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2019年3月17日 (日)

毘沙門天になろう

 毘沙門天とは、別名「多聞天」とも呼ばれる。多聞天の名前の由来は、日に何度も「法」を聞くことから名付けられている。

 「法」とは「三水」の「水」「去る」と書く。水が上から下に流れるのは、何時でも何処でも誰にでも当てはまる法則である。その行為がその自然界の法則に合っているか、それを自問すれば、時間節約の答えは自ずと見える。法に反した行いは時間ロスの最たるの。人生の「法」程式を覚えよう。人生の受験勉強には、法程式を記憶するに限る。

 

阿恵と吽形

 毘沙門天の足元にいる邪鬼界の阿恵と吽形は、悪さの限りをしていたのだが、「そんな悪さをしていて、お前の3000万年後の人生(鬼生?)はどうなるのか。上の界(人間界)に生まれ変わりたくはないのか。今のままでは畜生界か地獄界へ落ちるしかないではないか」と仏のお諭しとお導きで改心して仏心を得た姿を象徴している。その姿の現れとして、毘沙門天の足元で、阿恵と吽形が足場として支えている。毘沙門天は本来、岩に上に鎮座されているものだが、阿恵と吽形が自分の背中を差し出して、毘沙門天に足場を提供している。決して毘沙門天に踏みつけられているのではない。

 江戸時代の毘沙門天像の多くの像は、阿恵と吽形が悪の象徴として踏みつけられている形で造形されている。松本明慶先生は、それを新しい解釈で、毘沙門天に足場を提供しているとした。こういう考えも「創造」である。

 

六界

 六界とは、天上界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界である。群青と赤の阿恵と吽形は陰陽の世界も象徴している。どんなものでも裏と表、プラス・マイナス、良い点、悪い点があることの象徴でもある。目の前に現れる事象には、いい面も悪い面もあり、それを総合判断して法により判断しろとのメッセージでもある。人生の経営者にはそれを見極める能力が求められる。そのためには、法を学ばねばならない。

 

この世が地獄

 六界は、あの世の話しではない。この世でも修羅界も畜生界も餓鬼界も、時には地獄界さえ経験する。この世は、時としてあの世以上に鮮烈である。

 年間3万人弱の自殺者、子供のいじめ虐待被害が13万件、ガン患者が年間99万5千人、認知症患者は65歳以上で15%。此の世が地獄である。地獄を逃れるためにも、それが起きた原因を「法」に基づいて学ぼう。自殺に追い込まれる原因、いじめが発生する精神構造の変化、ガンが発生する環境、認知症の発生原因、それの「法」を学んで、自己防衛しよう。

 三好輝行先生とのご縁があり、次の毘沙門天像を拝ませていただいた。

Photo

松本明慶先生作 毘沙門天  三好輝行先生蔵

    『命の器で創る夢の道』P104より

 

2019-03-17 久志能幾研究所 小田泰仙

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