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2018年10月

2018年10月25日 (木)

磨墨知43. 先例を考慮せず

 自分の頭で事態を判断するから創造的な仕事(時間)を創れる。前例に縛られるから、固定観念に囚われて無駄な時間を取られる。生きるとは、世に残す仕事をすること。仕事とは、事に仕えること。その事が社会に貢献する対象なら遠慮はいらぬ。思い切ってやれ。それを為すことは、時を刻む命そのものである。

 故小渕首相は在任中、「前例はどうなっているか」と一度も秘書官に尋ねなかった。

 

組織運営

 どんな組織も、自分の頭で考えないと、旧態依然たる前例に押し潰される。それは、波風を立てないように、問題が起こらないようにと、一切を変えることを自分で禁じた認知症如き運営となる。変えないことで、その陰で甘い汁を吸う輩が跋扈し続ける。問題を顕在化しないから、ますます問題の解決が難しくなる。

 新しい職位について、何も変えず、改革せず、従来のままでは、神輿の上の鏡餅である。それでは己が飾り物であったことを、任期終了時に悟るのだ。そんな愚を避けよ。それでは組織に死の時間が流れていく。組織だって、生きている。その生を謳歌させよ。

 

2018-10-25 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年10月24日 (水)

ボロを着てれば、心もボロ

惜福

 惜福とは、ご先祖や親から頂いた贈り物を、先祖・親に感謝しながら大事に惜しみながら使う心が、次の幸福をもたらすという意味である。

 

鉄槌

 2018年10月14日、大垣市制100年周年記念行事「大垣祭山車特別曳揃え」で、大垣市長は新大橋のイベント会場で得意満面で挨拶をした。挨拶する小川敏市長の後ろに、築70年の歴史ある古びたビルがそびえていた。その背景の姿は、今の小川大垣市長の考えと大垣駅前商店街が衰退している状況を象徴していた。大垣駅前商店街の服装、身だしなみは、その商店街の建屋と街並である。

 その小川敏市長の傲慢さに鉄槌を下すように、「大垣祭山車特別曳揃え」行事の見物客はたった1万人であった。先週の大垣大パレードの見物客30万人とは別世界である。恥ずかしくて、岐阜新聞も中日新聞もその見学者数を報道しなかった。知らせるべきことを報道しないのは、報道機関としては恥さらし。

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   2018年10月14日 大垣駅前商店街の中央部で挨拶をする小川敏市長

   後の聴衆は、皆そっぽを向いている。鼻をほじくっている人も

 

ミッキーにも大垣はお呼びでない

 中途半端な浮ついた大垣市制100周年記念行事をするから、大垣が寂れ見物客が来ない。10月7日に30万人の見物客が大垣に来ても、それはミッキーだけが目当てで、大垣はお呼びではないのだ。ミッキーマウスを見に来た見物客は、大垣市制100周年記念行事など知ったことではないのだ。大垣に来ても飲み食いだけで、大垣駅前商店街には金を落とさない。翌日の大垣駅前商店街は、何時もの幽霊通りに戻った。

 

私が大垣市長なら「大垣のあるべき姿」を下記に掲げる

 大垣を「住みよい街、日本一に」

 大垣を「働きたい街、日本一に」

 大垣を「子育てしたい街、日本一に」

 大垣を「歴史を感じる街、日本一に」

 大垣を「文化・芸術の香り高い街、日本一に」

 大垣を「何度も訪問したくなる街、日本一に」

 

 上記の取り組みの正反対を小川市長は20年弱も継続しているから、大垣市は寂れる一方である。やることなすことが、金だけを使い、見栄えだけをよくするだけである。市長の座に長く居座りたい取り組みばかりである。

 

赤福(福の赤字)

 大垣市制100周年記念行事を惜福の考えなしに、市民から巻き上げた税金を、何が何でも3億4千万円を消化して使い切りたい小川敏大垣市長である。小川敏市長には「惜福」という考えがない。福の大赤字である。大垣の先人が貯めた財産を、少しでも残して、未来の子供たちに使うという考えがない。だから遮二無二、100の事業をでっち上げて金を使いまくっている。1年で100回の行事なら3日に一回である。お祭りは年に数回だから価値がある。それを3日に一度など、狂気の沙汰。そんな付け焼刃のような行事を市民は喜ばない。やましいことがあるようだから、その使用用途は条例でマル秘扱いにしているのだろう。

