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2018年11月

2018年11月30日 (金)

磨墨知415. 今、勉強しよう。今、精進をしよう

昔勉強したというなら、今勉強するがいい(アラン)。

 昔必死に働いたなら、今、もっと全力で働くがいい。昔勉強したこと、働いたことは過去の遺物で、自慢になんかならない。時間創出は「今」が問われる。昔のことは日々に疎し。老いると、どんなに感動しても日々に時間概念が希薄になる。今を継続しよう。

 現在92歳の馬場恵峰師は、学生時代より、今のほうが勉強しているという。時間はたっぷりあるのだ。勉強しない方が損なのだ。だから、92歳で現役である。人は学びを止めた時、人でなくなる。それは認知症への道に転落である。痴老の恥は晒したくないものだ。

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2018-11-30 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

ゲゲゲの訪問記(2)境港妖怪サミットの成果

 境港駅を降りると、目の前に観光協会のある建物に妖怪ファミリーの大きな壁画が掲示されている。観光地の玄関として、半端な取り組みではない。その前に並ぶ街路灯が目玉おやじ妖怪の整列である。なかなかに秀逸なデザインである。見ていて嬉しくなった。街に降り立ったら、ときめくようなものが歓迎してくれると嬉しいものだ。

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 駅舎を出るとすぐ目の前に、水木しげる先生の執筆中の姿を再現した像がある。これはJR境線が「妖怪線路化」されたのを記念して建立された。その横に鬼太郎ポストがある。残念だが、これは普通のポストで、妖怪の消印にはならない。本局に行くと、妖怪の消印を押してくれるとか。

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世界妖怪会議

 境港駅近辺を散策したら、世界妖怪会議の像が目に飛び込んできた。欧州、米国、中国、南方アジアの妖怪たちとの世界会議風景である。その議長は鬼太郎と目玉おやじである。その横に、水木しげるさんの顕彰する碑が建立されていた。氏は水木しげるロードの建設、ゲゲゲの鬼太郎記念館の設立で全面的な支援をして、境港市を県下一の観光都市にした。きっと妖怪たちが今でも定期的に会議をして、街の活性化の打ち合わせとお手伝いをしているようだ。

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「賽の石罪妖怪」の跋扈

 大垣市では、金に執着した妖怪達が自分たちだけの利益誘導で、大垣の街を寂れさせている。それと比較して、境港の妖怪はうらやましい限り。大垣の妖怪に境港の妖怪の爪の垢を飲ませたい。大垣市のように、普通の市民が喜ばないお仕着せの行事で、金だけは使う行事ばかりをしている。それでは、街の活性化にはならない。大垣の妖怪は、学歴は高くお鼻も高いが頭が悪い。その割には頭が高い。何度も同じ失敗をして、大餓鬼減気ハツラツ市で、賽の河原の石を積み上げるが如く回数だけを積み上げている。それで少しも街の活性化になっていないのに、自分達の愚かさには気が付かない。大餓鬼には「賽の石罪妖怪」が跋扈する。

 境港市の観光客集客率は大垣の3.7倍なのだ。境港市の人口一人当たりの集客数は、200万人÷3.3万人=60.6人である。大垣市のそれは、267万人÷16万人=16.6人である。境港市は一人当たりの集客率が、大垣市の3.7倍と格段の差なのだ。それも大垣よりも、地の利が悪いとのハンディがあっての事。

 

水木しげるさんのモットー

 水木しげる氏顕彰像は2009年に、氏の米寿の年に建立された。記念碑に氏のモットー「なまけ者になりなさい」が刻まれている。それは世間の仕事は怠け者になりなさいであって、自分が好きで進む道は、死に物狂いで取り組めとのパロディである。氏ほど、仕事に必死に取り組んだ漫画家はいない。その仕事中に、背中からオーラが出ていてその後ろ姿に、奥さんの布枝さんが見とれてしまったと、のろけが水木布枝著『ゲゲゲの女房』記載されている。

