」を大事にしている。それはトヨタ自動車を世界一の会社にした根本原則である。しっかり自分の目を見開いて、素直に見て、足で見て(「見」は「目」に「足」が付いた象形文字)、過去の知見を総動員して、衆智を結集して、物事の真贋を見極めよう。宗教に入信とは、自分の命(時間)を捧げることであり、人生の存亡に影響する。来る縁が全て善とは限らない。気を緩めたとき、妄信したとき、恐ろしい誘惑が襲って来る。勧誘側にもノルマがある。

 

現地現物 :Go and See for Yourself to Thoroughly Understand the Situation. Observe the production floor without preconceptions and blank mind. Repeat“why”   five times to every matter. Taiichi Ohno (as quoted in The Toyota Way Document)

                                JEFFREY K.LIKER“THE TOYOTA WAY”

 現地現物とは、自分で現地に行き、自分の目で見て、状況を完全に理解することである。先入観なく、素直な心で生産現場を観察せよ。そして5回のナゼを繰り返せ。(大野耐一)(「現地現物」の説明として、ミシガン大学リッカー教授の英語訳は出来色である。)

 

・仏師の考察

 松本明慶大仏師はwikipedia でも詳細に説明されている。この某教団の釈迦如来像、仁王像は人間国宝○○○作とあるが、wikipedia では「○○○」を検索できない。Webでも百科辞典でも、画像も図書もネットオークションでも検索できない。そもそも中国に人間国宝の制度はない。共産国家にとって、宗教よりも共産党主席が最優先なので、邪魔な存在のはずである。仏様より毛沢東主席、習近平主席が偉いのである。そんな共産党という宗教が、仏像彫刻文化を保護して人間国宝と言う称号は作らない。共産国のソ連でもキリスト教も迫害されていた歴史がある。中国も同じである。

 

・中華人民共和国[編集]での仏教

 第二次世界大戦が終わり、中国国民党が台湾に逃れて、共産党により中華人民共和国が成立すると、仏教は国家による多大な弾圧を受けた。(マルクス主義は宗教を否定する。旧ソ連でも同様に教会は政府に破壊された)特に1960年代の文化大革命には極端な弾圧と破壊が行われ、中でもチベット地域では、多数の寺院が破壊され、多数の僧侶が虐殺され、ダライ・ラマを初めとするチベット政府はインドへ逃れざるを得なかった。

 21世紀現在では、中国政府は文化大革命の非を認め、政府の統制の元にある中国仏教協会を中心とした活動を公認し、開放政策に方向転換をしている。日本との国交正常化直後には中国国内の仏教寺院は荒れ果てていたが、現在では日本の寺院や華僑の援助によって沿海部を中心に復興を遂げている。(Wikipedia より 2013/09/17)

 

共産中国での仏教

 かの地で仏教は公認されているが、日本のように文化庁が人間国宝の制度まではない。だから「人間国宝○○○作」という表現は嘘である。仏像彫刻も文化である。最近、中国での仏教への迫害はなくなったが、荒れ果てていた仏教寺院に、芸術が再び育つには長い年月が必要であろう。

 

人生の原理原則

ブッディストの3条件  

  1. 人と比べない
  2. 神仏に頼みごとをしない
  3. 世間様に迷惑をかけない

斑目嚝談『日経ビジネス』1997.0908「有訓無訓」

 

 仏教の教えでは、信徒の勧誘は禁止されている。あくまで自分の意思での帰依である。だから誰も出家しろとは言わない。キリスト教でも同じである。それを某新興宗教団体の教義では、信徒を3名勧誘しないと極楽浄土に行けないとは、仏教の教義違反である。法律の面でも、法に書いてないことは、善意で解釈すればよいが法律の原則である。

 日本国憲法でも、宗教の自由が保障されており、退会も自由である。それが退会すると「無間地獄」に堕ちるでは、日本人をやめなくてはならない。ましてや、大きさを誇って他と比べてはいけない。

 また「無間地獄」に堕ちるには、生前に殺生・盗み・邪淫・飲酒・妄語・邪見・犯持戒人・父母殺害、阿羅漢殺害他の罪を犯さなくてはならない。脱退だけではその資格がなく無間地獄に入れてもらえない。最近は地獄の入門も入所者数が多いのでセキュリティが厳しくなっている。入門に証明書が必要です。(このことは私の師である元大学教授のH先生より教えて頂いた。師は、今は乞われてある寺院の住職をされている。

 