 

人と街は見た目が大事

 人は外見で判断される。外見とは、己の心の表れである。心が美しければ、その振る舞いも美しい。街もその街にそびえるビルの外観で評価される。繁栄している街は、その街並みが輝いていて美しい。この場所を大垣市制100周年記念事業の舞台にするなら、このビルの外装だけでも塗り直す配慮ができないのが情けない。大垣を訪れて、大垣駅前通り商店街に立ち並ぶビルのあまりの古さ、みすぼらしさと汚さに驚く。ビジネスで求められるのは、古くても清潔感である。大垣駅前商店街にはそれがない。商店街のビルに再投資をする力がないほど、大垣駅前商店街は衰退している。

 小川敏市長には20年弱の時間があったのに、大垣の発展のために何もできなかった象徴が、大垣駅前商店街の中央部の新大橋前ビルのみすぼらしい姿とそれを背景に得意満面に挨拶する姿である。この人は現実が何も見えていない。

2018-10-22   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

妖怪に取りつかれてTV痴呆症

(3)孤高い汚鼻畑に咲き狂う惚けの花

 とかくこの世は住みにくい。理に走れば大喧嘩。利に走れば墓穴掘り。義に走れば絶滅種。情けかければ裏切られ。皆でピンはね恥が消え。真面目であれば鬱病に。ブラック企業、正論言えば村八分。とう大出汚鼻が高いのよ。痴気恥気馬鹿莫迦大行進。この世は狂気、認知、KYばかり。正気の己が泣きを見る。今に見ろ、健康長生き、此岸で勝ち。

 

テレビ様の横行

 元校長がパソコン操作で困って、そのトラブル解決のため、私は呼ばれた。そのパソコンがある横で、その妻がテレビのワイドショーを痴呆的に見ていた。テレビがうるさく、我々の会話を邪魔していた。それを私は不快に思っているのに、元校長もその妻は全く気が付かない。それが日頃の生活ぶりを象徴していた。

 

寂しさに取り入る妖怪

 彦根で、私がビジネスの話を相手の居間でしている時、その御仁はテレビがかけっぱなしにしていた。苦情を言うと、相手は、昨年に妻を亡くして、テレビをかけていないと寂しくて死にそうだという。脳の死病である。

 

電気を食う妖怪 

 長崎空港で出発待ちをしているとき、誰もいない待合室のロビーで、大型テレビだけが一匹、喚いていた。日本文化を破壊する妖怪である。それもくだらないワイドショーである。顔に痴性の溢れるタレントが、識者ぶって事件のコメントである。そんな番組を見て視聴率を上げるから、テレビ局の痴態傲慢が治らない。

 

畜生に劣る妖怪

 ネットで「2018-10-16  豚肉2キロ!超級を超えた「最終カツ丼」を大食いアイドルは撃破できるのか【小林銅蟲×もえのあずき】」という題名が踊っていた。畜生は満腹になれば、目の前を餌が通っても襲わない。大食いは畜生にも劣る行為。これを金儲けで放送するテレビ会社の神経が分からない。拝金主義に侵された病気である。それを見る人も正気ではない。若い人がテレビを見ないのにはワケがある。見るのは認知症患者ばかり。

 

時間を喰う妖怪

 これでは無駄な電気代、日本痴呆化費用が膨大である。それよりも一番大事な、時間が消えていく。

 

2018-10-24   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

磨墨知166.ビジネスの占い師になろう

 書類一枚、FAX一枚でその人の事務能力、信用度がわかる。 不渡り手形を掴まされるとは時間を失うこと。

 

◆ 書類の微分値

 ナレッジワーカとしての出力は書類である。書類という情報商品の品質が問われる。私は書類の表題や図表、グラフの書き方等から、その報告書、稟議書、計画書等の出来不出来を推察する。スキのない書類は、作成した人の各面への考慮が滲み出ているから、その書類は充分の検討がしてあり、信頼に耐えうると判断できる。