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業績の悪い「死神」君

 水木しげるロードで、最初にお出迎えしてくれるのが「河童の三平」で、その次の妖怪は、死神である。死神は「河童の三平」に登場する妖怪である。なにせ、地獄界で一番「業績」が悪い死神である。はて? 地獄界の「業績」とは何だ? 死神が相手に取りついても、死神力が弱く相手が死ななかったようで、その「死なせた」率の成績が一番悪かったようだ。「死神」君が、なまけ者でよかった。水木しげるさんが学校ではほとんど勉強しなかったことを象徴しているようで、お笑いである。死神の好物はスイカとか。水木しげるさんの好物はバナナで、それに対して栄養価の少なく、水分だけが多いスイカでは、死神力も出まい。

10p1060076 「河童の三平」

11p1060083 「死神」君

「妖怪たちの足湯」

 駅の鬼太郎交番のすぐそばに、天然温泉の夕凪の湯「妖怪たちの足湯」があり、現世の老婆の妖怪たち(? 失礼)が足湯をしてお喋りに花を咲かせていた。きっと妖怪会議のオブザーバーたちの番外会議だろう。その老妖怪の一人が、乳母車を妖怪モニュメント「家獣」の横に駐車させて、私の妖怪モニュメントの撮影の邪魔をしたのは、愛嬌である。

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2018-11-30 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

磨墨知412.  セミナーでは一番前の席で聞く

 学習効率、理解効率を最大にしよう。最前列と最後列では2倍の学習効率差。

 1番目と2番目の席でも差がある。下記の座席の座る位置での年収の差は、学習効果の差がある。

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 その理由は物理の原理で説明される。講師の発するエネルギーをEtとし、講師からの距離をr、受講生が受け取るエネルギーEは下記の式となる。つまり講師のエネルギーを受ける量は、講師からの距離の二乗に反比例する。

 

 エネルギー受信量 E Et÷r

   Et:講師の発するエネルギー

   r :講師からの距離 

 セミナーや会議は人生の縮図である。多くの人と人の間で、自分はどう行動したかが問われる場所だ。そのセミナーで何を学ぶか、参加した会議でどう振る舞うか、日頃の行動や思考が、そのまま座る位置に微分値として表れる。座る位置は偶然でなく、その人の選択で、その選択の結果が人生の縮図となって現れる。

 学びに積極的で前向きの人は会場の前方に座る。そういう人は学習効率も高く、結果として高い成果を残す。会議に積極的に参加し、発言する人は前方に座ります。そういう人が精力的な仕事をする。

 それに対して、学ぶ意欲や意思も弱く、会議に積極的に参加しない人は、後方に座る。特にやらされ感での参加は、参加しても心ここにあらずとの状態である。

 人生をそこそこに生きている人は、そこそこの目立たない場所に座る。すべてその人の選択です。会議ではそこそこだが、他の面では抜群の活躍をするなどとは絶対にありえない。

 結果として人生の成功は、直接表現でその人の年収になって表れる。米国で生涯教育に携わっているボブ・コンクリン氏は「講演会やセミナーなどで、最前列に座っている人と後方に座る人とでは、2倍の差がある場合もあります。もちろん、前列の人が多いんです」と述べている。

 

年収調査

 グループダイナミック研究所長の柳平彬氏は、経営者向けセミナーで、最前列に座っている人と最後列に座っている人の、現在年収と、将来の期待年収を無記名で記入してもらい、年収をアンケート比較調査した。結果は、最前列の人の平均年収が580万円なのに対して、最後列は470万円であった。2倍の差はないが、前列の人は後列に比べて約3割も収入が多かった。一方、将来への期待収入は、前列が1,350万円で後列は940万円、年収差として44%の格差が出たそうだ。(1981年当時で)

 

コミュニケーション度

 セミナーの目的は、テーマに関して学び、自分を成長させること。それ故セミナー会場や学びの教室では、一番学習効率の高い席に座るべきなのだ。アメリカの心理学の本によると、教室で教壇に一番近い最前列に座った学生の一番成績が良く、逆に一番成績の悪い学生は一番後ろに座ることが多かったとの実験結果がある。これは最前列席に座ることによって、集中して講義を聞くことが出来るので、結果として理解度が上がり、復習する時間が節約できる。その実験によると、先生とのコミュニケーション度は最前列席と最後列席では2倍の差がある。前列に座った者の中では、61%の人間が先生とコミュニケーションができ、それが後方の席だとたった31%しかない。

 

 私は大学時代から、授業やセミナーで最前列席を選んでいる。それで大学時代は、特待生の座を得た。

 

2018-11-30 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年11月29日 (木)