キリスト教も120宗派ある

 米国では、最近は地獄の入門以前に、犯罪者が激増して刑務所が足りず、入所待ちの受刑者が多いという。世も末である。それもグローバル経済主義万能を信奉するので、結果として貧富の差が激しくなり、犯罪が増えたに過ぎない。そのご利益で、新興宗教の活躍の場が広がった。米国では、同じキリスト教といいながら、120の分派がある。その分派ごとに教祖が存在するのであろう。

 

十六小地獄 (無間地獄)とは

 十六小地獄とは、仏教の地獄に伝わる八大地獄の周囲に存在する小規模の地獄で、地獄に落ちた亡者の中でもそれぞれ設定された細かい条件(生前の悪事)に合致した者が苦しみを受ける。条件は当時の倫理観や仏教の教えに沿っているため、中には現在の倫理観や社会風俗などに合わないものも存在する。

 ここでは、生前に殺生・盗み・邪淫・飲酒・妄語・邪見・犯持戒人・父母殺害、阿羅漢殺害他の罪を犯したものが落とされる無間地獄の小地獄を解説する。なお、特に断りがない場合、種類と描写は「正法念処経」の記述に従う。(この項 Wikipedia 2013/09/24 より)

 

 日頃は科学万能の現代社会に生きていながら、急に地獄の話を信じるのも、それで脅すのも滑稽である。人間は太古の時代から精神面では少しも進歩していない。

 

・仏像のお顔を人相学的に考察

 松本明慶先生作の釈迦如来座像のお顔は端正である。お釈迦様のお顔であるので端正は当たり前である。大日如来像のお顔なら、その姿は宇宙根源の象徴だから、美しくないはずがない。松本明慶先生作の釈迦如来座像や他の仏像のお顔は慈悲に満ちた眼差しで、思わず手を合わせたくなる。

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 松本明慶先生作 釈迦牟尼佛座像(上)、虚空蔵菩薩坐像(下図)

 

某教団の仏様のお顔

 それに対して、某教団の釈迦如来像を人相学的に観察すると、ぶ厚い唇は生命力に溢れ、物欲性欲も強いとされるので、仏様のお顔としては、異様である。この仏様のお顔は上品ではない。また上唇の厚みが下唇よりも薄くバランスが悪い。これは我が強いことを表している。私の昔の上司がこの唇のタイプであった(私は苦労をさせられた。言い出したらきかない性格であった)。上に反った唇のカーブも不気味である。

 少しつり上がった目は、何か信用を置けない雰囲気を与える。垂れ目のタレレントの萩本欣一さんは憎めない親しみを感じる顔相であり、欣ちゃんの垂れ目がそれを表している。この仏像の目とその表情からは、ありがたい眼施をされているとは思えない。

太い鼻柱は強い強欲さを感じさせる。二重顎(三重顎?)は肥満ぎみの証である。食欲を自制できていないのか。ほうれい(鼻と口の間)が短いので、あまり良い人相とは言えない。ほうれいの長い人は長命といわれ福相である。頬のふくらみもなにか異様である。私は冷たい印象を受けた。耳の形と大きさも意味があるのだが、なにか異様である。        

 全体的なお顔の印象が、東大寺の大仏や明慶大仏師作の仏像に比べると不気味である。ありがたみがほとんど感じられないのは私だけであろうか。お釈迦様のお顔であるので、端正であるはずである。それが感じられない。

某教団の釈迦如来像は、キンキラキンの金箔仕上げで、分厚いまぶた、分厚い唇等と、日本人の私には違和感がある。そのお顔の造りはインド人、中国人系である。浄土では金とか物欲とは無関係の世界であるが、黄金の釈迦如来像ではあまりの俗世間的である。

 

仏像はその国の文化

 仏像や宗教はその国の文化なのだ。その国が醸成した思想や文化がそのまま宗教に反映されてその象徴として仏像の姿に現れる。厳しい砂漠の自然が、厳しい掟のあるユダヤ教を生んだ。目には目を歯には歯を、である。そういう戒律で縛らないと生きて行けない自然環境である。温和な自然の中で生まれた仏教とは、環境が異なり、違った雰囲気を伝えている。同じ仏教でもインド、中国の仏教と日本の仏教とは大きな差が出てきている。それが仏像のお顔に表れる。それが文化の差の表れなのだ。

Photo_3日本の宮廷文化 京都・御所 

Photo_4東大寺の大仏

 『命の器で創る夢の道』p96より

2019-03-12  久志能幾研究所 小田泰仙

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