 ところがこれが逆だと、内容はおろか,そのデータの信憑性まで疑ってしまう。この観点で書類を点検すると、誤った判断を避けられる。住居でゴキブリが一匹目についたら、その家には100匹のゴキブリが住むと言われる。同じように一つの書類で、一つの間違いが直ぐ目につくなら、他にも多くの間違いがあるはずだ。そんな書類をそのまま上司に出したら、承認した己の能力が疑われる。これはSQC手法での抜き取り検査の適用である。フェイクニュースが氾濫する社会では、その情報を信じる前に、情報の品質を確認しよう。

 

◆ 女将の危機管理

 旅館の女将や水商売の女は、客の靴を見て人物を判断する。女将は一見の客に日々の現金収入を依存しているので客の判別に真剣である。ビジネス文の判断でも同じ手法でものが言える。私はこの情報を書類レベルやかけたエネルギーの計測指標の一つにしている。経済や自然界の事象でも、僅かな変化でその将来を推しはかる能力が必要だ。書類の判定でも同じである。

 

◆ 雑用が仕事の評価指数

 書類の最重要項目は著者の名前である。名前に信用があれば、チェック不要である。それは日頃の仕事ぶりで評価されている。

 小さな依頼業務の出来ばえで、その人の仕事能力、神経、熱意が全てわかる。それが分からなければ、己の感性が鈍いのだ。己の危機管理能力が低いのだ。雑用の名人が仕事の名人である。雑用の処理の仕方に、その人の人格の全てが出る。かの豊臣秀吉は雑用の名人で、雑用を雑用とせず全力で取り組んだから、天下が取れたのだ。気配りの出来ない人やバカになれない人に、大きな仕事はできない。だから頭の良い人が良い仕事をするわけではないのだ。

 

◆ 危機察知能力

 僅かな変化やおかしいと感じる力が、危機管理能力である。それが自分や組織への危機を未然に防いでくれる。自分一人ではなにもできない。そのとき誰に何を頼むかでプロジェクトの成否が決まる。あなたはそういう風に見られているし、見なければならない。だからどんな仕事も決して手抜きをしてはならない。部下に手抜きをさせてはならない。それが危機管理の基本である。部署内で、最大かつ一番価値ある部下は自分自身である。自分自身を自己管理できなくては、部下が指導できない。その為に自己研鑽が必要だ。

 

2018-10-24   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年10月23日 (火)

他人は変えられない、自分が変わるしかない

 他人を変えるために心血を注ぐのは、時間の無駄である。他人は変えられない。他人など放って置けばよい。自分だけ自己満足すれば良い。矢だけ相手の急所に射って、問題を明確にすれば、後は相手の問題である。必要なら警察が対応してくれる。それは自分の仕事ではないのだ。

 他人に構うから、心穏やかになれない。自分の世界に閉じこもろう。誰にも負けない努力をして己の世界を作れば、他の世界は気にならない。そうすれば、他の世界の方からすり寄ってくる。

 

容認の力

 他人を容認しよう。己は自己満足をすればよい。人を恨んでも、天災を呪っても意味がない。人智では対抗できない大きな力には、それに肯定も否定もしない。容認するのだ。受け入れるのだ。人を許すのだ。それが長生きの秘訣である。そうすれば、悩まないし、悩みは消える。

 松下幸之助翁は、終戦後、GHQから戦犯、財閥指定をされ、なす術のない状況に追い込まれた。戦争中はお国のために武器を作るのは国民の勤めであった。それで松下電器は財閥指定された。松下さんにできたことは、容認だけである。その時、松下幸之助翁はPHP研究所を創った。それがあったから、今のパナソニックがある。

 

2018-10-23   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

磨墨知25 折衷案はとらない

 折衷案は2つの案より高くつき、時間ロスを生む。そのプロジェクトのクライテリアは何かを忘れたためである。折衷案では当初の目的の達成は難しい。

 