磨墨知410-1.  時間を観る目を養え

 時間は観ることができる。時間とは命である。命を持った人間の行動を観察すれば、時間の使い方の真贋が分かる。時間の使い方の真贋を見極めるよき目を持っていても、自分の行動がそのようにできるかどうかは別である。しかし、意識して真贋を見る訓練をしていれば、人様よりも良き時間の使い方はできるはず。

 骨董屋の小僧は、ご主人から常に本物の骨董品だけを見せられて、真贋の見分けの修行をするという。時間の使い方の本物を探して修行をしよう。いつかは時間の使い方の名人になれるはず。

 

作品を観る目を養え

 松本明慶大仏師は、師である野崎宗慶老師から「作品を観る目を養え。」と教えられたという。自分の技術よりもほんの少し観る目を進めること、目が少し腕より良いくらいが丁度よいということである。

 自分達は、自分の人生という命(作品)を彫っている仏師である。素材から多くの部分を削り取らないと作品が仕上らない。削り取る過程で痛みも歓びもあり、人生の創作を体験する。削り残しが多い人生とは、未完の人生である。自分の人生レベルより少し進んだ目で、自他を観察して、よりよき時間を駆使して人生を完成させるのが、人間に生まれた責務である。自分の後ろにはご先祖様の期待がある。

 

削りくずの時間

 仏像彫刻の工程では、切りくずは、粗削りから中削り、仕上げ削りと段々と小さくなっていく。松本明慶さんが留守をして帰ってきて、弟子の削りくずを見れば、弟子の仕事の時間を見ることができるという。仕事が正しい行程でないと、仕事が前工程に戻ったりして、その削りくずが一定でないという。だから、それは削りくずを見れば一目瞭然だという。明慶さんは削りくずで時間を見ている。

 

言葉の時間

 ある会社の土壌汚染問題で、その後処理工事の報告会への参加依頼の連絡がきた。その案内書の題名が「リスクコミュニケーションの案内」であった。報告会の会議名を美化して「リスクコミュニケーション」では、その案内受けた方は、訳が分からない。文書内容をジックリ確認して分かったことは、言い換えれば「出席依頼 弊社の土壌汚染対策工事の報告会」という会議案内なのだ。

 そんな小手先の「美しい」会議名にするから、本質からずれた報告会、対策になるのだ。それでは時間が無為に過ぎていく。その会社が作る会議の題名だけを見れば、その会社の時間の流れを見ることができる。

 2018年11月23日、依頼を受けて、その報告会に参加した。その報告会の説明では、結論の表明が曖昧で、ぐだぐだと詳細の説明がされた。それでは、企業の時間、聞くほうの時間の無駄となる。要は、「役所との書類の対応で計画が遅れ、当初の日程が遅れました。しかし、問題なく工事が進んでおります」だけなのだ。

 言葉は言霊といって、命が籠る。時間はシーケンシャルに進んでいく。それを言葉遊びで胡麻化しても、時間は戻ってこない。人生のやるべき時に、やるべきことをやらないと、取り返しがつかない。会社の役員も、依怙贔屓で若くして偉くなっても、やるべき苦労をしていないから、不祥事を起こしやい。そんな事例が日本に絶えない。若くして流さなかった涙は、年老いて後悔の涙となる。

 

2018-11-29 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

ゲゲゲの訪問記(1/8)JR境線の妖怪熱気

 なぜか、この数か月、水木しげるの版画にのめり込んで、5枚の版画を入手した。大垣のヤナゲンで版画展を見てから、東京での版画展、京都での水木しげる展に行ってきた。

 2018年11月27日 、思い立ってゲゲゲの鬼太郎の故郷、境港市に行ってきた。目的は、町おこしの情報収集である。大垣市から境港市まで、往路6時間の旅である。

 

寝過ごし寸前

 大垣から新幹線で岡山まで行き、そこから在来線(単線)の特急に乗り換えて130分の鉄路で、米子駅で乗り換えである。その米子駅で、寸前で寝過ごすところを、妖怪に助けられて、下車できた。後10秒、気が付くのが遅れていたら、特急は出発するところであった。電車の2時間10分の乗車では、駅弁を食べるしか楽しみがなく、つい2食分の朝食を食べて、お腹の皮が張って眠気に誘われたのが原因であった。それを起こしてくれた妖怪に感謝をして、JR境線への乗り換えのため、米子駅に降り立った。そこで寝ぼけまなこの私に、強烈な妖怪のお出迎えがあった。

