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2018年11月

2018年11月26日 (月)

裸で生まれて 裸で死んでいく

 今夜2018年11月26日、町内の方のお通夜があり急遽、参列をした。厳粛な式の中、日頃、忘れていた死を思い出した。通夜式の最後に、故人の生前の写真を時系列にプロジェクターで映し、個人を偲ぶ趣向があった。元気だったころの仕事中の姿から、退職してから皆とゴルフ、旅行をして元気だったころ、老いてお爺さんになり、孫を見て顔をほころばせている時までを映し出していた。その映像を見て、日頃忘れていた現実、人は老い、死んでいく現実に、引き戻された。

 

人の一生

 人は、寝て一畳、立って半畳、食べて一合、飲んで一升。人は裸で生まれて、裸で死んでいく。足るを知る生活には、一衣一鉢の黒衣で足りる。今は、物があり過ぎるから、争いが起こる。余計に金を持つから、更に金に執着心が起きる。今回の日産のゴーン氏の強欲ぶりの醜態をマスコミで知って、更にその思いを新たにした。

 持たない生活、食べない生活、一人でいても寂しくない生活を目指すべきだ。知足の生活に幸せがある。かのソロモン王でさえ、己ほど着飾ってはいなかった。今の己の生活を振り返る機会を頂いた。

 

五蘊

 蘊とは、仏教用語で、「集まり」の意味である。五蘊として人間の肉体と精神を五つの集まりに分けて示した。仏教では、この五蘊が集合して仮設された存在が人間であるとして、五蘊仮和合と説く。これによって五蘊(=人間)の無我を表そうとした。古くは阿含経の中に言及されている。五蘊は次の5種である。

 「色」は物質的存在を示し、「受」「想」「行」「識」は精神作用を示す。人間の心身の機構を羅列的に挙げ、それによって人間の生存およびその環境の全てを表そうとした。

 

色蘊 :人間の肉体を意味する。

            後には全ての物質も含む意味になった。(例:桜そのもの)

受蘊 :感受作用(例:桜の木をみて「美しい」と感じる行為)

想蘊 :表象作用(例:眼をつむって「桜」というイメージを思い浮かべる行為)

行蘊 :意志作用(例:桜の枝を瓶にさしてみようと思い巡らす行為)

識蘊 :認識作用(例:「桜」と認識する行為)

 

下記の書画は、馬場恵峰先生に揮毫をお願いしたら、我々が先生の書を撮影している間に、直接、軸に揮毫をして完成させてしまわれた。脱帽です。

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    2016928日 揮毫

2018-11-26 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

米国の未来の肥満は反面教師

 「2030年には、米国人の42%が肥満になる」と言う見通しがワシントンで開かれた米疾病対策センター(CDC)の肥満に関するフォーラム(2012年5月)示された。今後20年間で、医療費だけで44兆円の負担増になるという。

 44兆円とは、世界一の軍事力を持つ米国軍事予算50兆円に相当する。内なる敵が米国を攻めている。その防衛費が44兆円越えである。日本の国家予算の半分である。肥満になれば、高血圧、糖尿病、認知症と医療費は高騰し、頭は働かなくなるし、社会の無駄な消費は増えるし、社会の活力は失われる。国の衰退である。その件を下記に考察した。

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帝国の繁栄

 近代の歴史では100年間、繁栄が続いた帝国はない。帝国の繁栄は、スペイン、オランダ、大英帝国と続いた。大英帝国は一時、日の沈むことはないと誇示した広大な植民地を築いた時代もあった。

 それに楔を打ち込んだのが太平洋戦争である。これによりアジアの植民地が解放された。美味しい餌を奪われる結果になった欧米が、日本を憎む原因がここにある。その陰湿な仕返しが東京裁判である。しかし戦後長く続いたアメリカの繁栄も、時代の流れには逆らえない。その繁栄を崩壊させるのは己の食欲さえ制御できない意志の弱さである。敵は内にある。それを考えると、1000年の間、続いたローマ帝国は驚嘆である。その帝国も国民の退廃で滅亡した。ローマには、歴史を考えるヒントが溢れている。

 

肥満と痴呆化

 日本はアメリカの流行の10年遅れで動いている。他山の石として、警戒すべきである。その兆候があちこちに出ている。その兆候の最たるものが、肥満化と頭の痴呆化である。現代社会が金儲け主義の企業の跋扈のため、飽食の罠と痴呆化の罠を作り出している。動物に近い強欲さで生きている狩猟民族が、近代化という錬金術で手に入れた金のせいで、肥満化と頭の痴呆化になるのは、神がしくんだ落とし穴である。