 新幹線建設の目的は、早く目的地に到達する線路と利便性を確保すること。そのために山があれば、迂回するのではなく、トンネルを掘ってでもまっすぐに線路を引くべきである。その目的が曖昧だと、折衷案や妥協で迂回路を取る愚をしがちである。

 己の益のため、利便性を無視して新幹線駅でなく、新幹線「益」を作る妖怪政治家が跋扈している。三河安城新幹線駅や岐阜羽島駅などは、その落とし子である。利用者の利便でなく、妖怪の利権を優先するから、利用者に不便をかけ、地域の発展が阻害される。そのためJR三河安城駅など、快速さえも停まらない田舎駅に成り下がっている。新幹線ホームからJR三河安城駅在来線ホームまで、歩いて一息ある。ここで下車する度に、怒りが沸き起こる。その原因を作った利権者は頓死したとの噂である。天の差配は怖ろしい。天網恢恢疎にして漏らさずである。

 

2018-10-23  久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年10月22日 (月)

馬場恵峰先生と伊勢神宮・岩村の旅

 恵峰先生は、2018年10月20日、長崎空港から朝一番のセントレア11時10分着のANA機で来名して、名古屋経由で伊勢神宮に行き、夜、大垣のホテルでF先生と会食、大垣宿泊の行程であった。翌日は岩村である。92歳、88歳の高齢者のご夫妻には強行軍で、少々恐縮ではあった。

 当日、宿泊する大垣フォーラムホテルに着いたのは、予定より2時間遅れの夜8時半であった。休日の伊勢神宮の混雑ぶりを見込み違いした。今回、初めて休日に伊勢神宮に参拝した。休日の混雑具合を甘く見たのが原因で、休日の夕刻は、伊勢神宮の周りは大渋滞でタクシーも動かない。渋滞の為、タクシー料金が、五十鈴川駅から片道1130円が1450円に跳ね上がる。

 

伊勢神宮参拝

 今回、伊勢神宮に参拝して、神楽殿での雅楽の奉納、正宮の板塀内での特別参拝と馬場恵峰ご夫妻に喜んでいただけた。恵峰先生は、このために揮毫した「天照皇大神」の軸を伊勢神宮に奉納された。それは斎戒沐浴しての揮毫である。それと同じ軸をお土産として、私も頂いた。

 今年、恵峰先生は、中国の黄山(1840m)の頂上を5時間も走り回ったという呆れた話を聞いた。現地の中国人も先生の齢を聞いて祝意を述べたという。先生の元気さには脱毛(?)である。今回、足の悪い三根子先生に少々負担をかけて恐縮である。

 

伊勢神宮異聞

 伊勢神宮への参道沿いに、石灯籠が整然と並んでいた。岸信介や吉田茂奉納の石灯籠もあったという。最近、それの上部がバスのバックミラーと接触して、上部が落下して老人が亡くなられたという。その上部は固定されていなくて、置いてあっただけという。そのため安全のため、参道の石灯篭の全撤去が決まった。現在撤去工事中で、今残っている石灯篭が今回の見納めだという。タクシーの運転手さんが教えてくれた。

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 撤去工事中の石灯篭

会食のご縁

 当日の夜、私の30年来の師であるF先生に、恵峰先生との会食に付き合っていただいた。恵峰とF先生の波長が合い、人生論・教育論を当夜と翌朝の朝食会場で長い時間語り合って頂いた。私もその場に同席させていただき幸せであった。それが夜10時半まで続き、レストランに迷惑をかけたが、快く対応して頂いた大垣フォーラムホテルさんに感謝です。

 その翌日の会話も盛り上がり、懇談時間が想定外に延びたので、10月21日の朝の岩村への旅があわただしくなった。また大垣駅に行く途中で、大垣市制100周年記念行事の未来博で、ソフトピアジャパンの近辺の大渋滞に巻き込まれたのも想定外であった。

 

運命のいたずら

 「天之機緘不測」(菜根譚)、天が人間に与える運命のからくりは、人間の人知では到底はかり知ることができない。今回、それを実感した。

 F先生とのご縁は、私が仕事の関係で別の事業部に飛ばされて(元の部署ではポスト不足で昇格できないため、異動となり別の事業部で課長に昇格した)、そのご縁でF先生とご縁ができた。