 

♪楽しいな、お化けにゃ、規則などない、ない、…♪

 駅の階段がすごい、案内表示がすごい、駅のプラットフォームがすごい、看板がすごい。電車の塗装がすごい。電車内の猫娘の歓迎がすごい。電車内の腰掛がすごい。終着駅の境港駅の改札がすごい、待合室がすごい。妖怪だらけである。昔の国鉄の営業規則では、考えられないこと。妖怪に規則はない。規則に縛られるから、自由な発想が生まれない。JR境線に脱帽。

01p1060018  米子駅、境線への乗り換えの零番線。

02p1060020  ねこ電車が待っていた

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06p1060044  ねこ電車の車内

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妖怪さまさま

 境港には年間200万人の観光客が訪れる。妖怪のご利益で、経済が「陽回」転である。JR境線の観光への取り組みが本気である。妖気満満である。これくらい真剣に観光客のことを考えて、工夫を重ねて妖怪にのめり込んだ結果が、ご褒美の年間200万人の観光客なのだ。

 

大垣との対比

 境港市は人口3万3千人、名古屋から新幹線、在来線特急で6時間、鳥取の片田舎で、観光客は200万人である。それに対して、大垣市は人口16万人、名古屋から快速で32分。それで大垣の観光客が267万人(平成27年度)である。鳥取地方の遠路路の境港市には、私でもまた行きたいと思うが、東海道のど真ん中にある大垣に再度行きたいという言う人は少ないようだ。大垣市は観光への取り組みに怠慢である。やっているのは、どさまわりごとき祭りばかりで市外に業者への利益誘導で、地元は寂れる一方である。

 

♪楽しいな、お化けにゃ、駅名の制限などない…♪

 米子駅から境港駅までの45分間の車窓から見える駅の看板がすごい。JR境線の16の駅には正式名称以外に、愛称として妖怪の名前が2005年に付けられていた。その年、岐阜県が主催する、優れた芸術家に与えられる「織部賞」のグランプリを受賞した。米子空港駅は、べとべとさん駅なのだ。砂かけばばあ駅、こなきじじい駅もある。

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12p1060057  境港駅に着いて、車窓の眺め

13p1060061  境港駅の改札

13p1060517  境港駅の待合室

霊界への信仰

 ケチな人間は、目に見えることしか信じないので、いつか人間界の限界にブチ当り、挫折する。そんな人は、精神の世界の広大さが見えないのだ。目に見えるものは、知れている。魔物界の見えないものを信じて、敬いなさい。そうすれば道が開ける。

 万策尽きても、神に祈ろう、佛に祈ろう、妖怪に祈ろう、そうすれば忙しい神様仏様の代理として妖怪が優しく助けてくれる。たまには、いたずら好きな妖怪におちょくられるが、それも愛嬌である。妖怪という相手を認めてあげれば、困ったときに、助けてくれる。

 祈るとは、心を空にして謙虚に己を見つめること。そうすれば正しい道が見える。ご先祖に手を合わせにない人間など、佛様が助けるわけがない。自分が一番偉いと思うから、謙虚になれないのだ。素直になれないのだ。だから神仏の罰が当たる。

 日産のゴーンは、自分が皇帝のように振舞ったので、リストラで首を切られた従業員のことなど、気にも留めなかったのだろう。己が神として己惚れていたのだろう。日本の妖怪が、鉄槌を持っていることを知らなかったのだ。

 人間は、六界では、小さな存在である。いつかはその六界に行く身である。米子駅で寝過ごしそうになった私を、寸前で起こしてくれたのは、妖怪さんだと感じた。妖怪も仏様の親戚なのだ。そう信じて水木しげるさんは、妖怪の世界を作り上げた。私は、この数か月、水木しげるさんの版画や著書、展覧会にのめり込んだので、それのご褒美だと感じた。

 

2018-11-29 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年11月28日 (水)

浜松国際ピアノコンクール(10) 調律師の闘い 

 ピアノコンクールは、勿論ピアニストの戦いであるが、その舞台裏で調律師達の戦いがある。その過程はNHK BSプレミアム「もう一つのショパンコンクール~ピアノ調律師たちの闘い」に詳しい。オンデマンドでご覧ください。