 

苦役と働く喜びの差

 欧米の労働感では、働くとは神がアダムとイブに課した苦役である。だから金が出来たら早く引退してのんびり暮らしたいという欲望がその背景にある。欧米の労働に対する価値観は、働くことが尊いという日本の価値観とは対極の位置にある。その金を得る為、人の金を強奪するための正当化の教義として、グローバル経済主義が生まれ、その結果として1%の富者が99%の富を独占すると言う社会が生まれた。

 

ローバル経済主義者

 その典型が、日産のゴーン氏の破格の給与が以前から問題になっていて、今回の逮捕事件(2018年11月19日)となった。どう考えても、トヨタの役員全員の給与総額が15億円なのに、ゴーンが一人で20億円をかっさらうのはまともではない。拝金主義の極まりである。それは戦前の植民地強奪戦争を思い起こさせる。その後継者がグローバル経済主義者である。

 

日本文化継承の務め

 しかし日本には、おかげさまで、自然との調和、共生、知足、利他の心という文化がある。日本食という健康に良い文化もある。欧米化した悪しき教義を見直して、新しい時代を創るのが、年長者に課せられた「仕事」である。それも後姿を見せるだけでいい。新しい時代を「創る」のであるから、血みどろな戦いが必要である。しかし認知症に犯された老人には無理である。

 年長者が生涯現役で働けば、歳を取り遊んでいる欧米諸国に勝つことが出来る。地道に働くだけである。ウサギと亀の競争を思い出そう。繁栄の資源は、己の内にある。

 

吸血鬼ビジネス

 なぜ米国人の肥満が減らないのか、なぜ増える一方なのか。砂糖が大量に入った清涼飲料水、スィーツの氾濫、ファーストフードに代表される工場で大量生産される食料は、利益万能主義で、いかに大量に消費者に飲食してもらうかが、企業経営の目標になっている。2014年夏、米国企業の不衛生なチキンの製造工程が露見したニュースが世界を駆け巡った。金儲けの前には国民の健康は眼中にない。

 そして太らせたカモは病気になり、医療と大量の医薬品が投入され、医療機関、薬品業界が儲かる仕組みとなる。本来、病気にならないように、悪い飲食物を規制すればよいのだが、米国のロビー活動で、それを業界は妨害する。ロビー活動とは、実質的に賄賂工作と同じであるが、ロビー活動という「美しい名前」で世間をごまかしている。これは人の生血を吸って金儲けをする吸血鬼ビジネスである。

 

節税・脱税の鬼

現 在、金儲け最優先の企業は行き過ぎた節税策を展開中である。「タックス・インバージョン(Tax Inversion) とは、節税のために本社を海外に移転させる節税策だ。合法ではあるのだが、企業倫理的には間違いである。具体的には、米国企業が米国よりも法人税率の低い外国の企業を買収して合併、その上で合併後の 新会社を書類上は外国の会社として法人税を抑制する、という手口だ。こうした動きはこの1年ほどで加速している。今年春に持ち上がった 製薬大手の米ファイザーと英アストラゼネ力の合併話(結局不成立)で、この手法が大きな注目を集めた。

 ロイターによると、節税行為の1位はゼネラル・工レクトリックで1100億ドル。以下、Microsoftは764億ドル、ファイザー は690億ドル、製薬大手のメルクは571億ドル、Appleは544億ドル、である。

 税金とは、公共の設備の利用料である。節税とはそれをキセルするという反社会的行為である。吸血鬼ビジネスに携わる業界が、この節税に熱心なのは頷ける話であり、情けない話である。

 

税金が高いのを喜ぼう

 松下幸之助翁は税金を納めるのが誇りであるというが、現代の米国企業は情けない根性に成り下がっている。これが今を時めくグローバル経済主義である。税金が高いとは、人より能力があり、収入が多いと国が認めてくれた勲章である。沢山税金を納めると、ご褒美で更に収入が増えていく。それを喜ばないから、豊かになれない。

 

2018-11-26 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年11月25日 (日)

「時代衣装で振り返るファッションショー」で伝えたいメッセージは何?