 恵峰先生と私のご縁も、所属していた会社が合併で消失したため、奈良に異動となり、そのご縁で知り合うことになった。

 この二つの私には不本意な異動がなければ、絶対に会うことのない3名のご縁であった。自分が天の大きな差配の力で動かされているのを感じた。今回、恵峰先生とF先生の出会いは初めてである。F先生が、恵峰先生の経歴と書に興味を持たれて、今回の会合が実現した。一流の人は、一流の人の匂いが分かるようだ。他の人を会食に誘うため探したが、適任者がおらず、藁をもすがる思いでF先生に打診したら、快諾を頂いた。それが、大正解であった。恵峰先生とF先生は、私の人生の4人の師天王のうちの2名である。

 

お弟子さんの霊が呼んだ

 恵峰先生ご夫妻が、JR中央線の途中の武並駅と恵那駅の街並みを見た時、非常に懐かしがれて、大感激された。それは私には想定外。聞けば、昔のお弟子さんが、恵那におられて、8名ほどで京都の日本習字本部に先生から学ぶために頻繁に来られたとか。生きておられれば80歳90歳のため、「多分そのお弟子さんたちの霊が恵那に我々を呼んでくれたのだ」と感謝された。大村市では、恵那市の知人は誰もいないとか。

 また恵峰先生の曽祖父が、日本中を探して、ここの土地の会社を探し当て、陶器用の特殊機械の製造をお願いした歴史があるという。遠く九州の波佐見町から恵那まで会社を探しに来たという。曽祖父は、その家に泊めてもらい、機械の発注の手配をされたとか。この関係で、今でも岐阜からは多くの年賀状が届くという。今回の恵那への旅行を案内して、翌日にその件で九州の恵峰先生から電話がかかってきて、そのご縁を感謝された。耳の不自由な先生が電話をかけて来るのは稀有のこと。よほど嬉しかったようだ。佛様のご配慮である。

 

岩村への道中

 岩村に行く行程では、移動時間の関係と三根子先生の足を考えて、恵那駅からタクシーを飛ばした。以前に岩村を事前調査した時、岩村にはタクシーが一台しかなく、それもその当日にお休みであったので、安全を見て恵那駅からタクシーを利用することにした。タクシーの道中で聞けば、女性の運転手さんは九州出身とか。岩村に3人いる運転手さんの内の一人が、入院中とか。恵那駅からのタクシー料金は5500円ほど。恵那駅から岩村駅へいく明知鉄道は本数が少ないので、時間制約がある場合は、タクシー利用がおすすめ。

 

岩村散策

 岩村の街並みの外れまで行くのには、岩村駅からずっと上り坂であり、三根子先生の足では辛いのだ。それでタクシーで岩村の町並みの外れの高い位置まで行き、そこで車を下ろしてもらい、緩やかな約1㎞下り坂を岩村駅に向かって、岩村の街を見学しながら歩いた。

 当初の予定は、岩村山城と佐藤一斎記念館を訪問する予定であったが、時間の関係で割愛せざるを得なかった。

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岩村の街並みを散策する恵峰先生

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出版・寄贈の事前調査

 岩村で、今度、出版予定の恵峰揮毫佐藤一斎の『言志四録』の中の金言をどのようにするかを、恵峰先生と現地で確認しながら、岩村の街を散歩した。また各家の軒先に掲げられた佐藤一斎の金言の約200枚の木板を、別の形にする案を先生と相談しながら散策である。軒下の掲示された木板への揮毫では、どうしても風雪での劣化が避けられない。その対策を検討中である。

 もう一つの構想は、現在の佐藤一斎の金言の板を、恵峰師の揮毫で、有志を募って岩村に寄贈する。その板材にその寄贈者の名も小さく入れる。そうすれば寄贈者は、これを目当てに何度も岩村を訪問するし、知人に自慢もできるだろう。そうすれば岩村の町おこしのお手伝いにもなる。

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 この文言が人気あるようで、多く飾られていた。下図の板は風化している。