 

調律師の激務

 浜松国際ピアノコンクールは20分の演奏、それが3人続き、20分の休憩。その間に調律師の戦いが繰り広げられる。当然、昼休み、夕休みの1時間、その日のコンクールが終わった深夜に、調律師の出番である。コンクールでの調律師は一見華やかだが、社運を賭けた戦いであるので、現場は3Kの世界である。海外のコンクールでは、他社を含めての調律のスケジュールが組まれており、深夜の2時、3時しかピアノに触れないことも多い。その間、床で仮眠をする場合もあるとか。調律学校の卒業生は7~8割が女性だが、コンクールでは、激務のせいで女性は殆ど見ない。

 

ピアノメーカの体力勝負

 ヤマハ、カワイ、スタインウェイの 3社で30台のピアノを会場に持ち込んだという。舞台の本番用のピアノ以外に、参加者の練習用に27台のピアノを持ち込んだのだ。先のショパン・コンクールでは、ヤマハは電子ピアノを50台無償提供して、参加者のホテルの部屋に準備したという。それに随行する調律師も10人単位である。ベーゼンドルファーの支配人が、「弱小メーカの我々は、資金的に耐えられないので、参加が難しい」という。世界的ピアノコンクールは金がかかるのである。ちなみにヤマハのピアノ生産高の1/10 がスタインウェイ、その1/10がベーゼンドルファーである。

 だから、2018年春の高松国際ピアノコンクールで、ベーゼンドルファーが参加したのは驚きであった。私には、ベーゼンドルファーのピアノと他社との比較が出来て幸せであった。そのピアノは280VCで、お披露目の意味もあったようだ。

 

ピアノの選定

 今回の浜松国際ピアノコンクールでは、第一次予選で、ヤマハ39人、カワイ28人、スタインウェイ24人が各ピアノメーカを選定した。どのメーカのピアノが一番多く挑戦者に選定されたかが、一番気になるところ。

 過去9回のコンクールで優勝者が使ったピアノはヤマハが7回、カワイが2回である。第10回の今回はカワイSK-EXが優勝を飾った。

 

コンクールやコンサートでの調律

 ピアノの調律は、基本的に音程比を扱った理論である。調律は、理論的には測定器だけでも出来る世界である。しかしそれが音楽的かどうかは全く別の世界である。だら、測定器の理論通りの調律では、蒸留性の水を飲んでいるみたいで、全く味気の無いものになりがちである。それでは演奏家から「音楽的でない」とそっぽを向かれるという。

 

感性の世界

 音楽の響きというのは、数学的に完全に割り切れるものではない。それはギターみたいに弦が 6 本しかないと、測定器でやっても、それほど気になるものにならない。しかしピアノは一つの音でも 3 本の弦が張ってあり、全体では約230本の弦があり、全体が調和して鳴るためには、数学的にビッシと割り切れる世界ではない。そこは感性の世界が広がる。それを音楽的に調律せねばならぬ。当初は、本当に胃が痛くなる毎日であったとヤマハの鈴木俊郎さんはいう。

 それを重ねてていって、どうしよう、どうしよう、こうしてもダメ、ああしてもダメという中で、一つひとつ答えを見つけていくと、なぜか音楽的な調律ではなくなってしまう。ただ、調律の制度から言うと、きちっと音は揃っている、音程感も合っている。誰が見ても、全然悪くない。しかし音楽の芸術家の世界ではそれが通用しない。

 これは永遠のテーマであるし、そこの 1点が、ある程度ポイントをつかめれば、非常にいい響きになると思うけども、要は音を音楽として聞いてないとだめなのだ。それは調律だけの音なのだ。

 特にホールに行くと、いろいろな音が返ってくる。ホールの場所によって、饗きが全然違う。それは一般の家庭でも、同じであるが、色んな音が返ってくる。それを、トータルとして捉えてなければ、音楽の音にならない。ーつのトータルバランスとして、整合が取れない。鈴木さんは今まではピークだけを捉えていて調律をしていたので、演奏家から総スカンを食ったのだ。。

 

コンサート技術者の仕事

 調律師は芸術家ではなく、コンサート技術者である(鈴木俊郎さんの持論)。コンサートの場合は、調律とそれから整調である。それから整音の 3 つが欠かせない作業である。全部が大事である。3つともきちんと揃っていないと、だめなのだ。