ファッションとは何か

 ファッションとは、ある時点において普及している形式や風習である。特に、人々の間で流行している服装を指す。さらに広義には音楽などの文化やライフスタイルまでをも包括しうる。

 人の生活スタイルは、衣食住に大きく依存する。衣装はそれに一番密着した項目である。特に現代は、衣装が女性の美しさをアピールする道具としての位置づけが大きい。大垣市は、戦後、繊維産業で栄えた歴史があるが、それは素材を生産しただけで、大垣がファッション産業で栄えたわけではない。

 最新のファッションに盲目的に追随する人は「ファッショニスタ」とか、ファッション中毒等と呼ばれる。また、さまざまなファッションを着て見せびらかすという行為は、文化レベルが高いとは言えまい。人は中身である。ファッションショーのきらびやかな仮面は何を意味するか。ファッシンとは流行に流されるイメージが強く、私はあまり好きでない。ファッションにも芸術性もあるが、消耗品・実用品のイメージが強く、芸術的価値が高いとは言えまい。

 

問題提起

 2017年11月17日、大垣城ホールで大垣市熟年式イベント前の「かがやきステージ」のオープニングイベントで、高校生提案行事として平野学園清凌高校による「時代衣装で振り返るファッションショー」が開催された。学生のイベントとしては、見ごたえがあったが、行事として違和感があった。単に、学園が所有している衣装で、過去の時代の衣服を再現するだけのショーであった。

 生徒作のデザイン衣装のファッションショーとしての披露もあったが、そのファッションショーが、大垣市制100周年記念にどういう関係があるショーなのか疑問が残った。単に小川敏市長の趣味なのか。

 今回の平野学園の「時代衣装で振り返るファションショー」はその大垣市の歴史100年には関係ない内容のファッションショーであった。平野学園の高校生は、何を大垣市民に訴えたかったのか。

 

ショーとしてのコミュニケーション目的

 ショーでも展示会でも小説でも、そのテーマから観客の伝えるべきメッセージがなければならぬ。ショーも一つのコミュニケーションである。コミュニケーションとは情報の伝達である。このファッションショーでは「伝」は有ったが、観客に言いたいことが「達」していない。情報を伝達したら、観客に行動を起こしてもらわねば、コミュニケーションの失敗である。普通のファッションショーでは、観客に新しい服の購入を促すのだ。

 このショーにあるのは大垣市から金をもらって、過去の時代の衣服を時代順に再現しましただけだ。で、それがどうしたの? それが大垣の次の100年にどういう意味があるの? 観客の我々は、何を持って帰ればよいのだ。10年後、このファッションショーを振り返って、次の100年にどういう価値を生みだすのか。このショーを見て1997年のスミソニアン博物館での、伝えるべき伝言が抹消されたエノラ・ゲイ展を思い出した。

 冒頭に生徒作の最新ファッションの披露があったが、ショーのストーリーとして全体展開で、違和感を覚えた。その部分が後半の時代衣装ショーとストーリーで繋がらないのだ。その時代衣装でのショーの後、また最新ファッションの披露である。ストーリーの論理構成が破綻している。聞き手が急に話の話題を変えられたようで、違和感を覚える。

01dsc04689 「時代衣装で振り返るファッションショー」大垣城ホール  2017年11月17日 

 ガラすきの観客席

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100個の行事の一つの賑やかし?

 私の感触では、このファッションショーは平野学園の学園祭で開催すべきレベルの行事である。何も市民税を投入して、大垣市制100周年記念行事の一環で、熟年式前の行事で開催する話ではない。観客もわずか200名程度である。熟年式に招待された関係者を除けば、実質50人のほどの少人数である。

 このファッションショーで平野学園の生徒は何を大垣市民に伝えたいのか。それが大垣市制100周年記念行事としてどういう位置付けになるのか。せいぜい200人の観客(多くは関係者と推定)のために、市民税を投入するのは、一部の学園への利益誘導ではないのか。開催をヤメにしたら何か影響があるのか。影響がなければ、無駄の行事である。100個の行事の一つとして賑やかしで出されたみたいだ。

 

後世に何が残るのか?

