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2019年3月16日 (土)

仕事は自分を写す鏡、義子先生の命の仕事

 宗教も仕事も、自分の魂を昇華させる燃料である。自分の心の状態がプロジェクターで投影されるように、宗教や仕事に反映される。みほとけとは自分の心のある考えの象徴である。仕事を通して完成されるのが自分の魂である。未完の自分をいかに高めて次のステージに移るかが、この世で問われる課題である。人生に完成はない。いかに理想に近づけるかが、腕(魂)の見せ所である。出あった仕事をどう解釈するかで、その人の生き様が変わる。

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雑用

 言いつけられた用を雑にするから、雑用になる。その仕事だけを取り組んでいる人にとって、雑用はない。その「雑用」で、心を込めて取り組めば神聖なご用となる。どんな雑用も人のためになる「仕事」なのだ。

 渡辺和子シスターが、若い頃アメリカの修道院で修行をしたとき、食事前の準備でテーブルに皿を並べる「雑用」を言いつけられた。彼女がその雑用をそこそこにこなしていると、それを見ていた修道院長から、「何を考えて皿を置いていますか」、何も考えていません」、「お皿を置くときに、なぜ、その席に座る人の幸せを祈れないのですか。お皿を置くごとに、「お幸せに、お幸せに」とお祈りしながらお皿を置きなさい」と叱られたという。皿をテーブルに並べるという雑用が、心を込めることで神聖な仕事に昇華する。

 

解釈

 師や上司からある用を言いつけられた時、その用をどう解釈するかである。修行と見るか、罰と見るかで、その後の人生が変わる。過去の苦役・不運を、自分を高める修行と見ることができれば、未来は明るい。

There is no facts, only interpretenstion.

事実はない、あるのは解釈だけ。  ニーチェ

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命をかけた最期の仕事

 河村義子先生は、2018年12月8日(米原)、12月15日(大垣)のクリスマスコンサート(白鳥の湖)の音楽監修を最後の仕事としてされた。12月25日の死の2週間前の病床で、私が撮影したビデオ映像を見ながら、病をおしてその音楽監修をされた。それを12月15日の大垣音楽堂でのコンサートに反映できるように、音楽監修でその修正指示をされた。12月16日は再入院であった。12月17日に、義子先生の自宅に大垣公演の編集無しのビデオを届けた。

 12月15日の大垣でのコンサートをビデオで見て、「素晴らしかったよ」と愛弟子の小林朱音さんのピアノ演奏ぶりに涙を流して喜ばれた。それが義子先生への餞となった。義子先生の後継者育成の仕事が終わった。

 義子先生の命をかけた魂の仕事ぶりが、クリスマスコンサートに反映されたのを嬉しく思う。多くの子供たちも喜んでくれた。コンサートの写真撮影、ビデオ撮影で、そのお手伝いの一部をさせて頂いたのは光栄である。撮影当時は、そんな状況とは露知らずであった。そういう撮影のご縁を頂いたことに感謝です。

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2018年12月8日 米原公演、リハーサル

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2018年12月15日 大垣公演、リハーサル

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2018年12月15日 大垣公演、本番

出演は、林葉子バレエアカデミーの皆さん

         『命の器で創る夢の道』P103より

 

 2019-03-16 久志能幾研究所 小田泰仙

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