 調律は、聴力のバランスを整えて正しい音律にする。整調というのは、アクション機構の、鍵盤を押してハンマーが弦を打ってハンマーがキヤッチするまでの一連の行動のアクションの動きを調整する。整音というのは、いわゆるハンマーに弾力感をつけたり、針を入れることによって弾力感をつけたり、音の飛ばし方、音の広がり方を変える。ただ、音色には関係するんだけれど、整調をやることによって、音色に関係する。調律をやることによって、タッチにも関係する。

 

調律師の仕事

 だから、この3つが全ていい方向で絡み合わないと、コンサートピアノは調整できない。そこからが調律師の勝負である。具体的には、ここはこういう響きだから合うかな、といじってみる。直らない、鳴らないなあ。調律やってみようか。ああ、これでいけそうかな、こんなもんかなあ。もうちょっと良くなるかなあ、余計ダメになった。この繰り返しでである。

 作業的には、一つひとつやって重ねていくが、1個だけ突出しても、絶対いいものにはならない。だから 3つずつ重ねながら頂点へ持っていって、この辺の擦れ違う所で、どういうふうに持っていこうか、これを上に持っていこうか、ちょっと調律を変えてみようかとか。それでやはりうまくいかない。ちょっと鍵盤を深めにしてみようかと。そういうことをやって、ああこれでいいかな、こんなものかなあという作業の繰り返しである。

 

鍵盤の重さ?

 鍵盤は軽ければいいというものでもない。その軽い重いとか、よく言われるが、演奏家からも「ちょっとこの鍵盤、軽すぎるわ」「重すぎるわ」とかの表現がされるが、物理的に重くするか軽くするというのは、できない。そこは音のタイミングをちょっとずしたり、一瞬速めたりとか、音の立ち上がりの頭の音を少し広めたり小さくするような、調律をする。

 

音の立ち上がり 

 音の立ち上がりで、感じが変わる。感じが、ピシッといくか、ちょっと柔らかくいくかとかになる。タイミングというのは、ハンマーを叩いて、押し上げてカクッと外れるような構造になっている。そこの外れるタイミングを変えたりすることで、音の立ち上がりが変わる。一つのキーあたり、整調という作業は、一つのキーあたり、10 箇所ぐらいある。それが 88 鍵あり、後はアクション全体で機械的に行う作業がある。

 バランスよく揃えるということが基本である。しかし、それが生楽器だから、揃わないのだ。そこがまた楽器としての魅力にもなってくる。もちろん、一つひとつ音は揃えていくというのが原則である。

 

耳で聴き、耳で判断

 最終的には弾くほうが耳で聴くわけで、決して測定器を持ってきて聴くわけではない。調律する方も、自然に聴いていて心地よい、弾いていて、弾きやすいとか、音楽的な調律というのが重要だ。調律のための調律ではだめで、音楽のための調律が大事なのだ。

 コンクールの調律は、調律師の腕の見せ所である。ヤマハの花岡さんの前任者の鈴木俊郎さんも「音楽的でない」と言われて悩みぬいた方だ。コンクールで戦う調律師のリーダーは、全てこの思いを持っているのだ。

1p1110882 2018年11月9日 

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2018年11月12日 花岡昌範氏の調律風景

前回のショパン・コンクールでの調律師の闘い

 2015年のショパン・コンクールでの優勝者のチョ・ソンジンが選んだピアノはスタインウェイであった。しかし彼は予備戦のときはヤマハを使っている。それは、彼がソロはヤマハの方がコントロールしやすいと判断したためであった。その彼も、1~3次予選ではスタインウェイに変更した。彼はスタインウェイ社に調律上の要望を強く出していたが、スタインウェイを選定したピアニストが多かったので、なかなか彼の要望を聞いてもらえなかったという。ファイナリストに選ばれた中では、スタインウェイを選んだ演奏家が少なく、結果的に彼の要望を聞いてもらえるようになって幸いしたという。

 1次、2次、3次予選の課題曲は各ステージで異なり、その課題曲の雰囲気が異なる。また決勝の課題曲は、オーケストラを背景にしての演奏である。チョ・ソンジンは「ソロはヤマハでよいが、オーケストラを背景にしての演奏では、オーケストラに負けないような豊かな響き(派手な音)が必要で、それはスタインウェイのほうがよい」としてスタインウェイを選んだ。ヤマハからスタインウェイに機種変更をした他の2名も同じようなコメントをしている。