 今回の開催レベルでは、単に、大垣市制100周年記念行事の予算の消化行事となっている。単なる時代衣装のファッションショーでは、後世に何も残らない。フーン、そうなの、で終わってしまう。モデルにスポットライトが当たったのは、虚像であったようだ。翌日の岐阜新聞も中日新聞も無視である。

 

提案

 家のタンスの奥に眠っている和服や着物を、現代風に仕立て直して、熟年式に参加する人が着て、ファッションショーをする。それなら熟年式を盛り上げて、平野学園がファッションショーをする価値がある。平野学園の学生も、創造性の発揮できる学びの機会となる。今回のように単に、学園が所有している衣装で過去の衣服を再現するだけなら、学園祭でやるレベルの行事である。何も学生のファッションショーを見るのに、熟年式のアトラクションとして、大垣市民税を投入して、開催する話ではない。

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04dsc04629オープングで上図の現代スタイルのファッシンの披露があって、なぜ次に平安時代なのだ。

05dsc04641 平安貴族の衣装 

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平安貴族の女性

07dsc04665 武士の男女 

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武士の正装

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芭蕉の時代衣装の披露の場に、なぜ、現代版のキャラクターが出てくるの? 論理の破綻である。

10dsc04735 時代衣装の披露が終わったらまた創作作品

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2018-11-25 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

魔墨知260.  「醜い姉妹」を排除しよう

情報を一カ所に集める

 捜し物はあちこちに分散するから探せない。入り口を一つにして検索するシステムにしておけば、探す時間が短縮できる。その基本は5Sである。情報の整理整頓清潔清掃をきちんとすれば、情報を探し回る時間ロスをなくせる。

 

「醜い姉妹」

 イギリスの心理学者ジェームズ・リーゾンは「醜い姉妹」という概念を提唱している。童話『シンデレラ』では、真夜中にガラスの靴を落としていったシンデレラを、王子様が捜し回り、シンデレラ宅にたどり着いた時も、「醜い姉妹」たちがガラスの靴の持ち主は自分たちだと言い張り、王子様のシンデレラとの再会を妨害する。

 つまり、目当ての物を探し当てようとしているのに、「醜い姉妹」が邪魔をしている。「醜い姉妹」とは「記憶の混乱」である。試験前に、一生懸命にたくさんの項目を覚えて行っても、たくさん覚えた記憶がノイズになって、試験で答えるべき項目を思い出せなくする。類似項目は、さらなる混乱を引き起こす。これが「醜い姉妹」である。

 それらを1つに絞り込めば、「醜い姉妹」の問題に悩むことはない。メモに限らず、ノートでも書籍でも預金通帳でも、似たような複数の物を管理手段として使う限り、「醜い姉妹」の問題は現れる。

 やるべきことを絞れば、その目的は明確化する。最重なことをやらない時間は、価値を生まない時間である。

 

2018-11-25 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

大垣市制100周年記念行事は「醜い姉妹」作戦

 大垣市制100周年記念行事で、同じような行事を100個も実施しても、数が多すぎて、「醜い姉妹」の問題となっている。小川敏市長が、100周年記念行事で、何が何でも100個の行事をしたいというは異常行動である。大垣市民の大多数はそんなことを望んでいない。

 

何が一番大事か

 大垣市制100周年記念行事で、何を後世に残したいのか。何を市民に残したいのか。何を祝いたいのか曖昧である。市民には、行事の数が多すぎて理解不能である。誰が喜ぶのか。本当の記念すべき行事は何なのか。やるべき祝賀行事だけを実施すれば、総額費用3億4千万円など不要である。それは市民税と言う血税であるが、小川敏市長にとっては、それは人の金で、あぶく銭であるようだ。なぜその金の一部を小学校エアコン設備に回せないのか。

 

あぶく銭で「醜い姉妹」作戦

 小川敏市長には、「醜い姉妹」を前面に出して、どうしてもその金をばらまきたい理由があるようだ。それをカモフラージュするための100の行事(「醜い姉妹」作戦)であるようだ。あぶく銭が動けば、何かが裏で動く。

 小川敏市長にとって、大垣市制100周年記念行事予算は、あぶく銭である。あぶく銭には虫がまとわりつく。だから、その使途用途は条例でマル秘扱いにしたのだ。

1dsc04578 2018年11月17日 熟年式のオープニングセレモニーでの挨拶で、

 「この行事が75番目で、あと25の行事をします」と豪語する小川敏市

 

「醜い姉妹」

 イギリスの心理学者ジェームズ・リーゾンは「醜い姉妹」という概念を提唱している。童話『シンデレラ』では、真夜中にガラスの靴を落としていったシンデレラを、王子様が捜し回り、シンデレラ宅にたどり着いた時も、「醜い姉妹」たちがガラスの靴の持ち主は自分たちだと言い張り、王子様のシンデレラとの再会を妨害する。