 2018年3月4日撮影

石碑からの学び

 道中に置かれた石碑の佐藤一斎の言葉の書体についても、恵峰先生より書道の面で教えて頂いた。文字の配置の点で、3文字の部分と4文字の部分の配置を逆にするとよいとのこと。これではバランスが悪いという。また全体の字の形は良いのだが、「一」の字体についての一言、解説があった。「一」の長さや形についての解説である。「憂」の上の「一」と中央部の「一」とが、長さの点でバランスが悪いという。

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岩村で出会った佛様

 帰路、岩村駅に歩いていく途中で、今の三根子先生の足では、明知鉄道の電車の出発時間14時15分に間に合わないことに気が付いて焦った。思いついて、街路の前方に停車中の車を見つけ、運転席の女性に、駅まで乗せてもらうことをお願いした。この電車に乗らないと九州への飛行機便が間に合わない。実に厚かましいお願いであったが、主婦の方は快く、進行方向の逆方向の駅まで乗せて頂いた。仏様の助けにあったようであった。名前は告げられなかったが、厚くお礼申し上げます。岩村の方の人情の温かさに感激である。

 その電車も遅れてきた我々3名を待って、出発してくれた。明知鉄道さんにも大感謝です。電車を待たせてごめんなさい。おかげで無事、18時10分セントレア発のANA便に間に合った。実にきわどい行程であったと思う。岩村からタクシーの手配は難しいのです。間に合ったのは、全て岩村の皆さんの人情の厚さのお陰と仏様のご配慮の賜物です。ありがとうございました。

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 明知鉄道 岩村駅    2018年3月4日の事前調査時

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 恵那駅  2018年3月4日の事前調査時

 

2018-10-22  久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

今ここ、次はなし

 2018年10月10日、知人のN社長から電話があり、予定していた馬場恵峰先生との研修旅行の同行ができなくなったとの連絡である。「次回は参加させていただく」であった。しかし、「今ここ」しかご縁はなく、次回はないのだ。ご縁がないのだ。明日は分からない。これは一期一会である。

 半年も前に、10月20,21日の馬場恵峰先生との伊勢と岩村への旅行で日程を仮押さえをした人達が、直前確認で4名もドタキャンした。これも仏様の啓示だと思い、この計画を変更して、恵峰先生・三根子先生と私だけの旅行に切り替えた。

 これに懲りて、次回の計画はしない予定である。チャンスは2度とないのだ。自分でその運命の流れが見える様になった思いである。そのお陰で先生と一緒に伊勢神宮、F先生との会食、岩村を回る機会を仏様が恵んでくれた。そう思うことにした。

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2018-10-22  久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

磨墨知24 夢を見て実現させる智恵を出す

 叶えようとする今の思いが夢である。その夢を実現させる行動が、時間創出の智恵である。実現可能な夢だから見られる。全く実現不可能な夢は、思いもつかない。夢には時間が詰まっている。

 実現できないのは、智恵と努力と熱意の継続が足りない。実現しないのは、実現しようと動かないだけが原因だ。大木は一夜では大きくならない。数多い日々の風雪に耐えて、大木という夢が実現する。

 

一生実現できない夢

 夢を繰り返し語ろう。熱い思いが実現の為の時間を創る。若い時、自宅にグランドピアノを置きたいと夢見て、40年後の64歳でそれが実現した。1974年8月28日、平塚市でピアノ騒音殺人事件が起きて、アパート暮らしでは無理と、諦めたピアノである。

 一生かなわぬ夢を見て、それを追いかけることが、惚けずに長生きする秘訣。歳を取れば、時間があるのだから、若い時以上に勉強をせねばご先祖に申し訳ない。無為に過ごせば認知症への道をまっしぐら。最近、社会的地位の高い知人が認知症になり悲しくなった。頂いた命だから最期まで人間として活きたい。

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木だって美しい花を咲かせたい夢を見る  藤城清治「花の夢」

 

2018-10-22   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

連絡

 2018年10月20,21日と馬場恵峰先生が名古屋地区に来られたので、その接遇とその後の体調不良(風邪)でブログはお休みしました。今日は記載します。

 2018-10-22  小田泰仙