 かようにソロ演奏とオーケストラとの協演では、最適な響きのピアノは違うようだ。派手の音ではソロのショパンの静かな曲では相性が良くないだろうし、また全てに合わせた調律も難しい。ピアノにも個性があり、合う合わないということがあるようだ。

 ショパン・コンクールは、ショパンの作品だけによって競われる特殊なコンクールである。それに対してチャイコフスキー・コンクールは、それぞれの楽器を弾きこなし、世界で活躍していく演奏家を発掘するのが目的である。「どんなに演奏家に腕があっても、どんなに音楽的才能があっても、どんなに素晴らしピアノでもショパンにふさわしい演奏でないと優勝は難しい」と音楽評論家の青柳いづみこ氏は言う。またそれを評価する審査員も絶対的な基準があるわけではない。その人の感性で評価が変わる。極端な評価をする審査員がいるのも現実である。

 「対象に合わせた調律も、弾くピアニストが多いと、誰の好みに、またどの曲に焦点を当てて調律するかが難しい。全ての演奏家に満足した調律は困難だ」と調律を担当したヤマハ調律師花岡昌範氏は嘆く。どこで落とし所を見つけるかが、多くのファイナリストがヤマハを選んだがために出てきた悩みである。

 

 FAZIOLIのピアノ調律師越智さんも、ショパンの曲だからと、柔らかな温かい音つくりをして、会場に乗り込んだが、他のメーカが派手な音作りの調律をしてきた影響のためか、78名の参加者中、1名にしか指名されなかった。かように音作りは調律での命である。

 越智さんは「ハッと思わせる音、ぞくぞくするような音の仕上げたい」と現地に乗り込んだが、音の好みは芸術家と環境により大きく変わるという現実の壁にぶちあったたようだ。

 花岡昌範氏はコンクールでのピアノの調律方針を、「心を震わせるような音、聞いていて感動させるような音、響きを重視した音作りをしたい」として取り組んでいる。

 

車とピアノの関係

 ピアノは、よく車をたとえられる。ピアノの調整と、アーティストの好みというのは、車の特性のようなものだ。ドイツ車はサスペッション硬いとか、日本車は足回りがやわだとか、言われるが、硬くても、ガチガチのペコペコはねるような形じゃダメなのだ。柔らかくても、攻める時には、がんがんロールしていて、どこまでロールしていくか分からないのでは不味い。つねに硬くても柔らかくても路面に吸い付き、ふんばっている感触が運転者に分からないとダメ。だから硬いとか柔らかいというのは、好みである。それからメーカーの個性差である。きちっとサスペンションが動いているというか、そいうイメージがピアノにもあると思う。(鈴木俊郎氏談)

 

ピアノの個性の発揮

 調律といっても、ハンマーの状態、アクションの状態とか、全部が関わって、最終的に調律の音として出てくる。これでまたアクションの調子を変えたりすると、響きも変わってしまう。その辺の噛み合いの調整の仕方は、ホールへ行って実際にやってみないと分からない。また、ピアノは生楽器であるので、弦でもハンマーでも、全て均ーではない。フレームの材質にしてもそう。だから同じ3本の弦がありながら、1本ずつ叩くと、みんな音が違う。それは整音だけの違いではなくて、ある種のバラつきの差というのもある。だから、やはりそこを調律でうまく一番伸びるところを探しているのが調律師の仕事である。まるで人間の個性と同じである。

 

調律とは(教科書用語説明)

 ピアノ調律(piano tuning)とは、ピアノの音程を整える作業、または調律時に行う鍵盤タッチの調整や音色を整える作業などをいう。

  • 調律

 チューニングハンマーと呼ばれるピアノ専用の調律工具を使用し、弦が巻かれているチューニングピンを回して音の高さを調節していく。 ピアノは構造上、弦楽器の一種であるが、一般的なギターやバイオリンなどと違い、ほとんどの鍵盤1音につき2本または3本の弦張られている。このため、ミュートと呼ばれるフェルト状の工具を使用し、1本のみ音が出る状態にして音を聞き分ける。