 つまり、目当ての物を探し当てようとしているのに、「醜い姉妹」が邪魔をしている。「醜い姉妹」とは「対象物の混乱」であり、目的の曖昧化である。やるべきことが多すぎると、本来の目的が見失われる。類似項目は、さらなる混乱を引き起こす。これが「醜い姉妹」である。

 それらを1つに絞り込めば、「醜い姉妹」の問題に悩むことはない。似たような複数の物を管理手段として使う限り、「醜い姉妹」の問題は現れる。やるべきことを絞れば、その目的は明確化する。醜い姉妹と付き合っている時間は価値を生まない時間である。

 

2018-11-25  久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年11月24日 (土)

魔墨知100. 迷ったことはやってしまおう

 神でもない我々が、いろいろと考えるのは時間の無駄である。まずやってみて途中で間違いと気づけば、即止めれば良い。

 それは命を掛けて考えることですか。やれば、間違えるという貴重な経験ができる。転んでも、タダで起きなければよい。その失敗が、己を賢くしてくれる。敢えて問題を起こした方が、真理が露見する。なあなあでは、真理は見えてこない。問題が起きても、人間界で起きたことは、人間界で解決できる。何を恐れることがあろうか。間違っても、仏様が守ってくれる。

 失敗から閃きがでて、百年の迷いが一日で悟れるかもしれない。考えているだけではダメなのだ。

1img_4859   馬場恵峰書

2018-11-24 久志能幾研究所 小田泰仙

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大垣市民の金を私物化。ゴーン前会長と同じ

小川市長がゴーンと同じように血税を私物化

 2018年11月17日、小川敏大垣市長は、「かがやき熟年式」のオープニング式の祝辞で、この行事が75番目の行事だと豪語した。あと25の行事をやり来ますと宣言である。大垣市長はそうまでして、大垣市制100周年記念行事の名目で、遮二無二に、なにがなんでも行事数を100件にして、でっち上げて分捕った3億4千万円の金を使いたいのだ。無理な行事には、必ず不正が発生する。政治経済界の法則である。やり方が不自然なのだ。市民はそんな行事などして欲しくないと思っている。

 小川敏市長には大垣市民税の血税に対して、惜福という考えが全くない。市長にとって、市民税は人の金である。ゴーンが日産を私物化したのと同じ考えではないか。あるのは自己満足と、業者への忖度である。なにか見返りでもあるのではと、勘ぐってしまう。長期政権は腐敗するという常識は、日産にも大垣市にも当てはまると思う。奇しくも、ゴーンも小川敏市長も19年間の長期政権である。

1dsc04577  「かがやき熟年式」のオープニング式 2018年11月17日 10:20

2dsc04576  小川市長の挨拶

石川議長の愚言

 石川市議会議長は、小川敏市長の次に祝辞を述べた。そのついでの話しで、大垣の小学校エアコン設備問題で、補助金のお願いを麻生大臣に陳情したと、大威張りであった。笑ってしまった。エアコン設備率が県下最低で、今までやるべきことをやっていなかっただけの話しである。それなのに、それを麻生大臣に陳情したと恥ずべきことなのに自慢している。やるべきことをやっていれば、陳情もいらないし、東京への出張旅費もいらない。忙しい麻生さんの時間を煩わすこともない。市民税、国税の無駄の上塗りだ。それを大勢の前で、己の怠慢を自慢する人に、議員の資格があるのか。

 

ゴルゴ13

 その時のついでの話しとして、石川議場は麻生さんから帽子にサインをしてもらったと、その自慢話をして帽子をかぶって見せて、祝辞の時間をつぶした。なんとノー天気な議長なのか。サイン用紙の用意がなかったので帽子にしたというが、準備・段取り能力がないことの証明である。ゴルゴ13が愛読書のレベルの大臣にサインをもらうのがそんなに嬉しいのか。この「かがやきステージ」の開催祝辞で自慢話をするレベルではなかろう。もっと政治のターゲットを絞って、ゴルゴ13のように削減すべき予算を狙撃してほしい。何のための議長なのか。何年議員を経験しているのだ。そんなことだから大垣は衰退している。

3dsc04586   石川議長の挨拶 

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  石川議長の帽子自慢

 

優先順位

 そんな国の援助を期待せず、小学校エアコンの設備費14億円の金なら、財政の豊かな大垣市なら、各所の予算を少し節約すれば、浮く金額である。だって、岐阜県の主要な都市の小学校エアコンの設備は100%なのだ。大垣市小学校エアコン設備率だけが2.4%である実態が恥さらしである。なぜそうなったかの原因追及と再発防止をするのが先である。陳情はその後だ。

 まず大垣市制100周年記念行事だけでも3億円が浮く。最低でも2億円は浮く。大垣債を発行する手もある。他にも不用不急な施設の投資を見直せば、資金は作れる。議会として他力本願の国への陳情より、己たちの努力で、小川敏市長をコントロールして、予算を節約して資金を作って欲しい。大垣駅前の近寄る人の少ない不急の「カメの池」新設などは後回しにして、小学校エアコン問題を片づけてからでも遅くない。そういう大垣駅前商店街の店主や庶民の怨嗟の声が私にも聞こえてくる。

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  大垣駅前の亀の池 ハツラツ市で賑わってもこの程度。普通の日は、誰もいない。

   2018‎年‎7月‎1‎日 ‎日曜日 14:56

2018-11-24 久志能幾研究所 小田泰仙

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お礼 累計閲覧総数50,000件超え

 今日の午前9時に、本ブログの総閲覧数が50,000件を超えました。記事総数は926通です。閲覧にお礼申し上げます。今後も精進して、記事内容と文章に磨きをかけます。皆様の閲覧とご意見が励みです。感謝。

 いつも愚かな話題を提供してくれる大垣市政に感謝です。だから書くネタが尽きません。自分の行動の鑑としても、自省の材料にしています。しかし大垣市民としては、哀しい現実です。

 

2018-11-24 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年11月23日 (金)

魔墨知384. 自分より優れた人を使う技を習得し、共に働こう

 時間を創るのは知でもなければ、理でもない。感性と感謝の念が時間を創る。自分一人がガンバっても成果は限界がある。利他の心で、組織として時間を創ろう。

 

鉄鋼の町、ピッツバーグに眠る鉄鋼王カーネギーの墓石に刻まれた言葉;

Here lies one who knew how to get around him men who were cleverer than himself.

「己より優れた部下を持ち、共に働ける技を知れる者がここに眠る」

   

Andrew Canegie (1835-1919)

 アメリカの実業家。英国スコットランドからの貧しい移民で、線路工夫から身を起こす。後に世界最大の鉄鋼会社となるユナッテッド・スチールを創業する。アメリカ資本主義発展期を代表する企業家、鉄鋼王とも称される。晩年、ニューヨークに音楽殿堂といわれるカーネギーホールを建設するなど公共事業に力を注いだ

 

 2018年11月19日、日産を追われたゴーン氏は、在任中、自分の座を脅かしそうになる人材は、徹底的に排除した。私利私欲で100億円の金儲けのためには手段を選ばなかった。自分がいなくなると困る状況を作っていた。任期の後期は職権乱用で世界各地の国に会社の金で、豪勢なマンションを買わせていた。それを見て見ぬふりをしていた幹部の責任は大きい。長期独裁政権は必ず腐敗する。大垣市は大丈夫か?

 

2018-11-23 久志能幾研究所 小田泰仙

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日産の社是が示す「ゴーン汚染」

 ゴーン氏の逮捕を受けて、ゴーン時代に制定された日産の社是を見直してみた。社是は会社の憲法である。社是を見れば、会社の行動が分かる。この社是は、ゴーンの考え方の影響を色濃く受けていると判断した。

 ゴーンはgone、行っていってしまった。もう帰らない…..♪

 

日産のミッション

  私たち日産は、独自性に溢れ、革新的なクルマやサービスを創造し、その目に見える優れた価値を、全てのステークホルダーに提供します。それらはルノーとの提携のもとに行っていきます。

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(日産のホームページより)

 

 この社是は「メチャメチャ」に違和感がある。ゴーンが、メチャメチャに会社の金を私用に使いまくったことの遠因を思い起こさせる。

 ミッションの画面で、黒い車が後姿を晒して、ブレーキランプの赤を灯して、暗い未来の曲がり角を目指して走っていく。まるで日産の現状を象徴しているような風景である。写真の車は明らかに、カーブの車線を逸脱して曲線部にまっすぐに突っ込む姿である。発展する車の進行方向なら、右向きである。この車の進行方向は左向き。まさに闇道に落ち込む姿である。こんな写真でいいの? この黒のスカイラインはスカのライン? 昔、明るく輝いていたスカイラインは今いずこ? 