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  • 整調

 鍵盤のタッチ(弾き心地)を調整する作業を整調という。鍵盤を指で押し始めてからハンマーが打弦し音を出た後、鍵盤から指を離して音が止まるまでのアクションとよばれる各種部品の動作を調整する作業であり、これらは単に鍵盤が押し下がる負荷、重い・軽いの調整だけではなく、アクションの動きが複雑に関係している。

 

  • 整音

 ピアノの音色・音質を整える、または音色を変える作業を整音という。ピアノの製造段階では最初から工程に組み込まれているため、仕上げと呼ばれる最終段階では「整える」ことに主目的があり、ここから「整音」という言葉が生まれた。

 

 鈴木俊郎氏のコメントは、自動車技術会中部支部でインタビューした時の記録(2002年)を基にした。鈴木俊郎氏は中村紘子さんの御指名の調律師であった。先日、名古屋ヤマハホールでのコンサートで、その姿を見つけて、名刺交換をさせて頂き、光栄であった。

 今回の浜松国際ピアノコンクールで、花岡昌範さんと名刺交換をさせて頂いた。

 

2018-11-18 久志能幾研究所 小田泰仙

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魔墨知251. 「そんな話は聞いていない」症候群を打破しよう

自分の責任 

  それは部下に対する報告の仕方の教育が悪い。正しい報告とは上司の時間を創ること。これができない部下は仕事ができない。

 それは部下が話を上げにくい状況を己が作り出していたのだ。日産のゴーンのように絶対君主みたいになると、誰も本当のことは言えなくなる。言えば唇寒しである。ゴーンに限らず、モノを言えない上司はごまんといる。そういう会社で不祥事が多発する。

 

部下の責任

 普通の善良な上司に上げる報告として、その報告書は、上司が1分で理解できる報告書ですか。結論が明確ですか。タイトルを見て、内容が分かる文書ですか。1日200通のメールが舞い込む上司の状況を理解して、メールや報告書を書いていますか。その状況を理解させるのも部下の務めである。情報とは情けの報せである。コミュニケーションとは情けに報せの伝達である。えたが、相手にしていない報告では、伝達がされていなくて、情けない。

 

2018-11-28 久志能幾研究所 小田泰仙

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魔墨知250.「そんな話は聞いていない」と言わない

 企業の不祥事が表ざたになり、トップが真っ先に言う言葉は「そんな話は聞いていない」である。しかい、今聞いたではないか? 聞いた時点で責任者として今後何をするか、それが問われている。「そんな話は聞いていない」とは被害者として逃げること。

 「そんな話は聞いていない」と言った時点で、すべての時間は死ぬ。それは誰の問題ですか? あなたは「時」を殺す人? 時は命なのだ。

 

己の責任

 なぜ、そんな話が自分の所の来なかったのか、それを追及するのが先なのだ。そんな話が来ない原因は己にあるのだ。言っても仕方がないと部下は思っていたのだ。

 

2018-11-28 久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年11月27日 (火)

磨僕知120. 本気、怪気、妖怪気

「本気ですれば大抵のことができる。

  本気ですれば何でもおもしろい。

   本気でしていると誰かが助けてくれる」 後藤静香

 本気が時間の概念を忘れさせてくれる。本気なれば妖怪も助けてくれる。

 今日2018年11月27日、街おこしに関して本気になり、境港市のゲゲゲの鬼太郎で有名な「水木しげるロード」を視察してきた。朝6時に自宅を出て、片道6時間、現地滞在3時間、夜9時半に自宅にたどり着いた。ゲゲゲの鬼太郎の妖怪パワー(妖怪気)を貰って、収穫はあったが、チカれた。詳細は、明日以降に報告します。

 

2018-11-27 久志能幾研究所 小田泰仙

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磨墨知100-1. 実践が全て

 いくらうまい酒の肴があっても、迷って食べなければ、その味は分からない。いくら至道といえども、学ばねば、それが善なるかが分からない。

 まず入門書でも1ページ目をめくろう。たったそれだけで、新しい世界が広がる。動けば、実践すれば、何かが変わる。そこから無限の時間が生まれる。

 迷っている間に、後ろから死はヒタヒタを迫りくる。日暮れて道遠し。先を急ごう。やった者勝ちなのだ。やれなかったのではない。やらなかったのだ。やらなかったという悔いのない人生を送りたい。

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2018-11-27 久志能幾研究所 小田泰仙

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