 

毒自性

 社是の日本語の文章として「独自性に溢れ、」はどこを修飾した形容句なのか。文言が「、」で区切られているから、どこにも形容せず、単独で浮いている文言である。また他の動詞が他動詞なのに、自動詞とリズムを乱している。消費者が、車に求めるモノの最優先は、安全に移動する手段の提供である。

 日産の歴史は、財閥の総帥鮎川義介が金儲けのため1936年に米国のグラハム・ペイジから設計図や設備を買い、技術者などを連れてきて、日本で自動車生産を始めたことに始まる。日産のどこにも「独自性に溢れ」る車を作ってきたDNAは見当たらない。

 同じ時期、豊田喜一郎は、図面も人づくりも鋳造も生産技術も自分たちで作って、国産車を開発した。米国から全てを導入して車を作ったのでは、お国のためにならない。豊田喜一郎が自動車を始めたのは、車作りでお国に尽くすためであった。豊田佐吉が「俺は繊維でお国に尽くした。お前(喜一郎)は車でお国に尽くせ」との父の言葉に従ったのだ。

1img_2587  豊田AA型乗用車のモックアップ   産業技術記念館にて

 

価値創造

 目に見える価値は大したものではない。それなら、うわべだけの価値である。日本の企業の価値は目に見えないところにある。その価値の大事さは、金でしか評価しない拝金主義者のゴーンには見えない。だからこんな文言の社是となる。

 

誰のために

 日本の会社の最優先は社員であって、株主ではない。株主が会社を背負っているわけではない。社員が会社を支え、発展させている。それを「全てのステイクホルダー(株主)に提供します」の言い方は、欧米の拝金主義者の経営者の言い分である。日本の経営者なら絶対にいわない。末尾のトヨタの社是と比較をされたい。

 世界の株主は、社員の首を切って経費を削減するゴーンに拍手喝采なのだ。株主は、配当さえあれば、社員の生活など知ったことではないのだ。なにかおかしくないか。社員こそ、新しい価値を生み出してくれる財産なのだ。欧米の拝金主義者にとって、社員は費用のかかる経費扱いである。だから社是で「全てのステークホルダーに提供します。」という愚かな発想になる。そこに社員のためという考えはない。

 

顧客の求めるモノ

 顧客が車に求めるのは、独自性より安全安心である。会社は「革新的でなくても」よい。安全に安心して走れる車を提供してくれればよい。口先だけの社是だから安全に不安を招かせる無資格者車検問題が露見するのだ。ゴーンは問題が露見しても、公式の場にも顔を出さなかった。顧客が求めるのは「信用」である。

 

奴隷の社是

 社是にルノーの名が出ることがまた異様である。世界中の社是を探しても、他社の名前を入れた社是など見たことがない「自社はルノーの紐付きです」と宣言した奴隷の言葉である。何時までもルノーが存続するわけではない。GМでさえも潰れた時代である。もっと社是で言うべきことがあるだろうと言いたい。

 

参考 トヨタの基本理念

  1. 内外の法およびその精神を遵守し、オープンでフェアな企業活動を通じて、国際社会から信頼される企業市民をめざす
  2. 各国、各地域の文化、慣習を尊重し、地域に根ざした企業活動を通じて、経済・社会の発展に貢献する
  3. クリーンで安全な商品の提供を使命とし、あらゆる企業活動を通じて、住みよい地球と豊かな社会づくりに取り組む
  4. 様々な分野での最先端技術の研究と開発に努め、世界中のお客様のご要望にお応えする魅力あふれる商品・サービスを提供する
  5. 労使相互信頼・責任を基本に、個人の創造力とチームワークの強みを最大限に高める企業風土をつくる
  6. グローバルで革新的な経営により、社会との調和ある成長をめざす
  7. 開かれた取引関係を基本に、互いに研究と創造に努め、長期安定的な成長と共存共栄を実現する

 

 トヨタは、'92年1月「企業を取り巻く環境が大きく変化している時こそ、確固とした理念を持って進むべき道を見極めていくことが重要」との認識に立ち、「トヨタ基本理念」を策定いたしました。('97年4月改定)

 

2018-11-23 久志能幾研究所 小田泰仙

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